仏教において剃髪には深い深い意味がある……のですが、そもそも「剃髪」の読み方ってなんだっけ、と思うこともあるかも……。
今回は、お坊さんにとっての「剃髪」の意味、最近は剃髪しないことも増えているお坊さん事情を含めて、「剃髪」について解説していきます。
剃髪とは。仏教用語?読み方は?
「剃髪」ってちょっと難しい。仏教用語かな? とも思いますが、果たして……?
剃髪の読み方
「剃髪」は「ていはつ」と読みます。
「剃」とは「剃る(そる)」と読む漢字。つまり、髪を剃ることを指して「剃髪」と称するのです。髪を剃ることを「剃髪する」と表現します。
剃髪とは。仏教用語……だが仏教以外に使うことも。
「剃髪」は、主に仏教用語です。
通常、普通の人が出家をしてお坊さんになる時に、髪をそり落としますが、その時に髪を剃ることを、剃髪と言います。同じ意味の言葉に「薙髪(ちはつ)」があります。
総じて仏門に入る時に使う言葉ですが、一部、キリスト教で信者になる時に、頭頂部の髪を剃り落とす時にも、剃髪という言葉を使うことがあります。
教科書に載っていた、フランシスコ・ザビエルの絵を覚えていますか? 「ザビエル、○ゲてる!」なんて仲間と偉人をディスった記憶はないでしょうか。罪深いですね。反省してください。
キリスト教では6世紀から、ザビエルのように、聖職者になる人に対して剃髪の儀式を行ってきました。この儀式をキリスト教用語で「トンスラ」と言います。※トンズラではありません
ザビエルの絵に見られるように、この剃髪は、頭頂部だけです。
ちなみにトンスラは、1972年、教皇であったパウロ6世によって廃止されました。
江戸時代に存在した女性の剃髪刑
これは完全に余談ですが、江戸時代には女性に、剃髪の刑が行われることがありました。
要するに髪を落とされ、丸坊主にされるのですが、これはどういう罪で受ける刑かと言うと……
不貞の罪。はい、不倫ですね。不倫ダメ、ゼッタイ。
髪は女の命、なんて言うとおり、髪を剃られるということは尼僧でもない女性にとって大問題でしたが、不貞によって剃髪が行われることの意味は、この後ご紹介する「僧侶が剃髪する意味」にも共通するものがありそうです。
剃髪の反対語は?(反対語があった!)
「剃髪」には反対語があります。
それが蓄髪(ちくはつ)という言葉です。
剃髪は、仏門に入る時に髪をそり落とすことですが、それならば反対に、仏門から還俗(げんぞく。お坊さんヤーメタッとなること)する時には、髪を伸ばすことになりますよね。
この状態のことを、「蓄髪」と言います。
仏教においての剃髪の意味
仏教において剃髪の意味は、まずはお釈迦様の真似をした、というところから始まっています。
お釈迦様は、修業中の時には髪の毛を全剃りして頭を丸めていた、と伝えられています。
そこから「仏教=剃髪」のイメージが定着し、その後の修行者たちも髪を剃るようになった、というわけです。
また、これは仏教において髪の毛というものが何を意味しているか、ということにも関わってきます。
髪の毛は、仏教では煩悩の象徴としても捉えられるもの。
そのことから、髪の毛を捨て煩悩から解放される、という意味合いも込めて、髪を剃るようにしていたようです。
もう少しよく理解するため、仏教における髪の毛の意味合いを掘り下げてみましょう。
仏教において「髪の毛=煩悩の象徴」
先述した通り、仏教において髪の毛は煩悩の象徴です。
髪の毛は整えておかなければ、いくらでも生えてくるもの。
煩悩にも同じ事が言えます。煩悩を捨てたように見えて、いくらでも沸いて出る……。
お坊さんは剃髪することでその煩悩を捨て、修行に打ち込んでいるのです。
しかし、時代の流れで剃髪しなくても大丈夫な時代になってきています。それでも剃髪するお坊さんは剃髪している、というよりも、大多数のお坊さんが剃髪しているのが現状でしょう。
人によりけりですがやはり修行をするのであれば剃髪し、煩悩を捨て去る文化は無くさない方がいいと考える方もいるのかもしれませんね。
最近は剃髪しない僧侶がいる?!
