【十五夜はウサギが住む満月?かぐや姫の月待ちとは?】歌って団子を食べるのは禁忌?!

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「十五夜」にまつわる色々な雑学をご紹介します。

知識の引き出しに入れてみて下さい。




「十五夜」って満月じゃないの⁈

お月見といえば「十五夜」の「満月」を思い浮かべるでしょう。

そもそも「十五夜」は、月の満ち欠けを基準にしていた暦によって定められているので、旧暦の8月15日は満月の日です。

しかし、実際は1~2日ずれることが多いのです。

これは月と地球の公転軌道の関係が影響していて、新月から満月までの日数は14日間~16日間と日数に差があるためです。

つまり、満月になるまでの日数が違うため「十五夜」が満月にあたるとは限らないのです。

旧暦と新暦

そもそも日本では、天保暦(てんぽうれき)と呼ばれる、太陽の動きをもとにして作られた太陰太陽暦が使われていました。

中国の流れをくむこの暦は、2~3年に1度のペースで訪れる閏月(うるうづき:13カ月目の月)を入れて、太陰暦のずれを太陽暦に合わせるという方式であり、日本の気候風土や農業中心の生活とは相性がよいものでした。

しかし、1872年12月9日(明治5年11月9日)に明治政府は改暦をすることを決めます。

改暦をする事になった理由は定かではありませんが、財政難であった明治政府が閏月の分の月(13ヶ月目の月)を削除することで官公吏の給料節約を図ったという説もあります。

いずれにしても、当時は日本が西洋化へ進み始めた時期です。

日本は、暦も西洋と同じグレゴリオ暦(太陽暦)と合わせることで、世界に並ぼうとしたのだとも考えられます。

このように、明治政府が改暦を公布した僅か1か月後、天保暦は明治5年12月2日(1872年12月31日)に改暦が行われ、翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められたのです。

しかし、改暦が、いきなり社会全般に徹底されたわけではありませんでした。

官暦と呼ばれる政府発行の暦でも明治6年版には、改暦の混乱を避けるために旧暦が併記されています。

そして、その後も1910年(明治43年)まで旧暦併記は続けられていました。

日本の改暦は、この明治5年以来行われていません。

よって現在では、明治5年まで使用されていた天保暦を「旧暦」と呼び、西洋の流れを汲んだグレゴリオ暦を「新暦」と呼びます。




「十五夜」の歌

「十五夜」の歌で思い出すのが「う~さぎ、うさぎ~♪」という童謡ではないでしょうか?

この歌の題名は「十五夜」ではなく、その歌詞通りの『うさぎ』です。

文部省唱歌にもなっている童謡で、江戸時代から歌い継がれてきたともされていますが、作詞・作曲者は不詳です。

1892年(明治25年)には『小学唱歌 (ニ) 』において初めて教材として掲載されたそうです。

現在でも小学校学習指導要領で、3年生の音楽の表現教材に使用されています。

歌詞はとてもシンプルです。

『うさぎ』 作詞・作曲者不詳

「うさぎ うさぎ なに見て はねる 十五夜 お月さま 見て はねる」

「十五夜」の美しい月の夜に軽やかに跳ねるうさぎの様子が描かれています。

他にも、「十五夜」には『十五夜さんの餅つき』というわらべ歌もあります。

『十五夜さんの餅つき』(わらべうた)

「十五夜さんのもちつきは トーン トーン トッテッタ トッテ トッテ トッテッタ 

おっこねて おっこねて  おっこねおっこね おっこねて 

とっついて とっついて とっついとっつい とっついて 

シャーン シャーン シャンシャンシャン トッテ トッテ トッテッタ」

この歌は、手遊び歌でお餅をつく役とこねる役の2人が向かい合って歌いながら遊びます。

どちらの歌も楽しく可愛らしい歌なので、お子さんと行う「十五夜」に歌ってみてはいかがでしょうか?

月にはウサギがいるの?

