神社には様々な名前がついています。
その中で、神社の名前をよく見てみるとわかるのが、「○○大社」と付く神社と、「○○神宮」と付く神社とがある、ということです。
「大社」「神宮」の他にも、普通に「○○神社」という名前の神社もありますし、「○○社」という名前のところがあります。
これらの称号は「社号」と呼びますが、社号の違いには、何か意味などがあるのでしょうか?
もしかして、神道にも様々な宗派があるのでしょうか…?
神社の名前の最後に付く、「大社」「神宮」などの、社号の違いについてまとめました。
■「伊勢神宮」からわかる「神宮」のヒミツ
まず、一番わかりやすい「神宮」からその特徴をマスターしましょう。
日本で最もと言ってよいほど、広く知られている神社のひとつに「伊勢神宮」があります。
しかし、「伊勢神宮」が正式名称ではないということは、知っていましたか?
「伊勢神宮」の正式名称は「神宮」と呼称します。
そう、「伊勢神宮」は通称だったのです。
ただし、伊勢神宮には内宮・外宮の他に摂末社・所管社125社もあり、これらすべてをひっくるめて「神宮」と呼びます。
伊勢神宮のサイトを見ても、アルファベットで「Ise Jingu」と記載がありますが、一方で漢字名称は「神宮」と明記されています。(2017年7月現在)
伊勢神宮をはじめとして、「○○神宮」と名前のつく神社は、すべて皇室と非常に関わりの深い神社となっています。
たとえば伊勢神宮の場合、主祭神は天照大神、つまり皇室の祖先にあたる神様です。
明治神宮の場合は、明治天皇と昭憲皇太后が祭神となっています。
なお、近年恋愛のパワースポットとして知名度のあがった北海道神宮は、もとは札幌神社という名前でした。
戦後になって、明治天皇を昭和39年に新たにお祀りし、皇室の認許を受け、社名を「北海道神宮」と改称したという経緯があるのです。
その他の神宮説
上述では天皇や天皇の祖先神を祀った神社が神宮であると紹介しました。
しかし、一説には伊勢神宮はこの定義に当てはまらないとされ、当てはめるのも恐れ多いとされています。
伊勢神宮が「神宮」と呼ばれるのは、ただ単に「日本の神が御座す宮殿」であるから「神宮」とされてる説が古来より伝わっています。
また、石神神宮や鹿島神宮、香取神宮などは天皇や天皇の祖先神を祭祀していないですが、神宮号が付されています。
これらの神社が神宮号を名乗ることができるのは、天皇や天皇の祖先神に縁(ゆかり)があったことから神宮号を名乗ることが許されています。
ところで・・「神宮」は勝手に名乗って良い??
上述した中でこんな疑問が出てきた方もいることでしょう。
「勝手に神宮を名乗って良いのか?」
・・という疑問です。
実は神宮号を名乗るには、天皇の勅書や勅令が必要となりますので勝手に名乗ることはできないものとされています。
たとえ選抜されたとしても審議されますので、やはり天皇に縁のある神社でないと神宮を号することは難しいものとなります。
■「大神宮」「皇大神宮」は「神宮」??
「神宮」には、まだもう1つ種類があります。
どんな種類かお分かりになりますか?
「↑のタイトルでバレとるわ。このアホが」
と、まぁそう言わずに言わせてください。
その種類というのが日本各地にある「東京大神宮」を代表とした「大神宮」や「皇大神宮」と名乗る神社になります。
大神宮も皇大神宮も「神宮」が名前の最後に付されており、「大」の文字が組み込まれて神宮よりも大きい印象を受けます。
しかし残念ながら「大神宮」や「皇大神宮」は天皇の勅許がない神社となり、「神宮」が付いていますが「神宮」とは異なる神社になります。
■大きな神社が「○○大社」?小さな神社が「○○社」??
