一般的に知られている「お布施」とは、葬式場の受付で手渡したり、はたまた、法事などで僧侶の方に手渡すときの「真っ白な紙袋に包んだお金のこと」を想像してしまいませんか?
はたして、お布施とは単にそれだけのことを指すのでしょうか。
このページでは、「お布施」の意味や種類のほか、お布施の起源について述べています。
お布施とは?
お布施とは、仏様のお力(知恵や仏力)をお借りするための功徳(くどく)を積むために、仏様に奉納するモノのことです。
ここでの”モノ”とは、現代でいえば一般的に「お金」を意味します。しかし厳密には、お布施には種類がいくつかあって、その種類によってお布施の意味合いが異なってきます。
お布施の種類
お布施には以下の3つの種類があると云われます。
- 無畏施(むいせ)
- 法施(ほうせ)
- 財施(ざいせ)
これらは後述の「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の「布施波羅蜜(ふせはらみつ)」に類するものであり、仏教ではこれらを総称して「三施(さんせ)」と呼びます。ルパン◯◯??
無畏施
「むいせ」と読みます。無畏施とは対象がお金に捉われず、とにかく不安や恐れを抱く人に対して安らぎを与える施しです。
法施
「ほうせ」と読みます。僧侶などが仏法を施しとして人に教えることです。フぅ〜ジこちぃゃぁ〜ん♥
財施
「ざいせ」と読みます。『財施とは寺院や僧侶、貧しい者に清らかな心をたくした金品を備えて施すこと』とされています。
お布施は「六波羅蜜」の1つ
お布施は六波羅蜜の1つだと云われます。六波羅蜜とは大乗仏教における幸福な人生を送れるための修法のことです。六波羅蜜を極めると悟りを説くことができ、涅槃の境地に至ることができるとされています。
布施波羅蜜
布施は上述したとおり、「財施(喜捨を行なう)」「無畏施」「法施(仏法について教える)」などの「三施(さんせ)」が該当します。
禅定波羅蜜
禅定は精神を鍛えて、何事にも動じない己をつくること
精進波羅蜜
精進(しょうじん)は、仏の教えをもとに一切の雑念を捨てて、日夜、修行に励んで功徳をつむこと
持戒波羅蜜
持戒(じかい)は、仏法・戒律をよく遵守すること
忍辱波羅蜜
忍辱(にんにく)は、侮辱や災害など何が起ころうとも、それも修行の1つと捉えて忍耐強く耐えること
般若波羅蜜(智慧波羅蜜)
般若(はんにゃ)とは、心理を見抜くための大いなる智慧のことです。あらゆる物事の真実を見通せるような見識を身につけ、功徳を積み上げる。そして仏のような大いなる智慧をつけることを目標とする。
「雑宝蔵経」の「無財の七施」1つでもある!
その他にもお布施は、「雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)」の中で説かれる「無財の七施(むざいのしちせ)」のことであるとも云われます。
雑宝蔵経とはお釈迦様と弟子たちが繰り広げる物語のことで、仏教を学ぶ上での根本的な考え方や倫理観が記されています。
無財の七施とは、人に好感を持たれる人物を目指し、人生を豊かにする根本の修法もしくはその心がけのことです。ルパン逮捕どぅぁ〜!
眼施
眼を施すと書いて「げんせ」と読みます。人と接する時は優しい眼差しを向けること。
和顔悦色施
和やかな顔、悦びを顔色に出して施すと書いて「わげんえつしきせ」と読みます。人と接するときは笑顔を忘れずに接すべし。ただし、いつまでも半笑いをカマしていると半径10メートル以内に人がいなくなる。
言辞施
言辞とは、言葉使いのことで「ごんじせ」と読みます。人が嫌がる、もしくは不快に思うような荒々しい言葉を使用せず、人に対して気持ちのよい言葉遣いを心がける。
身施
身を施すと書いて「しんせ」と読みます。人に喜んでもらえるように自らの身体を使ってご奉仕すること。もしくは人に対して礼儀正しく振る舞うこと。
心施
心を施すと書いて「しんせ」と読みます。人に対して思いやりの姿勢を持って接すること。
床座施
床に座する施しと書いて「しょうざせ」と読みます。自らが椅子に座っていて、他人が立っているのであれば、自らは床に座し、他人を椅子に座らせてあげましょう。もしくは寝床を貧者に提供すること。
房舎施
房舎を施すと書いて「ぼうしゃせ」と読みます。房舎とは部屋や家のことです。他人が雨露をしのげる場所、もしくは休憩所として自分の家や部屋を提供すること。
お布施の意味や起源を紐解く!
【その1】”布施”の漢字の意味から起源を紐解く!
”お布施”の漢字を解体すると「布」と「施」に分解できます。
布は「泉布(せんぷ)」や「天下布武(てんかふぶ)」などの言葉からも想像できるように「広く行き渡らせる」という意味合いがあります。
「施」は、「施す」という言葉に代表されるように「恵を与える」などの意味合いがあります。
これらを統合すると、『恵を広く行き渡らせるくらい与える』というように解釈できます。
なお、「泉布」とは、『流通している貨幣』のことを指し、天下布武とは織田信長公が書状に用いた朱印であり、「天下に武を布く」という意味があります。
『天下に武を布く』という意味については諸説あるようですが、当時の信長公の状況を考察すれば「天下(日本国)は武家(武士)によって管理運営されるべきである」と考えるのが正しいと思われます。現に信長公の意志を継いだ家康公は江戸幕府でそれを実現しています。フぅ〜じこチャぁわ〜ん♥
【その2】インドの梵語”ダーナ”が起源?
密教などで使用される梵語(ぼんご)は古代インドが起源とされ、「布施」を梵語で訳すと「ダーナ(दान、dāna)」という意味になるそうです。
このダーナは日本に流入したのち、言葉の訛り(なまり)が転じて「檀那(だんな)」とも呼ばれるようになっており、檀那とは『寺院に属して寺院の経営を助ける人、つまり寺院に布施をする人』を意味し、現代風に例えると「檀家(だんか)」がこれに代表されます。
現在までの通説で、この「檀那」という語源は、およそ鎌倉時代中期あたりから使用されはじめたと云われます。