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さて、実は相撲の起源は神社と深い関係性があると言われています。ご存知でしたか?
今回はちょっと謎めいて面白い、「相撲の起源」についてお話します。
相撲のはじまりは「占い」?!
相撲は、日本でも様々な記録に残されています。
記録を辿り、相撲の歴史を紐解いてみましょう。
古事記に残る神の相撲、日本書紀に残る人の相撲
古事記には、タケミカヅチとタケミナカタの二神が、日本の国譲りを巡って戦った様子が書かれており、これが一番最初の相撲であると言われています。
その後、日本書紀には野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)という二人の力士が、「捔力(すまい)」で戦った様子が記録されています。神ではない、人の相撲の、最初の記録です。
けり技が中心の戦いは、当麻蹴速の死亡をもって、野見宿禰の勝利で幕を閉じたとあります。
現代の相撲からは想像もつかない激しい展開であることが読めるのです。
試合は紀元前23年7月7日のことと記録されており、時代で言うところの弥生時代のこと。
この頃から、相撲は単なるスポーツではなく、その年の収穫の可否を占う神事の位置づけであったと考えられています。
詳細の記録は少なく、学術的にもまだ憶測の域を出ていませんが、村同士の代表者が相撲をとり、勝ったほうの村のその年の収穫が豊作になる……という占い神事であった、とする説もあります。
もしもそうであれば、その年の豊作を賭けた、命がけの勝負であったということが推測できます。
後に古墳時代にも、出土品から相撲の絵が確認されるなど、相撲が続いてきたことが窺えます。
奈良時代を経て平安時代に宮中神事へ
続日本紀には、聖武天皇が相撲をご覧になったと「相撲戯」と題された段に書かれています。
「戯」とあるとおり、これが一種のエンターテインメントであったことがわかりますが、聖武天皇以前にも、古墳時代や飛鳥時代に客人をもてなすために天皇が相撲をとらせた記録などが存在しています。
聖武天皇在位中にあたる726年には、三種の「禁じ手」(突く殴る蹴る)や四十八手、礼法が制定されました。
先出の「相撲戯」の記録は734年、旧暦7月7日のもの。この頃から、7月に相撲が催された記録が頻出していますが、当初は七夕の式典に付随するものだったのです。
その後、平安時代には「相撲節会」として独立し、300年ほどの間続いた―と、日本相撲協会のホームページには記されています。
実際には、866年には既に兵部省が相撲節会を仕切っており、相撲は宮中警護や武術の鍛錬の手段となりつつあったと考えられます。
武士の時代の訪れと共に、武術的な色合いを濃くした相撲ですが、一方で現代の大相撲にも神事としての型を見ることができ、さらに地方には奉納相撲を行うところも数多く残っています。
相撲が神事であることを示す、土俵入りの「四股」「拍手」
ここまでで、神道的な色はあまり見えなかったように思われますが、相撲の作法を見ていると、神道的な部分が色濃く残っています。
それは、四股、そして拍手。
こうした動きについて、何となく儀式っぽい……と感じ取っている方も多いでしょう。
四股や拍手には神道的な意味があるのです。
四股=神を鎮める儀式
お相撲さんの代表的な行動のひとつ、四股。
四股には、地鎮めの意味があります。
四股を踏むことで、その地に荒ぶる神の御霊をなぐさめ、安定させるのです。
古代には、人々の生活は自然条件に左右され、特に稲作の収穫などは天地の安定が必須でした。
このため、四股を踏むことで地鎮めを行い、天地の安定を祈ったのであろうと考えられます。
拍手=場を清める儀式
四股を踏んだ後に力士が手を叩く拍手にも、場を清めるという神道的な意味があります。
拍手の澄み渡る撥音は、古来清めの効果があるとされ、神社参拝の際にも行われるものです。
相撲においても拍手を打ち、場を清めて厄災を打ち払うことが必要とされました。その古代における目的は、やはり農耕の成果にあったと考えられるのです。
相撲の語源は「素舞」
相撲の語源としてさきほど「すまい」を紹介しましたが、これを適切な漢字になおすと「素舞」となります。
つまり、相撲は神々に捧げる舞、巫女の舞う神楽に類似した意味合いを持つ存在でもあったのです。
テレビ中継が行われる大相撲とは別に、現在でも各地の神事で行われている奉納相撲。そして大相撲でも大々的に行われる土俵入り。
起源は、素の状態、つまりハダカで舞を行い、四股を踏み神を鎮め、拍手で場を清める神事でした。
これらの他にも、相撲が神事であることを示す要素はいくつもあります。
陰陽道でも類似したことが行われている、退魔の弓取り。
盛大に撒かれる塩。
勝った力士だけが、呪力を次の力士に引き継ぐ、力水。負けた力士は呪力がないので、次の取り組みをする力士に力水をつけることができないのです。
こうした、神道というよりも、古代の呪術的とも言える作法が、現代の相撲に息づいている野は、相撲が単なる力業のスポーツではないことを示しています。
実際に近年、神社の火災焼失の際に、復興工事の安全を祈願して横綱が土俵入りを行った例もあります(2007年、福岡県三柱神社、朝青龍奉納土俵入り)。
相撲が今に至るまで、「厄災鎮め」の一面を色濃く持つ神事であることを、如実に語る、印象深い出来事でした。