多くのお坊さんが剃髪しているとはいえ、最近は剃髪しないお坊さんが増えています。
それは、お坊さんと学校の先生や他の仕事と兼業している場合など、坊主頭がNGな職場にいるケースもあるから。
こうした理由がある場合、剃髪できないので、例外として認められていることがあります。
また宗派の違いで、髪の毛を剃髪しなくても大丈夫な宗派もあります。
これについては後述します。
尼さんの髪型について
尼さんになったら必ず髪の毛を切らないといけないのか……?
安心してください。必ず切らないといけない訳ではないのです。
宗派によって違いますが、うなじを剃るだけで大丈夫な宗派もあるようです。
時代の違いという部分もありますが、過去には現世とは切り離されたような存在であった尼寺も、現在では様々な社会との関わりを持つようになってきています。
社会人の一員として積極的に関わらないといけないので、その中で髪がないことによって不都合になることは望ましくありません。
そこで、剃髪するかしないかは個人の自由に任せている宗派もあります。
意外?尼さんは剃髪について良いものと考えていることも多い
宗派によって、髪を剃らなくてもよい……とされているにしても、現代の尼僧で剃髪をしている人も多く見かけます。
尼僧にとって、髪を剃るということは「嫌なもの」なのではないか? と考える人もいるでしょう。
しかし、尼僧さん当人の意見としては、「本当は嫌だ」等の消極的な意見はあまり聞かれず、むしろ
「髪がないほうが手入れが楽で良い」
などのさっぱりとした好意的な意見を、インターネット上にも散見することができます。
実際、出家をするということは煩悩を捨てたいという思いや、余分なものを捨ててシンプルに生きたいという思い、そのような生活を通して悩める人を救いたい、この世とあの世との架け橋になる役割を担いたい……といった思いがある、ということでもあります。
ですからその中で、社会的な立場で髪を伸ばすことが必要というものでもなければ、剃髪するということに対して抵抗がない、俗世への執着がない女性が尼僧になるのだ……という見方もできるでしょう。
浄土真宗における髪型の規定
浄土真宗では髪型が比較的、自由にできます。
というのは、浄土真宗での出家の定義というのは半僧半俗のため、髪を剃る必要がありません。
帰郷式の時には剃髪しますが、それ以降は髪の毛がある状態で過ごします。
阿弥陀如来様は大変、慈悲深いので、どのような行いをしたに関わらず誰でも救ってくださるという考えです。また僧侶も完全に世俗から脱するのではなく、欲を持ち続けてしまう自分のありのままの姿で仏道を志すべしという考えで浄土真宗が受け入れている為、金髪のお坊さんなどもたまに見かけます。
浄土真宗以外では剃髪が風習として残っているので、出家などをする場合はよく考えてから仏門に入りましょう。
「一休さん」は臨済宗の有髪僧だった!
基本的に浄土真宗以外では剃髪することになっているお坊さんですが、歴史上、例外もありました。
♪すっきすっきすっきすっき すきっすき~♪ でおなじみの(……知らない人は動画サイトで検索しましょう……)一休さん。
トンチがきいた頭の良いお坊さんのキャラクターで、日本では古くから愛されています。
一休さんの絵本やアニメでは、完全に頭を丸めた小坊主の姿をしていますので、「一休さんも、剃髪していた!」という認識がセオリー。
でも、その成長した姿をご覧下さい。
こちらが一休宗純。上の絵は、重要文化財にもなっている「紙本淡彩一休和尚像」という貴重な資料にある一休さんの姿です。
髪……ありますね。
一休宗純は自由な性分で、幼少期に臨済宗の寺に預けられて成長しましたが、禅宗に見られる「風狂」の思想(奇抜な言動こそ悟り)を体現して、様々な点で奇抜に振る舞ったと言われています。
この一休さん、父親はなんと後小松天皇。天皇家の人だったとは……。
臨済宗のお寺に預けられたというのも、様々な事情あってのことなのでしょう。そしてこの絵は、昔から全てのお坊さんが剃髪していたわけではないことを教えてくれます。
時代の流れによって変わるものもある
時代の流れによって剃髪するかしないか分かれてきている時代です。
古き習慣を残しつつも新しいものを取り入れて変わっていく。
仏教もその時代に合わせ進化していくのでしょう。
皆さんもこの記事を見返して、仏門とヘアスタイルと煩悩について理解を深めていただけたらと思います。
Writer:夜野大夢(ホームページ)