新嘗祭はいつから?意味や内容・歴史(由来や起源)と限定御朱印もご紹介!

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「新嘗祭」をご存知でしょうか?

なんだか難しい字ですし、見たことも聞いた事もない方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、「新嘗祭」は大変古くからあるお祭りです。

また、八百万の神々を信仰する日本人ならではの重要な祭りでもあります。

今回はそんな「新嘗祭」について、読み方やいつ行う行事なのか?歴史や意味などの基本的な知識に加え、「大嘗祭」や「神嘗祭」といった関連する言葉の意味など、色々な側面から「新嘗祭」をご紹介します。

日本人なら是非とも知っておいて頂きたい「新嘗祭」。

この機会に触れてみるのはいかがでしょうか?

「新嘗祭」の読み方

「新嘗祭」は、「にいなめさい」と読みます。

他にも、「にいなめのまつり」や「しんじょうさい」などとも呼ばれています。

「新嘗祭」の語源

「新嘗祭」の語源は、諸説あるようです。

例えば、江戸時代の国学者であり文献学者でもある本居宣長(もとおり のりなが)も「新嘗祭」の語源を唱えた1人です。

著書でもある『古事記伝』には、古代「新嘗祭(にいなめさい)」が「ニヒナヘ」・「ニハナヒ」と呼ばれていたことに着目し、「ニヒナヘ」は「新之饗」の訳で、「新稲をもって饗(きょう)する」ことが「新嘗祭」の「新嘗(にいなめ)」の語源であると提言しています。

「饗(きょう)する」とは、酒や食事を出して人をもてなすという意味で、読み方は「アヘ(あえ)」ですので、この説は長い間定着していました。

しかし、これに対して昭和時代に国文・国語学者として活躍した西宮一民(にしみや かずたみ)が反論します。

西宮は、「ニヒナヘ」、すなわち「新之饗」と「新饗」が等しいであるならば、「之」が入るか入らないかで「ニヒナヘ」と「二へ」という二つの語形が生じることが考えられると指摘します。

さらに「二ヒナへ」が「ニハヘ」と呼ばれることがあっても、「二へ」とはなりえないと唱えたのです。

そのことの裏付けとして、古典から抜粋した一文を例に挙げています。

奈良時代の初期にあたる713年(和銅6年)~721年(養老5年)に編成された、常陸国(現在の茨城県)の地誌である『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』には、「新粟(わせ)の新嘗(にひなへ)」とあること。

また、7世紀後半から8世紀後半に編成された現存する日本最古の和歌集である『万葉集』にも「早稲(わせ)を尓倍(にへ)す」とあり、「ニヒナヘ」と「二へ」は同じ意味で用いられていることを指摘します。

これらの文はいずれも「贄(にへ)」から派生する単語で、「ナフ」という派生語尾がつくことによって「ニハナフ」という「神や天皇に供薦(きょうせん=神仏などに物を供える)する」の意味や「ニヒナフ」という「神や天皇がその供薦を受ける」という意味の区別により分かれていると論じたのです。

つまり、本居が「新之饗」を語源と提唱したことに対し、西宮は「贄」が語源ではないかと反論したのです。

他にも、古代の中国でも稲の祭りを「嘗祭」と呼んでいることから発生したのだという説もあります。

この「嘗祭」から「嘗」を取り、やがて「新穀」が「初もの」を表すことから「新」の字が合わさり「新嘗」という字が出来たという説です。

読み方に関しても「嘗」訓読みである「ナメ」を用いることで「新穀を嘗める(その年にとれた穀物をゆっくり味わう)」という意味の「ニヒナメ」に転じたからだと言われています。




「新嘗祭」は英語だと何て言うの?

「新嘗祭」は日本にしかない行事ですので、英語だと「Niinamesai」とそのまま表記します。

もしくは「Niiname-no-Matsuri」や「Kinen-sai festival 」と表記してもいいでしょう。

「新嘗祭」はいつ?

本来は、太陽太陰暦が使われていた旧暦で11月の2番目の卯の日(旧暦11月13日~24日)に行われていた行事です。

しかし、明治に改暦がされ現在の新暦が採用されると、毎年11月23日に行われるようになり、現在も主にこの日程で行われています。

2020年の「新嘗祭」はいつ?

2020年の「新嘗祭」は、11月23日(月曜日)です。

「新嘗祭」はなぜ「卯の日」に行われていたのか?

