【6つの単位を紹介】神様の数え方は「柱(ちゅう)」?本当の読み方の由来・理由とは?

スポンサードリンク

あなたは、神様の数を数えたい時、「1柱」「2柱」という数え方をすることについて「……なぜ柱?」と思ったことはないでしょうか。

そう、日本の神様は「1人、2人」ではなく「1柱、2柱」と数えます。しかし実は「柱」だけではなく他の数え方もあるんですよ!

今回は、なぜ神様の数え方は「柱」なのか、その読み方や、他の数え方とその由来なども解説していきたいと思います!

神様の数え方は「柱」!読み方は??

神様を数える時の「柱」の読み方は・・・『ちゅう』!!

‥本当に「ちゅう😘」??

結論から申せば‥これは正式ではありまっしぇん!!

正解は‥

『はしら』。

そのまんまだったんですね!

神話などを見ると神様は人と同じような形をしているので、うっかり「ひとり、ふたり」と数えてしまいそうになりますが、このような場合は・・・

神様の数えかたと読み方
  • 一柱→「ひとはしら」
  • 二柱→「ふたはしら」
  • 三柱→「みはしら」
  • 四柱→「よはしら」

「柱」の他にも6つもある!日本で使われる神様の数え方の単位の種類をご紹介!

日本の神様の数え方は「柱」が最も一般的なのですが、実は、他にも神様を数える単位は存在しています。一覧にしてみると……

と5種類もあります。

といっても、日本の神様に主に使われるのは既にご紹介した「柱」で、どれを使えば良いかわからなくなった時は、日本の神様であれば「柱」を使っておくとあまり間違うことはありません。

柱については既に解説しましたので、柱以外の数え方について、それぞれの使い方について説明します。

神(しん)

「神」も、日本の神様を数える単位としてよく使われます。

「柱」との大きな違いがあるわけではありませんが、一説によれば、日本神話における創世記に登場した神々(天之御中主神以降、伊邪那岐神、伊邪那美神まで)を「柱」と数えるが、それ以降の神々は「神」で数えることがある、とも言われます。

正確には、日本の神話の段階が日本国土の創生期なのか、それ以降の日本を統一するまでの物語なのかによって区別がつけられる、とする説です。この説に基づけば、伊邪那岐神、伊邪那美神は、その登場シーンでは「二柱」であり、その後、『古事記』に淤能碁呂島(おのごろじま)と表記された日本の国土を生成した後には「二神」として扱われることになります。ただし実際には、『古事記』では国土生成の後も神の単位を「二柱」とする表記や、「十神」とする表記が双方見られるため、「神」と「柱」との分岐点はいまだ確実に明らかとは言えないでしょう。

座(ざ)

「柱」に次いで神の単位としてよく用いられるのが「座」です。「一座(いちざ)」「二座(にざ)」と数えます。「柱」と似たような単位と思われがちですが、実際には「柱」と「座」の間には明確な線引きがあります。

それは、「柱」が上で解説したように、人格(魂)を持つ神のことを示すのに対し、「座」はそこに居座って動かない、ご神体としての存在を示すものだということです。したがって神話上の神々のことは基本的に「座」ではなく「柱」で数えます。座という漢字は「坐」の書き換えられたものですが、「坐す=います」であり、そこに(何もせず)存在していることを表しています。

古代から長い間、日本人は、山、岩、樹木など動かないものに神が宿るとし、ご神体としてその場に置いたままお祀りしてきました。こうした自然の姿そのものの神を「座」で数えるのです。つまりこの場合は、山そのもの、ご神体そのものが「一座」とされるケースもありますし、山に鎮座した神に対して「一座」という単位で示す場合もあります。

ただこの意味合いも後世に多少の変遷を遂げ、全国の神社を全て書き記した平安時代中期の文書『延喜式神名帳』においては、神の数は「柱」ではなく「座」で示されます。現在では神社においてご神体の主神を「柱」、それ以外の神を「座」で数えることもあるようです。

尊(そん)

神様とは少し違いますが、仏様を数える単位として「尊」をご紹介しておきます。昔から、徳のある人のことを「尊者」と呼ぶことがありましたが、これも仏教系の尊者であることが多いでしょう。

仏様を数える時には、「一尊」「二尊」という数え方が使われます。ただし仏像を数えるなら「一尊」の他に「一体」、「一躯」「一頭(ひとかしら)」「一基」、坐像であれば「一座」と数えることもできます。仏像にも、たくさんの数え方がありますね!

