「御朱印」とは?御朱印の起源と「御朱印を設置している(取り扱っている)理由」

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「御朱印を集める」…昨今の御朱印ブームもあり、中には最近の風習のように思われていることもあるようなのですが、実は御朱印の起源はとても古く、室町時代とも、それ以前とも言われています。

御朱印の起源とは? そして、これほど古い御朱印が現在でも寺社で取り扱われている理由について以下ではご紹介しています。

■御朱印の起源は「納経帳」

御朱印の起源をさかのぼると、「納経帳」というアイテムにたどり着きます。

納経帳」は、「のうきょうちょう」と読み、18世紀初頭、つまり江戸時代の前半期に用いられるようになったことがわかっています。

これは、寺社仏閣に「お経を納めた」ことを証明する、一種の証明書であり、「何年何月何日に、○○神社に納経した」旨が書かれていました。

ここには、現在の御朱印と酷似した寺社仏閣の朱印が押印され、直筆のサインをした担当者の役職名なども書かれていたものです。

そして、各寺社のサインが1冊にまとめられ、「納経帳」という手帳スタイルのものとしてできあがっていたのです。

納経帳が庶民に定着する前には、お経の奉納を受けた寺社で「納経請取状」といったものが発行されていました。

これはあくまでも「状」つまり「手紙」スタイルであり、手帳のようにまとめられたものではありませんでした。

内容も、納経帳のように「何年何月何日に、○○神社に納経した」というあっさりとしたものではなく、年月日はもちろんのこととして、お経を納められた寺社の由緒などもあわせて簡潔に記されています。

現在でも、四国八十八箇所を巡るお遍路の風習がありますが、これは室町時代の頃から盛んに全国で行われた寺社めぐりの名残です。

この寺社めぐりにおいては、参拝のひとつの証拠、記念として、お経(法華経)を納める、あるいはお経に見立てた札を納めるといったことが行われ、その訪れた証明として発行されたものが、「納経請取状」でした。

お経を納めるということは、宗教が重要視される世の中とっては、信仰の証でもありましたが、実際にお経を納めに行く行者と、お経を納めたいと願う信仰者(いわばスポンサー)が別人である場合も多く、お経が無事に納められた詳細な証明書が必要とされてもいたのです。

これが18世紀に入ってからは「納経帳」として手帳スタイルにまとめられるようになり、その後神仏分離などいくつかの歴史的変遷を経て、現在の神社めぐりの御朱印帳として残されたと、現在の歴史研究においては、このように言われています。

納経帳に間しては当サイトの以下の別ページにてご紹介しています。

 関連記事:御朱印帳の起源「いつから御朱印帳が使われ始めた??」

印鑑自体は飛鳥時代が起源!

上記では、納経帳に押印されたのが御朱印の起源だと解説しましたが、「印鑑」自体の歴史は飛鳥時代後期あたりにすでにその存在が明らかにされています。

飛鳥時代後期といえば律令制の時代であり、この頃には「大化の改新」が施行されています。大化の改新では役人のみが印鑑を使用することが明文化されていたようです。

大きな改革が行われた最中、多くの金銭・モノ・人が介在したことから、当人に成り代わるものとして印鑑が支給されただと考えられます。

すなわち、わざわざ当人が出向かなくても書面(文章)に書き記し、最後に当人の印鑑を使用することで利便性の向上を図ったのだと推察されます。




■麻呂(公家)が用いた「花押」もしくは、”殿っ!(大名)”が用いた「印判」が起源という説も?!

一説には、麻呂(公家..おぢゃルぞよ.ホッホ)が用いた花押(かおう)や、大名が用いた「印判」が起源とされる説もあります。

花押とは?

花押とは、自らが承諾したことを告げる墨書きのサインのようなもので、書状の最後にサインしたものです。

後述の印判の以前は花押が公的に使用されていましたが、印判が使われはじめてから概ね公的な書状には印判が押されるようになっています。

↑豊臣秀吉の花押

印判とは?

印判とは、公的文書に用いた印鑑のことで戦国時代が起源と云われています。

戦国時代は戦乱の世であり、他国との同盟や許可証、脅迫状などのやりとりが盛んに行われた時期でしたのでこの頃から印判が広く使用されるようになっています。

印判は大名ごとにデザインがことなり、自らの名前をそのまま印判にする者もいれば、龍の姿などの絵を印判にする者もいました。

このような印判は1512年(永正9年)に今川氏親(いまがわうじちか)がしたためた書状に印が押されていたのが起源とされ、これが印判の起源と云われています。

尚、印判が盛んに使用された例に「御朱印船」があります。

↑大名の印判付き朱印状

■えぇっ?!明治時代までは神社の御朱印は無かった?!

