夏になると、「お盆が近づいてきたね」と、お盆休みが気になりだすと思いますが、お盆休みに行う「迎え盆」「送り盆」というアノ行事、毎年、どうやってやるんだっけ……いやむしろ、いつだっけ!? と動揺していませんか?
お休みばかりに気が向きがちですが、「お盆」は先祖を供養する大切な行事です。
今回は、「お盆」の中でも、「迎え盆と送り盆」について、目的ややり方、「迎え盆と送り盆」に関する色々な雑学などを詳しくご紹介しますので、話のネタに「お盆」の知識を増やしていただければと思います。
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「お盆」とは?
「迎え盆と送り盆」の話を始める前に、「お盆」とは何かをおさらいしておきましょう。
お盆とは、「季節の節目に行う先祖供養」のことです。
かつて日本人は、季節の節目に先祖供養を行ってきました。
その歴史は古く、飛鳥時代からだとも言われています。
季節の節目に行う先祖供養の代表的な行事が、「お彼岸」と「お盆」で、このうち夏の時期に行われるものが「お盆」です。
昔、亡くなった人は、旧暦の7月13日に家に帰ってくるとされていたことから、先祖の霊(精霊:しょうりょう)を家に迎えて供養をし、家族の無事を先祖に感謝するようになりました。
実は、お正月も先祖供養の1つとされていて、「盆と正月」という言葉があるように、いずれも重要な行事でした。
重要な行事だからこそ、お正月休みやお盆休みがあり、その機会を利用して、多くの人が帰省するのです。
ちなみに、「お盆」のことを「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と呼ぶことがあります。
意味は同じで、「お盆」は、「盂蘭盆会」を略して言っているのだとも言われています。
「お盆」はいつ?
お盆は、「7月13日~16日、8月13日~16日」のいずれかの日にちに行います。
2回行うわけではありませんよ! 7月の13日~16日か8月の13日~16日のどちらかの日付に行います。
この日付は、曜日が変わろうとも毎年変わらず同じ日程に決まっています。
7月に行うのか、8月に行うのかについては、地域によって伝統が違う側面と、親族の都合で暇な時期や、お盆休みの取れる時期に決められる側面があり、家ごとに決まっていると言えます。
本来、お盆が行われる月である旧暦の7月1日は、「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」と言われ、ご先祖様があの世から出ていくために、地獄の釜の蓋が開けられる日とされています。
そのため、お盆では、旧暦の7月1日の「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」から、13日までの間にお墓お掃除などを進め、お盆の準備をしていきます。
そして、準備を整えて迎えた13日から、お盆の期間がはじまり、お盆の終わりを迎えるのは、ご先祖様があの世に戻られる16日です。
地域によっては、15日までがお盆だというところもあるようです。
ちなみに、盆踊りは、ご先祖様をお見送りする儀式が由来となっているため、お盆が終わる頃に開催されることが多いのです。
2020年のお盆はこの日
念の為、2020年のお盆の日程を確認しておきましょう。
2020年(令和2年)の新盆(しんぼん)は、「7月13日(月曜日)から7月16日(木曜日)」
2020年(令和2年)の旧盆(きゅうぼん)は、「8月13日(木曜日)から8月16日(日曜日)」です。
新盆(しんぼん)と旧盆(きゅうぼん)を知っている?
新盆と旧盆があるのはご存知でしょうか?
毎年、新盆は7月13日~16日、旧盆は8月13日~16日に行われます。
つまり、7月に行うお盆を新盆、8月に行うお盆を旧盆と呼びます。
旧盆のことを、「月遅れの盆」と呼ぶこともあります。
新盆と旧盆は、日付は違いますが、内容自体に差はありません。
新盆・旧盆だからといって、行事や風習の内容が異なるのではなく、お盆をする日程が、地域にとってどのような日程になるかが大きいと考えられます。
読み方によって違う新盆の意味
ここで、ややこしいのが、新盆の読み方です。
新盆にはもう1つ読み方があり、その読み方だと全く違う意味を持ちます。
7月に行うお盆のことを新盆「しんぼん」と呼びますが、「あらぼん」と読む場合もあります。
「にいぼん」と読む場合は、7月に行うお盆のことを指すのではなく、初盆(はつぼん)と同じ意味を指し、前年のお盆以降に、お亡くなりになった人がいる家が初めて迎えるお盆のことを指すのです。
つまり、新盆は読み方によって2つの意味があります。
「しんぼん・あらぼん」→7月13日~15日に行うお盆。別名、7月盆。
「にいぼん」→お亡くなりになった人がいる家が初めて迎えるお盆・初盆(はつぼん)と同じ意味
といった具合です。
初盆(新盆)は、通常のお盆よりも盛大に行います。今回の記事でご紹介している新盆は、7月盆のことを指します。
どうして、新盆と旧盆に分かれたの?
