2021年の八十八夜はいつ?なぜ夜なのかの意味や由来・食べ物(行事食)と「お茶摘みとの縁起」を解説!|雑節

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5月のGW期間中はどうしてもGWということで色々なロケーションに遊びに行きたくなりますが、ちょっと注目して欲しいのが「八十八夜」。

現代では「八十八夜」という言葉すら忘れられさられがちですが、実はこんなに奥が深かったんです。

そして‥あの日常的に飲んでいる「あの飲料」とも深いつながりがあったことなど、あまり知られていないのではないでしょうか?

以下では2021年の八十八夜の日と、八十八夜の意味や由来、合わせて八十八夜の有名な飲み物や食べ物などにについてご紹介しています。

八十八夜の読み方

八十八夜は「はちじゅうはちや」と読みます。

八十八夜とは?

八十八夜とは二十四節気の立春から数えて88日目にあたる日であることから「八十八夜」と呼ばれています。

現在の暦(太陽暦)でいうと毎年おおむね5月2日頃です。

定気法では太陽黄経が約40度くらい。雑節(ざっせつ)の1つでもありんす。

雑節とは?

二十四節気は中国から伝来した中国の文化であり、日本の旧暦である太陽太陰暦に当てはめてしまうと、暦と季節との間に最大で半月もの差異が生じます。

そこで生み出されたのが雑節という日本固有の暦法です。

雑節を用いることによって暦と季節の差異を排除することができ、季節の境目や季節を告げるシンボルとして、現今に至っても利用されている暦です。

現在、一般的に雑節と呼ばれる種類は以下の9つです。

  • 節分(毎年2月4日ごろ)
  • 彼岸(春:春分の前後各3日。合計7日間/秋:秋分のの前後各3日。合計7日間)
  • 社日(春:3月中頃から後半/秋9月後半)
  • 八十八夜(毎年5月2日頃)
  • 入梅(毎年6月11日頃)
  • 半夏生(毎年7月2日頃)
  • 土用(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつ)
  • 二百十日(立春から210日目)
  • 二百二十日(立春から220日目)
ところで・・「二十四節気」とは?

二十四節気とは、1年を24つ分けて、それらを1つ々々を「節気」と定めて。その節気に季節を司る言葉を付したものが二十四節気です。

1年を夏至と冬至の2つに分け、さらに春分と秋分の2つに分けて4等分とします。(二至二分)

  • 365日÷4=91.25日

二十四節気はこの二至二分を基軸としています。

そして、それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬を入れて8等分したのが、約45日間ずつの「八節」です。

  • 365÷8=45.625日

さらに、八節を約15日ずつに3等分したものが二十四節気です。現行の二十四節気は、立春、立夏、立秋、立冬が各季節(四季)の先頭に来るように配置しています。

二十四節気は、中国から日本に伝来した生粋の中国文化ですが、中国と日本の季節感(動物・植物・気象など)が異なるため、日本では江戸の改暦(1842年/天保改暦)を経て、明治の改暦を経ながら日本の季節感いわゆる物候(ぶっこう)に沿わせるように改訂されています。

節気は各月に2つ存在し、毎月、「節」と「中」の節気が交互に来るようになっています。

「節」は「正節(しょうせつ)」とも言い、「節気」とも呼ばれます。各月の前半に配置されるのが、この節です。

「中」は「中気(ちゅうき)」とも言い、略称で「中」とも呼ばれます。

現行の二十四節気は中国の太陰暦(月を参照した暦)を補完する目的で、逆の発想で太陽を参照して作暦されていますので、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に至っても、極度に形態を変えることなくそのまま使用され続けています。

「七十二候」というものもある!

上述したように二十四節気を72に分割した「七十二候」と呼ばれる暦法もありんす。

七十二候は二十四節気をさらに細分化し、日本の風土に合わせた各季節においての気象や動植物の変化を分かりやすく解説しています。

七十二候には「初候」「次候」「末候」という3つの期間(候)を設け、それぞれの期間の季節感にマッチした季語が割り当てられています。

しかし、八十八夜は七十二候とは別の雑節という暦の一部なので直接の関連性はあり‥ません。


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2021年の八十八夜の日はいつ?「いつから数えて88日目なのか?」

  • 2021年の八十八夜は5月1日(土)です。

2021年の立春は2月3日(水)になりますので、立春から数えて88日目が5月1日(土)になります。

八十八夜の2020年・2021年・2022年・2023年の日はいつ?

