やっと涼しくなってきた気持ちのよい夜に、美しく浮かぶ「十五夜」……いつだったか覚えていますか?
なんとなく月を眺めるだけに思える「十五夜」にもきちんとした意味が隠されています。
今回は、「十五夜」について詳しくご紹介します!
意味や由来に加え飾り方や雑学などもご紹介しますので、ご家族や大切な方と過ごす「十五夜」に是非お役立てください!
目次
「十五夜」の読み方
「十五夜」は、「じゅうごや」と読みます。
「十五夜」の別名
「十五夜」は、別名「中秋(仲秋)の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」、「お月見(おつきみ)」と呼ばれています。
関西から中国地方にかけては里芋を供えることから「芋名月(いもめいげつ)」と呼ばれることもあります。
「十五夜」は英語だと何て言う?
「十五夜」は日本ならではの行事なので、英語にしても「jyugoya」または「tsukimi」と書きます。
ほとんどの外国人は「十五夜」を知らないので、もう少し細かい説明を加えるなら「the fifteenth night (of a lunar month) 」と表記します。
また、「お月見」は「viewing the moon」 又は「 moon viewing」と書きます。
「十五夜」はいつ?
「十五夜」は、旧暦の8月15日の夜に行われる行事です。
2020年の「十五夜」はいつ?
「十五夜」は、旧暦の8月15日に行う行事です。
月の満ち欠けを基準にしていた旧暦によって定められているので、太陽の動きを基準にしている現在の暦とは約1ヵ月の差があります。
そのため、旧暦の8月15日を現在の新暦に直すと毎年9月中旬~10月上旬の間に「十五夜」がやってくることになります。
2020年の「十五夜」は、2020年10月1日(木曜日)です。
ちなみに、今後の「十五夜」の日程はこのようになっています。
2022年の十五夜は9月10日(土)
2023年の十五夜は9月29日(金)
2024年の十五夜は9月17日(火)
2025年の十五夜は10月6日(月)
「十五夜」とは?
「十五夜」とは、旧暦の8月15日の夜、縁側のような月が見える場所で、秋の草を花瓶に挿して団子などを供えながら月見をする行事です。
「十五夜」は、旧暦の8月15日に見ることが出来る満月のことを指します。
美しい満月の中でも旧暦の8月は1年の中で最も空が澄みわたるとされています。
そのため、月が明るく美しいことから8月の満月の夜に「十五夜」が設定されたと考えられています。
「十五夜」の由来
十五夜の由来は、中国に古くから残る風習です。
中国では、旧暦の8月15日は「中秋節(ちゅうしゅうせつ)」と呼ばれ、秋の月を愛でて宴を催すという行事が古くからありました。
「中秋節」には、スイカを供えたり月餅を作って食べたりすることも行っていたようです。
この「中秋節(ちゅうしゅうせつ)」は、日本の旧正月にあたる「春節(しゅんせつ)」、小正月にあたる「元宵節(げんしょうせつ)」、端午の節句にあたる「端午節(たんごせつ)」の3つの行事と合わせて「中国の四大伝統祭り」になっています。
このような秋に「お月見」をする風習が中国から日本に遣唐使によって伝わってきたのが奈良時代から平安時代にかけてです。
最初は宮中の一部の貴族の間でのみで行われていて、月を見ながら酒を酌み交わし、船の上で詩歌や管弦に親しむような風流な催しでした。
しかし、もともと日本には月、特に満月を愛でる風習や、神聖視する信仰が根付いていました。
それは、かつての日本人が月の満ち欠けで季節を知り大切な農作業の目安としていたからです。
そのため暦を告げる農業神でもある月神様は深い信仰を集めていて、全国でお祀りされています。
さらに、旧暦の8月15日は「初穂祭り(はつほまつり)」という秋の収穫を月神様に感謝する日であったことも「十五夜」の行事が広まった理由として挙げられます。
この月神様は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の弟神とされていて『古事記』では「月読命(ツクヨミノミコト)」、『日本書紀』では同じ読み方ですが「月読尊」と表記され登場します。