お盆の時期が、新盆と旧盆に分かれている理由は、明治時代に改暦が行われたからです。
そもそも日本では、天保暦(てんぽうれき)と呼ばれる、太陽の動きをもとにして作られた太陰太陽暦が使われていました。
中国の流れをくむこの暦は、2~3年に1度のペースで訪れる閏月(うるうづき:13カ月目の月)を入れて、太陰暦のずれを太陽暦に合わせるという方式であり、日本の気候風土や農業中心の生活とは相性がよいものでした。
しかし、1872年12月9日(明治5年11月9日)に明治政府は改暦をすることを決めます。
改暦をする事になった理由は、定かではありませんが、財政難であった明治政府が、閏月の分の月(13ヶ月目の月)を削除することで官公吏の給料節約を図ったという説もあります。
いずれにしても、当時は日本が西洋化へ進み始めた時期です。
日本は、暦も西洋と同じグレゴリオ暦(太陽暦)と合わせることで、世界に並ぼうとしたのだとも考えられます。
このように、明治政府が改暦を公布した僅か1か月後、天保暦は明治5年12月2日(1872年12月31日)に改暦が行われ、翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められたのです。
日本の改暦は、この明治5年以来行われていません。
よって、現在では、明治5年まで使用されていた天保暦を「旧暦」と呼び、西洋の流れを汲んだグレゴリオ暦を「新暦」と呼びます。
旧暦と新暦には、約30日の遅れがあり、もともと旧暦の7月15日に行われていたお盆は、新暦の8月15日に行われるようになりました。
「迎え盆と送り盆」とは?
さて、いよいよ本題の「迎え盆と送り盆」についてご説明します。
「迎え盆」って何?
お盆が始まる、7月13日、もしくは8月13日に行います。
迎え火を焚いて先祖や故人の霊を迎えます。
「送り盆」って何?
お盆が終わる、7月16日、もしくは8月16日に行います。
送り火を焚いて、精霊流しをするなどして、先祖や故人の霊を送り出します。
「迎え火と送り火」とは?
先ほどご説明したように、「迎え盆と送り盆」の際に焚く火のことを「迎え火と送り火」と呼びます。
「迎え火」って何?
7月13日か8月13日の夕方に家の前や、門の側で火を焚いて、先祖や故人の道しるべとします。
先祖の霊が迷わないようにするためのもので、家に御霊(みたま)を迎えた後に、先祖を祀りに墓地へ行きます。
「送り火」って何?
7月16日か8月16日(地域によっては15日のこともある)に、戸外が暗くなったら、家の前や、門の側で火を焚いて、先祖や故人の霊を送り出します。
「来年もお会いしましょう。」という気持ちを込めて送りだします。
この送り火として有名なのが、京都の五山の送り火です。
「精霊送り(しょうりょうおくり)」とは?
精霊(しょうりょう)とは、亡くなった人の霊魂のことです。
「精霊送り」とは、お盆の期間中に迎えていた先祖や故人の霊を、「送り火」を焚くことであの世へと送りだすことを指します。
つまり、お盆の期間にこの世に戻っていた亡くなった人の魂を、あの世へ送りだすことです。
また、お盆の初日に先祖や故人の霊を迎えることを「精霊迎え(しょうりょうむかえ)」と呼びます。
「迎え盆と送り盆」はいつ?
「迎え盆」は、7月13日か8月13日
「送り盆」は、7月16日か8月16日(地域によっては15日のところもある)です。
「迎え盆と送り盆」の目的
「迎え盆」には、ご先祖様の霊をお迎えする目的があります。
一方「送り盆」の目的は、ご先祖様をお送りすることです。
それぞれ、ただ迎えたり、送ったりするのではなく、日頃の感謝の気持ちを込めるべきもの。
従って、迎え盆、送り盆の際にはお墓や仏壇の掃除をしたり、お供え物をしたりして、先祖や故人の霊に気持ちよくお過ごしいただけるような配慮をします。
「迎え盆と送り盆」のやり方
では、実際にどのようなやり方をすればいいのかを確認しましょう。
「迎え盆」のやり方
盆棚(ぼんだな)・精霊棚(しょうりょうだな)作り
迎え盆には、ご先祖様へお供えするものを置く盆棚(ぼんだな)を作るのがならわしです。
この棚は、精霊棚(しょうりょうだな)、あるいは先祖棚(せんぞだな)とも呼ばれます。
ご先祖様の精霊を迎えるために、お盆の期間だけ作られるもので、位牌を安置しお供えを置くためのお盆用の棚と思えば良いでしょう。
盆棚は8月12日の夕方か、13日の朝に作ります。
飾り方は、地域や宗教、宗派、家庭によっても異なりますので、ご両親がやってきたことを真似できれば一番良いですね。