あまり知られていませんが、なんと!明治時代まで神社の御朱印は存在しませんでした。

これには理由あり、江戸時代までは「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という仏様と神様が習合した文化が存在し、神様は崇敬の対象が無かったことから仏像が神様の対象として扱われ崇拝されていたのです。

このことのみが背景にあるわけではありまっしぇんが、他に様々な要因が絡み、寺院が神社を管理する形態が採られていました。

つまり、神社へ納めた納経帳の朱印は、その神社を管轄している「別当寺(べっとうじ)」と呼ばれる役職を担った寺院が代わりに朱印を押印し、神社独自の朱印が存在しなかったことになります。

しかしやがて明治時代に差し掛かると神仏習合が廃止され、代わりに神仏分離令が政府によって発令されることになり、神仏が分けて考えられるようになりました。

このような背景から神社も寺院の影響を受けて独自の朱印が作られるようになり、朱印自体の役目も大きく変貌を遂げ「納経した証の印」ではなく、「参拝した証として押印される印」つまり”御朱印”へと意味合いを変えていくことになります。

■神社が現在も御朱印を取り扱う理由とは?

寺社めぐりそのものは室町時代以前から行われ、そこに「納経(のうきょう/経典や写経を納める)」という風習が絡んで「納経請取状(のうきょううけとりじょう)」、そして「納経帳(のうきょうちょう)」という、証明書の存在に結びつきました。

上述した神仏分離令では神道(しんとう/=神社)重視の政策が採られ、その結果、お経を納めつつ寺社を巡るという行為(六十六部と呼ばれている)が禁止されたために、納経の風習は消えていくことになります。

しかし寺社を巡り、その証明をいただくという行為自体が民衆に広く親しまれていたため、納経が禁止された後も、上述したように参拝の証としての朱印である「御朱印」を発行する風習は残ることになります。

現在も寺社が御朱印を取り扱っている理由としては、その名残であるということが1つとして考えられますが、そのほかにも各寺社それぞれに思うところはあるようです。

御朱印を取り扱う理由が寺社それぞれで明確になっているケースはほとんどありませんが、寺社側の姿勢が垣間見える例のひとつに、Twitterで有名になった京都府・粟田神社の例があります。

粟田神社では、境内の末社(まっしゃ/お社)として鍛冶神社を擁しており、粟田神社と鍛冶神社の2種類の御朱印をいただくことができます。

しかしそれだけではなく、オンラインゲームやミュージカル、アニメで人気の作品『刀剣乱舞(とうけんらんぶ)』に関連する限定の御朱印も数種類集めることができるため、業者による転売が後を絶たず、これに伴い粟田神社側が公式に御朱印に対する見解を発表しています。

この発表によれば、粟田神社が御朱印を配布する理由については、以下のような明記があります。

御朱印は神社名やご祭神名、ご鎮座地、所縁の物の名称などを記して神社の印を押したもので、御神札やお守りとは異なり神様をお招き(遷霊)したものではありません。

しかし御朱印は神社に参拝された方が神様とご神縁を結ばれた証であり、そこにはご神気が宿ると解釈されますので、必ずお参りしてから授与されるようにお願い申し上げます。

当社では親子、親族、ご友人などのために求められる方々には御朱印をお頒ちいたします。お渡しする相手のお顔を知り、その方と寄り添う気持ちのある方が授与された御朱印は、必ず神様とお渡しになる方との橋渡しになると思うからです。

しかしながら、俗に言われる転売屋や代行屋を通して授与された御朱印には御神縁が結ばれませんので、意味のないものになってしまいます。

このような転売屋や代行屋は、御朱印を転売・代行することで差分の利を得ている事実からしても行為自体、忌むべきです。

参拝される方々が、このようないわゆる『穢れ(けがれ)』に関わり合いにならないよう、ご家族、ご友人、ご親族をはじめ、周囲の方々にもこのような転売屋や代行屋に依頼することのないことを切に願っております。

■御朱印を取り扱っていない神社や寺院も存在する!その理由とは?