ちなみに「読」とは数えるという意味があって、暦を数えることを重要視していた先祖の思いが表れています。
このように、中国から入ってきた風習と日本古来の月を愛でる風習や月神信仰が結びつき「十五夜」や「お月見」は広く日本の風習として根付きました。
「十五夜」の意味
「十五夜」は、月神様にお供え物を捧げることで稲が無事に収穫できる喜びを皆で分かち合い、収穫に感謝するという意味がある日です。
また、豊作祈願・五穀豊穣を願うこととしての意味もあります。
「十五夜」の歴史
中国で行われていた名月を観賞する風習である「中秋節」が日本に伝わったのは、奈良時代から平安時代にかけてです。
宮中に取り入れられた「中秋節」は、貴族たちの間で満月を眺めながら歌を詠んだり、管弦が奏でられる雅な月見の行事として定着しました。
そのような宮中だけの行事も時代を経て江戸時代になると、農村を中心に広く行われるようになります。
その頃から民衆に伝わった「中秋節」は、もともと農業神である「月読命」への信仰が土台にあったため、秋の収穫祭を控えた豊作祈願の儀式としての側面も持つようになります。
さらにその後、旧暦の8月15日を「十五夜」のみならず、9月13日の「十三夜」と合わせてお月見をするなど、別の日にも月見を行う風習も生まれました。
「十五夜」には別名も生まれ、里芋の収穫期でもあることから里芋をお供えする風習にならって「芋名月(いもめいげつ)」とも呼ばれています。
ちなみに「十五夜」では、子供達がお供物の団子などを盗み食いをしても良いとする地域が多くあります。
これは、お供物が知らぬ間に無くなっていることを神様が食べたと解釈するからです。
そのためお供物を盗まれた家は神様がお越しいただいた家として縁起がよいとされています。
「十五夜」のやり方
「十五夜」・「お月見」では縁側や庭など月が良く見える場所に白木の台を用意します。
そして、団子や栗、おはぎなどをお供えし、ススキなどの秋の七草を一緒に飾ります。
ここでは、お供え物の意味や団子の作り方、「十五夜」の飾り方などをご紹介します。
「十五夜」のお供え物の意味
十五夜に行うお月見には、お供え物がつきもの。
ススキやお団子をお供えするのには、どんな理由があるのでしょうか?
まずはお供え物の意味を知ることから始めましょう。
十五夜団子・月見団子
団子を「十五夜」に食べる理由は、満月と同じ丸い形した団子を食べることで月神様の力を得ることができ、自分達にも健康と幸せがもたらされると考えられていたことが挙げられます。
また、お米で作られた満月のような団子をお供えすることで、その年の五穀豊穣を願います。
他にも、なぜ団子をお供えするかについては諸説あります。
昔は満月のことを「望月(もちづき)」と呼んでいたことから、その言葉になぞらえ餅を供えるようになったという説、中国では現在でも行われている「月餅(げっぺい)」を供える風習が日本に伝わったという説です。
どちらも餅が使われていることが共通していますが、団子になったのは団子が里芋の形に似ているからだとも言われています。
実際に地方によっては形が芋型になるところもあるようです。
そもそも「十五夜」では里芋などのイモ類や豆類がお供えされていたようですが、江戸時代の後期になると五穀豊穣の感謝を込める意味が加わり、収穫したお米で作ったお団子もお供えするようになりました。
団子は月に見立てた丸型の団子を15個飾り、最後にはお供えした団子を食べることで家族の健康や幸せを願います。
薄/ススキ
ススキは稲穂の代わりにお供えします。
月神様をお招きするので、神様が乗り移られる「依り代(よりしろ)」としての意味もあります。
本来は稲穂をお供えするのが良いのですが、この時期には稲穂が揃わないことから形が似ているススキが使われるようになったと言われています。
また、ススキには古くから魔除けの効果があると信じられていました。
そのため、お月見の後にお供えしていたススキを軒先に吊るすことで、1年間病気をしない無病息災のご利益を頂けるという言い伝えもあります。
秋の農作物
里芋や栗、枝豆など収穫されたばかりの農作物を供えて豊作に感謝します。
中でも里芋を供えることは多く「芋名月」とも言われています。
「十五夜団子」・「月見団子」の作り方
では実際に、団子を作ってみましょう!