自分のところはどうしたら良いかわからない……という方のために、一例をご紹介します。
※画像は完全なものではありませんがイメージとして捉えておいてください。ほおずき、青竹といったアイテムが集まらない場合もこのようにして丁寧にお祀りすることでご先祖さまに供養のお気持ちを届けましょう。
ゴザを敷く
仏壇の前に机などを置いて、真菰(まこも)で編んだゴザを敷きます。
お位牌を仏壇から盆棚に移す
ゴザが敷かれた盆棚に、故人や先祖のお位牌を仏壇から盆棚に移します。
青竹とほおずきを用意する
周りに、青竹とほおずきで四方を囲むように結界を作ります。
ほおずきは先祖の道を照らす提灯を表しています。
水の子を用意する(主に曹洞宗)
「水の子(みずのこ)」と呼ばれる、さいの目に切ったキュウリとナス、洗ったお米を混ぜたものを、蓮の葉の上にのせます。後にご紹介する精霊馬のごはん(エサ)の役割をします。
盆提灯を用意する
「盆提灯(ぼんちょうちん)」は、一対、または二対を盆棚の両脇に置きます。
仏壇に通常ある物を置く
お線香を焚き、ろうそくに火を灯し、盆花と呼ばれる花を飾ります。
故人の好物などの食べ物をお供えする
水や、季節の野菜、果物、砂糖菓子、そうめんなどを供えます。
そうめんには、幸せが細く長く続くようにとの願いや、ご先祖様がキュウリで出来た精霊馬に乗って帰る時の手綱、または、ご先祖様が荷物をくくる荷綱などと言われています。
精霊馬(しょうりょううま)・精霊牛(しょうりょううし)の準備をする。
亡くなった方やご先祖様の乗り物になるとされているのが、この精霊馬と精霊牛です。
キュウリとナスで作り、キュウリが馬、ナスが牛を表します。
キュウリとナスに割り箸を切ったもので4本の足を作り、馬や牛の形に似せましょう。
ちなみに、キュウリとナスで表す、馬と牛には、「故人が来るときには馬に乗って早く家に連れてきて、家から帰るときには牛に乗ってゆっくり」して欲しいという願いが込められています。異説には、キュウリががご先祖様を乗せ、ナスがお荷物を運ぶというものも。
そのため、お迎えするときにはお仏壇側に向けて、お送りするときには外側に向けてお供えします。
迎え火
お盆には、祖先の霊魂をあの世から迎えるために、家の前で「おがら」に火をつけ、お迎えすることが習わしです。
本来、「迎え火」は、13日にお墓参りをし、お寺で「迎え火」の火種を頂きます。
現代では、13日の夕方に、家の前や門口にて、焙烙(ほうろく)という素焼きの皿の上で「おがら」を積み重ねて焚き、精霊を迎えます。
「おがら」とは、麻の茎のことで、麻の茎は、中が空洞になっていますが、拡大すると、繊維質の表面と白っぽい木質の部分に分かれています。
この木質の部分を乾燥させたものを「おがら(苧殻、麻幹、麻がら)」と呼びます。
このように、「おがら」を燃やすことで、燃やした煙に乗って先祖の霊が家に戻って来るのを迎えるという意味があります。
また、火のついた「焙烙(ほうろく)」の皿を、外から内に入るようにまたぐと、先祖の霊を迎えたことになるそうです。
ちなみに、残った「おがら」の灰は、タンスに入れておくと、着るものに困らないといった言い伝えもあります。
「焙烙(ほうろく)」や「おがら」は、時期になると、花屋さんやスーパーなどで購入できます。
「送り盆」のやり方
送り火
お盆が終了する、16日の夕方には、「迎え火」を焚いた同じ場所で、「送り火」を焚いて、家に迎えていたご先祖様の霊にお帰りいただきます。
やり方は、「迎え火」と同様に、「おがら」を「焙烙(ほうろく)」の上につみ重ねて火を付けます。
火を焚くのがご自宅の事情で難しい場合には、ロウソクを灯さずに盆提灯を使って、迎え火や送り火の代わりにすることもあるようです。
精霊送り
昔は、人は亡くなると、川や海の遥か向こう彼方にある「あの世」に行くと考えられていました。
そのため、地域によっては、海や川に「送り火」を流して精霊を送ります。
「精霊送り」は、「精霊流し」とも呼ばれ、わらで作った舟に、お供え物や飾り物を乗せた「精霊舟(しょうりょうふね)」や、色とりどりの「灯篭(とうろう)」に火を灯して流し、精霊を送る行事です。
「精霊流し」で流す、お盆の間にお供えした野菜や果物などのお供え物は、祖先へ贈る物といった面と、死の世界と関わりを持った穢れ(けがれ)を水によって清めるという面も持っています。
また、精霊はその舟で帰るとされ、病気や災いも一緒に流すという意味があります。
「迎え盆と送り盆」のちょこっと雑学
ちょっとした雑学で、話題のネタを増やしましょう。
花火大会ってお盆に関係あるの?