現在「新嘗祭」は新暦の11月23日に行われていますが、そのようになったのは明治6年のことです。

それまでの太陰太陽暦を使用していた頃(旧暦使用時代)には、11月の「2番目の卯の日」が「新嘗祭」の日として定められていました。

ではなぜ、11月の「2番目の卯の日」として定められていたのでしょうか?

「2番目の卯の日」は、通称「中卯(なかう)」と呼ばれています。

11月の中卯と言うと、11月13~24日のどこか、11月の中旬頃を指し、旧暦のその頃と言えば「冬至」の時期です。

旧暦の「冬至の日」は毎年変わりますが、平均すると旧暦の11月15日頃に当たります。

この時期に「新嘗祭」を行う理由には色々な意味あると考えられます。

まず、「冬至」は日照時間が1年のうち最も少ない日、つまり太陽の力が一番衰える日です。つまり、太陽が再び力を取り戻し始める日とも言い換えられます。

また、その太陽を司るのが天照大御神様だということが大切な要因の1つでもあります。

日本人の象徴であらせられる天皇陛下は、天照大御神様の子孫であって、その力を受け継ぐ存在だと考えられているため、太陽=天照大御神様への感謝を表すには適した日であると言えるのです。

次になぜ「卯の日」だったのかに着目してみましょう。

この答えを導くには、中国に古くから伝わる「陰陽五行説」を用いて考える必要があります。

旧暦の時代は、1月から12月までを「生まれる→茂る(成長する)→成熟する」といった生き物の変化の過程に例えると共に、それぞれの月に十二支を当てはめていました。

 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月10月11月12月

その中で、11月は「子(ネズミ)」にあたる月です。

「子(ネズミ)」の月は「増える」という意味を持ち、新しい命が種の中で萌えはじめる状態を表します。

また、11月は「陰」と「陽」では「陽」にあたり、「水」の月にあたります。

五行説は四季に対応するものもあり、「春が木」、「夏が火」、「秋が金」、「冬は水」であるとされているからです。

これに対して、「卯の日」を五行に当てはめると「陽」と「木」が挙げられます。

11月→「陰」・「水」

卯日→「陽」・「木」

さらに、五行の「相生(そうしょう)」と呼ばれる「天地陰陽の気の調和が保たれ、万事が順調に進んで吉とする組合せ」で「水」と「木」は「水生木(水は木を生じる)」の中に含まれるとして縁起のよい組み合わせです。

また、子は「陽」、卯は「陰」という点でも「陽」は男性、「陰」は女性を表すとされているので「子月の卯日」は男女和合の側面から「新しい誕生」という意味もあるのです。

  • 11月は「子(ねずみ)の月」のため「増える」という意味を持ち、新しい命が種の中で萌えはじめる状態を表す。
  • 11月は「水」、卯の日は「木」なので2つが組み合わさると「水は木を生じる」として縁起が良い
  • 11月が「陽」に対し、卯の日は「陰」のため、「陽」・「陰」が男女を表すことから男女和合=「新しい誕生」という意味がある

以上のように「11月の卯の日」は色々な面で理想的な日と言えます。

ちなみに、旧暦では毎年変動していた「11月の2番目の卯の日」が11月23日に固定されたのは、新暦に変わった明治6年に「新嘗祭」を行ったのがその年の「11月の2番目の卯の日」である11月23日だったからです。

そして翌年以降もそのまま11月23日が「新嘗祭の日」となっているのです。

「新嘗祭」とは?

「新嘗祭」とは、11月23日に宮中にて行われる「神様に収穫を感謝する行事」です。

この日には、天皇陛下が「新穀(しんこく)」と呼ばれるその年に収穫した農作物(主に米)を神様にお供えし、農作物に感謝を捧げ、自らも食する儀式です。

「新嘗祭」の起源

そもそも「新嘗祭」で神に捧げる「米」を収穫する稲作が始まった起源は、神話にあるとされています。

神話は、天照大御神様が孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天から日向(現在の九州の南部)に降り立った際に発した神勅(神のお言葉)から始まります。

その時に天照大御神様が子孫に向けたお言葉は3つあり「三大神勅(さんだいしんちょく)」と呼ばれています。

その1つ「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」が稲作の起源となったとされているのです。

天照大御神様が瓊瓊杵尊へ「わたしが天で育てた神聖な稲穂をあなたに授けましょう。」と言い、天上の田んぼで育てた稲を授け、地上に持たせます。

そして、天照大御神様は「人々の食の中心」として稲作を行うことを合わせて伝えます。

このような神話に基づき、稲作は神様から授かった業であり、収穫物も自分の物ではなく神のものであるという考えから、初穂を収穫した際には最初に神々に献じるという神勅の精神に基づいた行為が行われているです。