材料(15個分)
- 団子粉(100g)
- 水(80ml)
- お湯(適量)
- 冷水(適量)
※団子粉とはうるち米ともち米を同量混ぜたもののことです。
作り方
①ボウルに団子粉、水を加えよく練ります。硬さは耳たぶくらいです。
②耳たぶの固さになったら15等分にして丸めます。真ん丸は葬式の枕団子に通じるのでほんの少しくぼませましょう。団子の大きさは十五夜にちなんで一寸五分(約4.5㎝)にします。
③たっぷりのお湯を沸騰させ、浮き上がってきてから3分程茹でます。茹ったらお湯を切って冷水にさらし冷まします。
④水気を切って器に盛り付けたら完成です。
水気は良く切ってバットなどに広げておくと更にきれいな照りが出ます。
お供えが終了したら、あんこやきなこなどのお好みの味で楽しみましょう。
「十五夜団子」・「月見団子」の並べ方
いよいよ団子を並べていきます。
団子は、三方(さんぽう)に盛ってお供えします。
三方がない場合は、白いお皿や木製のお盆などを使ってもよいでしょう。
三方は継ぎ目を自分の方に向けて、半紙や奉書紙などの白い紙をのせます。
通常「十五夜」では「十五」にちなんで15個の団子をお供えをしますが、1年の満月の数に合わせて12個(閏年は13個)や15個を簡略して5個にする場合もあります。
また、「十三夜」には13個または3個をお供えします。
並べ方は以下のようです。
1段目に3列×3列=9個
2段目に2列×2列=4個
3段目は正面から見て縦になるように2個並べます。
「十五夜」の飾り方
それでは飾りつけをしてみましょう。
上記のイラストは、自分から見た場合の飾り方です。
場所は縁側や庭先などの月が良く見える所に飾るのがよいでしょう。
まず、自分から見て向かって右側に草花を飾ります。
秋の七草の中でもススキは稲穂に似ていて、五穀豊穣を願う意味もある「十五夜」に相応しいとされています。
そして、自分から見て向かって左側には団子を飾りましょう。
団子のような人の手で作ったものをお供えする場所になります。
三方の足の部分(筒同:つつどう)のくり抜きがある方は自分側に向け、お月見が終わったら団子は家族全員で頂いても大丈夫です。
「月見」に見立てた料理の数々
卵の黄身を満月に例えた料理をその見た目から「月見○○」と呼びます。
ちなみに、北九州市では焼きうどんなどにくぼみを作って卵を落とし、ひっくり返して焼いたものを天窓と呼んでいます。
これは「天窓から見える月」の様子を表現している月見の変型とも言える料理です。
また、マクドナルドでは1991年以降に秋限定メニューとして、9月から10月にかけて目玉焼きの入った「月見バーガー」を発売しています。
季節限定の「月見○○」という料理で秋を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
海外でもこのような「月見」の食べ物が見受けられます。
台湾のかき氷のメニューの1つに「月見氷(ユエチエンピン)」があります。
かき氷の上に黒糖蜜と練乳、ドライフルーツなどをトッピングし真ん中にくぼみを作って生卵の黄身を入れたものです。
ちなみに、中国語で月見は「賞月」という言い方が普通です。
言葉の由来は中国から伝わったものが多いですが、中国語で「月見」のような目的語 や 述語の語順は本来用いないことから「月見」は日本独自の言葉と言えるでしょう。
行事食とは?
行事食とは、様々な季節の行事やお祝いの日に食べる特別な料理のことを言います。
それぞれ旬の食材を取り入れて、体調を崩しやすい季節の変わり目に、栄養と休息を与えたり、家族の健康や長寿を願ったりする意味もあります。
さらに、子供の守り神でもある「端午の節句」に飾り、人形へお供えする「かしわ餅」などは、神様へお供えする食べ物、つまり神饌(しんせん)とも言えます。
神様へお供えした食べ物を頂くことで災厄を祓い、神様の恩恵を受けることにも繋がります。
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「3月見」って何?