日本の八十八夜に日にち
2020年 5月1日
2021年 5月1日
2022年 5月2日
2023年 5月2日
八十八夜の期間

八十八夜に期間というものは存在せず、その日(1日)を指します。また、八十八夜の日は閏年の関係で定まっておらず、年によって変動があります。

八十八夜の日の出し方(計算方法)

八十八夜の日の出し方(計算方法)としては、二十四節気の立春を起算日とした87日後の日、つまり88日目の日となり、計算すると、おおむね毎年5月2日頃を指します。

「頃」という曖昧な表現する理由は、閏年があるためにズレが生じるためです。

現代においての八十八夜の日は、おおむね閏年(補正した暦の年)では5月1日。平年(補正しない暦の年)では5月2日になります。ごく稀に何十年周期かで5月3日なる日もあります。

このように日が定まらない理由は、二十四節気の立春の日が毎年一定しないためであり、その影響で立春から88日目となる八十八夜の日が変わるからです。

立春の日はこの八十八夜だけではなく、二百十日・二百二十日などの雑節の起算日(第1日目)になっているため、そう考えると重要な指標となる日でもあります。

八十八夜を旧暦にすると何日?

八十八夜を旧暦に当てはめると概ね4月上旬頃になります。二十四節気では第六節「穀雨(こくう)」もしくは「三月中」の期間中です。

八十八夜の意味や由来とは?

八十八夜とは、農作業や漁業に携わる人々にとって重要な指標となる日のことであり、これらの作業に従事する人々にとっては大変縁起の良い吉日とされています。

では、それ以外の一般の人々にとってまったく関係のない日なのか?・・という疑問が生じるものなのですが、農家の恩恵を受ける私たち一般人も、まったく無縁の日ではなく、農作物を農家から購入する上では重要な日になるでありんす。

その1つに「新茶」があり‥ます。

八十八夜になるとお茶の生産農家では一斉にお茶の摘み取りが行われるのですが、この八十八夜に収穫されたお茶の新葉は古来、「不老不死の薬」に例えられたり、「75日長生きできる」などと言われ、大変、珍重されています。

「八十八日」ではなく、なぜ「夜」なのか?

よくよく考えてみれば八十八夜とは、88日目にも関わらず「八十八日」とせず、「夜」を付して「八十八夜」としています。

実はこの理由は現今に至っても解明されておらず、そのいっさいが謎とされているようです。

同じ雑節に「二百十日」「二百二十日」がありますが、いずれも「日」が付されています。

類似した有名な語句に「十五夜」「十九夜」「二十三夜」などがありますが、これらの語句はいずれも「夜」に行われる行事を由来としています。

雑節として月暦と月の形で計算されたため

八十八夜は日本独自の暦である雑節の中の1つです。中国から伝来したとされる二十四節気は日本の季節と暦に合わず、ズレが生じてくるため、日本の風土に合わせた暦が雑節であり、これは日本で成立した生粋の日本暦になります。

一説には八十八夜が雑節に取り入れられた際、月の周期を形で推し量って読む方法が採用されたと考えられており、これが現今に見られる「八十八夜」に紐づいたとも考えられています。

詳しくは、月の満ち欠けの周期は約29.5日(厳密には29.53)。立春から88日目とすれば逆算すれば29.5に2.98を乗じた数になります。

それが「87.91」。

この時点で分かることは88でキッチリ収まらずに端数分の差異が生じるということです。(29.53で計算した場合も端数が生じる)

この端数分が「夜」としてカウントされたという説です。

このため起算日となる立春の月の形を記録しておき、あらかじめ決めておいた88日目の月の形と、立春の夜の月と照合して、差異をなくしたとも考えられています。

かつて1日の始まりは夜(日没)だった?

また、かつて1日の始まりは夜(日没)とされていたことから、88日目の始まりということで「八十八夜」とされたのかも知れません。

現在の雑節は9節気ありますが、これは時代を下りながら追加されたりしたものだと推察されることから、当初から9つあったとは考えにくいと思われます。

何が言いたいかと言いますと八十八夜と類似した雑節には「二百十日」や「二百二十日」がありますが、これらは1日の始まりを夜とカウントしなくなった時代で付加されたとすれば納得もできます。

霜が降りるのが夜だから

「八十八夜」が農作業においての節目となる霜が降りるのを危惧した言葉であったとするならば、霜が降りるのは夜ということで特別に「夜」が付されたとも考えられます。

八十八夜には茶摘み作業が大きく関与している?

