『古事記』『日本書紀』には、天照大御神が古代に天岩戸にひきこもったという大事件が書かれていますが、この「天岩戸」、日本のどこかに実在するのでしょうか?
今回は、「天岩戸」が本当にあるのか? ということについて、諸説を明らかにしてみましょう。
天岩戸の神話とは?
まず最初に天岩戸神話について、簡単にご紹介します。
天照大御神と素戔嗚尊のケンカ
天照大御神と素戔嗚尊との誓約
天照大御神は、高天原という天の世界を統治する太陽の女神でした。それを決めたのは父親のイザナギです。
同じく、イザナギに海を統治するように命じられたはずの、弟の素戔嗚尊(スサノオノミコト)は乱暴者でワガママ。亡くなって黄泉の国へ行ってしまった母親に会いたいと、統治もせずに泣き叫びます。
父親であったイザナギはとうとう怒って、素戔嗚尊を追放してしまいました。
素戔嗚尊は、どうせ追放されるなら、天の世界にいる姉の天照大御神に会ってから……と考え、高天原に上ります。
そこで、高天原を奪いに来たに違いないと考えた天照大御神は、けんか腰で弟と相まみえました。
素戔嗚尊は、奪うなんてつもりではなく、会いに来ただけだと主張します。
天照大御神が「どうやってそれを証明するのだ」と言うと、素戔嗚尊は「それぞれ、持ち物から子どもを産んで証明してみせましょう」と提案し、天照大御神はこれを了承しました。
結果、素戔嗚尊の持ち物からは、3人の女神が生まれ、天照大御神の持ち物からは、5人の男神が生まれました。
素戔嗚尊はこれを見て、「自分には攻撃的な気持ちがないので、優しい女神が生まれたんです!」と主張。天照大御神もこれを認めて、素戔嗚尊が高天原に逗留することを認めました。
素戔嗚尊の乱暴
ところが、攻撃的な気持ちがないと宣言したはずの素戔嗚尊は、高天原に逗留している間じゅう、相変わらず乱暴をはたらきます。
田んぼを壊して泥で埋めたり、祭殿の中に汚物を撒き散らしたりと酷いものでしたが、誓約をした以上天照大御神は「考えがあるのだろう」と弟をかばっていました。
そしてとうとう、天照大御神が神に献上する衣を織っていた機屋に、皮を逆剥けにしたまだらの馬を天上をぶち破って投げ入れたりしたために、機織り女の陰部に機織りの道具が刺さって死んでしまうのです。
これには天照大御神も堪忍袋の緒が切れてしまい、天岩戸に籠って出てこなくなってしまいます。
神々が天岩戸を開く
天照大御神が天岩戸に隠れてしまったので、地上では様々な悪いことが起こりました。
そこで神々は天照大御神に出てきてもらうため、工夫をこらしました。
巫女である天鈿女命(アメノウズメノミコト)が衣をずらして乳房をあらわにきわどい舞を踊り、神々がいっせいに笑い声を上げると、天照大御神は「自分がいなくて大変なはずなのに、何を笑っているのだ」と岩戸の外に声をかけます。
「あなたの代わりにすばらしい神が降臨されたので、皆祝っております」
と言いつつ、岩戸のスキマに鏡を差し向けました。鏡には天照大御神自身が映りましたが、もっとよく見ようと天照大御神が岩戸のスキマを広げた瞬間、待ち構えていた力持ちの神が岩戸を開き、天照大御神は岩戸の外に出てきたのです。
天岩戸はどこにある?
この神話を見ると、天岩戸は天上の高天原に存在するはずですが、実際に現在、地上でも「ここが天岩戸だ!」とされている場所が数カ所存在しています。
京都府福知山市大江町佛性寺字日浦ケ嶽206-1
(境内・岩戸社)
滋賀県高島市鵜川215
奈良県橿原市南浦町772
(別名を天岩戸古墳)
三重県伊勢市豊川町
三重県伊勢市二見町江575
志摩市磯部町恵利原
兵庫県神崎郡市川町上牛尾
岡山県真庭市蒜山西茅部1499
徳島県美馬郡つるぎ町一宇
山口県山口市秋穂二島岩屋
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1
沖縄県島尻郡伊平屋村田名
……というわけで、ざっと12箇所もの『天岩戸候補』が全国に存在しているのは驚きの限りです。
このような岩戸伝説は宮廷で執り行われた鎮魂祭(ちんこんさい)と深い関わりがあると云われています。
このうちのどこが、本当の天岩戸なのか? それがわかる日はなかなか来ないのかもしれませんが、この中の多くが神社として深く信仰を集めていますので、御朱印を集めに訪れてみてはいかがでしょうか。