太陰太陽暦とは?
太陰太陽暦とは、「たいいんたいようれき」と読み、この暦は太陰暦の11日の差を置閏法(ちじゅんほう)の閏月、閏年の概念を取り入れて完成された暦である。
※注釈※:置閏法とは?=太陰太陽暦や太陽暦において閏月や閏日を暦に入れる方法のこと。
俗に「旧暦」といえばこの太陰太陽暦を指し、日本においては旧暦の明治5年12月2日まで使用された。
この暦はグレゴリオ暦が採用されるまでの間、日本では1000年以上、中国では3000年以上も使用された歴史ある暦である。
この暦が当初、画期的な暦とされたのは、2、3年おきに閏月を約1ヶ月挿入し、1年を13ヶ月とすることができたからだ。
実はこの太陰太陽暦が活用される前の暦は月の軌道を参照した太陰暦が用いられていたので、1年次に新たな1年を連続配置することができなかった。
しかし、太陰太陽暦を用いたことにより閏月、閏年の概念が採り入れられと、1年の次に連続した1年が配置できるようになった。
ただし、現行の太陽軌道を参照した太陽暦(グレゴリオ暦)のように1年12ヶ月ではないので、1ヶ月分をどこかで挿入する必要があった。
一例で示すと、現行の暦では4月の次に5月が来るが、太陰太陽暦の場合、4月の次に「閏4月」を挟んでその次に5月が来るなどの形式にした。
日本においての太陰太陽暦は中国様式のものを取り入れ、改訂を繰り返しながら最終的に天保暦に着地した。
天保暦は日本において最後となる太陽太陰暦の改訂であり、天保15年1月1日(1844年2月18日)より明治5年12月2日(1872年12月31日)までの約29年間用いられた。
そして、明治6年(1873年)1月1日より、現行の太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦され、今日に至る。
太陰暦+太陽暦=『太陰太陽暦』ではない!
よく勘違いされる方が多いのだが、太陰暦と太陽暦を足したものが太陰太陽暦だと思っている方が非常に多い。
正式には、太陰太陽暦は「太陽暦」という文字が入っていながらも、あくまでも太陰暦が基本となっている暦である。
この暦は「1年の長さをいくらにする?」‥などの概念は取りあえず考えなくして、太陰暦を季節の推移に合わせようとした暦と言える。
グレゴリオ暦を用いると夏至と冬至の日付がほぼ一定
グレゴリオ暦は、ほぼ完成された暦と認識することができる。この理由は太陽の軌道を基にして作暦されているので、天球上における夏至と冬至が数年経てもほぼ均一なのだ。
これが意味するところは、夏至と冬至は年数が経ても、ほぼ日付が変わらないということになる。