「蘇民将来」とは?意味や由来(起源)歴史を知ってる?「スサノオとの関係や茅の輪・ちまきとの関係」を説明!

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「蘇民将来」とは何のことかご存知ですか?

「蘇民将来」とは、神社の「茅の輪」に縁のある、日本神話です。

また、大変ご利益のある民間信仰でもあります。

今回は、「蘇民将来」とは何のことなのか?という初歩的な疑問から、意味や由来(起源)に歴史と、様々な角度から「蘇民将来」を紐解いてみます。

「蘇民将来」を知って、そのご利益を生活に取り入れましょう!

蘇民将来の読み方

「蘇民将来」は、そみんしょうらいと読みます。

蘇民将来って何?

「蘇民将来」は、神社の大変重要な儀礼の1つである、「大祓(おおはらえ)」で使われる「茅の輪(ちのわ)」に縁の深いものです。

「茅の輪」は、古くから日本に伝わる「蘇民将来」という伝説のお話が由来となって出来た祭具です。

その、伝説のお話に出てくるのが、「蘇民将来」という優しい人物です。

詳しい話は、後ほどお話致しますが、この「蘇民将来」が助けた人物が、神様であったことから、「蘇民将来」はお礼として、自身の祖先をも守ってくださるような力を授かります。

現在まで続く、「蘇民将来」の信仰は、その力にあやかりたいと願う民間信仰です。

蘇民将来を英語表記するとこうなる!

「蘇民将来」は英語で、Somin Shoraiと表記します。

「Somin future」と表記されている場合もありますが、直訳すると「そみんの未来」となります。

「蘇民将来」は、人の名前なので、そのまま表記します。

蘇民将来のお話(物語)

それでは、「蘇民将来」のお話とはどのようなものか見てみましょう。

昔々、北海の神様である武塔神(むとうしん、むとうのかみ)という人がいました。

この、武塔神は、牛頭天王(ごずてんのう)とも呼ばれ、素戔嗚尊(スサノオノミコト)とだとされています。

ある日、武塔神は、南海の娘を嫁にしたいと旅に出ます。

旅の途中で、日が暮れてしまい、泊めてもらう宿を探していたところ、辺りで一番の大きなお金持ちの家がありました。

その家の主である巨旦将来(こたんしょうらい)に、「一晩泊めて下さらないか?」とお願いをしました。

ところが、意地の悪い巨旦は、「うちは、貧しいから、客人など到底泊められるわけがない」と嘘をつき断ってしまいました。

困った武塔神が、ポツポツ歩いていると、1軒の貧しい家の前に辿り着きます。

今度はその家で、「泊めてくださらないか?」と武塔神が尋ねると、巨旦将来の兄であり、貧しく慎ましく暮らしていた主の蘇民将来(そみんしょうらい)は、「粗末な家で、汚れていますが、どうぞお入りください」と優しく招き入れてくれました。

そして、武塔神に栗のご飯を炊いておもてなしをしてくれました。

翌日、武塔神は、たいそう喜び旅へと出発します。

数年後、武塔神は、南海の娘との間に生まれた8人の子供と共に再び蘇民将来の家を訪れます。

武塔神は、蘇民将来に、「あの時のお礼がしたい。あなたの子供に茅で作った輪を腰につけさせなさい。そうすれば、良きことが起こるでしょう」と言います。

蘇民将来は、言いつけ通り、茅で輪を作り、子供の腰につけさせました。

すると、その年に流行った疫病で、他の子供は次々に死んでしまいましたが、蘇民将来の子供は生き残りました。

生き残った子供に、武塔神が再び現れてこう告げます。

「私の本当の名は、速須佐雄の神(すさのお)である。今後、再び疫病が流行したら、私は蘇民将来の子孫であると言って、腰に茅の輪をつければ、病から生き残ることが出来るであろう」

武塔神の正体は、悪いことを追い払う神様、スサノオだったのです。

蘇民将来の子孫たちは代々、あの時、武塔神が言われたように「蘇民将来」と書いた茅の輪を身に着けていました。

それがお守りとなって、幸せに暮らしたという言い伝えが残っているのです。

ちなみに、三重県伊勢市の二見(ふたみ)にも同じような「蘇民将来」の説話が残っていますが、こちらでは武塔神が牛頭大王(ごすだいおう)という名になり、嫁探しのために竜宮城を目指して旅をしています。

