【二百二十日とは?】2023年の二百二十日はいつ?意味や由来(起源)・季語・食べ物(行事食)|雑節

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雑節の一覧をボヤボヤと眺めていると、おやおや、「二百十日」やら「二百二十日」と書かれたワケの分からぬ得体のしれない日があるではござらぬか。

以下では2021年の二百二十日の日と、二百二十日の意味や由来、合わせて二百二十日の有名な飲み物や食べ物・風習(行事)についてご紹介しています。

二百二十日の読み方

二百二十日は「にひゃくはつか」と読みます。

二百二十日とは?

二百二十日とは二十四節気の立春から数えて220日目にあたる日であることから「二百二十日」と呼ばれています。

現在の暦(太陽暦)でいうと毎年おおむね9月11日頃です。

定気法では太陽黄経が168度くらい。雑節(ざっせつ)の1つでもありんす。

雑節とは?

二十四節気は中国から伝来した中国の文化であり、日本の旧暦である太陽太陰暦に当てはめてしまうと、暦と季節との間に最大で半月もの差異が生じます。

そこで生み出されたのが雑節という日本固有の暦法です。

雑節を用いることによって暦と季節の差異を排除することができ、季節の境目や季節を告げるシンボルとして、現今に至っても利用されている暦です。

現在、一般的に雑節と呼ばれる種類は以下の9つです。

雑節名概要
節分(毎年2月4日ごろ)
彼岸(春:春分の前後各3日。合計7日間/秋:秋分のの前後各3日。合計7日間)
社日(春:3月中頃から後半/秋9月後半)
八十八夜(毎年5月2日頃)
入梅(毎年6月11日頃)
半夏生(毎年7月2日頃)
土用(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつ)
二百十日(立春から210日目)
二百二十日(立春から220日目)
ところで・・「二十四節気」とは?

二十四節気とは、1年を24つ分けて、それらを1つ々々を「節気」と定めて。その節気に季節を司る言葉を付したものが二十四節気です。

1年を夏至と冬至の2つに分け、さらに春分と秋分の2つに分けて4等分とします。(二至二分)

  • 365日÷4=91.25日

二十四節気はこの二至二分を基軸としています。

そして、それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬を入れて8等分したのが、約45日間ずつの「八節」です。

  • 365÷8=45.625日

さらに、八節を約15日ずつに3等分したものが二十四節気です。現行の二十四節気は、立春、立夏、立秋、立冬が各季節(四季)の先頭に来るように配置しています。

二十四節気は、中国から日本に伝来した生粋の中国文化ですが、中国と日本の季節感(動物・植物・気象など)が異なるため、日本では江戸の改暦(1842年/天保改暦)を経て、明治の改暦を経ながら日本の季節感いわゆる物候(ぶっこう)に沿わせるように改訂されています。

節気は各月に2つ存在し、毎月、「節」と「中」の節気が交互に来るようになっています。

「節」は「正節(せいせつ)」とも言い、「節気」とも呼ばれます。各月の前半に配置されるのが、この節です。

「中」は「中気(ちゅうき)」とも言い、略称で「中」とも呼ばれます。

現行の二十四節気は中国の太陰暦(月を参照した暦)を補完する目的で、逆の発想で太陽を参照して作暦されていますので、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に至っても、極度に形態を変えることなくそのまま使用され続けています。

「七十二候」というものもある!

上述したように二十四節気を72に分割した「七十二候」と呼ばれる暦法もありんす。

七十二候は二十四節気をさらに細分化し、日本の風土に合わせた各季節においての気象や動植物の変化を分かりやすく解説しています。

七十二候には「初候」「次候」「末候」という3つの期間(候)を設け、それぞれの期間の季節感にマッチした季語が割り当てられています。

しかし、二百二十日は七十二候とは別の雑節という暦の一部なので直接の関連性はあり‥ません。


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2023年の二百二十日の日はいつ?「いつから数えて220日目なのか?」

  • 2023年の二百二十日は9月11日(日)

2023年の立春は2月4日(土)になりますので、立春から数えて220日目が9月11日(月)になります。

二百二十日の2023年・2024年・2025年・2026年の日はいつ?