しかし、それでもやはり「二百十日」や「二百二十日」にも当てはめてしまうことができてしまうので、疑問が生じますが、八十八夜にだけ「夜」が付された大きな理由として、「茶摘み」が行われることが大きく関与していると考えることもできます。

八十八夜が暦に組み込まれた頃のお茶の位置付けは高級品(江戸時初期以前、お茶は高級品だった)。

そのお茶の出来は八十八夜の頃が、もっとも旬とされ、この日に獲れる新葉(茶っ葉)は「不老長寿の薬」とも称えられたことから、味や香りにうるさい有力者たちに献上するため、正確性を出す必要があったとも推察できます。

つまり、茶摘みの日だけは特別視されたと言うワケです。

当時の日本において月の周期を推し量り、これだけの綿密な計算ができたかは謎ですが、月の形であればある程度の季節感と合わせて照合することで八十八夜の日にちを狙い定めることもできます。

八十八夜という言葉が誕生したこの当時の日本の暦は太陽太陰暦を使用していましたので、月の満ち欠けを基準としていたことも理由に挙げられるかもしれません。

八十八夜の針丈??

あまり知られていませんが、農業を営む人々にとっては有名な言葉があります。それが「八十八夜の針丈(はりたけ)」という言葉です。

針丈の意味はこの頃の稲の苗の成長具合がちょうど縫い針の丈と同じくらいに萌える‥あぁ見える!!ことから、「針丈」と呼ばれています。

八十八夜が成立した頃の暦は現在のような太陽暦ではなく、誤差もあったのでしょう。このため、何か身近に目印になるものを探したのです。

稲の苗は季節の遅速を見定める重要な指標となったのです。

立春から88日目とした意味や理由とは?

これは盲点となりますが、1年365日(旧暦では353〜355日)においての四季を表するために「4」という数字で割った場合、四季1つ分を約88日として計算ができます。

この88日を起点として春と初夏の間に行われる行事が「茶摘み」であり、茶摘み作業を由来として「八十八夜」という言葉が生み出されたという解釈できます。

つまり、茶摘みとはそれほど重要視されていた作業だったことだと考えることもできます

雑節と八十八夜の語句の起源を辿ってみる‥

例えば、八十八夜という語句が集録されている雑節の成立起源を辿れば、平安時代に編纂された「土佐日記」の元日の条「歳時故事大概」にこんな文字が見えます。

『節分 立春の節の前日となり、‥』

土佐日記が平安時代に成立したとすれば、すでに雑節が平安時代には成立していたことになります。

ただし、「雑節」という言葉が文献上に散見され始めたのは江戸後期に行われた暦の改訂が行われた後のことなので、この当時ではなかったと考えられます。

お茶摘みの起源を辿ってみる‥

平安初期に成立したとされる「日本後記」の815年4月22日の項の記述によればこのような内容も見えます。

『大僧都永忠が近江 梵釈寺にて嵯峨天皇に茶を煎じて奉った』

現今のお茶の歴史を辿る上で、この記述はお茶の起源を裏付ける証拠の1つにもなり得ます

他にも平安時代に書かれた詩歌集にも、「茶」が度々登場することからお茶は貴族などの上流階級の人々に親しまれていた飲み物であったと解釈できます。

以上、まとめると八十八夜の言葉の起源とは、このお茶摘みが由来であったとしても何ら不思議ではないことになるでありんす。

ちなみに現在に至ってもこのお茶から派生した言葉が日常的に飛び交っているのをご存知ですか?

お茶を由来として生まれた言葉
  • 日常茶飯事
  • 茶色
  • 無茶苦茶 …etc

「八十八夜の別れ霜」の意味とは?

八十八夜は、二十四節気の穀雨(こくう)が終わりを迎えた日になるのですが、ちょうど穀雨が終わりを迎えた頃は、初夏への入口の門を叩く頃合いとも言われ、同時に霜が降りなくなる頃合いでもありんすえ。…ありんすえ?

霜は農作物の天敵であり、甚大な被害を及ぼします。このため農家では霜がなくなる頃合いは種まきや苗代を作る絶好の好機と捉え、夏に向けての準備を行う重要な期間として位置付けていました。

ここまで読み進めてお分かりの通り、「八十八夜の別れ霜」とは、農作業に従事する人々が主に使用する言葉であり、農作業を次の段階へ進めるための重要な局面となる日のことであり‥ます。

『八十八夜の別れ霜、九十九夜の泣き霜』の意味とは?

