五山送り火は京都で行われる夏のイベントですが、「大文字(大文字焼き)」とも呼ばれることがあり、送り火の文字それぞれに意味や由来がちゃんと存在しています。
関西圏の人々には馴染み深い一方で、関東圏の方々には「大」の文字しかないように思われていることもあるなど、案外知られていない面も。
今回は、五山送り火を様々な視点から徹底解説します。
目次
五山送り火(大文字)とは?
五山送り火とは京都の伝統行事の一つです。
葵祭・祇園祭・時代祭とともに、京都四大行事の一つとして数えられています。
京都は盆地のため、いくつかの山に囲まれています。
その山々に、様々な文字の形に火を炊いて、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けます。その文字とは……
- 「大文字」
- 「松ケ崎妙法」
- 「船形万灯籠」
- 「左大文字」
- 「鳥居形松明」
と、なんと5種類もあるのです!
それぞれの意味合いは後述しますので、そちらをご参照ください。
無くなってしまった送り火もある!!
実は、明治の初期までは以下の5つが送り火として点火されていたそうです。
- 「い」(市原野)
- 「ー」(鳴滝)
- 「竹の先に鈴」(西山)
- 「蛇」(北嵯峨)
- 「長刀」(観空寺)
今は5種類にあった送り火、昔は10種類あったんですね。
「五山送り火」の読み方
五山送り火と書いて「ござんおくりび」と読みます。
山に書かれる、それぞれの文字の読み方は以下のとおりです。
- 「大文字」⇒「だいもんじ」
- 「松ケ崎妙法」⇒「まつがさきみょうほう」
- 「船形万灯籠」⇒「ふながたまんどうろう」
- 「左大文字」⇒「ひだりだいもんじ」
- 「鳥居形松明」⇒「とりいがたしょうめい」
この5種類の焼き文字を総称したものが「五山送り火」となります。
ところで「五山」って?場所はどこ?何山?実は6箇所!
「五山」と言うからには、5つの山に文字が出るのだな……ということは大体想像がつくかと思いますが、残念!
実は山が6つ、文字(形)も6つとなっています。なぜかというと、5つの文字形のうち、「松ケ崎妙法」だけ「妙」「法」の2文字が別々の山に灯されるためです。
それぞれの山と場所についてご案内します。
「大文字」⇒東山如意ヶ嶽(支峰「大文字山」)
五山送り火の炎のうち、京都御所から見て東側に灯るのは、この「大」の文字だけです。
如意ヶ嶽という山の支峰である「大文字山」は銀閣寺のあるところ。
ここから、視線を左にぐるりと移動していくと、以下にご紹介する順番で炎を見られることになります。
「松ケ崎妙法」⇒「妙」は万灯篭山(松ヶ崎西山)/「法」は大黒天山(松ヶ崎東山)
先述のとおり、「松ケ崎妙法」に限っては「妙」と「法」という2文字の形に炎が灯ることになっています。
いわゆる松ヶ崎西山と、松ヶ崎東山とは、隣り合っていて、京都御所から見るとやや東寄りの北側にあたります。
京都御所から見て左側(西側)の山が「妙」の出る松ヶ崎西山。
右側(東側)の山が「法」の出る松ヶ崎東山です。
「船形万灯籠」⇒明見山(西賀茂船山)
「妙」の文字からさらに視線を左側(西側)へ移すと、京都御所から見て北西の位置に船の形の炎が浮かびます。
これが明見山の船形万灯籠です。この山は、西賀茂に位置するため、西賀茂船山(にしかもふねやま)と呼ばれることもあります。
「左大文字」⇒大北山
五山送り火で「大」の形の炎は2つ灯されますが、京都御所から見ると左側に見える「左大文字」は大北山という山に設置されています。この山には金閣寺があります。
五山送り火を一気見する時は、船形万灯籠よりもさらに左に目線を移すといいでしょう。
「鳥居形松明」⇒水尾山
鳥居形松明は、京都御所からほぼ真西側にある水尾山で点火が行われます。
位置としては北嵯峨にあたり、水尾山は別名を「曼荼羅山(まんだらやま)」とも呼ぶそう。
「あの五山」とは違った……
「京都五山」と言えば、一般的には仏教・臨済宗の寺院のことを言います。
寺院にも寺格といって、寺院の格付けが存在していますが、京都では鎌倉時代末期に、臨済宗を保護するという政府方針のもと「五山制度」が施行され、いわば「エライお寺」が決められました。名称は五山ですが5寺でなかった時代も多く、紆余曲折あった後に室町時代、足利義満によって、京都では「天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺」の5つが「五山」に定められたのです。
ただ、ここで言う「京都五山」はあくまでも「5つのお寺」の話であり、山の話ではありません。
「五山送り火」の「五山」は「別の山」だと思って良いでしょう!