また、牛頭大王が宿泊のお礼に蘇民将来に渡すのは、宝の珠(たま)であり、優しい心の者がその珠を持っているとお金持ちになるとされています。

牛頭大王は2回目に訪れた際に、茅の輪を渡すので、若干、武塔神が出てくるお話とは異なりますが、大筋は同じ話と言えるでしょう。

スサノオとの関係

「蘇民将来」という民間信仰に至った伝説は、蘇民将来が招き入れた者が、スサノオだったことから始まります。

当初、客人ともてなす側の関係であった蘇民将来とスサノオですが、スサノオがお礼にあたるご利益を蘇民将来へ施すことで、蘇民将来とスサノオは民と神の関係へと変わります。

そもそも、スサノオとは、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉の国から帰り、禊を行った際に、産まれたとされる神様だということが『古事記』に記載されています。

また、『日本書紀』には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)との間に産まれた神様とされています。

いずれにしても、日本神話における大変重要な神様の1人です。

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、スサノオには、色々な漢字表記や呼び方があります。

その違いは、書かれた本によるものです。

例えば、『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊 (すさのおのみこと)と書かれていますし、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)や須佐乃袁尊(すさのおのみこと)、また、『出雲国風土記』では、神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記されています。

さらに、時代が進むと、スサノオと仏教における守護神である牛頭天王は、神仏習合の考えから同一視されていきます。

巨旦将来(こたんしょうらい)とは?

巨旦将来とは、蘇民将来の弟にあたる人物で、裕福な暮らしを送っていましたが、旅人(後に神様だと判明した)に意地悪な嘘をついたため、弟が施されたご利益を頂けなかった人です。

一般的、通俗的な説では、巨旦将来の一族は、スサノオによって皆殺しにされ滅ぼされたとも書かれています。

家に旅人を宿泊させなかったために酷い仕打ちを受けることになる巨旦将来ですが、神様のすることですから、それまでの徳がなかったのかもしれません。

ちなみに、蘇民将来伝説が取り入れられた陰陽道においては、蘇民将来は天道神と同一とされ、良い神様だとされている一方で、弟の巨旦将来は、悪い神だと考えられ、金神という、凶の神だとされてしまっています。

蘇民将来の起源と歴史

「蘇民将来」の起源については定かではありません。

しかしながら、災厄を除く神としての信仰は平安時代までさかのぼることができ、全国各地でスサノオと繋がった形で伝承され、信仰されていることが確認できます。

例えば、京都で現在でも開催されている「祇園祭」は、スサノオがお祀りされている八坂神社で行われ、とても歴史があるお祭りです。

当初は、貞観年(859年~877年)に、京都で疫病が流行したとき、天皇の命令が下り、神泉苑という寺院に66本の鉾を立て、そこに、祇園の神を迎えて祀り、厄災の除去を祈るといった、御霊(みたま)を鎮めるために行われていたのが始まりでした。

その後、平安中期になると規模は大きくなり、疫神を鎮めたり、退散させたりするために行われるようになりました。

祭りでは、「やすらい(夜須礼)」と呼ばれる祭祀が行われ、花笠や山車(だし)を出して市中を練り歩きます。

この、山車につけられた山鉾(やまぼこ)は、空中に漂う疫鬼を追いこむための呪具であり、また、花笠は追い立てられた厄鬼を集めてマツの呪力で封じ込めるための呪具です。

このように、追い立てられた悪霊や厄鬼は、八坂神社に集められ、蘇民将来や疫鬼の総元締めとされるスサノオの強い霊威によって、鎮圧され、退散するようにと祈願されているのです。

ちなみに、現存している最古の蘇民将来符とされているものは、京都で出土した「蘇民将来之子孫者」 と書かれた札です。

これは、784年~794年までの10年間、日本の都であった長岡京の跡から発掘されたもので、長さ2.7cm、幅1.3cm、厚さ2mm、と大変小さいながらも、上端に小さな穴の開いた蘇民将来札です。

蘇民将来の意味と由来

「蘇民将来」という民間信仰の由来は、日本各地に残る伝説です。

人の名前である「蘇民将来」は、その伝説の中に登場する人物で、京都の八坂神社、三重県の伊勢地域、長野県上田市の信濃国分寺周辺、備後国と呼ばれていたころの広島県などの地域で有名なお話ですが、他の地域でも見られます。