皆さんは、供養と言うと、何をする事を思い浮かべますか?
お経をあげて、お線香を焚いたり、お墓参りしたりするのは、先祖や故人を供養するためです。
では、なぜ、供養をするのでしょうか?
それは、亡くなった先祖や故人の霊を供養することで、「自身の死後の地位が上がり、再び生まれ変わる際には、よいステータスの人間に生まれ変われる」と信じられているからです。
仏教には、色々な宗派があり、中には、「供養は亡くなった人のためにするものではなく、生きている現世で仏様の縁を授かるために行う」という考え方の宗派もあります。
いずれにしても、仏教にとって、供養は大変重要な意味を持ちます。
そのように重要な「供養」を、花火を上げることで行うことを、「供養花火」と呼びます。
「供養花火」と聞くと、通常の花火とは違った花火大会を思い浮かべますが、そもそも、花火大会は、災害や戦争で亡くなった人の霊を慰める、慰霊祭として始まりました。
有名な「隅田川花火大会」も、江戸時代に凶作で死者が増大した際に、災いを祓うためにと行われた、「水神祭り」が起源であると言われています。(諸説あり)
花火は、「送り火」の一種であり、小船や燈籠を川や海へと流す「精霊流し」と一緒に行われていた、先祖の霊を送り出す行為が原型です。
現在、全国で開催されている花火大会は、もともとは、「精霊送り」の行事だったのです。
全国で、開催されている花火大会のうち、「供養花火」の意味合いが現代でも色濃く残る花火大会もあります。
例えば、三重県熊野市で行われる「熊野大花火大会」は、300年余りの歴史を持ちます。
起源は、お盆の初精霊供養のために、簡単な花火を打ち上げたことと、その花火の火の粉で、灯籠焼きを行ったことが始まりだと言われています。
現在は、花火大会の規模が大きく拡大しましたが、初精霊供養の要素は消えておらず、「初精霊供養の灯籠焼き」や「追善供養」の打ち上げ花火など、供養に関連する催しも多く行われているのです。
また、日本三大花火大会の1つにも選ばれている、新潟県長野市の「長岡まつり大花火大会」も「供養花火」が起源となっています。
長岡の市内は、第二次世界大戦中の昭和20年8月1日、午後10時30分から1時間40分の間におびただしい数のB29大型爆撃機が襲来したことによろ、大きな被害にあいました。
旧市街地は、全体面積のうち、8割もが焼け野原に。1488名の尊い命が失われることとなり、人々は、悲しみと絶望に打ちひしがれました。
そんな中、空襲から1年後の昭和21年8月1日に、長岡まつりの前身となった「長岡復興祭」が開催されました。
長岡空襲からの復興を願うとともに、戦争で亡くなった人々への慰めと先祖への感謝、世界平和を願う気持ちを込めて開催されたのです。
現在では、規模が拡大し、2日間で100万人を超える観客が集まるイベントになりました。
しかし、今でも空襲が始まった日時である8月1日の午後10時30分から花火が上げられ、市内の寺院では、供養のための鐘を鳴らします。
お盆は海に入ったらダメ?
昔から、「お盆に海に入ってはいけない」という言い伝えがあることをご存知ですか?
お盆の期間には、あの世から先祖の精霊がこの世へ帰ってきます。
旧暦の7月1日は、「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」と言われ、ご先祖様があの世から出ていくために、地獄の釜の蓋が開けられる日とされています。
「地獄の釜の蓋が開く」ということから、あの世から、良い霊も悪霊も沢山この世へ出入りするので、海水浴に来た人の足を引っ張る事もあるとして、海や川などの水辺を避けるようになったと言われています。
また、お盆は先祖の霊をお迎えし、お送りするという大切な行事でもあるので、そのような時期に遊び目的で海や川へ出かけるという行為を戒める意味があるという説もあります。
しかし、実際にお盆の時期の海は危険な場所と言えます。
日本の台風は、7月から10月に多く、お盆の時期も例外ではありません。
台風が来ると高波が押し寄せ、波打ち際で海水浴を楽しんでいたとしても、高波が引く時の強い力で、海にさらわれてしまうこともあります。
また、海水浴だけではなく、海辺で釣りをしている人や、船に乗っている人も水難事故に遭う危険性が高くなります。
他にも、海には怖い現象もあります。
通常、沖から海岸へ打ち寄せる波は、いったん海岸に溜まり、再び沖に戻ろうとします。
その時に、岸から沖の方へ向かって一方的に急に流れが速くなる流れの部分のことを「離岸流(リップカレント)」と呼びます。
この離岸流に流されてしまうと、知らぬ間に沖まで流されてしまうことがあるので大変危険なのです。
さらに、海には、お盆の時期にクラゲが大量発生する傾向が多く、クラゲに刺されるリスクが高くなります。
また、お盆の時期の水温は一気に冷たくなるので、心臓に負担がかかることもあるようです。
このように、多くの危険性を含んだ「お盆の時期の海」のことを、経験で学んでいた昔の人が、この時期の水遊びを禁じたとも言えます。
「藪入り(やぶいり)」を知っている?