五山送り火の起源と由来
五山送り火の起源は…残念ながら今でも不明です。
諸説ありますが、この3つの説が今の所の起源として有力です。
- 平安初期「空海」説
- 室町中期「足利義政」説
- 江戸初期「能書家・近衛信尹」説
でも文献としてはっきり残っているわけではないので、これらのうちのどれが正解かという決定打はありませんが、それぞれについて解説します!!
平安初期「空海」説
昔、大文字山のふもとに、浄土寺という寺があったが、これが火災になった。このとき、本尊であった阿弥陀仏は山の上に飛んでいって、光明を放ったので、その光明をかたどったものを空海が書きおさめた、という説。
この他にも、光明の形を真似て地元住民が炎を灯したものを、空海が「大」の文字として定めた、という説もあります。
室町中期「足利義政」説
足利義政説は、銀閣寺にゆかりのある足利義政が、子どもである足利義尚を亡くした後にこれを弔うために行ったという説です。
大文字焼きのある東山には、銀閣寺がありますので、実際にゆかりがあったのかもしれません。
江戸初期「能書家・近衛信尹」説
「寛永の三筆」と呼ばれた能書家の近衛信尹によるものだという説もあります。
1662年に刊行された書物『案内者』の中に「大文字は三藐院殿(近衛信尹)の筆画にてきり石をたてたりといふ」の記述があることから、有力視されている説です。
夏の風物詩とも言える京都のイベントなのにも由来が3つに分かれているのは面白いですね。
五山送り火の意味
五山送り火というのは先述の通り、ご先祖の霊を霊界へ送り届けるためのイベントだという事でした。
では何故、ご先祖の為に火を焚くの?と言うと、あの世に帰るための道しるべ、という意味があります。
迷わずご先祖様が霊界へ帰るのにも道は必要ですからね。
そして先程ご紹介した「文字」にも意味がちゃんとあるのです。
大文字の意味合い
大文字の意味合いは6つもあります。
いずれも「説」に過ぎませんが、参考にしてくださいね。
- 地・水・風・火の四大要素の「大」を表す説。
- 上記に空を加えた説。
- 大という文字を分解すると、「一人」になる為、人間に見立てて無病息災を願う説。
- 大は魔よけの意味をもつ五芒星の意味がある説。
- 北極星(神の化身とみなされている)をかたどっていて、地上の不動の山とする説。
- 弘法大師空海が大の字に護摩壇(ごまだん)を組んでいたから「大」の字にしたという説。
ちなみに大文字の由来については、先述の「五山送り火の起源と由来」がこれにあたります。5つの灯火のうち、最初に行われ始めたと思われるのが、この「大文字」です。
松ケ崎妙法の意味合い
点火した時、左側に見えるのが「妙」
右側に見えるのが「法」の文字です。
鎌倉時代の日蓮上人の孫弟子の日像上人がある村で法華説を説いたところ、村人全員が改宗したのを喜び日蓮宗(法華宗)の題目の妙法蓮華経から、「妙」の字を送り火としました。
妙法には「素晴らしい法」という意味合いが有り、法華宗の中のお経の中で最高のお経と考えられているのです。
一方「妙」の文字が始められたのは江戸時代の初期で、日良という僧が始めたと伝えられます。送り火の位置関係から、京都御所から見て左側にはいくつかの送り火があったものの、右側には「大」「法」しかないということで、「妙」が作られたと言われています。
現在は左側の文字も「鳥居」「左大文字」「船形万灯籠」の3つですが、江戸時代には今は行われていない5つの文字があったはずですので(このことは先述しています)、京の北側だけ文字がぽっかりと抜けたような状態になっていたのでしょう。
なお「妙法」には、法華宗に帰依していた人を送る意味もあるようです。
船形万灯籠の意味合い
舟形は「精霊船」とも呼ばれ、船首は西方浄土を指しており、精霊を送るための船であるとされています。
一説には平安時代に疫病が流行り、数万人の犠牲が出てその供養のために「大乗仏教」(多くの人を救う)の教えから船の形になったと言います。
あるいは別説に、平安時代に遣唐使として唐に渡っていた円仁(慈覚大師)が、847年に帰国するにあたり暴風雨に遭い、南無阿弥陀仏を唱えて難を逃れた、その船の形であるとも言われています。
左大文字の意味合い
昔は篝火で焚いた火で演出していたので、毎年形が変わっていたものの、「大」ではなくて「天」と書かれていた時期もある、と伝わっています。
左大文字については、
- 『洛陽名所集』(1658年)
- 『扶桑京華志』(1665年)
- 『山城四季物語』(1673~1681年)
など、複数の文献に記録が見られ、比較的起源がわかりやすい送り火となっています。
よく、右側の大文字と比較されることがあり、「右側は男大文字、左側は女大文字」などと言われることがありますが、実はこれは俗説にすぎず、ただ京都市街地から見て左側であるため「左大文字」と呼ばれているのが真実です。
鳥居形松明の意味合い
鳥居形にも諸説あります。
1つは弘法大師が石仏千体を刻んで開眼供養したのを機に、鳥居形が作られた。
もう一つは麓の愛宕神社の鳥居にちなんで鳥居形が作られた。
という二つの説があります。
鳥居形に最後に点灯するのは、愛宕神社の神意を示すのもであり、京都に災いが降りかからないようにするそうです。
五山送り火が全部見られる場所がある?!