それらの話は、どれもが同じように「蘇民将来」が登場し、スサノオと重なる神様が出てきます。

中には、先ほど少し触れたように、同じ「蘇民将来」の話であっても、スサノオが現れる昔話と、牛頭天王が登場する昔話など、話が大きく違うわけではないのですが、若干の物語の違いがあります。

しかしながら、話の若干の違いはあるものの、「蘇民将来」と記した護符のご利益は同じような意味合いを持ちます。

「蘇民将来」のご利益は、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰されています。

また、家内安全や無病息災としてのご利益も期待され、住まいの門に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家があるのもそのためです

蘇民将来符(護符)やお守り

「蘇民将来」には、お守りのような護符が存在します。

護符について詳しく見て見ましょう。

蘇民将来の護符の文字の意味

「蘇民将来」は、伝説の話を指すと同時に、護符そのものを指すこともあります。

それでは、「蘇民将来符」や「蘇民将来のお札」には、どのような意味が込められているのでしょうか?

「蘇民将来」の話の中で、スサノオが蘇民将来に授けた「茅の輪」と「蘇民将来の子孫の家を意味するお札」が、蘇民将来一族を守るアイテムだったことから、それらが蘇民将来の信仰を示すお守りや護符となり、その後様々な神社の「厄除け」という形で、受け継がれています。

護符には、「蘇民将来子孫也」や「蘇民将来子孫之門」といった文字の他に、「晴明紋」が記されていることがあります。

「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも呼ばれる、「清明紋」は、星印を指す、五芒星とも呼ばれる紋です。

日本では、平安時代の陰陽師として名高い、安倍晴明が象徴として用いていたことで知られています。

五芒星は、陰陽道で、魔除けの呪符として伝えられて、その星印に込められた意味は、陰陽道の基本概念である陰陽五行説(木・火・土・金・水を基本とした世界観)を表しています。

陰陽道にとって、五芒星は、様々な魔除けの呪符とされているものです。

このような、陰陽道の呪符である五芒星が、蘇民将来に記されているの理由は、陰陽道において、蘇民将来が方位神として取り込まれ、天徳神という名で呼ばれていることに由来しています。

「蘇民将来」に書かれた護符の文字や紋には、「蘇民将来の子孫の家」を示すことで、「厄除け」の効力と、陰陽道の呪符の力による「魔除け」としての意味があります。

裏面には、急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)と書かれている護符もあります。

これは、中国の漢の時代の公文書に、本文を書いた最後に、「この主旨を心得て、急々に、律令のごとくに行なえ」という意で書き添えられていた言葉です。

次代を経て、陰陽道などのおまじないの言葉となって、「悪魔はすみやかに立ち去れ」という意味で祈祷僧がおまじないの言葉として用いたことが由来とされています。

また、ドーマンセーマン(セーマンドーマン)と呼ばれる縦4本、横5本の井桁のようなマークと、星形の清明紋が共に記載されています。

蘇民将来子孫家門

読み方は、「そみんしょうらいしそんけもん」です。

蘇民将来の伝説で、厄除けのおまじないとして「茅の輪」を身につけることと、厄除けの方法として、「蘇民将来子孫家門」と書いて玄関口に飾ることで、蘇民将来の子孫だということを表します。