「月にはウサギがいる」と小さいときに教えられた経験はあるでしょうか?

中国や日本では、このような月に住むといった伝承に見られる想像上のウサギを「玉兔(ぎょくと)」や「月兔(げつと)」などと呼び、反対に太陽には金烏(きんう)が住むとされてきました。

このような伝承は、月の影の模様がウサギに見えることから言い伝えられていて、ウサギの横に見える影は餅をつく臼であるともされています。

この伝承の歴史は古く、飛鳥時代(7世紀)に製作された『天寿国曼荼羅(てんじゅこくしゅうちょう)』にはすでに月のウサギが描写されています。

また、鎌倉から室町時代に描かれた仏教画である『十二天像(じゅうにてんぞう)』にも密教の守護神である十二天の中の、日天子(にってんし)と月天子(がってんし)が「三本足の烏」と「兎」を持つ姿が描かれています。

このように、日本に古くから「月のウサギ」の伝承が根付くようになった理由は、月の影の模様がウサギに見えることに加え、インドに伝わる『ジャータカ』という仏教説話から日本に伝わったのだと考えられています。

インドから伝わった説話は『今昔物語集』に収録されるなどして広く語られるようになりました。

ここで、「月のウサギ」の伝承の元になったインドのお話をご紹介します。

今昔物語集 巻5第13話 三獣行菩薩道兎焼身語 

ある日、サルとキツネとウサギの3匹が山の中を歩いていると、力尽きて倒れている老人に出逢います。

3匹はそれぞれ老人を助けようと知恵を絞ることにしました。

サルは木の実を集め、キツネは川から魚を捕って老人に食料として与えることにしました。

しかし、ウサギだけは何も採ってくることができませんでした。

それでもウサギは何とかして老人を助けたいと考え、サルとキツネに頼んで火を焚いてもらいます。

なんとウサギは自らを食料として捧げようと、火の中へ飛び込んだのです。

すると、その姿を見た老人は帝釈天に姿を変えます。

ウサギがとった捨て身の慈悲行為を後世まで伝えようと、ウサギを月へと昇らせたのです。

今でも月に見えるウサギの姿の周囲に煙状の影が見えるのは、ウサギが自身を焼いた時の煙だといわれています。

ちなみに、この説話の登場人物たちは、それぞれ天体を表して、「月」はサル、「星」はキツネ、「金星」はウサギ、「太陽」は老人であり帝釈天を指していると言われています。

ちなみに、2012年に日本の産業技術総合研究所が月を周回している衛星「かぐや」の収集データを分析したところ、月のウサギの形はなんと39億年以上前に巨大隕石の衝突によってできた盆地だと証明されました。