五山送り火を全部見たいという欲張りの方にぴったりの穴場があります。
イオンモール京都五条店です。
他の場所だと予約制だったり、お金を払って入場しなきゃいけないので手間がかかります。
そんな時に絶好の穴場として人気なのです。
屋上駐車場からは、大文字、妙法、舟形、左大文字、鳥居形の五山の送り火を全て見ることが出来るので本当に欲張りな方におすすめの場所なのでぜひ訪れて見てはいかがでしょうか?
【関連記事】五山送り火を見られる場所などについて、以下に詳しく解説していますのでご参照ください。
五山送り火(大文字焼き)は何の意味(由来)があって行うのか?場所・観れるスポット(穴場)・日程もご紹介!
五山送り火の点火時間と消火の時間……文字によって違う!
五山送り火は、文字によって点火時間が違います。一度に点火するわけではありません。
それぞれの点火時間は、以下のとおりです。
- 「大文字」⇒20:00
- 「松ケ崎妙法」⇒20:05
- 「船形万灯籠」⇒20:10
- 「左大文字」⇒20:15
- 「鳥居形松明」⇒20:20
ちなみに、点灯時間はそれぞれ約30分ほど。時間が経過すると地元消防団の方々が、事故のないように順に消火する手筈になっています。
五山送り火における新型コロナウイルスの影響
2020から猛威を奮っている新型コロナウイルス。
それは五山送り火にも影響はありました。
2020年は、規模を縮小して開催されました。規模縮小での五山送り火は、戦時中に中止されたケースを除いて史上初だったようです。
規模を縮小とはどのような意味か? と疑問に思われるかもしれませんね。
五山送り火は、いくつもの火を並べて灯し、遠くから見ると文字に見える……という手法で作られていますが、2020年の場合、
- 大文字→それぞれの文字の端っこと、中央で線が交わるポイント 計6箇所
- 妙法→「妙」の文字の中央部分と、「法」の「ム」の描き始めのところ
- 船形→船のてっぺん
- 左大文字→「大」の線が交わるポイント
- 鳥居→鳥居のてっぺん2箇所
と、本当に「点だけ送り火」になってしまったのです。
ちなみに、上の写真が、2020年の五山送り火、大文字の姿です。
本当に「大」ではなくなってしまっていますね……。
2021年もこれと同様の形で、縮小して開催されることが決まりました。2021年の五山送り火には、通常のお盆としての意味合いに加えて、新型コロナウイルス感染症を原因として無くなった方の鎮魂、慰霊という意味も強く含まれます。
ワクチンが出回っても、まだ収束するまでに時間を要します。早く収まって本当の五山送り火を見たいですね。
五山送り火は2021年開催される?
五山送り火は2021年も開催されます。
また、規模は2020年と同じ規模での開催が予想されています。
開催日は2021/8/16となります。
開催について詳細は公式サイトにて要チェックですね!!
五山送り火のボランティア活動について
五山送り火のボランティアは2019年まで募集されていました。
ですが2020年から新型コロナウイルスの影響で募集がなくなってしまいました。
ボランティアの募集要項は京都市の公式サイトからチェックできます。過去に募集があったのは学生ボランティアですが、内容は年によって違う可能性もあるでしょう。またボランティアの内容は、
- 護摩木の運搬・配分作業
- 延焼防止の水入りポリタンクの運搬
などがあります。
新型コロナウイルスが収束した後、ボランティア活動に従事したい方は是非チェックしてみてくださいね。
五山送り火は仏教との縁が深い?
先述したとおり、五山送り火は仏教と浅からぬ縁がありました。
空海が起源だったり、法華宗の素晴らしい妙法から由来した文字がある。
これだけでも仏教と五山送り火は浅からぬ縁があるのはご理解いただけると思います。
近年ではお祭り事として開催されているので、仏教との関連性は薄くなりました。
でも京都市民の神聖なお祭りとして開催されているので縁がなくなってしまったわけではありません。
五山送り火で先祖を霊界へ返す準備は怠らずに!!
五山送り火について様々な視点から紐解いてみました。
ご先祖様を迎えるお盆の時期に行われる大事なイベント。お迎えして、時を共に過ごしたら霊界に帰るのも大事な事ですよね。
今年も夏になったらその季節がやってきます。楽しんでご先祖様をお迎え、お送りしてくださいね。
Writer:夜野大夢(ホームページ)
Writer:陰陽の末裔/占い師・パワーストーンアドバイザー
あん茉莉安(ホームページ)