そうすることで、家は厄災や禍を免れ、子孫繁栄するだろうと言われた言葉から、「蘇民将来子孫家門」とお札に記して飾るようになったのです。

ちなみに、伊勢地区のしめ縄形式の蘇民将来には、「門」の文字が特に大きく、蘇民将来子孫家を囲むように門の文字が書かれている護符です。

また、「蘇民将来子孫家門」から「将」と「門」の文字を取って将門となったものが「笑門」となり、しめ縄に「笑門」とついているしめ縄飾りもあります。

「笑う門には福来る」という言葉を連想させ、人気もあります。

蘇民将来子孫也

読み方は「そみんしょうらいしそんけもん」です。

上記の「蘇民将来子孫家門」と同じく、蘇民将来の伝説に基づいて、蘇民将来の子孫であることから、厄災を祓うようにして下さいという意味を持っています。

蘇民将来のお札(護符)の種類「木札と紙札タイプの2つだけ?」

護符に、木札や紙札の他にも、茅の輪やちまき、角柱など、さまざまな形状や素材のものがあります。

陸奥国分寺(宮城県仙台市)に伝わる蘇民将来護符は、長さ2.5cm、径1cmの木製の八角柱の護符です。

赤・青・黄・黒が交互に彩色されていて、頭部に左回りで梵字(ぼんじ)とカタカナで「ソミンソーライ」と記されています。

また、中心には穴が空けられていて、赤い紐が通され、吊りさげることが出来るようになっています。

この護符は、古くから天然痘除けの護符として信仰されていました。

また、道祖神社(宮城県名取市)の御守として授けられている蘇民将来は、やはり木製の八角形で長さ4.9cm径2cmと小型です。

各面が赤と青が交互に彩色されていて、「ソミンショウライ」の文字も上の方に、各面に1字ずつ、左回りに書かれています。

そして、これも陸奥国分寺と同じように、中央に穴から白いビニル状の紐が通されています。

(山形県米沢市)の蘇民将来は、柳の木で作られた木製のものです。

こちらもやはり、八角柱になっていていますが、3段の切り込みが入っていることが特徴的で、やや末広がりな形状をしています。

長さは10.7cmで、底径5cm、平らな頭部分は、中央に黒で縁取りをされた赤色の星印が描かれています。

そして、頭部の各面に1字ずつ「蘇民将来之子孫也」と記されています。

東北地方では、このように木製柱状の蘇民将来符が多いようです。

一方で、 三重県の宇治山田市や二見町、志摩、鳥羽市などでは、蘇民将来と書かれた平板状の護符をつけるしめ縄は1年を通じて門や神棚へと掛けられていますし、京都では、粽(ちまき)の形をした護符が存在します。

蘇民将来符(護符)やお守りはどうやって手に入れる?

蘇民将来の護符は、主にスサノオと縁の深い神社仏閣で頒布されています。

お守りや護符として販売されています。

伊勢地区のしめ縄に付けられた護符は、昔は神社で授けられていましたが、現在では家で作るか歳の市で購入することが多いようです。

また、新潟県の三島郡にある円明寺では、檀家が年始に寺へ行くと、ご祈祷された蘇民将来の札が頂けます。

このように、若干、地方によって授かり方が違いますし、蘇民将来の護符自体を取り扱っていない所もあるので、行かれる前に確認することをお勧めします。

蘇民将来符(護符)やお守りを買える場所はドコ?通販でも買える?

通常、蘇民将来やスサノオに縁のある神社仏閣で購入できます。

大手の通販サイトや一部の神社仏閣では、通販で販売を行っているところもあります。

値段は様々で、例えば、京都の八坂神社で販売している蘇民将来のお守りは、500円です。

護符の種類やサイズによっても、初穂料や値段は変わりますが、相場は1000円~5000円ほどと言えるでしょう。

蘇民将来符のお札(護符)の飾り方(祀り方)

お守りのようなものは、身につけますが、お札や護符は、玄関口や神棚に飾ります。

通常、お札や護符は、神棚にお祀りするのが多いかと思いますが、蘇民将来の信仰の由来となるお話では、蘇民将来の子孫を名乗ることで厄除けをするため、玄関口にお札や護符を飾ることも多く見受けられます。

蘇民将来の処分方法

お近くの神社に、古いお札を納める場所があれば、そちらへ納めて下さい。

各地区で行われている、どんと焼きで焼いて頂くのもいいとされています。

もしも、そのような場所や機会がない場合は、今までの感謝の気持ちを込めて、塩で清め、可燃物として処分しましょう。

蘇民将来には宗教によって祀り方が異なる?