科学の進歩により新しい情報は次々に解明されていきますが、子供達には美しい月にまつわるお話が残されていくといいですよね。




「十五夜」と「かぐや姫」

日本人ならほとんどの方がご存知の『竹取物語』。

この『竹取物語』にも、「十五夜」に関連した表現が描かれています。

美しい大人の女性に成長したかぐや姫は、沢山の貴族たちから求婚を受けるようになります。

そして、その頃から月を見て物思いにふけるようになるのです。

さらに、8月の満月が近づくとかぐや姫は激しく泣くようになります。

そんなかぐや姫に翁がどうしたのかと問うと、かぐや姫から驚きのことが話されます。

「自分はこの世の人ではなく月の都の人です。15日に帰らねばならなりません。少しの間の滞在のつもりが長い年月が経ってしまった。」というのです。

このように、月の都へかぐや姫が帰る日とされているのが8月15日の「十五夜」です。

古くから月を愛でる風習があった日本ですが『竹取物語』には月を眺めるかぐや姫を老女が注意するという場面があります。

月に帰ると言うかぐや姫に対してその思いを変えようとしているとも思われますが、日本の風習の中に月見を忌む思想も同時にあったのだという考え方もあるようです。

「月見(つきみ)」と「月待ち(つきまち)」

「十五夜」の別名でもある「月見(つきみ)」とは、月を眺めること、主に「満月」を眺めて楽しむことを指します。

「十五夜」に限らず、月を眺める行為を全般的に月見と呼び「観月(かんげつ)」とも称します。

先ほどご紹介した「3月見(十五夜・十三夜・十日夜)」のような月を愛でる日の他にも、月見をする風習があるのでご紹介しましょう。

「月待ち」という風習をご存知でしょうか?実は現在でも残っている風習の1つです。

天候によって月を見られない場合に月が出るまで待つことを意味する「月待ち」は、美しく月が見られるようになるまで仲間が集って念仏などを唱え、共に飲食をしながら月の出を待つ信仰行事でもあります。

「月待ち」では、集まる人により行事の内容が変化することもあります。

例えば、一家の主人が集る「月待ち」では村の寄合のような場となり、お年寄りの多い「月待ち」では念仏行事の色彩が強まる会になるのです。

また、主婦や嫁の場合は話合いの場であったり、安産祈願の場となったりすることもあるそうです。

さらに、青年たちが集ると酒盛りや大食の行事になり、子供が多い「月待ち」では菓子などが振る舞われるなど人々の年齢層によっても行事の役割は変わります。

このようにそもそも信仰的な行事であった「月待ち」も、次第に信仰的な色彩が薄れ娯楽としての要素が強くなっていきました。

「月待ち」は、十五夜、十七夜、十九夜、二十二夜、二十三夜、二十六夜などがあります。

熱心に行う地方では、毎月または1月、5月、9月、11月などと非常に多く開催されます。

そのような「月待ち」は、日によって月が昇る時間が違うため月が出る日によって名前が違います。

基準となるのは「十五夜」です。

「十五夜」は満月!

「十五夜」の場合は、15日目の月を指すので月が太陽の反対側に来ることから丸い満月が輝きます。

そのため「十五夜」の満月の月は、日没とともに東の空に昇り明け方には西の空に沈みます。

この「十五夜」の日以降は月の出がおよそ50分ずつ遅くなっていくのです。

それでは、それぞれの「月待ち」の日の名前の由来を見てみましょう。

ピヨ🐣「十六夜(いざよい)」

16日目の月は「十六夜」と呼ばれ、月が出てくるのをためらっている(いざよう)ようだとして「いざよい」と読む。

ピヨ🐣「十七夜?立待月??」

17日目の月である「立待月 (たちまちづき)」は「十六夜」の月よりも遅く、夕方に立って待っている間に出る月という意味になります。

この日には、峠などの高いところに登って月が出るのを迎えに行き、そこで月を拝んで帰る風習もあるそうです。

ピヨ🐣「十八夜?居待月??」

18日目の月を「居待月(いまちづき)」と呼び、待ちくたびれて座って待つうちに出る月のことを指します。

ピヨ🐣「十九夜?臥待月??」

19日目の月は「寝待月(ねまちづき)・臥待月(ふしまちづき)」と呼ばれ、18日の月よりもさらに月の出が遅いので寝て待つ月のことを指します。

ピヨ🐣「二十夜?更待月??」

20日目の月は「更待月(ふけまちづき)」といい、更けて待つ月という意味からも分かるように「寝待月」の月の出よりもさらに遅い夜も更けた午後10時頃にやっと昇る月を指します。

ピヨ🐣「二十六夜?有明月??」

26日目の月は「有明月(ありあけづき)」と呼ばれ、夜明け(有明)の空に昇る月だということからこのように名がつきました。

この「有明月」は16日目以降の月の総称としても用いられます。

沢山ある「月待ち」行事の中でも最も盛んなのは「二十三夜の月待ち」です。

「二十三夜の月待ち」では、この夜の月の位置や傾きかげんなどで占いをします。

「二十三夜の月待ち」までを行う地域が多い中、「二十六夜待ち月」まで行う地域があります。

そこでは月光に阿陀仏如来(あみだぶつにょらい)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・勢至菩薩(せいしぼさつ)の三尊が現れるという伝承が残っています。

そのため、月が昇る(深夜2時頃)まで遊ぶことにふけっていたという記録が残っていますが、この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようです。

経過日数による満ち欠けにより月の名前は素敵に異なる!