最も美しいとされる「十五夜」のお月見ですが、他にもお月見の行事があることをご存知でしょうか?
「十五夜」、「十三夜(じゅうさんや)」、「十日夜(とおかんや)」と呼ばれこの3日間が晴れると良いことがあると言われてきました。
「十三夜」とは「十五夜」の約1か月後に巡ってくる「十三日の夜」を指し、具体的には、旧暦9月13日のお月見のことをいいます。
新暦になおすと「十五夜」と同じように年によって日付が変化するので、2020年の場合、 10月29日木曜日です。
この「十三夜」は、「十五夜」に次いで美しい月を見ることが出来る日だと言われています。
また「十三夜」は、栗や枝豆を供えることから別名「栗名月」や「豆名月」とも呼ばれています。
一方で「十日夜」は、月見の意味は薄く旧暦10月10日に行われる収穫祭のことを指します。
東日本を中心に行われている行事で、 西日本では旧暦10月に行われる「亥の子の日」や11月に似たような収穫祭の行事があります。
収穫祭の意味を持つ「十日夜」内容は地方によっても様々です。
例えば、「十日夜」を稲刈りが終了したことから「田の神様が山に帰る日」としている地方もあります。
この日には、稲の収穫を祝いお餅を食べたり、稲の茎を束ねた「わらづと 」、「わら鉄砲」などで地面を叩きながら唱えごとをしたりすることで地面の神様を励まします。
また、地面を叩くことで作物にいたずらをする害獣であるモグラを追い払ったりするのです。
その他「かかしあげ」という行事を行う地方もあります。
これは、田んぼを見守ってくれた「かかし」に感謝をしてお供えものをする行事です。
感謝をしてお供え物をした「かかし」は、最後にお月見をさせてあげるというユニークな行事です。
このように「十日夜」は「3月見」と呼ばれてはいますが、収穫祭の意味合いが強くお月見がメインではありません。
そのため、満月に関係なく新暦の11月10日に収穫祭を実施する地方が多くなっています。
ちなみに、旧暦でも閏月には1年間で「十五夜」または「十三夜」が2度訪れることがあります。
その場合には2度目を「後の十五夜」、「後の十三夜」と呼んでいます。
「十五夜」は、旧暦の8月15日・別名「芋名月」
「十三夜」は、旧暦9月13日・別名「栗名月」、「豆名月」
「十日夜」は、旧暦10月10日・別名「刈り上げ十日」、「「亥の子(いのこ)」
「十五夜」では、「片月見(かたつきみ)」をしてはいけない?
昔から「十五夜」では、「片月見をしてはいけない」と言われてきました。
江戸時代の遊郭では、「十五夜」と「十三夜」の両方を祝うことが常識となっていて、どちらか片方の月見しかしない客(どちらかかの日にしか来ない客)は「片月見(かたつきみ)」または「片見月(かたみつき)」で縁起が悪いと遊女らに嫌われました。
遊女たちは2度目の通いを確実に行わせるために「十五夜」に有力な客を誘う風習があったそうです。
これは双方の行事を執り行わないと縁起が悪い、つまり「十五夜」に月見をしたら「十三夜」にも月見をしなくてはいけないという意味で、旧暦の8月15日に行われる「芋名月」と合わせて行う旧暦の9月13日の「豆名月」もこれにあたります。
このような伝承は、稲作中心の年中行事に対し、忘れがちな畑の作物である芋や豆の収穫も忘れないようにという意味が込められていると考えられています。
ちなみに、福岡県の糟屋郡では「十三夜」を「女名月」として「女性が幅を利かせる日」になっているそうです。
「中秋の名月」と「仲秋の名月」は何が違うのか?