「新嘗祭」の歴史

そもそも日本では、古くから各地で農作物の収穫を祝う風習がありました。

日本最古の歴史書である『古事記』では、天照大神(アマテラスオオミカミ)が「大嘗」の為に用意した新宮に、スサノオが誓約の後で糞を撒き散らす。゚(゚´Д`゚)゚。という記述が残っています。

このような記述は、同じく奈良時代の歴史書である『日本書紀』に「大嘗」と代わり「新嘗」の為としても記載されています。

しかしながら、これは神話であって実際の宮中祭祀として「新嘗祭」がいつ頃に始まったかは未だ不明です。

「新嘗」に関する一番古い記録は、神武天皇即位(暦紀元前660年)前紀の記述です。

詳しくは分かっていませんが、「新嘗祭」の儀式の中には弥生時代に起源を持つと考えられるものもあり、そのことから原型は弥生時代に遡るという説があります。

このように、歴史は定かではないものの「新嘗祭」は大切な行事として伊勢神宮の神事の形式を主として宮中に取り入れられ、また、皇位継承儀礼に組み込まれながら宮中祭祀として続いてきました。

しかし、重要な儀礼である「新嘗祭」も中断していた時期があります。

後花園天皇の時代であった寛正4年(1463年)以降は、応仁の乱や朝廷の資金不足により長らく中断していたのです。

長い間行われていなかった「新嘗祭」も、元禄元年(1688年)に霊元天皇の強い意向により「新嘗御祈」という形で略式に復活します。

ただし、祭場となる神嘉殿がなかったため、紫宸殿(ししんでん)を代わりの場所として用いました。

その後、元文5年(1740年)になると、「新嘗祭」はやっと元の形で行われることになり、寛政3年(1791年)には神嘉殿もが再建されました。

明治5年(1872年)からは、「新嘗祭」に合わせて神宮に勅使が遣わされるようになり、明治41年(1908年)に「皇室祭祀令」で大祭に指定されます。

この法令は昭和22年(1947年)に廃止されましたが、「新嘗祭」は現代まで続いています。




「新嘗祭」の意味

新嘗祭とは、「その年の収穫の恵みを神様に感謝するお祭り」です。

単に収穫に感謝するだけにではなく、種もみの選定に始まり、田んぼの土壌作りや田植え、収穫に至るまでの長い期間に関わる多くの人たち労働にも感謝し、神様の恵みに感謝するお祭りだと言えます。

「新嘗祭」と「勤労感謝の日」

11月23日と聞くと「あれ?勤労感謝の日のじゃない?」と思われるかもしれません。

お気づきの通り、11月23日は「新嘗祭」が行われる日であり「勤労感謝」の日でもあります。

なぜ同じ日なのか?については、同じ日になったという言い方よりも、名前を変えたと言った方が相応しくなります。

明治6年(1873年)の旧暦から新暦になったタイミングから昭和22年(1947年)までは、「新嘗祭」という名称の祭日(休日)であったのですが、GHQにより「勤労感謝の日」と改称して神事の意味を含まない国民の祝日となり「勤労感謝の日」が定められたからです。

勤労感謝の日は、収穫の感謝や喜びのみならず「勤労をたっとび(尊び)、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日という意味があります。

「勤労感謝の日」は、固定日の休日の中で最も長く続いている休日でもあります。

「新嘗祭」のスケジュール

「新嘗祭」はどのように行われるのでしょうか?

スケジュールを追って見てみましょう。

前日(11月22日)/「鎮魂の儀」

天皇陛下・皇后陛下・皇太子殿下の魂を鎮め長寿を祈ります。

当日(11月23日)/「新嘗祭」

夕の儀(ゆうべのぎ)

明かりが灯され、神楽歌が奏されます。

神饌(しんせん:神様に捧げる食やお酒)を納めた箱などを宮殿に運びこむ神饌行立(しんせんぎょうりゅう)が行われます。

女官、掌典(しょうてん:宮中祭祀を担当する者)が神饌を神嘉殿(しんかでん)にお運びします。

天皇陛下と皇太子殿下が侍従たちを引き連れて神嘉殿に赴きます。

天皇陛下が神饌をみずから神に供物を捧げ、告文(こうもん:神への感謝の言葉)を奏上します。

最後に直会(なおらい)と呼ばれる、祭祀の最後に神事に参加したもの一同で神酒を頂いたり、神饌を食します。

「神人共食(しんじんきょうしょく=神と人が共に飲食すること)」が終了すると神饌は下げられ、参列者一同が拝礼、儀式が終わります。

暁の儀(あかつきのぎ)

午後11時から夕の儀と同様の儀式が行われます。

暁の儀は11月24日の午前1時過ぎまで行われます。

「新嘗祭」の雑学

「へーそうなんだ!」と思う雑学をご紹介します。

「新嘗祭」に関して色々な知識を増やしましょう。

神様へ捧げる「神饌(しんせん)」はどんな食材?