昔は、住み込みで働く奉公人や、嫁が実家へ帰る事ができる休日のことを「藪入り」と呼びました。
具体的には、お正月の1月16日とお盆の7月16日がこの「藪入り」の日にあたります。
お正月を「藪入り」と呼ぶのに対し、お盆のほうは、「後の藪入り(のちのやぶいり)」とも呼びます。
そのため、「藪入り」は新年の季語、「後の藪入り」は秋の季語としても使われます。
江戸時代に広がったこの風習は、日々定休日などなく働く奉公人や、自由に実家に帰ることを許されない嫁などが、遊びに出掛けたり、実家に帰ったりしてもよい日でした。
言葉の由来は、草木が生い茂る、藪の深い田舎に帰るからだという説や、「藪入り」と同じ意味を持つ、奉公人たちを実家に帰す「宿入り(やどいり)」という言葉が訛ったからだという説などがあります。
ちなみに、関西では、1月16日と7月16日は両日ともに「6」がつく日付ということから、「六入り」と呼ばれています。
九州では、久しぶりに親に会えるからでしょうか?「親見参(オヤゲンゾ)」などと呼ばれています。
「藪入り」前日である、1月15日と7月15日は、「小正月」であり、「お盆」の期間中の祭日です。
奉公人や嫁は、それぞれ家の用事を済ませてから、16日に合わせて実家へ向かいます。
これは、実家の大切な行事にも参加できるようにと与えられた休みだったようです。
現在のように自由に休みが取れなかった時代、「薮入り」は、奉公人や嫁たちにとって待ち遠しい、貴重な日でした。
「薮入り」の日には、主人から着物や小遣いを与えられた奉公人たちが親元へ帰ります。
また、親元に帰れない者は、芝居見物などに出掛けたりと、それはそれで、貴重な休みを楽しんでいたようです。
嬉しいことが重なるという意味の言葉で、今でも「盆と正月が一緒に来たよう」という表現が残っています。
まさに、昔の奉公人や嫁たちにとって、「薮入り」は、心待ちにしている楽しみだったのでしょう。
時代の流れで、労働スタイルは変化していき、定休日ができると「藪入り」はなくなりました。
しかし、お正月休みやお盆休みに帰省する風習は今でも残っています。
「お盆休み」は閻魔大王も休み
先ほどご紹介した、「藪入り」の1月16日と7月16日は、「閻魔賽日(えんまさいじつ)」とも呼ばれています。
仏教では、「地獄の蓋が開き、亡者も責め苦を逃れる日」とされています。
つまり、閻魔大王を始め、地獄の鬼さえもこの日は休みなのです。
そのため、苦しめられていた罪人たちも休みとなります。
お盆の時期は、あの世からこの世へと霊が里帰りするから、地獄に霊がいなくなり、地獄番をしていた鬼も仕事がないのでお休みという考え方もあるようです。
また、この頃は、地獄の蓋が開くので、畑に耳をつけると、「ゴーッ」っという音がするそうで、これは、地獄の蓋が開いて霊が飛び出してくる音だから、「仕事をしてはいけない日」とも言われていました。
「閻魔賽日(えんまさいじつ)」の「賽日(さいじつ・さいにち)」は、「藪入り」のことを指しているので、「閻魔大王」の「藪入り」という意味を持ち、この世にいらっしゃる閻魔様に参詣するという風習もあります。
お寺では、『十王圖(じゅうおうず)』といった、死後の世界である冥土(めいど)に住む、10人の王のことが描かれた絵や、『さいじつ地獄相變圖(さいじつじごくそうへんず)』という、死者が地獄で苦しみにあう様子を描いた地獄絵を見たり、「閻魔堂(えんまどう)」に参詣したりする風習が残されています。
ちなみに、この『十王圖(じゅうおうず)』には、10人の冥土に住む王が描かれているとお話しましたが、閻魔様も、地獄で死者の罪を裁く10人の裁判官、10人の王の1人です。
10人の王とは、秦広王(しんこうおう)、初江王(しょうこうおう)、宋帝王(そうていおう)、五官王(ごかんおう)、閻魔王(えんまおう)、変成王(へんじょうおう)、泰山王(たいざんおう)、平等王(びょうどうおう)、都市王(としおう)、五道転輪王(ごどうてんりんおう)のことです。
人が亡くなると、初七日から7日ごとに、最初の王から順に審理が開かれ、裁かれます。
5番目の閻魔大王に裁かれるのは、5番目×7日=35日目ということになります。
仏教の法要が、7日の倍数ごとにあるのは、10人の王の審理が7日ごとに行われるからで、審理の度に、死者は王に対して、減罪の嘆願を行います。
また、現代でも一部で行われている「追善法要」は、亡くなった者の冥福を祈って行われる法要や読経のことを指します。このときには平等王、都市王、五道転輪王によって3回の審理が行われていますが、これらは追加の審理とも言われ、亡くなった人を救い損ねることがないようという機能を持っています。
10人も裁きをする王がいるのに、どうして閻魔大王ばかりが有名なのでしょうか?
