御朱印集めをするときに必需品となるのが「御朱印帳」です。
御朱印帳をボンや~りヨダレを垂らしながら眺めていると様々なイケない妄想がよぎってきます。
例えば・・
「御朱印帳って、いつから使われ始めたのだろう」
「御朱印をいただくようになった風習はいつ頃から?」
「この御朱印帳の形状はいつ頃から完成された?」
・・などのスケベったれな疑問が・・あイヤイヤでもないな。
コホンっ!
以上のような疑問が浮かんでくる方も多いと思います。
そこで以下では御朱印帳の起源・歴史、御朱印帳がいつから使われ始めたのか?などを述べていますので一緒に再確認していきましょう!
■御朱印帳=古くは「納経帳」
御朱印帳の起源は「納経帳」にあると言われています。
「納経帳」は「のうきょうちょう」と読み、これは名前のとおり、お経を納めたときにいただく「寺院による証明証のひとつ」です。
納経帳には現在の御朱印帳のように、寺院の名称、本尊や縁(ゆかり)のある名称等が墨書きで書かれ、朱で捺印がされました。
ちなみに明治時代以前には神社独自の御朱印は基本的に存在しませんでした。
これには理由があって明治時代以前は神仏習合の時代であり、この頃の神社はすべて寺院が総括していたためです。
この頃の寺院は神社を管理する役目を担っていたため、神社に納経された納経帳はすべて寺院へ納められ、寺院の朱印が押される形式が通例でした。
なお、ここでの「朱の捺印」とは、現在で言う「御朱印(ごしゅいん)」のことです。
御朱印に関しての詳細は以下の別ページを参照してください。
「納経請取状」とは?
「納経帳」より以前は「納経請取状(のうきょううけとりじょう)」というものが存在していたことが明らかにされています。
「お経を納める」とは、写経した法華経を寺社に納めることを意味していますが、これは「日本廻国大乗妙典六十六部経聖」略して「六十六部」と呼ばれた行者たちが行っていた行為です。
法華経を六十六部写経し、これを日本全国の六十六カ国、それぞれの国を代表する寺社に1部ずつ納める…ということが、室町時代に盛んに行われていました。
このとき、寺社によって発行されたのが「納経請取状」という帳面です。
江戸時代に入ると、一般庶民層にも朱印の慣習が広く知られることにになり、行者や寺社巡りをする人々が帳面を持ち歩き、ここに捺印をいただいて集める形に変化しました。
これが「納経帳」の起源になります。
19世紀(1800年から1900年/江戸時代後期~明治時代前期)に差し掛かると、納経帳を持参して寺社を巡りながら、御利益と同時に朱印も授かるという風習が一般庶民層にまで浸透します。
つまり、これが現在、日常的にみられる御朱印帳を持参して参拝して、帰りに御朱印いただくといったスタイルの起源とも言えます。
この頃から行者(修験者)のみならず、女性を含めた一般庶民にまで広く知れ渡っています。
ちなみに、この頃の納経帳は数多く現存しており、古いもので宝永年間(1704~1710年)の御朱印帳(納経帳)が見つかっています。
納経帳と同義とされた「納め札」とは??
江戸時代中期に差し掛かると、納経する際、写経したお経そのものを納めるのではなく、「納め札」を納めることで代用されるようになっていきます。
「納め札」とは、経を納めたことを証明する手のひらサイズの「札」のことです。
この札は木製や金属製のものがあり、経典(お経)の内容の一部が書かれています。
■納経帳を寺社へ納めた本当の理由
江戸時代の御朱印をいただく行為は「スタンプラリー」であった見方もあるぅ?!
前述までで、納経した証として押印していただくものが朱印であるとご紹介してきました。
しかし一説では、朱印をいただく本当の目的とは「寺社を訪問し、納経帳にサイン(墨書き・朱印)をいただくことで、自らと神仏とのご縁を結ぶ」ことにあったとも考えられています。
このように江戸時代も中期以降に差し掛かると、上述したような「納め札」を代用してお経を簡易的に納経し「訪問の証拠」として納経帳にサインをもらっていたという行為が広く行われていたようです。
なお、この後、明治維新を迎え、明治時代に入ると明治政府によって「神仏分離令」が発令され、神社と寺院が分離されることになります。
この時の時代背景の影響から納経する事も禁止されましたので、朱印が欲しい場合は「納経しないことが前提」で朱印をいただけるようになっています。
これこそがまさに今日に見られるような参拝後に御朱印をいただくスタイルの起源であり原型とも言えます。
以上のことから、現在のような納経せずに参拝だけして朱印をいただくスタイルは明治時代初頭に確立されたと位置付けることができます。
御朱印に関しての詳細は以下の別ページを参照してください。
■納経帳と御朱印帳の違いはどこに?
こうした御朱印帳における歴史、いわゆる時代の変遷を見ていくと、納経帳が御朱印帳へ変化したかのように受け取れますが、実際には現在も、納経帳と御朱印帳、両方が存在しています。
たとえば、四国霊場や西国霊場では「納経帳(のうきょうちょう)」という名称の帳面が使われています。
使い方は御朱印帳と特に違いはありませんが、一例を挙げれば、「四国八十八箇所用」「西国観音霊場用」など、専用に用意された納経帳があります。
神仏分離以前は、神仏習合の考え方のもとに、寺院と神社は半ば一体化しており、神社にも「納経」が行われることは、ごく普通のことでした。
神仏分離以降、「納経」そのものが禁止され、行われることがなくなりましたが、寺院と神社を巡る人は後を絶たず、参拝でご縁を結んだ印として朱印をいただくことから、帳面は「御朱印帳」と呼ばれることが主流となっていったのです。
現在でのお寺では「御朱印帳」として白紙の帳面を販売しているところも多くあります。
一方、四国・西国、あるいは関東八十八箇所の霊場などでは、御朱印をいただくことを「お納経」と呼び、帳面のことも「納経帳」と呼んでいます。
「神社の御朱印帳に寺院の御朱印」、「寺院の納経帳に神社の御朱印」をいただける??
数は少ないですが、中には御朱印帳の履歴を確認し、神社の御朱印がある御朱印帳には、御朱印をいただけないお寺も存在します。
また、その逆もあり、寺院の御朱印帳を神社の授与所の窓口へ出した際、その神社の御朱印授与を断られる場合がありますが、基本的には神社用と寺院用で分けなければならないといった決まりはなく個人の自由です。
しかし上述したように嫌う寺社があるのは事実ですので、参拝後に気持ちよく御朱印を授与するためには寺社の方々への配慮も大事です。
あらかじめ御朱印帳を分けるなどの工夫をされるのも良いかもしれませんね。ウフ
自宅の周辺付近に寺社がなく御朱印帳が買えない場合
田舎や地方などにお住まいの方は近くに寺社がない場合があります。
しかし現在では、通販でもたくさんの御朱印帳が販売されていますので、お近くに寺社がない方は通販で探してみてください。