日数月の名前
15日目➡「十五夜」月が太陽の反対側に来ることから丸い満月が輝く
16日目➡「十六夜」月が出てくるのをためらっているような月
17日目➡「立待月」夕方に立って待っている間に出る月
18日目➡「居待月」待ちくたびれて座って待つうちに出る月
19日目➡「寝待月」もう寝て待っている月
20日目➡「更待月」夜も更ける午後10時頃にやっと昇る月
26日目➡「有明月」夜明け(有明)の空に昇る月

嫁入り前の娘は「月見団子」を食べてはいけない⁈

「嫁入り前の娘が十五夜にお供えする月見団子を食べてはいけない」という禁忌があるのをご存知でしょうか?

民俗学者である柳田國男(やなぎだくにお)は、「娘はいつの日か他の家に嫁ぐ身であるから、生家の供物を食してはいけないからだ」と述べていますが、他にも女性と「十五夜」を結び付ける風習があります。

それは「その家の嫁のお尻を叩く」という風習で「1月の十五夜」に行われる行事です。

「嫁叩き」とも呼ばれるこの行事は「子種を叩きこむ」という意味があり「子授けの儀式」とも言えます。

また一方で、邪悪な物を身体から叩き出すと言った意味もあるそうです。

科学的な根拠は全くない行事ですが、女性の生理が月の満ち欠けと関連があると考えられていたことも背景にあるのではないかと言われています。




「十五夜」の限定御朱印

「十五夜」には限定御朱印を授けている神社があります。

かわいいウサギや月の描かれた御朱印を一部ご紹介します。

高木神社/墨田区

最近ではアニメ聖地としても有名になった高木神社ですが、室町時代の1468年に出来て近年500年の式年大祭も迎えた大変歴史のある神社です。

高木神社の名は、御祭神である高皇産靈神(タカミムスビノカミ)の別名が「高木の神」であることからだと言われています。

以前は境内に大きな臥龍の松(がりゅうのまつ)があって、曳舟川を上下する舟や地域の人々の往来の目印となっていたそうです。

住所/東京都墨田区押上2丁目37−9

初穂料/500円

期間/※2019年は9月10日~9月16日詳しくはお問い合わせください。

高木神社公式サイト/https://takagi-jinjya.com/

平河天満宮/東京都千代田区

太田道灌公が、ある日菅原道真公の夢を見た翌朝に菅原道真公自筆の画像を贈られたことから、その夢を霊夢であると考え、文明10年(1478年)に天満宮を建立したという平河天満宮。

学問に願いを掛ける人が深く信仰している神社で、現在も学問特に医学や芸能、商売繁盛等の祈願者が多く参拝する神社です。

住所/〒102-0093 東京都千代田区平河町1丁目7−5

初穂料/300円

期間/※2019年は9月7日~9月13日詳しくはお問い合わせください。

平河天満宮公式サイト/http://hirakawatenjin.or.jp/information/index.html

月を愛でる優雅な風習

「十五夜」は秋の夜長に月を愛でる素敵な風習です。

ですが、ただ月を眺めるだけではなく収穫に感謝をし豊作を祈願する行事でもありました。

日本人は自然の恵みや日々の暮らしが穏やかに過ごせることを常々神様に感謝してきました。

「十五夜」も神様への感謝の気持ちを表す行事の1つです。

現代では、夜空を見上げることもさえも少なくなりました。

1年に1度、昔から月が最も美しいとされてきた夜にわずかな時間でも夜空を見上げるのはいかがでしょうか?

きっと穏やかな時間が安らぎと癒しを与えてくれるはずです。

Writing:YUKIKO-加藤

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