「中秋の名月」と「仲秋の名月」は、ほとんど同じ意味で使われます。
しかし、漢字の違いで微妙に意味合いが違ってきます。
「仲秋の名月」とは、8月の名月という意味です。
旧暦での秋は「7月」、「8月」、「9月」を指します。
7月は初秋(しょしゅう)、8月を仲秋(ちゅうしゅう)、9月のことを晩秋(ばんしゅう)と呼びました。
つまり仲秋とは8月の別称で、仲秋の名月とは8月の名月という意味です。
それに対し、「中秋の名月」とは8月15日の名月のことを指します。
ややこしいですが、「中秋」とは秋のちょうど真ん中の日のことを指します。
つまり、「7月」、「8月」、「9月」の秋のうちの真ん中の月である8月の、さらに真ん中の日である8月15日が中秋にあたるわけです。
そのため、「十五夜」は旧暦の8月15日を指すことから「中秋の名月」と書く場合が多いのです。
「中秋の名月」と「仲秋の名月」の違い
「中秋の名月」と「仲秋の名月」はほとんど同じ意味で使われるが詳しくは
「仲秋の名月」は、8月の名月という意味
「中秋の名月」は、8月15日の名月という意味
「十五夜」の雑学
「十五夜」にまつわる色々な雑学をご紹介します。
知識の引き出しに入れてみて下さい。
「十五夜」って満月じゃないの⁈
お月見といえば「十五夜」の「満月」を思い浮かべるでしょう。
そもそも「十五夜」は、月の満ち欠けを基準にしていた暦によって定められているので、旧暦の8月15日は満月の日です。
しかし、実際は1~2日ずれることが多いのです。
これは月と地球の公転軌道の関係が影響していて、新月から満月までの日数は14日間~16日間と日数に差があるためです。
つまり、満月になるまでの日数が違うため「十五夜」が満月にあたるとは限らないのです。
旧暦と新暦
そもそも日本では、天保暦(てんぽうれき)と呼ばれる、太陽の動きをもとにして作られた太陰太陽暦が使われていました。
中国の流れをくむこの暦は、2~3年に1度のペースで訪れる閏月(うるうづき:13カ月目の月)を入れて、太陰暦のずれを太陽暦に合わせるという方式であり、日本の気候風土や農業中心の生活とは相性がよいものでした。
しかし、1872年12月9日(明治5年11月9日)に明治政府は改暦をすることを決めます。
改暦をする事になった理由は定かではありませんが、財政難であった明治政府が閏月の分の月(13ヶ月目の月)を削除することで官公吏の給料節約を図ったという説もあります。
いずれにしても、当時は日本が西洋化へ進み始めた時期です。
日本は、暦も西洋と同じグレゴリオ暦(太陽暦)と合わせることで、世界に並ぼうとしたのだとも考えられます。
このように、明治政府が改暦を公布した僅か1か月後、天保暦は明治5年12月2日(1872年12月31日)に改暦が行われ、翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められたのです。
しかし、改暦が、いきなり社会全般に徹底されたわけではありませんでした。
官暦と呼ばれる政府発行の暦でも明治6年版には、改暦の混乱を避けるために旧暦が併記されています。
そして、その後も1910年(明治43年)まで旧暦併記は続けられていました。
日本の改暦は、この明治5年以来行われていません。
よって現在では、明治5年まで使用されていた天保暦を「旧暦」と呼び、西洋の流れを汲んだグレゴリオ暦を「新暦」と呼びます。
「十五夜」の歌
「十五夜」の歌で思い出すのが「う~さぎ、うさぎ~♪」という童謡ではないでしょうか?