あまり知られていませんが、「八十八夜の別れ霜、九十九夜の泣き霜」という言葉もあり‥ます。

九十九夜の泣き霜とは、立春から数えて99日目に当たる日のことを意味し、ちょうどこの頃、突如、なぜか気温がグッと下がる時期であり、遅霜の被害が懸念される頃合いでもあり、‥ます!

「泣き霜」とは夏入りしたハズの5月中旬に突如見られる霜であり、農家泣かせの霜であることから「泣き霜」と呼ばれるものでありんすよ。…ありんすよ?

「八十八夜の毒霜」の意味とは?

江戸時代には「八十八夜の毒霜(どくじも)」という言葉まで誕生しています。

「毒霜」とは、農家の人々にとっての甚大な被害を及ぼす「降り霜」のことを詰った(なじった)言葉です。

日本列島は南北に細長いことから気象環境が異なります。地域によっては遅霜(おそじも)が発生して、甚大な被害をこうむり、最悪の状態になることを警戒した言葉です。

「夏も近づく八十八夜」の意味とは?

上述、「八十八夜の別れ霜」でご紹介したように八十八夜は初夏との境目の日になります。日本は元来、農耕民族であることから農作業は生きていく上で必要不可決なものでありんした。…ありんした?

後述する縁起の良いとされる「八」の文字の末広がりの意味合いも重なり、八十八夜は農作業をする人々にとって重要な日であり、この日は田の神にお供え物を供し、豊作祈願を行います。

一方で日本は四方が海に囲まれている環境から、やはり漁業とも切っても切り離せない関係にあります。

漁業が盛んな瀬戸内海では、八十八夜の日にことを「魚島時(うおじまどき)」と称し、この日を境にいよいよ豊漁時期に入る目安としています。

魚島時とは、「魚島」と呼ばれる島周辺に見られる特有の魚の動きであり、中でも外海から産卵のために鯛(たい)がたくさん寄り集まり、八十八夜前後に獲れる真鯛は「桜鯛」と呼ばれ、古来、珍重されています。

もちろんそれ以外の魚もこの時期にたくさん寄り集まり、この日に獲れた新鮮な海の幸を神前に供し、豊漁祈願を行われています。

有名な春を告げる旬な食べ物として鹿児島県の屋久島や種子島におけるトビウオ漁が開始されるのもちょうど八十八夜の頃です。

この時期、マグロも外海から来訪することから、トビウオの最大の天敵であるマグロから逃げるために飛ぶようになったという説も出回るほどです。

以上まとめると「夏も近づく八十八夜」とは、八十八夜の約3日後に迎える「立夏(りっか)」に際し、夏への登竜門となる重要な位置づけの日であることを強く示唆したものであり、この日を境目にいよいよ夏への準備を始める日という解釈が成り立つものでありんす。

夏も近づく八十八夜 手遊び

ちなみにこの夏も近づく八十八夜を題材とした有名な手遊び歌があります。

この歌は後述する茶摘み歌(文化庁選定「日本の歌百選」)に合わせて向かい合った2人が手拍子し、一拍ごとに片手を合わせてワンフレーズ毎に両手を合わせる手遊びです。

なお、この歌を作った人や手遊びを考えた人は現今に至るまで不詳とされており、この理由の1つにお茶の葉を摘む際の手つきをモチーフとして、お茶摘み作業の休憩時間などに作業員たちによって生み出されたのだという説も考えられています。

現代では手遊び自体、忘れ去られがちですが、古き良き時代の風習が今なお、ここに息づいている様を体感できます。ぜひ!

【補足】数字の「八」が持つ特別な意味とは?

現在に至るまでに、古来伝承される言葉の中に「八」がつく語句が多いように感じられます。

例えば、八百万の神(やおよろずのかみ)、八岐大蛇(やまたのおろち)、大八洲(おおやましま)など、これらの語句は古事記の中に登場する言葉です。

「八」とう字体は形が末広がり(上から→下に向けて広がっている)になっていることから、運が開けていく様子に例えられ、大変、縁起が良い数字とされてきました。

古事記といえば日本最古の歴史書と言われるだけあって、「八」という文字が古くから特別視されてきた歴史の重みが理解できます。

数字の「八」は「たくさん」という意味!