日本古来の神様に対しては「尊」という単位はあまり使いませんが、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」のように、名前の最後に尊称として付けられることはあります。

体(たい)

神様そのものを「一体」「二体」と数えることはありませんが、神道に関係の深いもので「体」を単位としているものがあります。

それは、なんと! お守りやお札なんです!

えっ、お守りは1つ2つ、お札は1枚2枚じゃなかったのか……と思う方は多いでしょう。しかし神社で頒布されているお守りやお札は、全てに神様の分身が宿っている(あるいは、分身そのもの)と考えられているため、あくまでも「ただのモノ」ではないわけです。「体」は神様そのものを数える時にはあまり使いませんが、神様の分身を数える時の単位であると覚えておいてくださいね。

【番外編】位(い)

日本では、人間が神様に昇格するケースがあります。例えば古いものでは、戦に負けて神として祀られた平将門、政治争いで亡くなったけれども太宰府天満宮に祀られている菅原道真。最近では戦争で亡くなった霊のうち、英霊と呼ばれるものがそれです。

このように、神様になった人間も「柱」で数えられます。

一方で、神になっていない、ただの亡くなった人間の霊魂の場合は、「位」がその単位です。「位牌」の「位」ですね。

外国の神様でも「柱」という単位が使われることがある!?

意外かもしれませんが、神様の単位を「柱」としているのは日本の神だけではありません。

旧約聖書を日本語訳したものを見ると、時折、精霊的存在に対して「柱」の単位が使われていることがあります。代表格が、ソロモンに封印された72の悪魔、「ソロモン72柱(ななじゅうふたはしら)」でしょう。

もちろんこれは和訳する際に、訳者が「柱」という表現を用いたということになりますが、概念として性格、つまり魂を持つ精霊的存在であれば、悪魔であっても「柱」が使われるということ。

逆に言えば日本の神も、時に悪魔的な性格を持ったものも含め、精霊的存在という意味合いで「柱」という単位で数えられているということになるでしょう。

神様はなぜ「柱」で数えるの?由来と理由はコレ!!

ではいよいよ、なぜ神様の数え方が「柱」なのか? その理由に迫ってみましょう。

そもそも「柱」という文字の意味は?

「柱」という文字には、

  • 地面からまっすぐに天に向かって立つもの
  • 中心として他から寄り添われるもの、頼りにされるもの

といったような意味があります。

柱は「木」と「主」という2つの文字からできている文字です。木へんは、樹木の形をかたどった象形文字。「主」の部分もまた象形文字で、これは灯台(港にあるものではなく、江戸時代の時代劇において室内で使われているような、油を皿に入れて火を点すタイプのもの)の皿の上で炎が燃える様子を表しています。炎は静止していますので、「主」の文字はそもそも「とどまる、動かない」という意味。そこから「中心となって動かないもの」「主人、あるじ」といった意味が生じてきました。

したがって「柱」というのは、動かない中心的樹木、というイメージを漢字にしたものです。

樹木信仰から生じた神のイメージが「柱」につながった

現代でも私たちは、ものすごく大きな樹木を見ると神々しさを感じ、てっぺんを見上げようとするものですが、この感覚は日本人が古代から受け継いできたものと言っても良いでしょう。

遺伝子に組み込まれているのか、それとも代々親や世間から「樹齢を重ねた木は貴いものだ」と何となく教えられてきたためかはわかりませんが、これが古代からの樹木信仰の名残であることは間違いありません。

例えば岐阜県、白山国立公園に現存する「石徹白(いとしろ)の大杉」の場合、環境省巨樹巨木林DBを参照すると樹高は25メートル。幹周囲は14メートルにも及び、樹齢は実に1,800年と伝えられています。樹齢1,800年が事実だとすれば、この樹は何と邪馬台国の時代から生えていたということになるから、驚きです……!