この歌の題名は「十五夜」ではなく、その歌詞通りの『うさぎ』です。
文部省唱歌にもなっている童謡で、江戸時代から歌い継がれてきたともされていますが、作詞・作曲者は不詳です。
1892年(明治25年)には『小学唱歌 (ニ) 』において初めて教材として掲載されたそうです。
現在でも小学校学習指導要領で、3年生の音楽の表現教材に使用されています。
歌詞はとてもシンプルです。
『うさぎ』 作詞・作曲者不詳
「うさぎ うさぎ なに見て はねる 十五夜 お月さま 見て はねる」
「十五夜」の美しい月の夜に軽やかに跳ねるうさぎの様子が描かれています。
他にも、「十五夜」には『十五夜さんの餅つき』というわらべ歌もあります。
『十五夜さんの餅つき』(わらべうた)
「十五夜さんのもちつきは トーン トーン トッテッタ トッテ トッテ トッテッタ
おっこねて おっこねて おっこねおっこね おっこねて
とっついて とっついて とっついとっつい とっついて
シャーン シャーン シャンシャンシャン トッテ トッテ トッテッタ」
この歌は、手遊び歌でお餅をつく役とこねる役の2人が向かい合って歌いながら遊びます。
どちらの歌も楽しく可愛らしい歌なので、お子さんと行う「十五夜」に歌ってみてはいかがでしょうか?
月にはウサギがいるの?
「月にはウサギがいる」と小さいときに教えられた経験はあるでしょうか?
中国や日本では、このような月に住むといった伝承に見られる想像上のウサギを「玉兔(ぎょくと)」や「月兔(げつと)」などと呼び、反対に太陽には金烏(きんう)が住むとされてきました。
このような伝承は、月の影の模様がウサギに見えることから言い伝えられていて、ウサギの横に見える影は餅をつく臼であるともされています。
この伝承の歴史は古く、飛鳥時代(7世紀)に製作された『天寿国曼荼羅(てんじゅこくしゅうちょう)』にはすでに月のウサギが描写されています。
また、鎌倉から室町時代に描かれた仏教画である『十二天像(じゅうにてんぞう)』にも密教の守護神である十二天の中の、日天子(にってんし)と月天子(がってんし)が「三本足の烏」と「兎」を持つ姿が描かれています。
このように、日本に古くから「月のウサギ」の伝承が根付くようになった理由は、月の影の模様がウサギに見えることに加え、インドに伝わる『ジャータカ』という仏教説話から日本に伝わったのだと考えられています。
インドから伝わった説話は『今昔物語集』に収録されるなどして広く語られるようになりました。
ここで、「月のウサギ」の伝承の元になったインドのお話をご紹介します。
今昔物語集 巻5第13話 三獣行菩薩道兎焼身語
ある日、サルとキツネとウサギの3匹が山の中を歩いていると、力尽きて倒れている老人に出逢います。
3匹はそれぞれ老人を助けようと知恵を絞ることにしました。
サルは木の実を集め、キツネは川から魚を捕って老人に食料として与えることにしました。
しかし、ウサギだけは何も採ってくることができませんでした。
それでもウサギは何とかして老人を助けたいと考え、サルとキツネに頼んで火を焚いてもらいます。
なんとウサギは自らを食料として捧げようと、火の中へ飛び込んだのです。
すると、その姿を見た老人は帝釈天に姿を変えます。
ウサギがとった捨て身の慈悲行為を後世まで伝えようと、ウサギを月へと昇らせたのです。
今でも月に見えるウサギの姿の周囲に煙状の影が見えるのは、ウサギが自身を焼いた時の煙だといわれています。
ちなみに、この説話の登場人物たちは、それぞれ天体を表して、「月」はサル、「星」はキツネ、「金星」はウサギ、「太陽」は老人であり帝釈天を指していると言われています。
ちなみに、2012年に日本の産業技術総合研究所が月を周回している衛星「かぐや」の収集データを分析したところ、月のウサギの形はなんと39億年以上前に巨大隕石の衝突によってできた盆地だと証明されました。
科学の進歩により新しい情報は次々に解明されていきますが、子供達には美しい月にまつわるお話が残されていくといいですよね。
「十五夜」と「かぐや姫」
日本人ならほとんどの方がご存知の『竹取物語』。
この『竹取物語』にも、「十五夜」に関連した表現が描かれています。
美しい大人の女性に成長したかぐや姫は、沢山の貴族たちから求婚を受けるようになります。
そして、その頃から月を見て物思いにふけるようになるのです。
さらに、8月の満月が近づくとかぐや姫は激しく泣くようになります。
そんなかぐや姫に翁がどうしたのかと問うと、かぐや姫から驚きのことが話されます。
「自分はこの世の人ではなく月の都の人です。15日に帰らねばならなりません。少しの間の滞在のつもりが長い年月が経ってしまった。」というのです。
このように、月の都へかぐや姫が帰る日とされているのが8月15日の「十五夜」です。
古くから月を愛でる風習があった日本ですが『竹取物語』には月を眺めるかぐや姫を老女が注意するという場面があります。