それは、閻魔大王のところで最も重要な「来世で何に生まれ変わるか」が決まるからです。
人は死んで、人として過ごすことが終わると、「六道」と呼ばれる、6つの場所のいずれかに生まれ変わります。
その6つの種類は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上のいずれかで、どの世界に生まれ変わるかを閻魔大王が決めるのです。
また、10王の裁判の裁きは、閻魔王の宮殿にある「浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)」に映し出されるのだそうです。
「生前の善悪」の見極めには「浄玻璃鏡」が使われますが、さらに「この世に残っている遺族が行う追善供養における態度」も、合わせて判断材料になるそうです。
閻魔大王は、最も重要な事を決める裁判官ですが、他に9人も裁判官がいたとは驚きですよね。
「盆提灯(ぼんちょうちん)」の役割
盆提灯には、どんな役割があるのでしょうか?
お盆では、提灯(ちょうちょうちん)を下げます。
盆提灯には、お盆のときに、先祖や故人の霊が迷わず帰ってくる目印としての役割があります。
また、盆提灯には、「迎え火」や「送り火」の役割もあります。
盆提灯は、先祖への日頃の感謝の気持ちや、ご冥福をお祈りする大切な気持ちが込められています。
盆提灯の飾り方や種類は、地域によっても異なるので、その土地の慣習にならって飾りましょう。
新盆(初盆)の提灯は「白提灯」
特に、人が亡くなってから初めて迎えるお盆のことである、新盆(初盆)は、通常のお盆よりも盛大に行い、故人と親しかった友人や、親戚などから白い提灯が贈られます。
本来は、白地に家紋入りの提灯(白提灯)ですが、これは新盆でしか使えないので、近頃は翌年以降も使える模様入りが好まれています。
新盆の盆提灯は、白提灯を玄関先やお仏壇の前に飾ります。
白提灯には、家庭や地域によって、家紋を入れる場合があります。
新盆で使った白提灯は、通常の盆提灯と違い、送り火で燃やしたり、お墓のあるお寺に持って行ったりして供養してもらいます。
お寺で供養する場合には、事前に確認を取っておくのが良いでしょう。
盆提灯の種類
盆提灯には、さほど宗派による違いはないため、お好きな盆提灯を選ぶことが出来ます。
盆提灯には、床に置く提灯か、吊るす提灯かの2種類があります。
どちらでも、盆提灯としての意味合いは変わりませんので、飾る部屋に合わせて選びましょう。
通常、盆提灯は、仏壇や盆棚の前に、一対、二対と飾ります。
しかし、飾る数に決まりはなく、飾るところが狭い場合は1つでも良いです。
床に置く提灯
「大内行火(おおうちあんどん)」
「大内行灯」は、一般的な盆提灯はこの、「大内行燈」を指すことが多いです。
木で出来た3本足の提灯で、「火袋」と呼ばれる、火を灯すところのは絹で出来ていて、上には雲手(取っ手)がついています。
明確な名前の由来は不明ですが、皇居の内裏を表す「大内」と言った意味や、「大切な場所に置く行灯」という意味が込められているそうです。
「回転行火(かいてんあんどん)」
明かりをつけると、火袋の中の絵柄が回って見える提灯のことを「回転行燈」と言います。
これは、火袋に取り付けた回転筒の絵柄が回っているからで、多くは、プラスチック製の素材で出来ています。
火袋も絹ではなく和紙なので、お求めやすい値段です。
吊るす提灯
「住吉提灯(すみよしちょうちん)」
円筒形の長い形で、吊るすことのできる提灯のことを「住吉提灯」と言います。
福岡県博多区住吉町で使われ始めたため、この名がつきました。
現在では、九州のみならず、茨城県などの北関東で主に使われているようです。
「御所提灯」
壺の形をした、吊す形式の提灯です。
岐阜県の美濃和紙を使用していることから、「岐阜提灯(ぎふちょうちん)」とも呼ばれています。
仏壇の両脇や、家の縁側の軒先などに吊るして使います。
「御殿丸提灯(ごしょまるちょうちん)」
「御所丸提灯」の特徴は、丸い形と房がついていることです。
「手板」と呼ばれる上の飾りの部分の端と、提灯の下輪の部分に長く垂れさがる房です。
「浄土真宗」は「灯籠(とうろう)」を飾る
浄土真宗は、他の宗派と大きく違い、「亡くなった人は霊にならない」という考え方の宗派です。
人は亡くなると霊になるのではなく、極楽浄土と言われる浄土の世界に生まれ変わるのだと信仰されています。
そのため、お盆に故人の霊が戻ってくるという考えがないことから、盆棚や盆提灯などの盆飾りをする習慣もないのです。
