一年を通して11月に入ると、「今年ももう終わりか・・ふぃ〜」「今年ももう年の瀬か・・はぁ〜また年取る・・はぁ〜・・アレ?あウンコ漏れそう…あっ!あぁっ、・・ 」などと、思わずババジジ臭い言葉を発してしまう今日この頃ではないでしょうか?
そして年の瀬と言えばすぐそこにあるのは『お正月』です。
”お正月”という言葉を耳にして、ドキっとしたそこのあなた!もう最近のクソガキ→・・こホンっ!お坊ちゃん!!はお年玉を1万円あげてもなかなか喜んでくれません!そんな悩みをお持ちなんではないでしょうか?
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このページでは何気無しに日頃、口にしている”お正月”の言葉の語源や由来について少しお話ししたいと思います。
お正月とは?
正月は「歳の神様」を迎える日(期間)であり、歳の神様とは「歳神(としがみ)」のことです。歳神は別名で「正月さま」や「歳徳神(さいとくしん/としとくじん)」などとも呼ばれ、正月にのみ来訪する神様です。
元来、1日のはじまりは夕方であったとされることから、厳密には歳神様は大晦日の夕方に来訪され、各家庭では大晦日の夕方を迎える前に歳神様を迎える準備を終えなければなりません。
歳神様を迎える準備とは、目につくところでは年末の大掃除や、歳神様にお供えするためのおせち料理の食材、調理場の薪(まき)、そして年棚(としだな)を設置するなどです。
年棚とは別名で「歳徳棚(としとくだな)」と呼ばれる棚のことであり、この棚に歳神様を神座としてお迎えすることから、鏡餅や灯明、お酒を供えます。
”正月”の言葉の意味
「あら、いっけぬぅぁい、お正月のお雑煮の材料買い揃えなくちゃ」「今年の正月はどこの部屋で堕落しきった生活を送ろうかしら・・」などと言うように、私たちは”正月”という言葉を、ごく日常的に使用します。
冷静に考えてみればなぜ”正月”というのか?なぜ、”正月”という漢字を書くのか?
気になりませんか?
正月という漢字を分解していくと、「正しい月」と解釈できます。では、何をもって”正しい月”なのか?という疑問が生じてきますが、実は正月の語源については現在に至っても謎とされており、主に以下の2つの説が考えられています。
”正しい月”と書いて正月
昔は稲の成長度合いを月に反映させて、暦を作成していました。
稲の成長度合いを知る上で欠かせないのは、四季つまり季節の移り変わりがあるということです。
すなわち1年は春からスタートして冬で一旦、終わるとみせかけて・・また、春に戻る!・・というような流れで1年のサイクルというものが出来ています。
そしてここで上記、「正しい月」の疑問についてですが、暦を作成する上で春という時期はスタートの時期とされました。
また、昔は満月を新月と捉えて、物事のスタートにすることが多く、このようなことから1年の最終季節となる「冬至」を過ぎて初めての新月の日(満月の日)を新しい年のスタートと位置づけました。
すなわち新しい年を→正しい月と位置づけたのです。
昔は正月を”政月”と書いた??
もう1つの説では、正月という文化が中国から日本へもたらされたという説です。
中国秦国(しん)の始皇帝が自らの治世にて政(まつりごと)を行う際、暦を作成して始まりとなる月を定めたそうです。
そしてこの時、”新しい年の政をはじめる月”ということで”政月”と書いて「しょうがつ」と読んだとのことです。
これが日本へ流入し、政月が転じて”正月”と書かれるようになり、現在に至るという説です。
なお、秦国においては「顓頊暦(せんぎょくれき)」という暦を定めていますが、この暦上では10月が年始に定められています。
中国「春秋時代」が起源??
中国の暦は、国家が乱立した春秋戦国時代に大きな転換期を迎え、後に秦国が大陸統一を果たすまでの間、暦についての様々な研究がすすめられています。
ちなみに春秋時代とは、上記、秦国の始皇帝よりもさらに400年以上前の時代です。
これら春秋時代では、おおむねいずれの国家でも新しい年の最初の月を定めて、最初の月を基準として暦を作成していたとのことです。
その1年の新しい年というのが四季の「春」に位置づけられ、その春とは冬至の翌々月に到来することから、この月を新しい月、つまり正しい月と定めたとのことです。
歳神を祀る理由とは?