月に帰ると言うかぐや姫に対してその思いを変えようとしているとも思われますが、日本の風習の中に月見を忌む思想も同時にあったのだという考え方もあるようです。
「月見(つきみ)」と「月待ち(つきまち)」
「十五夜」の別名でもある「月見(つきみ)」とは、月を眺めること、主に「満月」を眺めて楽しむことを指します。
「十五夜」に限らず、月を眺める行為を全般的に月見と呼び「観月(かんげつ)」とも称します。
先ほどご紹介した「3月見(十五夜・十三夜・十日夜)」のような月を愛でる日の他にも、月見をする風習があるのでご紹介しましょう。
「月待ち」という風習をご存知でしょうか?実は現在でも残っている風習の1つです。
天候によって月を見られない場合に月が出るまで待つことを意味する「月待ち」は、美しく月が見られるようになるまで仲間が集って念仏などを唱え、共に飲食をしながら月の出を待つ信仰行事でもあります。
「月待ち」では、集まる人により行事の内容が変化することもあります。
例えば、一家の主人が集る「月待ち」では村の寄合のような場となり、お年寄りの多い「月待ち」では念仏行事の色彩が強まる会になるのです。
また、主婦や嫁の場合は話合いの場であったり、安産祈願の場となったりすることもあるそうです。
さらに、青年たちが集ると酒盛りや大食の行事になり、子供が多い「月待ち」では菓子などが振る舞われるなど人々の年齢層によっても行事の役割は変わります。
このようにそもそも信仰的な行事であった「月待ち」も、次第に信仰的な色彩が薄れ娯楽としての要素が強くなっていきました。
「月待ち」は、十五夜、十七夜、十九夜、二十二夜、二十三夜、二十六夜などがあります。
熱心に行う地方では、毎月または1月、5月、9月、11月などと非常に多く開催されます。
そのような「月待ち」は、日によって月が昇る時間が違うため月が出る日によって名前が違います。
基準となるのは「十五夜」です。
「十五夜」の場合は、15日目の月を指すので月が太陽の反対側に来ることから丸い満月が輝きます。
そのため「十五夜」の満月の月は、日没とともに東の空に昇り明け方には西の空に沈みます。
この「十五夜」の日以降は月の出がおよそ50分ずつ遅くなっていくのです。
それでは、それぞれの「月待ち」の日の名前の由来を見てみましょう。
16日目の月は「十六夜」と呼ばれ、月が出てくるのをためらっている(いざよう)ようだとして「いざよい」と書かれます。
17日目の月である「立待月 (たちまちづき)」は「十六夜」の月よりも遅く、夕方に立って待っている間に出る月という意味になります。
この日には、峠などの高いところに登って月が出るのを迎えに行き、そこで月を拝んで帰る風習もあるそうです。
18日目の月を「居待月(いまちづき)」と呼び、待ちくたびれて座って待つうちに出る月のことを指します。
19日目の月は「寝待月(ねまちづき)・臥待月(ふしまちづき)」と呼ばれ、18日の月よりもさらに月の出が遅いので寝て待つ月のことを指します。
20日目の月は「更待月(ふけまちづき)」といい、更けて待つ月という意味からも分かるように「寝待月」の月の出よりもさらに遅い夜も更けた午後10時頃にやっと昇る月を指します。
26日目の月は「有明月(ありあけづき)」と呼ばれ、夜明け(有明)の空に昇る月だということからこのように名がつきました。
この「有明月」は16日目以降の月の総称としても用いられます。
沢山ある「月待ち」行事の中でも最も盛んなのは「二十三夜の月待ち」です。
「二十三夜の月待ち」では、この夜の月の位置や傾きかげんなどで占いをします。
「二十三夜の月待ち」までを行う地域が多い中、「二十六夜待ち月」まで行う地域があります。
そこでは月光に阿陀仏如来(あみだぶつにょらい)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・勢至菩薩(せいしぼさつ)の三尊が現れるという伝承が残っています。
そのため、月が昇る(深夜2時頃)まで遊ぶことにふけっていたという記録が残っていますが、この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようです。
15日目➡「十五夜」月が太陽の反対側に来ることから丸い満月が輝く
16日目➡「十六夜」月が出てくるのをためらっているような月
17日目➡「立待月」夕方に立って待っている間に出る月
18日目➡「居待月」待ちくたびれて座って待つうちに出る月
19日目➡「寝待月」もう寝て待っている月
20日目➡「更待月」夜も更ける午後10時頃にやっと昇る月
26日目➡「有明月」夜明け(有明)の空に昇る月
嫁入り前の娘は「月見団子」を食べてはいけない⁈
「嫁入り前の娘が十五夜にお供えする月見団子を食べてはいけない」という禁忌があるのをご存知でしょうか?