日本の二百二十日に日にち
2023年9月11日
2024年8月31日
2025年8月31日
2026年9月11日
二百二十日の期間

二百二十日に期間というものは存在せず、その日(1日)を指します。

二百二十日の日の出し方(計算方法)

二百二十日の日の出し方(計算方法)としては、二十四節気の立春を起算日(第1日目)として220日目の日となり、計算すると、おおむね毎年9月11日頃を指します。

「頃」という曖昧な表現する理由は、年によってズレが生じるためです。

現代においての二百二十日の日は、おおむね閏年(補正した暦の年)では9月10日。平年(補正しない暦の年)では9月11日になりんす。ごく稀に何十年周期かで9月12日なる日もあります。

このように日が定まらない理由は、二十四節気の立春の日が毎年一定しないためであり、その影響で立春から210日目となる二百十日の日が変わるからです。

立春の日はこの二百十日だけではなく、八十八夜二百十日などの雑節の起算日(第1日目)になっているため、そう考えると重要な指標となる日でもあります。

二百二十日を旧暦にすると何日?

二百二十日を旧暦に当てはめると概ね7月下旬頃になります。二十四節気では第十五節「白露(はくろ)」もしくは「八月節」の期間中です。

二百二十日の意味や由来とは?

冒頭でも書き述べたように二百二十日とは、意味合い的には同じ雑節で集録されている「二百十日」と同じです。

唯一、異なるのが、二百十日が立春から数えて210日目を指すのに対して、二百二十日は220日目を指すのですが、二百十日と同様に、やはりこの頃、農家では収穫を控えた重要な時期でありながら、秋の収穫を前にして台風が頻繁に上陸する頃でありんす。

特にこの頃、稲は「中稲(なかて)」といって花を咲かせる時期でありながら、台風や暴風雨が襲来するという大惨事に見舞われることから農家にとっては厄日以外のなにものでもないでしょう。

⬆️稲の花(実は稲は花を咲かせる)

この台風や暴風雨は立春から210日目となる二百十日頃にも襲来することから、農家では特に警戒する日、もしくは警戒する期間として特別に設けられたのが「二百十日」や「二百二十日」になりんす。

二百二十日は季節の移ろいの節目

二百二十日あたりはちょうど夏から→秋へと季節が変わる節目でもあり、その様子を示したかのように高頻度で暴風雨が襲来します。

このため農家ではこの日を厄日と定め、秋の収穫を確たるものとするために、あらゆる事態に備えるための準備を行います。

二百十日は農家にとっては「三大厄日」

この二百十日は農家や漁業を営む人たちの間では、「三大厄日」とも言われます。

三大厄日一覧
  1. 八朔(はっさく)※陰暦8月1日。 新暦では8月25日頃から9月23日頃の間を移動する。
  2. 二百十日(毎年9月1日頃)
  3. 二百二十日(毎年9月11日頃)

これらの日が三大厄日とされる理由は単純明快で、手ひどい荒天の日だからです。

実は『二百十日よりも二百二十日の方が台風襲来頻度は高い』

実のところ統計学においては、二百十日よりも二百二十日の方が台風が襲来する確率が高いという結果が出ています。

とくに二百二十日の後の10日間は農家や漁師たちの間では忌がられており、例えば、9月26日あたりは高頻度で台風が襲来したことから「魔の26日」とも呼ばれています。

過去9月に襲来した台風一覧
  • 洞爺丸台風(1954年/昭和29年)
  • 狩野川台風(1958年/昭和33年)
  • 伊勢湾台風(1959年/昭和34年)
  • 第2室戸台風(1961年/昭和36年)
  • 第2宮古島台風(1966年/昭和41年)
  • 第3宮古島台風(1968年/昭和43年)
  • 沖永良部台風(1977年/昭和52年)

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二百二十日が雑節に集録されたのは貞享暦から?