そのような、浄土真宗の信仰では、「提灯」ではなく「灯籠(とうろう)」を飾ります。
この「灯籠」は、角を落とした多面体の形状をしていて「切子灯籠(きりことうろう)」と言います。
多面体は、悪霊を祓う役割があると言われていることから、この様な形になったそうです。
しかし、この「切子灯籠」にも種類があります。
浄土真宗本願寺(西)用と、真宗大谷派(東)用の2種類です。
浄土真宗本願寺(西)用は、切子面の頭は白色で、上部に花飾りがあり、頭上部いついている冠は赤色をしています。
一方で、真宗大谷派(東)用は、切子面の頭は紺色と赤色の2色になっていて、頭の上部には彫刻が施されており、筒状に分かれは、紙飾が特徴です。
これらの「切子灯籠」は、地域によっても更に、特色や習慣が異なります。
通常の盆提灯とは違った形をしていますが、故人の魂が休憩するための部屋の役割や、迎え火として提灯の役割をするという考え方もあるようです。
盆提灯の飾る時期と飾る時間
提灯を飾る時期は、お盆の月初めとされています。
提灯を片付けるのは、お盆が明ける17日以降です。
提灯は、飾っている間、常に灯りを灯すわけではなく、提灯に灯りを灯すのは、13日の夕方にお迎え火を焚いて精霊を迎えてから、16日の夕方に送り火を焚いて精霊を送り出すまでです。
提灯代わりの「ほおずき」
盆棚で提灯の意味も持つ「ほおずき」は、漢字で「鬼灯」と書きます。
実が赤く、怪しい提灯の印象からその漢字がつけられたとされています。
「ほおずき」を飾るのも、先祖の霊が戻る際に迷わないための「道しるべ」としての役割があると言われています。
宗教によっても違ってくるお盆のやり方(曹洞宗、真言宗、浄土真宗)
お盆は仏教を中心とした行事ですが、仏教の中でも宗派によって違いがあります。
ここでは、特徴のある3つの宗派をご紹介します。
自分の家庭がどこの宗派なのかをきちんと確認をした上で、お盆を迎え、ご先祖様を供養しましょう。
曹洞宗(そうとうしゅう)
曹洞宗(そうとうしゅう)は、鎌倉時代に開かれた仏教の1つです。
「道元禅師(どうげんぜんじ)」という僧侶が、中国に渡り、修行を終えて日本に帰国、その後、自らの教えを正伝の仏法として、人々に伝えたことから始まりました。
ご本尊は、「お釈迦さま(釈迦牟尼仏)」です。
曹洞宗のお盆のやり方は、日程も含め、一般的なお盆のやり方とほぼ変わりません。
しかし、特徴はいくつかあります。
まず、曹洞宗のお墓には、「要らない物はない」とされるほど、お墓に用意出来る、全ての物が必要となります。
他の宗派では、要らないこともある、香炉や水鉢、塔婆立てなども必要です。
また、お供え物の特徴として、水の子と閼伽水(あかみず)が挙げられます。
水の子とは、ナスやキュウリなどをさいの目に切って、洗ったお米を混ぜ、はすの葉をしいた器に盛りつけたものです。
また、閼伽水(あかみず)とは、仏前に供養される水のことです。
水の子や閼伽水には、お盆に家に迎える全ての霊に、食べ物や水が行き渡るようにという願いが込められています。
そのため、食事と共に、お盆に戻って来られるご先祖様や故人の人数分用意されます。
真言宗(しんごんしゅう)
真言宗は、中国で密教を学んだ、「空海(くうかい)のちに弘法大師(こうぼうだいし)」という僧侶によって、平安時代の初期に日本に開かれた仏教のひとつです。
ご本尊は「大日如来(だいにちにょらい)」がお祀りされています。
お位牌や墓石の戒名に、梵字が刻まれているので、分かりやすいかもしれません。
真言宗も、ひと通りの内容は一般的なお盆と代わりません。
その中でも、特徴は、精進料理を盆棚に飾り付けることです。
精進料理とは、肉や魚の動物性の食材を取り入れない料理方法で作られた食事です。
ご先祖様や故人が、そのまま食べられる状態にしてお供えをします。
また、真言宗では、お盆で使われる「提灯(ちょうちん)」が重要な意味を持つことも特徴と言えるでしょう。
一般的なお盆で「提灯」は、ご先祖様や故人が、家に帰るために迷わないようにする役目です。
しかし、真言宗の「提灯」は、迷わないための灯火という意味だけではなく、故人が迷いの世界で道を照らすために使う道具としての役割も意味しています。
そのため、真言宗では、盆棚に提灯を真似た「ほおずき」を飾ることが多いのです。
浄土真宗(じょうどしんしゅう)
浄土真宗は、鎌倉時代の初めに、法然を師と仰いでいる「親鸞(しんらん)」が開いた宗派です。