現在、御朱印ブームということもあり、日本国内のおおよその神社や寺院では御朱印を授与されています。

お金の話とはなりますが、御朱印と言えども境内の維持(修繕や改修工事など)のための浄財になり得るからです。銭じゃ銭じゃ銭じゃ~ヒッヒッヒ

しかし中には、どうしても御朱印の思想を受け入れない寺院や神社も中には存在します。

その代表例となるのが親鸞上人を開基にいただく、浄土宗や真宗系の宗派になります。

その他、規模の小さい寺社でも授与していない所が多々あります

つまり、どこの神社や寺院でも御朱印が授与しているわけではないと言うことを覚えておく必要があります。

■御朱印には色々なスタイルがある

一般的に御朱印といえば社務所や授与所の窓口に並んでいただくケースがほとんどですが、すでに用意された書き置きタイプの御朱印もあります。

 直書きタイプ

窓口で御朱印帳に書いていただく御朱印を一般的に「直書き」と呼称します。自らが用意した御朱印帳に書いていただくか、小さな半紙に書いていただくかの2択になります。

御朱印帳に直書きをお願いした場合は、次のページに御朱印が写らないよう、紙を挟んでいただけます。この紙に御朱印の由来が記載されていたり、由緒書きが書かれていたりするなど工夫が施されている寺社があります。

 書き置きタイプ

書き置きタイプの御朱印は一般的に「書き置き」と呼ばれます。

書き置きタイプの御朱印は、職員(神職や僧侶)が少ないわりに参拝客が多いなど、割合、規模が小さな寺社で取り入れられているケースが多く見受けられます。

書き置きタイプは上記の半紙にすでに御朱印が書かれていますので、御朱印帳を持参している方は御朱印帳に挟み込むことになります。

ただ、御朱印帳に挟む込むだけではすぐに落下してしまって汚れてしまったり、破損につながったりすることもありますので、ノリなどで固定する必要があります。

■宗派・神社によって異なる御朱印の呼び方

一般的な俗称としては「御朱印」ですが、中には独自の呼称で呼び習わしている寺社があります。たとえば次の通りです。

  • 熱田神宮→『御神印』
  • 一部の日蓮宗寺院→『御首題』

■御朱印の初穂料(値段)

不思議なことに御朱印の初穂料(値段)は日本全国の寺社である程度、均一になっています。

おおむね300円で、中には500円や1000円というところもありますが、なんと!無料で頒布されているところもあるから驚きです。

その代表例となるのが熱田神宮です。

熱田神宮では上述したように御朱印を『御神印』と呼び習わしていますが、初穂料(値段)も「志納金(しのうきん)」と言って「参拝者の気持ち(お心)次第」としています。

■御朱印をいただく際のマナーと心得

  • 御朱印は参拝の証!当然、参拝してからいただくのが絶対のマナー!
  • 御朱印の授与所へ行く際はできるだけ事前に小銭を用意しておく
  • 御朱印帳へ書いてもらう場合(直書き)は、書いていただく時間を考慮して、御朱印所に30分前には到着できるような予定を組む
  • 御朱印帳に御朱印をいただく際は、書いて欲しいページを開けて「よろしくお願いします!」と一言、言葉をそえるとお互いに気持ちがいい
  • 御朱印および御朱印帳を粗末に扱わない。管理する場所にも気を配っておく

なお、御朱印帳には「カバー」や「袋」が販売されていますので、日焼けや水害などから守ることもできます。汚れた御朱印帳を窓口に出すのはあまりにも失礼ですので、いつも綺麗な御朱印帳を保ちましょう。

特に神様は清浄で掃除されたキレイな空間を好まれます。

終わりに・・

粟田神社のように明確にその真意を発表する神社は少ないとはいえ「参拝した人と参拝された神との、ご縁の証としての御朱印」…というスタンスは、元来、納経帳の時代から人々の心の中で密かに受け継がれてきた思いでもあったハズです。

昨今、御朱印ブームに乗り「スタンプラリー」の感覚で御朱印を集めている人も非常に増加していると言われています。

御朱印をいただく側としても、御朱印の意義や意味を知った上で御朱印をいただくことにより、最適なマナーをわきまえることができ、ありがたい神徳をも授かることができます。

御朱印をいただく際のマネーを大切にしなが・・あぁ間違い!マナー!!や礼節を大切にして御朱印をいただくように心がけたいものですね。ウフ

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