この二百二十日は当初から雑節に集録されていたワケではなく、江戸時代の暦学者・渋川春海が品川の漁師からの意見を参考にして、貞享暦から入梅や八十八夜や二百十日とともに雑節に組み込まれたとされています。

旧暦においては7月17日〜8月11日頃まで日取りが移動することがあり、特に注意を促す目的でこのような日付を設けたとされます。

二百二十日が雑節に入れられた理由や由来

実は二百二十日が雑節に取り込まれたのには、二百十日に関連した以下のようなちょっとしたエピソードがあることをあまり知られていません。

暦学者・渋川春海は大の釣り好きであったとされ、ある晴天の日のこと品川の沖へ舟を出そうとしていたその時、偶然、とある漁師の舟と遭遇したそうな。

そこで漁師は渋川にこう告げたそうです。

「今日はちょうど立春から数えて210日。オイラのこれまでの経験上、この日は必ずと言って良いほど海が荒れる。アンさんも気いつけなよ。」

これを聞いた渋川は天候の変化に興味が沸き立ち、急遽、釣りを取り止めたそうな。

しかしその後、漁師の告げた通り、黒雲がよぎり始め、瞬く間に空を覆い隠すと暴風雨が吹き荒れたとのことです。

この後、1684年に貞享暦が完成するワケですが、暦として集録するまでに、渋川は毎年のように検証を重ねたとのことです。

つまり、それだけ高頻度でこの日に暴風雨が吹き荒れたことになります。

二百二十日が雑節に集録されたのは伊勢暦からが正式!

ほぼ最近まで上述したよう二百二十日は貞享暦から掲載されたはじめたとされていますが、近年の暦学者たちの学術調査からなんとぉぅ!1656年の伊勢暦から日百十日がすでに掲載されていたことが明らかにされています。

またその後の暦となる1671年の京暦にも八十八夜とともに二百二十日がすでに掲載されいたことも明らかにされていまんす。

しかしながら、二百二十日が世間に知られることになったのが、渋川春海が作暦した貞享暦だとすれば、それまで世間では認知されていなかったことになりんす。

以来、二百二十日は全国に伝播して行き、地方暦に掲載されるようになり、現状のように古今東西、広く深く認知されています。

源氏物語では二百二十日の台風は「野分」と呼ばれる

紫式部が著した古今東西、有名な古書物の「源氏物語」、もしくは清少納言が著した枕草子においては、二百十日もしくは二百二十日頃に決まって襲来する台風は「野分」と呼ばれ、古来、忌がられている様子が分かります。

野分(のわき)とは、野原に生い茂る草を吹き分けるように吹き込む、強い風を意味しますが、この頃にふく風と言えば夏と秋の境目、もしくは初秋に吹く大風や台風のことを指します。

台風は本当に二百十日よりも二百二十日に多く襲来するのか?

現今に至るまでの渋川春海をはじめとした暦学者たちは二百十日(新暦9月1日頃)よりも、二百二十日(新暦9月11日頃)の方が特に台風が多く大型になりやすいと説いています。

そこで実際に近年における日本列島への台風の襲来頻度が本当に9月に多いのか?もしくは9月初旬よりも中頃の方が多いのかを統計で検証してみます。

1951年〜2020年までの統計でもっとも多い月は‥?!

以下は1951年〜2020年7月までの統計です。

参考文献:気象庁(台風の上陸数)