↑石徹白の大杉

石徹白の大杉の場合は、1,800年前にはまだまだ小さい樹木だったはずですが、縄文時代や弥生時代にも同様の大木は今よりもずっと多く存在していたことでしょう。見上げた先が空に届くような大木は、人々が神に対して抱いたイメージそのものでもありました。

古代、日本人は精霊崇拝(アニミズム)、すなわち自然信仰を行ってきました。その一環がこのような「樹木」に対する信仰です。樹木には精霊が宿ると考えられたため、後世になって樹木がそのままご神体として扱われる例が生じ、今でもそれは御柱祭のような例となって残されています。(アニミズムの詳細については「縄文時代の文化と信仰…遺跡の分布・土偶と石棒と精霊崇拝(アニミズム)」もご参照ください)

そして、ちょっとくらいの自然災害にはびくともしないような、こうした揺るぎない大木の存在は、心を寄せる信仰の対象となったと同時に、生活にとって欠かせない住居の柱として利用されるようになりました。


スポンサードリンク -Sponsored Link-






柱=住居を維持してくれる大切なもの!

住居の中心となる柱を「大黒柱」と呼ぶように、柱は住居を維持してくれる大切なものでもあります。柱や、柱にするための樹齢を重ねた樹木を重要なものであるとする考え方は、人類にとって非常に原初的な考え方であったことでしょう。なぜなら柱は建物にとって重要なものであり、建物は生命の維持にとって重要なものであったはずだからです。すなわち柱は古代人にとって、生命を守るものとしての側面を持っていたであろうことが推測されます。

 ↑三内丸山遺跡で復元されている原初的な建物「六本柱建物跡」

上の写真は青森県の三内丸山遺跡(縄文時代)の例ですが、写真後方に見える掘立柱建物(写真は復元物)においては、柱の太さは直径2メートルにも及んだことがわかっています。かなりの太さですね。

重みや、どっしりと構えた様子など、その用途とイメージから古代人が「神」と「柱」とを結びつけるようになり、最終的に神を数える時にその偉大さを示す方法として「柱」という表現、単位が用いられるようになったと考えられます。神社の鳥居に2本の太い柱が使われていることも、もしかするとこの柱への信仰と関わりがあるのかもしれませんね。

※鳥居の起源については詳細がまだ解明されていません。ただし鳥居の原型は、2本の柱の間に注連縄を張り聖域を作った一種の結界であろうという説が濃厚です。

柱は「霊魂」や「魂」の表現したもの!

神様の単位には実は「柱」でないものもあります。

「柱」という単位が使われるシーンは主に日本の神話においてであり、神話で登場した神様は「伊邪那岐命、伊邪那美命の二柱」などと数えられるため、現在に至るまで「この神社のご祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命の二柱です」というような使い方がなされます。

神話の神様に人格(神格)があるように、「柱」は性格を持つ神に対して使われる単位です。そこには、霊魂、魂といったイメージが隠されており、「柱」と数えられる神様は存在感が人に近く、魂が吹き込まれた性格を持った存在であることがほとんどです。

神様は「人」じゃない

世界じゅうどこの神話や童話を見ても、神の姿は人を模して描かれているため、私たちはついつい、神は人の形をしているものと思ってしまいがち。だからこそ、うっかり「昔々、天照大神という一人の神様がいました」などと言ってしまうこともあるでしょう。しかし神様は本来、人ではなく、「1人、2人」という単位で数えることはできません。

天にも届く巨大な存在、動かないもの、揺るぎないもの、中心的な存在、人が及ばないもの。

「柱」という神の単位には、こうした意図が隠されています。またこうした漠然としたものを日本人が古代から重要視し、信仰してきたということも、日本の培った文化を理解するための重要なファクターですね。ぜひ、「柱」という神の単位に日本人の精神を見ながら、神様のことを身近に感じていただけたら良いのではないかと思います。

Writing:陰陽師の末裔/占い師・パワーストーンアドバイザー
あん茉莉安(ホームページ

スポンサードリンク -Sponsored Link-


    

当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。

関連コンテンツ