蘇民将来の話には、スサノオが登場する為、スサノオ縁の神社仏閣となります。

宗教の違い、宗派の違いはありますが、特に祀り方が変わるわけではありません。

例えば、陰陽道は別の宗教であっても、神が同一化されているので、同じようにお祀りします。

蘇民将来のしめ縄の飾り方

伊勢地方に多いしめ縄飾りは、伊勢地方では、玄関の扉上部へ取り付けることが多いです。

しかしながら、特に決まりはないので、住宅環境に合わせて、しめ縄が落ちないように取り付けましょう。

蘇民将来と茅の輪・ちまきとの関係

蘇民将来の伝説では、「茅の輪」をスサノオ(牛頭大王)の言われた通りに作って、腰に付けていると災厄を免れることができたと言われています。

同じような話で、同一化されるスサノオと牛頭大王ですが、そもそも、疫病神であり、あらゆる災厄をもたらす神様でした。

反対に、スサノオは、ヤマタノオロチをも退治した、災厄や悪縁を切る神様です。

一見正反対の神様ですが、貧しいながらも、きちんと対応をした蘇民将来に恩を感じ、厄災を除く方法を授けることになります。

その厄災を除く方法の1つで、現在では日本各地で信仰され、大切な厄災を除くお守りとなったのが「茅の輪」です。

この茅の輪は、夏越大祓や大祓といった神道の大切な行事に使われる祭具です。

行事の期間に神社に訪れた人々は、大きな茅の輪をくぐって、日々知らない間に身についた罪や穢れ、禍(わざわい)を神様に払っていただきます。

茅の輪は、蘇民将来においても、大祓の儀式においても、災厄を除いてくれる大切なアイテムです。

また、京都の八坂神社では、木製の柱状になった護符の他に、「祗園祭の粽(ちまき)」と称する護符を授かることが出来ます。

この粽は、端午の節句の粽とは違って食べられません。

形状は、藁(わら)が軸になっていて、クマザサの葉をイ草で三角形に巻いたものを、10本で1束にしてあり、「蘇民将来之子孫也」と記された護符がつけられている厄除けのお守りとしての粽です。

毎年購入し、翌年の祇園祭まで玄関先に吊るすことで、疫病や災難除けを祈願します。

そもそも粽は、中国の伝説に由来する、邪気を祓うものの1つです。

日本の伝説に出てくる厄除けの縁起物と、中国の伝説に出てくる邪気を祓う縁起物を合わせることで、より強固なご利益を期待し、採用したと考えられます。

【豆知識】ちまきの由来になった中国の伝説

ちまきの由来は、古来の中国にさかのぼります。

実は中国の悲劇の英雄、屈原(くつげん・紀元前4~3世紀頃)にちなむ逸話から生まれたといわれています。

楚の王族であった屈原は、博識であり、政治的手腕にも大変優れ、人望も厚い人物でした。

そのため王に認められて要職に就きます。

しかし、その優秀さが他の官僚の妬みにあい、失脚することになってしまいます。

そして、最後には長沙(現在の湖南省)に左遷されることになってしまいました。

王にも見放されたと考えた屈原は、失意の中、楚の未来を心配しながらも、5月5日に汨羅(べきら)という川に身を投げ、一生を終えます。

六朝時代の中国で書かれた奇怪な話をまとめた本『続斉諧記(ぞくせいかいき)』には、このように記されています。

屈原の死後、その死を悼んだ人々は、屈原を想い、命日である5月5日に、汨羅川に供養になればと竹筒に米を入れたものを投げ込んでいました。

しかしある時、屈原の霊が現れて、こう訴えます。

「川には蛟龍(こうりゅう=龍の一種)が住んでいて、投げ込んでくれた供物を片っ端から食べてしまう。

龍に食べられないように、龍の嫌いな楝樹(せんだん)の葉で包み、邪気を祓う五色の糸で巻いて下さい。」

その訴えを聞いた人々は、教え通りに供物を作るようになり、これがちまきの始まりだと伝えられています。

岩手の蘇民祭

全国には、他にも「蘇民将来」に由来した風習が残っています。

岩手県の奥州市にある黒石寺薬師堂では、旧正月にあたる、1月7日の夜半から1月8日の夜明けまで「蘇民祭」が開催されます。

このお祭りは、東北の厳しい冬に開催され、多くの雪が降り積もる中にもかかわらず裸の男たちが行う祭りで、災厄消除や五穀豊穣を祈願します。

長い祭のメインイベントは、「蘇民袋争奪戦」と呼ばれるもので、ヌルデと呼ばれる、将軍木(かつのき)で作った、長さ3㎝位の六角柱の小間木(こまぎ)で出来た蘇民将来護符が、ぎっしりと詰まった蘇民袋を裸の若者たちが奪い合う祭りです。