襲来月と襲来回数
1951年7月/10月に1回
19526月/7月/8月に1回
19536月/9月に1回
19548月に1回/9月に4回!
19557月/9月に1回/10月に2回
19564月/8月/9月に1回
19579月に1回
19587月/8月に1回/9月に2回
1959 8月に2回/9月/10月に1回
19608月に3回/9月に1回
19617月/9月/10月に1回
19627月に1回/8月に4回
19636月/8月に1回
19648月/9月に1回
19655月/8月/9月に2回
19668月に2回/9月に3回
19678月に2回/10月に1回
19687月/8月/9月に1回
19698月に2回
19707月に1回/8月に2回
1971 8月に2回/7月/9月に1回
19727月に2回/9月に1回
19737月に1回
19748月に1回/9月に2回
19758月に2回
19767月に1回/9月に1回
19778月に1回
1978 6月に1回/8月に2回/9月に1回
19799月に2回/10月に1回
19809月に1回
19819月に2回/10月に1回
19826月/7月/8月に1回
19838月/9月に1回
1984なし!
19857月に1回/8月に2回
1986なし!
198710月に1回
19888月に2回
1989 6月に1回/7月に1回/8月に2回/9月に1回
1990 8月に2回/9月に2回/10月に1回/11月に1回
19918月に1回/9月に2回
19928月に3回
1993 7月に3回/8月に1回/9月に2回
19947月/8月/9月に1回
19959月に1回
19967月/8月に1回
1997 6月に2回/7月に1回/9月に1回
19989月に3回/10月に1回
19999月に2回
2000なし!
20018月/9月に1回
20027月に2回/10月に1回
20035月/8月に1回
2004 6月に2回/7月に1回/8月に3回/9月に2回/10月に2回
20057月/8月/9月に1回
20068月/9月に1回
20077月/8月/9月に1回
2008なし!
200910月に1回
20108月/9月に1回
20117月に1回/9月に2回
20126月に1回/9月に1回
20139月に2回
20147月/8月に1回/10月に2回
20157月に2回/8月/9月に1回
20168月に4回/9月に2回
20177月/8月/9月/10月に1回
20187月に1回/8月/9月に2回
20198月に2回/7月/9月/10月に1回
20206月までなし!

1951年〜2020年7月までの台風襲来回数の合計

4月:1回
6月:10回
7月:34回
8月:73回
9月:66回
10月:17回
11月:1回


以上、なんと!1951年〜2020年7月までの台風襲来回数の最多月は意外にも8月ということになります。つまり近年における台風の襲来する日は9月が最多ではないことになりんす。

順位にすると次のようになります。

 8月:73回(最多!)

 9月:66回

 7月:34回

中でも特に顕著なのが1961年〜1970年の8月は飛び抜けて多く実に年間17回も襲来しています。

二百十日や二百二十日に台風が多く襲来する理由

実は台風は1年中発生している!

あまり知られていませんが、実は台風は1年中発生しています。

台風は7月〜10月頃、多く発生していますが、日本へ襲来するのはそのごく一部なんです。高頻度で台風は日本を避けて東風に煽られながら中国大陸やベトナムの方へ行ってしまいます。

ではなぜ日本に台風が来ないのか?については、一言で言うと日本を覆う高気圧の壁が台風を寄せ付けないからです。言い方を変えると高気圧の壁が台風をブロックしていることになりんす。

逆に冬になると今度は冷気層に覆われるため、これもまた台風が来れなくなります。

このように台風が日本列島へ近づけないのは太平洋高気圧と冷気層が壁になって台風を寄せ付けないためです。

しかしちょうど二百十日や二百二十日の頃になると高気圧が弱まりはじめ、冷気層もまだ無いことから、日本列島を覆う障壁がなくなり、台風が来やすい条件が揃うというワケです。

台風のでき方や台風の定義について

台風のでき方や台風の定義については下記「二百十日」のページにてご紹介してます。

二百二十日は何をする日?「行事や風習とは?」

風切り鎌

現代では陸上の全国各所に設置したアメダスはじめ温度計、湿度計、風向風速計・気圧計・雨量計・積雪計や、海上に設置した海上気象ブイなどの無人機器によって気象状況の把握が人の手を介することなく、いとも簡単にほぼリアルタイムに近い形で気象が把握できます。

しかし昔はそのようなものが無かったので、俗説や迷信じみた噂話が流布し、それに対して備えるために呪術的な呪い(まじない)を用いたり、神仏に祈念したりしたのです。

その中で特に農家でよく行われてたものが、「台風除けの呪い(まじない)」として「竹竿」の先に鎌を取り付けた「風切り鎌」と呼ばれる鎌を軒先に立てかけたり、屋根の上に取り付けたりする風習です。