民俗学者である柳田國男(やなぎだくにお)は、「娘はいつの日か他の家に嫁ぐ身であるから、生家の供物を食してはいけないからだ」と述べていますが、他にも女性と「十五夜」を結び付ける風習があります。
それは「その家の嫁のお尻を叩く」という風習で「1月の十五夜」に行われる行事です。
「嫁叩き」とも呼ばれるこの行事は「子種を叩きこむ」という意味があり「子授けの儀式」とも言えます。
また一方で、邪悪な物を身体から叩き出すと言った意味もあるそうです。
科学的な根拠は全くない行事ですが、女性の生理が月の満ち欠けと関連があると考えられていたことも背景にあるのではないかと言われています。
「十五夜」の限定御朱印
「十五夜」には限定御朱印を授けている神社があります。
かわいいウサギや月の描かれた御朱印を一部ご紹介します。
高木神社/墨田区
最近ではアニメ聖地としても有名になった高木神社ですが、室町時代の1468年に出来て近年500年の式年大祭も迎えた大変歴史のある神社です。
高木神社の名は、御祭神である高皇産靈神(タカミムスビノカミ)の別名が「高木の神」であることからだと言われています。
以前は境内に大きな臥龍の松(がりゅうのまつ)があって、曳舟川を上下する舟や地域の人々の往来の目印となっていたそうです。
住所/〒131-0045 東京都墨田区押上2丁目37−9
初穂料/500円
期間/※2019年は9月10日~9月16日詳しくはお問い合わせください。
高木神社公式サイト/https://takagi-jinjya.com/
平河天満宮/東京都千代田区
太田道灌公が、ある日菅原道真公の夢を見た翌朝に菅原道真公自筆の画像を贈られたことから、その夢を霊夢であると考え、文明10年(1478年)に天満宮を建立したという平河天満宮。
学問に願いを掛ける人が深く信仰している神社で、現在も学問特に医学や芸能、商売繁盛等の祈願者が多く参拝する神社です。
住所/〒102-0093 東京都千代田区平河町1丁目7−5
初穂料/300円
期間/※2019年は9月7日~9月13日詳しくはお問い合わせください。
平河天満宮公式サイト/http://hirakawatenjin.or.jp/information/index.html
月を愛でる優雅な風習
「十五夜」は秋の夜長に月を愛でる素敵な風習です。
ですが、ただ月を眺めるだけではなく収穫に感謝をし豊作を祈願する行事でもありました。
日本人は自然の恵みや日々の暮らしが穏やかに過ごせることを常々神様に感謝してきました。
「十五夜」も神様への感謝の気持ちを表す行事の1つです。
現代では、夜空を見上げることもさえも少なくなりました。
1年に1度、昔から月が最も美しいとされてきた夜にわずかな時間でも夜空を見上げるのはいかがでしょうか?
きっと穏やかな時間が安らぎと癒しを与えてくれるはずです。
Writing:YUKIKO-加藤