このような「八」は数字としての「8」ではなく、「たくさん」などという意味合いがあります。

例をあげれば「八百屋」があります。かつては「青物屋」と呼ばれるほど、野菜のみを販売しているお店でしたが、やがて野菜以外の商品を店頭に並べるのが主流になると、「いろんな物を置いている」という意味合いから、「たくさん」という意味合いで「八百」という文字を充てられるようになります。

八百の「百」とは100点満点に代表されるように「すべて」という意味合いがあり、代表例として、「嘘八百(嘘だらけ)」や「江戸八百八町(江戸の町は数え切れないほどの民家や商家が軒を連ねる)」などの言葉があります。

八十八という字を集合させると‥「米」という字になる?!

「八十八」という字を縦にならべると‥「八」「十」「八」と3つの漢字に分解ができます。

例えば‥、「十」を中央に据え、その上に「八」を反対向けに乗せて、下にはそのまま「八」を引っ付けると‥なんとぉぅ!!

驚くことに「米」という字が出来上がっちまぅじゃアーリマせんか!

一説では、八十八夜とは、農家に関連深い日として、「米」の文字をバラしたものが「八十八」だったことや「末広がりの縁起の良い八の字」が重なる日とあったことが理由として、農家などの農作業に携わる人々が生み出した日とも考えられています。

それに沿わせるかのように、現代の農家では当てはまらないとは思いますが、各農家均一で田植えから収穫まで「八十八」の験担ぎ(げんかつぎ)として、88つの作業に分けていたとも云われています。

もしくは、実際に秋の米の収穫を迎えるまでに88回もの手間がかかるから「米」と書くとも云われます。

ちなみに88歳を「米寿(べいじゅ)」として祝うのも、やはり88という数字がもつ縁起をちなんだものだと考えられます。


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八十八夜の食べ物(行事食)

お茶

上述したように八十八夜といえば、お茶です。一番茶は古来、苦味が少なく甘みがあり、最高に美味しいと定評があります。近年ではダイエット効果でカテキンを求めたり、渋みを求める人も散見されることから、必ずしも万人に対して最高の味とは言い難いものがあります。

  • お茶の主な産地:静岡県(1位)鹿児島県(2位)、三重県(3位)
和菓子(若鮎)

6月頃に解禁される鮎に由来した鮎の形をした和菓子です。近年ではGWと重なる八十八夜の頃に販売されています。

中身に餅粉に砂糖や水飴を加えて練りあげた「求肥(ぎゅうひ)」を用い、それを包み込むように鮎を象ったカステラ生地を巻きつけて焼き上げたお菓子です。

発祥地は不詳とされていますが、有名な産地として京都や岐阜が挙げられています。

画像引用先:https://ja.wikipedia.org

八十八夜に何をする??「八十八夜に全国で行われる恒例の神秘的な行事や風習とは?」

お茶摘み(新茶の摘み入れ)

すでに上述したように八十八夜の頃は、良質な茶葉が収穫できる時期になります。お茶は鎌倉時代に禅僧の栄西(えいさい)が「喫茶養生記」の中で著したように「養生の仙薬」として伝えれてきました。

現在ではペットボトル500mlに入ったお茶が1本100円以下の安価で買える時代ですが、江戸時代以前においてのお茶は高級品に位置付けられ、一般庶民では手の届かないものでした。一般庶民層が日常的にお茶を飲むようになったのは大正時代に入ってからのことです。

「八十八夜の別れ霜」などという言葉が生まれた背景の1つにお茶が霜に弱い植物だということが挙げれられます。

お茶は少しでも霜などの冷害に遇ってしまうと、すべてがダメになってしまい出荷できなくなることから、各農家では藁(わら)を根っこなどに巻き付けたり敷いたりして霜への対策をしてきました。

しかし、八十八夜の日を境に霜が降りなくなるのでこのような煩わしい対策をしなくて良いことになります。

神仏に供するのは「一番茶」!

昔から八十八夜に摘み取られた新葉(お茶っ葉)は、甘味を帯び、味や香りが芳醇と言われ、質が良いとされることから有力者に献上したり、神仏に供進したりしたのです。

特に八十八夜の日の摘み取り方法は「一芯二葉摘み」と言われ、一番上の葉を避けた下の2枚の葉を摘み取ります。この2枚の葉は上の葉が紫外線を受けているおかげで、程よい日光と紫外線を浴びて成長しているので渋みがなく、甘みが強調されたおいしいお茶ができあがります。

この八十八夜の日に収穫されたお茶を俗に「一番茶」と呼称されます。「二番茶」という言葉もありますが、これは一番茶の摘み取り日(八十八夜)から、おおむね45日〜50日後(6月〜7月)に摘み取った茶葉のことです。

三番茶は真夏となる8月あたりに摘んだ茶葉です。

画像引用先:https://ja.wikipedia.org

茶摘みの歌とは?