「新嘗祭」では、11月23日の当日の午後、神嘉殿に神座(かむくら、しんざ)と呼ばれる神様が座られる場所が設けられます。

それから、古来のしきたりにならって天皇陛下が神饌を神前に盛り付けお供えされます。

では、どんな食材が並ぶのでしょうか?

お供えされるのは、以下のような食材や料理です。

ご飯、お粥、粟(あわ)ご飯、粟粥、白酒(しろき)、黒酒(くろき)、鮮物【鯛(たい)、烏賊(いか)、鮑(あわび)、鮭(さけ)】、干物【鯛、鰹(かつお)、鮑、鯵(あじ)】、干柿、かち栗、生栗、干棗(ほしなつめ)、鮑の煮つけ、海藻の煮つけ、鮑の吸物、海松(みる)の吸物

現在でも高級な食材が並びます。

これらの食材を天皇陛下が自ら竹のお箸で柏の葉の枚手(ひらで)と呼ばれる古代の食器に盛り付けて神座に供されます。

さすが神様に捧げるお供物です。




神様はグルメ⁈

神様に捧げる食事である「神饌(しんせん、みけ)」には独特のメニューが多く存在します。

「神饌」は、調理をしない「生饌(せいせん)」と調理をした「熟饌(じゅくせん)」の2種類あります。

一般的に多いのは、食材をそのままお供えする「生饌」です。

しかし、神饌の中には、フルコース並みのご馳走が供えられるものもあります。

珍しく豪華な「神饌」をご紹介しましょう。

上賀茂神社(かみがもじんじゃ)/京都府

上賀茂神社の葵祭(あおいまつり)では、豪華な神饌が供えられます。

鮭、鮑、小豆、蕗(ふき)、茗荷(みょうが)など、なんと120皿が用意されます。

香取神宮(かとりじんぐう)/千葉県

香取神宮の大饗祭(だいきょうさい)の神饌も豪華です。

鴨をメインとして、秋刀魚(さんま)や鮒(ふな)なども並びます。

諏訪大社(すわたいしゃ)/長野県

長野県の諏訪大社で行われる御頭祭(おんとうさい)では、なんと鹿の生首が供えられます。

伊勢神宮(いせじんぐう)/三重県

質素ですが、一番贅沢と思われるのは伊勢神宮でしょう。

毎日行われる外宮の朝夕の神饌「日別朝夕大神饌祭(にちべつあさゆうおおみけさい)」では、御飯3盛、乾鰹(ほしがつお:鰹節)、鯛(夏季はカマス、ムツ、アジ、スルメなどの干魚)、海藻(コンブ、アラメ、ヒジキ、ワカメなど)、野菜(大根、人参、ごぼう、ほうれん草など)、果物(リンゴ、ナシ、ブドウ、ビワ、スイカなど)、御塩、御水、清酒三献が用意されます。

また、これらの神饌は、神職が調理をします。

穢れのない火を必要とすることから、火起こしには古代の道具であった火鑽(ひきり)を使います。

火鑽は、木をこすり合わせて火を起こし、その火を用いて「忌火(いみび)」と呼ばれる「清浄な火」を使います。

毎日これだけの食材を調達するのも大変だと思いますが、火を起こす方法さえも特別だとは驚きです。

このような神饌を毎日受ける伊勢神宮の神様はそれだけ特別視されていることも分かります。

家でもやってみよう!「新嘗祭」

現代では様々な仕事があり、農業が中心ではありませんが、食を支える農業は生きる上でもとても重要な仕事であり、その仕事で収穫した農作物に感謝を捧げる「新嘗祭」はとても大切な行事と言えるでしょう。

自宅でも簡単に神様への感謝を捧げる場を設け、「新嘗祭」を行うのはどうでしょうか?

自宅で行う場合は、新米を神棚にお供えします。

神棚がない場合には、家の中でも清浄で高い場所、南か東に向くようにお供えするといいでしょう。

お供えしたら、手を合わせて収穫の感謝や日々の労働に感謝しましょう。

お供えしたものはお下がりとして頂くこともできます。

天皇が自ら初穂を口にするのはなぜ?