この蘇民袋は、開始されると間もなく袋に刀が入れられ中の小間木がとび散ります。

そして、この小間木を持っている者は、その年幸運であり、厄災を免れると言われていて、皆競って手に入れようとするのです。

また、蘇民将来の護符には、家の戸口に貼って魔よけとする他、畑に立てて虫よけとする風習も残っています。

三重県伊勢市に語り継がれる蘇民将来伝説と風変わりな風習

伊勢地方には、現在でも蘇民将来の信仰が色濃く残っています。

その風習や伝説は、他の地区と少し変わっています。

伝説の違う点は、まず、蘇民将来と巨旦将来が住んでいたのは、伊勢で松下社と呼ばれるスサノオが祀られる神社の近くだったことです。

また、災厄除けの方法は、茅の輪を身につけるのではなく、家の周りに張り巡らすようにしなさいと助言したと書かれています。

もちろん、この地区にも、蘇民将来の護符を取り入れる風習が残っていますが、他の地区と違い、木札に蘇民将来子孫と書いたしめ縄を飾って、家の中に邪霊が入るのを防ぐ呪符の意味を持たせています。

これらのしめ飾りは、一般的な正月飾りとは違い、1年中飾っておかれます。

毎年、大晦日に、お正月の準備として、家々の玄関に飾られていたしめ縄と 蘇民将来札は新調されます。

木札は、年末になると大工さんが新しいものを作って届けてくれるようです。

このように、しめ飾りを1年中飾っておくのも、この地区独特の風習と言えるでしょう。

蘇民将来の神マスク

京都の八坂神社では、2020年4月8日に、新型コロナウイルスの早期終息を願って特別神事「祇園御霊会」が行われました。

そもそも、「祇園祭」は、疫病退散を祈ったことが起源とされるため、このことにちなんだ神事です。

この神事で使用されたのが、「蘇民将来子孫也」と書かれた奉書で出来た紙製の覆いです。

「神マスク」に見えるとSNSで騒がれましたが、実際の役目はマスクではなく、お参りをする人が、自分の息を、神様やお供え物に吹きかけないようにするためのものです。

そのため、感染防止の効果があるわけではありません。

しかしながら、この八坂神社の「祇園御霊会」の神事は、明治や大正時代に感染症がまん延した時にも、実施した記録がある神事です。

当時は、医療も発達していなかったため、大変多くの死者が出ることもありました。

次代は変われど、疫病の流行ごとに八坂神社で行われる「祇園御霊会」の神事を行って、今回も神のご加護を受けられると良いですよね。

蘇民将来とユダヤ(イスラエル)と旧約聖書と想定外のつながりとは?

蘇民将来の伝説と、ユダヤ(イスラエル)の旧聖書には、類似性が見られることから、蘇民将来のお祭りの起源がユダヤにあり、日本人の起源もユダヤではないかという説を唱える人がいます。

蘇民将来信仰の「蘇民祭」に似たお祭りが、ユダヤには「過越祭り(すぎこしまつり:ペサハとも言われていまる)」として存在します。

具体的にどのような点が似ているのでしょうか?

まず、祭りの起源となっているのは神話で、神ヤハウェの禍を信仰を守るイスラエル人は、神ヤハウェを信仰することで、災いを避けることができます。

このことは、イスラエルを奴隷としていたエジプトが、後に神様から神罰を与えられたことに繋がります。

また、神話に出てくる災いを避ける方法として、玄関口にひつじの血で赤く塗り装飾をする風習が残っています。

さらに、祭りの中は、木の枝を持って行列に参加することです。

このような「過越祭り」で行われることは、蘇民将来が、神様から助言された方法を信仰することで、神様からご加護を受け、厄災を裂けることができたことや、玄関口を飾ること、祇園祭で、粽や授与される枝に、蘇民将来子孫也とついた護符つけて参加するということに類似していると言われています。

まとめ

蘇民将来は、民間信仰の1つですが、古くから伝わるお話が、全国的に影響を受け信仰されていることには、驚きが隠せません。

それだけ、効果があり、続けられているということなのでしょうか?

「蘇民将来」にあまり馴染みのない方もいらっしゃるかもしれませんが、全国に広がる信仰なので、意外にもご自宅の近くで護符が手に入るかもしれません。

疫病除けの力もあるとされている「蘇民将来」の護符を手に入れて、不安な時期を乗り越えましょう。

Writing:YUKIKO-加藤

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