上述の手遊び歌でもご紹介しましたが、茶摘みの歌は1912年(明治45年)に刊行された「尋常小学唱歌 第三学年用」に初めて登場した歌です。

2007年に「日本の歌百選」に選定されたのを皮切りに文部省認定の日本を代表する唱歌になっています。

面白いのが、鼻歌で歌われるほどの有名な歌であるにも関わらず、誰が作詞・作曲したのかが不明だということです。

おそらく八十八夜に農家総出で行われる茶摘みの作業曲として、全員で摘みながら口ずさむように歌っていたことから、誰かが広める目的で作曲した歌では無いものと考えられています。

茶摘みの歌が歌われていた地域はドコ?

この茶摘みの歌がどこの地域の茶畑で歌われていたのかは謎とされているようですが、日本には以下のような有名な茶畑があります。

京都府宇治市「茶摘み歌」

「あれに見えるは茶摘みぢゃないか 茜襷に菅の傘」

京都府相楽郡和束町「茶摘み歌」

「お茶を摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにゃ和束の茶にならぬ」

奈良県奈良市「田原の茶摘み歌」

「摘まにゃ田原の茶にならぬ」滋賀県大津市「田上の茶摘み歌」「摘まにゃ日本の茶にならぬ」

参照先:ウィキぺディア

おそらくこれらのいずれかの地域の茶畑で歌われていたと考えられており、有力候補としては京都府宇治市(京都府綴喜郡宇治田原村)とされています。

茶摘みの歌詞

1.

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠

2.

日和(ひより)つづきの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ


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家にこもる日

佐渡島(さどがしま/新潟県佐渡市)では、稲を育むのは太陽だということから八十八夜の日は宅外へ出て歩き回るのを良しとせず、宅内に籠って(こもって)静かに過ごす習わしが現在に至っても踏襲されています。

種まき粥の奉納

信州地方(長野県)では、「種まき粥」という粥を炊いて、それを八十八夜の日に田の神へ供進(お供え)する儀式があります。

釜飯の奉納

信州の中でも南安曇(みなみあづみ)地方では、野原に土釜を設けて炊き上げた釜飯(かまめし)を田の神に供する習わしがあります。

稗(ひえ)の種子まき

また信州の中部山間の焼畑地帯においては、「稗の種子まきは八十八夜が蒔旬の下限」と言われ、八十八夜の日までに稗の種子を蒔き終えるといった風習が踏襲されています。

豆まき

房総地方(現在の千葉県周辺の県や都)では、「八十八夜の”はね豆”」と言われ、八十八夜に豆を蒔くときには豆の子葉が割れるくらい力を込めて蒔くという風習が踏襲されています。

ヨモギ餅を食べる

陸前地方(宮城県・岩手県)では、八十八夜の日にヨモギを摘み取って、そのヨモギを入れた餅を搗いてコネて、完成したヨモギ餅を食べる風習が踏襲されています。

八十八夜の日の季語

  • 八十八夜
  • 別れ霜
  • 茶摘み

八十八夜は季語として俳句などで読まれています。「別れ霜」「茶摘み」は春の終わりを告げる季語であり、同時に初夏への入口の門を叩いたことを表した季語でありんす。

八十八夜は俳句でも季語として使用される!

出流れの晩茶も八十八夜かな

正岡子規

霜なくて曇る八十八夜かな

正岡子規

きらきらと八十八夜の雨墓に
石田波郷

八十八夜の挨拶(時候)

晩春の候(ばんしゅんのこう)
  • 意味:春の終わりに近いに季節
  • 挨拶文の例:晩春のひと時‥
残春の候(ざんしゅんのこう)
  • 意味:麗らかな(うららかな)春の陽気が過ぎ行くのを残念に思うこの季節
  • 挨拶文の例:風薫る五月‥
惜春の候(せきしゅんのこう)
  • 麗らかな春の日々が終わっていくのを惜しむ季節
  • 挨拶文の例:青葉繁れる好季節を迎え‥

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