神道では、祭りの後などに神饌や供物を飲食することを「神と人が共に飲食すること」として、「神人共食(しんじんきょうしょく)」と言います。

「新嘗祭」で天皇陛下がお供えした初穂を口にする事もまさに「神人共食」の儀礼と言えるでしょう。

古代日本においては、地域の集まりであった氏人が氏族の祖である氏神様をお祀りし、同じ火で調理した食事を共にすることで神様(氏神様)と人(氏族)の一体化を図ったとされています。

その後、コミュニティは大きくなり、同じ氏神様や産土神様の信仰を共にする者が座を結成して、祭りの際に直会(なおらい)を行うことで、氏神様・産土神様からの家内安全や健康長寿、子孫繁栄などのご加護を分かち合いました。

このような風習は、神饌や供物には神から分け与えられた特別な力が宿っていると考えられていたことから発生したと考えられています。

そんな特別な力がある神様とご一緒に食事ができるのは、天照大御神様の子孫とされる天皇陛下だからこそできることです。

「新嘗祭」は、新穀で神様をもてなすと共に、天皇陛下自らも新穀を食すことによって新たなる力を得て、次の年の五穀豊穣を約束する行事と言えます。

農家の誇り「皇室献上米」

「皇室献上米」とは、「新嘗祭」に奉納されるお米のことを指します。

毎年、全国の都道府県の農家代表が自治体の厳しい審査を経て選ばれます。

選ばれた農家は、自分の田の一部である約1アール(100平方メートル)を「献穀斉田(けんこくさいでん)」として栽培します。

この田には、神域を示す鳥居が建てられ、「御田植祭(おたうえまつり)」から「献穀祭(けんこくさい)」まで様々な儀式に多くの人が列席し、それぞれ神主の手によって行われます。

大切に育てられ収穫した初穂を、秋に各自治体の役人が精米し、皇居へ献上します。

農家にとっては、皇室献上米に選ばれることや天皇陛下から直接お言葉をいただけるのは大きな功績であり、名誉です。

献上された後に残ったお米は、スーパーや一般のお店では販売されることがほとんどなく、最近ではインターネットで売られていることが多くあるようです。

知る人ぞ知る、天皇陛下と同じ幻のお米、一度食べてみたいものです。

新嘗祭の日まで新米を食べてはいけないのか

「新嘗祭」で天皇陛下が初穂を召し上がることは先ほどご紹介しました。

天皇陛下は、その年の新米をこの時初めて食べられることになります。

そのため、天皇以外の人々が新米を食べるのは「新嘗祭」の後に食べることが習慣でした。

また、現在ほどの技術も発展していない昔は、稲刈りからお米にするまでには2か月ほどかかっていたとも考えられています。

そう考えると、9月に刈り始めて11月頃までかかっていたので、11月に行われる「新嘗祭」はいい時期だったのでしょう。

現代では、「新嘗祭」の日まで新米を食べないというのは現実的ではないかもしれません。

しかし、新米を「新嘗祭」が終わってから食べることで収穫の感謝を神様に捧げ、有難みを噛みしめるのもいいかもしれません。




新嘗祭の御朱印

「新嘗祭」限定の御朱印を授かることが出来る神社があります。

浅草神社

「三社様」として地元も人から愛されている浅草神社。

第3代将軍である徳川家光公により、建立寄進された社殿から歴史が始まりです。

度重なる火災や戦争、関東大震災などの被害も奇跡的に免れ、約350年たった現在でも当時の面影を残す歴史ある神社です。

【新嘗祭特別御朱印】

日時:11月23日9時〜16時半

場所:浅草神社朱印所

初穂料:500円

※必ず御朱印帳をご持参ください。紙の御朱印はいただけません。

※御朱印帳は1人1冊までです。

※数量限定で神社の御神田で育った稲穂がつきます

神様へ豊作の感謝を捧げる

「新嘗祭」は神様へ感謝を捧げる大切なお祭りであることが分かりました。

また、「神嘗祭」も「新嘗祭」のために行う大切な儀式だということも分かりました。

私たちが日々を過ごしていく中で、当たり前に口にすることが出来る作物も、沢山の苦労の元に出来上がっている大切な作物です。

一年に一度、収穫の恵みやその労働にも感謝するお祭りは、日本人として「基本のお祭り」と言えるかもしれません。

どんな食材も手軽に口にする事ができる現代だからこそ、本来の食材の有り難さを忘れないように「新嘗祭」を見直し、「勤労感謝の日」にも改めて敬意を払いましょう。

Writing:YUKIKO-加藤

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