【”息”以外‼️八十八夜には何をする?】行事・風習と「お茶摘みとの縁起」を解説!

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5月のGW期間中はどうしてもGWということで色々なロケーションに遊びに行きたくなりますが、ちょっと注目して欲しいのが「八十八夜」。

現代では「八十八夜」という言葉すら忘れられさられがちですが、実はこんなに奥が深かったんです。

そして‥あの日常的に飲んでいる「あの飲料」とも深いつながりがあったことなど、あまり知られていないのではないでしょうか?

以下では八十八夜の期間中の行事と風習を一覧形式でご紹介しています。




お茶摘み(新茶の摘み入れ)

八十八夜の頃は、良質な茶葉が収穫できる時期になります。

お茶は鎌倉時代に禅僧の栄西(えいさい)が「喫茶養生記」の中で著したように「養生の仙薬」として伝えれてきました。

現在ではペットボトル500mlに入ったお茶が1本100円以下の安価で買える時代ですが、江戸時代以前においてのお茶は高級品に位置付けられ、一般庶民では手の届かないものでした。

一般庶民層が日常的にお茶を飲むようになったのは大正時代に入ってからのことだと素敵に云われる。

茶摘みから生じた「八十八夜の別れ霜」

「八十八夜の別れ霜」などという言葉が生まれた背景の1つにお茶が霜に弱い植物だということが挙げれられます。

お茶は少しでも霜などの冷害に遇ってしまうと、すべてがダメになってしまい出荷できなくなることから、各農家では藁(わら)を根っこなどに巻き付けたり敷いたりして霜への対策をしてきました。

しかし、八十八夜の日を境に霜が降りなくなるのでこのような煩わしい対策をしなくて良いことになります。




神仏に供するのは「一番茶」!

昔から八十八夜に摘み取られた新葉(お茶っ葉)は、甘味を帯び、味や香りが芳醇と言われ、質が良いとされることから有力者に献上したり、神仏に供進したりしたのです。

特に八十八夜の日の摘み取り方法は「一芯二葉摘み」と言われ、一番上の葉を避けた下の2枚の葉を摘み取ります。

この2枚の葉は上の葉が紫外線を受けているおかげで、程よい日光と紫外線を浴びて成長しているので渋みがなく、甘みが強調されたおいしいお茶ができあがります。

この八十八夜の日に収穫されたお茶を俗に「一番茶」と呼称されます。

「二番茶」という言葉もありますが、これは一番茶の摘み取り日(八十八夜)から、おおむね45日〜50日後(6月〜7月)に摘み取った茶葉のことです。

三番茶は真夏となる8月あたりに摘んだ茶葉です。

画像引用先:https://ja.wikipedia.org

茶摘みの歌とは?

「手遊び歌」でもご紹介しましたが、茶摘みの歌は1912年(明治45年)に刊行された「尋常小学唱歌 第三学年用」に初めて登場した歌です。

2007年に「日本の歌百選」に選定されたのを皮切りに文部省認定の日本を代表する唱歌になっています。

面白いのが、鼻歌で歌われるほどの有名な歌であるにも関わらず、誰が作詞・作曲したのかが不明だということです。

おそらく八十八夜に農家総出で行われる茶摘みの作業曲として、全員で摘みながら口ずさむように歌っていたことから、誰かが広める目的で作曲した歌では無いものと考えられています。

茶摘みの歌が歌われていた地域はドコ?

この茶摘みの歌がどこの地域の茶畑で歌われていたのかは謎とされているようですが、日本には以下のような有名な茶畑があります。

京都府宇治市「茶摘み歌」

「あれに見えるは茶摘みぢゃないか 茜襷に菅の傘」

京都府相楽郡和束町「茶摘み歌」

「お茶を摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにゃ和束の茶にならぬ」

奈良県奈良市「田原の茶摘み歌」

「摘まにゃ田原の茶にならぬ」滋賀県大津市「田上の茶摘み歌」「摘まにゃ日本の茶にならぬ」

参照先:ウィキぺディア

おそらくこれらのいずれかの地域の茶畑で歌われていたと考えられており、有力候補としては京都府宇治市(京都府綴喜郡宇治田原村)とされています。




茶摘み歌(YouTubeより)

茶摘みの歌詞

1.

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠

2.

日和(ひより)つづきの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ

八十八夜は「家にこもる日」?!

佐渡島(さどがしま/新潟県佐渡市)では、稲を育むのは太陽だということから八十八夜の日は宅外へ出て歩き回るのを良しとせず、宅内に籠って(こもって)静かに過ごす習わしが現在に至っても踏襲されています。

八十八夜は「種まき粥を奉納する日」?!

信州地方(長野県)では、「種まき粥」という粥を炊いて、それを八十八夜の日に田の神へ供進(お供え)する儀式があります。

八十八夜は「釜飯を奉納する日」?!

信州の中でも南安曇(みなみあづみ)地方では、野原に土釜を設けて炊き上げた釜飯(かまめし)を田の神に供する習わしがあります。

八十八夜は「稗(ひえ)の種子まきする日」?!

また信州の中部山間の焼畑地帯においては、「稗の種子まきは八十八夜が蒔旬の下限」と言われ、八十八夜の日までに稗の種子を蒔き終えるといった風習が踏襲されています。

八十八夜は「稗(ひえ)の豆まきをする日」?!

房総地方(現在の千葉県周辺の県や都)では、「八十八夜の”はね豆”」と言われ、八十八夜に豆を蒔くときには豆の子葉が割れるくらい力を込めて蒔くという風習が踏襲されています。




八十八夜は「ヨモギ餅を食べる日」?!

陸前地方(宮城県・岩手県)では、八十八夜の日にヨモギを摘み取って、そのヨモギを入れた餅を搗いてコネて、完成したヨモギ餅を食べる風習が踏襲されています。

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