現代ではこのようなことをしている農家は一部地域を除いて皆無ですが、その一端が現代でも見ることができ、それが奈良法隆寺五重塔の頂に設置されている雷除け・台風除けを祈念して取り付けられた相輪(そうりん)の風切り鎌です。

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法隆寺の五重塔は鎌倉時代に雷が落ち、火がついたそうですが、何とか火を消し止めています。

その後、上掲の写真のように塔の頂の相輪に4本の鎌が雷除けとして取り付けられています。


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風祭り

なにせこの二百二十日は農家にとっては厄日。そこで農家では台風除けと豊作を祈願する風祭りが行われています。

風祭りは別名で「風籠り(かぜごもり)」「風日侍」などとも呼ばれ、二百十日になると農村の代表者たちが神社やお寺に参籠し、100万遍(数珠繰り)などの念仏を唱えて過ごします。

関東から東北地方では団子を食べる

関東から東北地方の各農村では風除けの呪いとして、風穴を塞ぐ(ふさぐ)という意味合いで「風穴ふたぎ(ふさぎ)」いう団子を作って神棚に供えて、それを下ろして一家で食べる風習がありんす。

富山県・石川県・長野県では風切り鎌を軒先に吊るす

富山県、長野県を中心とした地域では、現在でも諏訪大社を根元した諏訪信仰が残りますが、諏訪大社といえば古来、風水神、狩猟神、鍛冶神、漁業・舟運、軍神のご利益を持つ大社とされており、現在でも風切り鎌ならぬ「薙鎌」というノコギリのような鎌を竿の先に取り付けて、風除けとしした風習が今も残されています。

これらの地域では、図太い御柱に薙鎌を打ち込んで立て、豊作・大漁を祈願する「風鎮め」という神事が執り行われます。

弥彦神社の風祭(新潟県)

越後一宮 彌彦神社では、毎年9月1日午前10時より風鎮めのための風神祭が執り行われます。

新潟県でも、二百十日や二百二十日の俗信が浸透しており、ちょうど立春から二百十日が過ぎる頃に訪れやすい風雨の災害に備え、風雨の順調と農作物の豊穣を祈願する祭典(神事)です。

おわら祭

富山県八尾町で例年9月1日から3日間、執り行われる「おわら祭」では「風の盆」とも呼ばれる、いわゆる風祭と盆の行事が習合した風鎮めの祭典が執り行われます。

胡弓を用いて、たなびく風に歌声を乗せるような様子は幻想的な気配を創出します。

二百二十日の日の季語

  • 野分
  • 二百二十日

注意点としては二百二十日自体が季語だということです。二百二十日は二十四節気の白露の期間中でもあることから、白露で紹介される季語にもなりんすよ。

野分は上述したように二百二十日のほか、二百十日に吹く大風、もしくは台風を意味することから、遠回しに二百十日&二百二十日のことをも意味します。

二百二十日の食べ物(行事食)

風穴ふたぎ

上述したように関東から東北地方の各農村では風除けの呪いとして、風穴を塞ぐ(ふさぐ)という意味合いで「風穴ふたぎ(ふさぎ)」いう団子を作って神棚に供えて、それを下ろして一家で食べる風習がありんす。

耳ふたぎ

類似した言葉に「耳ふたぎ」という言葉がありんすが、これも同様の意味合いをもち、「耳にフタをする」すなわち「耳をふさぐ」になります。

耳ふたぎとは同年齢の者が他界した際、その者に敬意を払い敬う心を忘れないように「悪いことは聞かないように耳にフタをして、良い事だけを聞けるようにする」などの意味があるようです。ウフ

その後、耳をふさいで耳クソがへばり付いた団子は、小汚く染まっちまったことから、口にすることができないので川に流すとのこと。(耳クソはフィクションです。特に耳クソに関係なく川に流します)

二百二十日の挨拶(時候)

野分の候(のわけのこう)
  • 意味:大風が吹く季節。台風が高頻度で襲来する季節。
  • 挨拶文の例:野分の候、二百二十日もことなく過ぎ‥

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