正月は格別に歳神様を祀る期間とされていますが、我々が生きていく上で米をいうものは必要不可欠なものであり、その米を育てるために米の成長度合いを暦として定めたほどです。
あまり気づかない方も多いと思われますが、カレンダーをよく見れば数字の横に以下のような文字が見当たるハズです。
- 1月 – 睦月(むつき)
- 2月 – 如月(きさらぎ)
- 3月 – 弥生(やよい)
- 4月 – 卯月(うづき)
- 5月 – 皐月(さつき)
- 6月 – 水無月(みなづき)
- 7月 – 文月(ふみづき)
- 8月 – 葉月(はづき)
- 9月 – 長月(ながつき)
- 10月 – 神無月(かんなづき)
- 11月 – 霜月(しもつき)
- 12月 – 師走(しわす)
これらの文字の起源は、稲の成長の度合いを月の動きに当てはめて暦としたものであり、稲=米がどれほど重要であったのかを物語る指標とも言えます。ウフ
たとえば霜月であれば霜が地面に降りる時期を示し、弥生は稲を含めた草木が緑々と生い茂っている様子を指す、卯月は稲を植える時期である「植月」が転じたものとされています。
正月の迎え方(歳神様の迎え方)は地方によって様々
正月の迎え方は日本各地の地域によって異なりをみせますが、早朝から一家全員で年棚(歳神様)にお参りして一家でお祝いする儀式は同じです。
正月元旦の朝を迎えると「明けましておめでとうございます」「今年もどうぞよろしくお願いします」と一言添える風習は、おおむねどこの地域も今も変わりませんが、この風習の起源は正月元旦を迎えた早朝、年棚(歳神様)へ「明けましておめでとうございます」「今年もどうぞよろしくお願いします」と発したことに端を発するものです。
地域によって正月の迎え方が若干、異なりを見せる理由は、やはり歳神様に少しでも1年間の多幸を授けてもらうための独自のお祭りの仕方であるといえます。
歳神とは?
歳神は別名で「歳徳神(さいとくしん)」とも呼ばれる神であり、1年中の万徳を司る「太歳神(たいさいしん)」に等しい存在です。
歳神は、「あきの方(明けの方)」、現代風に言えば恵方(えほう)の方位に存在する神であり、正月のトシの神と同一視する信仰から派生して誕生した神だとも云われます。この歳神のいる方い方位は最高に運の良い大吉の方位と云われ、現今に至っては「恵方」と広く呼び習わされています。
歳神の”トシ”の意味とは?
ちなみに歳神様の”トシ”とは、「稲」の別の読み方である”トシ”や、「田寄(たよし)」が語源であるとされています。
これらの事実は、平安末期〜鎌倉中期に編纂された「類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)」の中の記述に見えるもので、「稲」を”トシ”とも読んでいます。
稲が”トシ”と呼ばれる理由は、1年を通して稲の成長を見守っていると、あっと言う間に1年が到来するという「疾し(とし)」が語源だと考えられています。
「田寄(たよし)」とは、神様が御霊を降臨させて田に稲をもたらして”天皇に寄し奏る”という意味があり、これは田寄の”タヨ”が訛って”ト”になって→”トシ=歳”になったと云われます。
そのほか、平安中期に編纂された延喜式 八巻の「祝詞祈年祭(のりととしごいのまつり)」の項には、「御年皇神(みとしのすめがみ)」という文字がみえ、これは歳神様を敬って示した表記であり、つまりは稲の稔りを歳神様に祈願していたことがわかります。
なお、古事記の記述に見えるのは「大歳神」と正体不明の女神「香用比売(かよひめ)」の子供を「御年神(みとしのかみ)」と呼称し、孫を「若年神(わかとしのかみ)」と呼称します。
大歳神が稔りを見守る神であれば、御年神は稲が発芽してから成熟までの稔りを与える神、若年神は名前が示すとおり、稲のタネ(種)から稲が発芽するまでの稔りを与える神である。・・と解釈すれば、1年を稲の成長を暦で示したのも納得ができるというものです。
昔のように田畑を耕す道具や知識も乏しい時代では、無事の稲の収穫は奇跡に近いものであり、まさに神のみに成せる技だと考えていたことでしょう。生きていく上で稲=米がそれほど重要なことであったことを物語っています。