親鸞は、「法然によって伝承された、死後に仏や菩薩の住むとされる浄土に生まれかわれること(浄土往生:じょうどおうじょう)を説く真実の教え」を人々に継承し、高めて行くことに力を注ぎました。
そのため、他の僧侶と違い、自らが開宗する意志は無かったと考えられています。
よって、自身の寺院は持たず、各地に簡素な念仏道場を設けることで、教えを説きました。
ご本尊は、法然が開いた「浄土宗」と同じく、「阿弥陀如来(あみだにょらい)」です。
浄土真宗が、他の宗派と異なるのは、開派した理由だけではありません。
まず、他の宗派と大きく違うことは、「亡くなった方は霊になることがない」ということです。
亡くなると、精霊になるのではなく、極楽浄土と言われる浄土の世界に生まれ変わるのだと信仰されています。
そのため、精霊をお迎えする儀礼や準備は意味を持ちません。
浄土真宗のお盆は、別名で「歓喜会(かんぎえ)」と呼ばれています。
「歓喜会」は、阿弥陀如来から頂いた教えによって救われる喜びを表しています。
また、自身の命の尊さを再確認して、生まれたことに感謝する日です。
つまり、先祖に感謝する日です。
お盆が、先祖を供養すること意味する他宗教とは、お盆の意義も違っているのです。
お盆を「感謝の日」と捉える浄土真宗では、仏壇も特別な飾りは付けません。
もちろん、お坊さんに経をあげて頂く必要もなく、一先祖に感謝の気持ちを持ってお参りするだけです。
しかし、日本のお盆は、地域の昔からの風習によるものでもあるので、必ずしも盆提灯やお供え物などのように、地域の慣習に沿うようなものであれば、特に禁じているわけではないそうです。
宗教によっても違う新盆(初盆)
主に、仏教が中心となって行われるお盆ですが、人が亡くなってから初めて迎えるお盆、新盆(初盆)は、他の宗教でも同じような行事が行われます。
例えば、神道の場合、神式の新盆を行います。
仏式と違いは少なく、神式の新盆のお香典には、「御玉串料」や「御神前」という表書きを書きます。
キリスト教の場合には、カトリックでも、プロテスタントにおいても新盆と同じような行事はありません。
そのため、親族が集まる法要もないですし、お香典も不要です。
しかし、故人を偲んで訪問する場合には、「御花料」と表書きして包む場合もあります。
全国の「迎え盆と送り盆」
全国では、「迎え盆」や「送り盆」に合わせて行事が行われています。
有名な行事を見てみましょう。
「迎え盆」の有名な行事
福井県の御招霊(おしょうれい)
「御招霊」とは、お盆にあの世から帰ってくる先祖の霊を迎えることを指します。
「迎え火」の1つともされていて、福井県では、若者が松明(たいまつ)を持って、振り回し、「迎え火」をします。
現在では、「御招霊」をする数は少なくなっているようですが、福井県敦賀市では、海岸で灯籠流しと大花火大会が開催され、人気となっています。
「送り盆」の有名な行事
京都の「五山の送り火(ござんのおくりび)」
8月16日に京都で行われるのが「五山の送り火」です。
五山とは、盆地である京都を取り囲む5つの山を指し、それぞれの山に大きく、「大文字」、「舟形」、「妙法」、「左大文字」、「鳥居形」といった言葉や絵になるように、型どった部分に火をつけて燃やし、ご先祖様をお送りします。
大変有名な、「五山の送り火」は、京都の夏の夜を彩る風物詩です。
午後8時から「大文字」を始めに、次々と点火されます。
この「五山の送り火」の起源は、定かではありません。
しかし、平安時代には、先祖の霊が戻っていくあの世は、山奥にあり、山奥にはさらに続く天上があったと考えられていたようです。
京都のお盆は、火のお祭りが盛んなことでも有名です。
松明(たいまつ)を持った者が、琵琶湖に船を出したり、鴨川に松明を投げることで霊を送ったという記録も残されています。
先祖を丁寧に「迎えて送り出す」
お盆には、先祖の霊を丁寧に迎えて、送り出す目的があることが分かりました。
「迎え盆」と「送り盆」はそのために行う、準備や風習です。
現代の「お盆」は、楽しい夏祭りや花火大会といった娯楽に変貌しつつあります。
しかし、本来は、先祖の霊を家に迎えて、気持ちよくお過ごし頂き、「また来てください」の気持ちを込めてあの世へと送り出す行事です。
今年のお盆は、日頃の感謝の気持ちや、ご冥福を祈る気持ちを例年よりも込めて迎えるのはいかがでしょうか?
そのような行いに、きっとご先祖様も喜ばれると思います。
Writing:YUKIKO-加藤