社号を「大社」とする神社で、有名な神社に「出雲大社」があります。
出雲大社の祭神は大国主命で、皇室との直接的な血縁関係がない神です。
しかし、天照大神の子孫が天から降りてくる前に、日本の国土を創造し治めていた神ですから、日本神話の中では非常に大きな存在感を持っています。
また、大国主命はヤマタノオロチの伝説で有名な素戔嗚尊(スサノオノミコト)の息子、あるいは子孫とされており、天照大神の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)が国土へ降臨した際に、日本の国土を邇邇芸命に譲ったのも大国主命でした。
この大国主命を祀った出雲大社を皮切りに、全国の大規模な神社で使われている社号が「大社」です。
熊野大社は素戔嗚尊を、三嶋大社では大山津見神(オオヤマツミノカミ)を、浅間大社では木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)を、諏訪大社では大国主命の息子とされている、建御名方神(タケミナカタノカミ)をお祀りしています。
こうした諸々の神様をお祀りする神社のうち、大きく、格式の高い神社を「大社」。
小規模なものに対しては、「社」の社号を用いています。
もっと別の表現で示すと・・
つきつめれば、天照大神の血縁である「天津神(あまつかみ)」の系統をお祀りするのが「神宮」。
神話上、天津神に国を譲った元々の日本の神、「国津神(くにつかみ)」の系統をお祀りするのが、「大社」「神社」「社」であると言えるでしょう。
【補足】大社の読み方
近年、ニュースなどで出雲大社の読み方が取り沙汰されたことがありました。
出雲大社は一般的には「いずもたいしゃ」と読まれていますが、正式には「いずもおおやしろ」と読みます。
一方、大社としてもう1つ有名な神社に狐を祀る神社として有名な「伏見稲荷大社」があります。
伏見稲荷大社は「ふしみいなりおおやしろ」とは読まず、「ふしみいなりたいしゃ」と読みます。
その他の大社号を持つ神社としての有名どころでは、熊野本宮大社、春日大社、住吉大社、諏訪大社がありますが、いずれも「たいしゃ」と読んでいます。
現在このような大社号を持つ神社は492ありますが、かつて「大社」と言えば島根県・出雲大社のことを指し、唯一、神社の中で大社号を名乗ることが許されたのは島根県・出雲大社のみとされています。
尚、出雲大社は日本に幾つか分社が存在しますが、その中でも唯一、「おおやしろ」を号することができるのは総本社である島根県・出雲大社のみであるとされています。
■東照宮と東照社、水天宮と八幡宮
日光にある東照宮は、徳川家康をお祀りしている神社として知られています。
ここまでの説明をご覧になった方は、「あれ? 皇室の子孫ではないのに、宮とついているけれど?」と疑問に思われるかもしれません。
東照宮は、実は創建当時は「東照社」という名前でした。
また東照宮の始まりは静岡県の久能山東照社であって、日光ではありませんでした。
家康公の遺言に従い、久能山の東照社に引き続いて日光の東照社が完成し、家康の霊は1617年に日光に改葬(これが正式に遺骨を移動しての改葬ではなく、分霊の勧請に過ぎなかったという説もあります)されましたが、その後1645年になって、朝廷から宮号が許可されたことにより、東照社から東照宮に名を改めました。
やはり「宮」の名前は、朝廷からのただならぬご縁を指し示しているもので他なりません。
「延喜式神名帳」から見る「宮」の定義
神社の格付けが明確にされたのが平安時代と伝えられています。
その平安時代に編纂された神社の格付けを記した書物に有名な書物があります。
どのような名前の書物かお分かりになりますでしょうか?
・・
・・
・・残念無念!ハズレです。
正解は、現在までに伝わる「延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう)」と呼ばれる書物です。
この延喜式神名帳には2861社もの神社が格付けされ記載されています。
この中で「宮」を名乗ることが許されたのは、なんと!わずか11社だけになります。
このように「宮」を名乗る神社が少ない理由としては、「宮」を名乗るにもやはり勅許が必要であり、天皇や天皇の祖先神に縁のある神社が「宮」を名乗っていることが分かります。
なお、戌の日などに安産祈願に赴く「水天宮」は、安徳天皇がお祀りされています。
「八幡宮」は応神天皇や神功皇后をお祀りする神社です。
■神宮も大社も社も「神社」!
神社は総称的に用いられるものであり、「神様を祀る場所」という意味の言葉です。
したがって、どのような祭神の神社でも、「神社」と名が付く可能性はあるということになります。
とはいえ、皇室関係の神社の場合は「神宮」「宮」の名称が用いられますから、それ以外の「社」について「神社」の名称が用いられる場合がある、と解釈して良いでしょう。