初夏も過ぎた頃、いよいよ夏本番を迎える時期になり、日本では梅雨に入ります。別名で「入梅」とも呼ばれるこの梅雨時期を司る二十四節気こそが「芒種」です。
芒種は穀雨と重なる恵みの降雨の季節です。芒種の雨が穀雨の雨と異なるのは、梅雨という長雨が降り続く日が幾日も続きます。
これから夏本番を迎えるに前に長雨の恵みによって大地は水分を充分に蓄え、日照りが続く夏本番に備えます。言い換えると一夏を越すための大切な準備期間とも言えます。
以下では、この「芒種」期間中の行事と風習を一覧形式でご紹介しています。
田植え
上述したように初夏(立夏〜芒種)の時期になると田植えが行われます。期間としては概ね4月中旬〜6月いっぱいにかけてです。
スパンが結構あるように感じられますが、これは地域によって気候が異なるためです。
例えば東北地方などは寒冷地域なので5月には田植えを終えています。本州ではおおむね6月上旬〜中旬くらいにかけて田植えが盛んに行われます。
我らがジャパンは「瑞穂の国」!
日本は島国ながら農耕文化が発達した国であり、太古より「瑞穂の国」とまで称されています。「瑞穂の国」とは直訳すると「みずみずしい稲穂の国」という意味合いになります。
日本最古の古文書とされる「古事記」においては、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきの ながいほあきのみずほのくに)」と述べています。
訳すと、「日本は葦原が一面に生い茂った瑞々しく美しい稲穂が生る国」となり、古より農耕文化が盛んであったことを意味しています。
4月〜6月に田植えが行われる理由
4月〜6月にかけて田植えが行われる理由は、稲が生長する条件に深く関与しています。稲は気温15度以上の日が続かないと生長せず、逆に10度以下になると枯れてしまうからです。すなわち、立夏の頃〜芒種(6月頃)にかけてが田植え時期としては最適だからです。
現在ではビュイぃ〜ンと機械を動かしちまえば簡単にできますが、昔は機械がないので田んぼに入って稲を1本1本手で植えつけたのでゴザんした。
植え付け作業は上半身を折り曲げて行わなればならず、重労働でしたが、女性が担当したのです。
その名残を伝えるのがお田植え神事です。現在でも御神田を所有する神社であれば、立夏の時期あたり〜6月頃にかけて全国の神社で一斉にお田植え神事が斎行されています。
御田植え神事
磯部の御神田
例年、6月24日になると三重県志摩郡磯部町にある伊雑宮の御料田では、俗称・「磯部の御神田(いそべのおみた)」という御田植え祭が執り行われます。
磯部の御神田は、日本三大田植祭の1つであり、1990年3月29日に国の重要無形文化の指定も受けています。
伊雑宮は伊勢神宮・内宮の別宮にあたる神社であり、現在の通説では伊勢神宮内宮の元宮であった経緯から、内宮よりも古い歴史を有します。
伊雑宮は「磯部」というだけあって海岸近くに建ち、古来、漁師たちから篤い崇敬が寄せられてきた神社です。御神田の中でもっとも見どころとなる行事が「青竹取り」です。
青竹を御神田の中央に固定して直立させ、この竹を漁師たちが大漁祈願のお守りにするため、ドロんこになって奪い合います。
竹取りが終わると12歳〜16歳の早乙女たちと大鼓、笛が登場し、田植え歌を奉奏して、いよいよ御田植えが開始されます。
かつては田植えが自体が神事の1つと捉えられ、田植え時に歌う歌は神に捧げる「神賛歌(しんさんか)」として信仰心を表すと同時に、豊作祈願も兼ねていました。
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住吉の御田植
例年、6月14日になると住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉)の御料田では、俗称・「住吉の御田植(すみよしのおたうえ)」という御田植え祭が執り行われます。
住吉の御田植は、日本三大田植祭の1つであり、1979年(昭和54年)2月3日に国の重要無形文化の指定も受けています。
御神田の手前にある石舞台にて御田植え祭りに奉仕する全員が修祓を受け、第一本宮にて奉告祭を執り行います。
神事が終了した後、楽人、八乙女、御稔女、植女、替植女、稚児、風流武者、住吉踊りの踊子などが行列を成して御田へ向かい、御田植えを担当する「替植女(かえうえめ)」に早苗が渡されると、いよいよ田植えがはじまります。
これと並行して、太鼓を叩き、ホラ貝を吹きながら子供達が紅白に分かれて「六尺棒」を打ち合う棒打合戦や、団扇を操りながら傘のまわりを踊る住吉踊などが奉じられます。
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父の日
母の日にちなんでアメリカワシントン州の「ソノラ・スマート・ドッド(ジョン・ブルース・ドット夫人)」が、亡き父の誕生日に白バラを贈ったのが父の日の起源とされています。
ソノラPAPA(パパ)の誕生月が6月であったことから、牧師協会に頼んで6月に祭典が執り行われ、この祭典がのちの父の日設立に基づいた経緯から、以来、6月が父の日に定められることになります。
アメリカから日本へ父の日の風習が伝来したのが1950年代と云われており、1970年〜80年代にようやく認知され始めてています。
現今の日本においては母の日に贈る赤色のカーネーションに対し、父の日には黄色のバラを贈るのが通例とされています。
和菓子の日
西暦848年(承和15年/嘉祥元年/平安時代)の夏のこと、仁明天皇の枕元に神が立ち、その時の神託により、天皇が直々に848年の6月16日に16個の嘉祥菓子や餅を神前奉納したという故事にならったのが、現今の和菓子の日です。
嘉祥(かじょう)とは「めでたい兆しを得る」などの意味合いがあり、現在でもこの和菓子の日には嘉祥菓子を売り出す菓子屋があります。
嘉祥菓子は、まず先に神前に供えてから、下ろしたものを家族で分け合って食べます。ご利益は病魔退散、健康招福です。
稽古初めの日
現在ではあまりそうは言われませんが、一昔前、子供に稽古事をさせる頃合いは6歳の6月6日からさせるのが吉とされていました。
現在ではこのような風習はありませんが、かつての稽古事と言えば、舞踊や雅楽、絵画、詩歌、茶道などの伝統芸能です。
6歳6月6日に定められた起源は、能の異才者「世阿弥」が自身の著書「風姿花伝」にて、「この芸において、おほかた、七歳をもてはじめとす」と説いたのがはじまりです。
意味合いは「習い事を始めるのは数え7歳(満6歳)がもっとも良い」となります。これに端を発し、江戸時代の歌舞伎では「6歳の6月6日の‥」などと劇中のセリフで頻繁に使われるようになります。これが広まり定着したのが「稽古初めの日」です。
小満芒種
沖縄地方には古くから「小満芒種(すーまんぼーすー)」という言葉が伝えられています。
「小満芒種」の意味は、「小満芒種」を分解すれば理解できますが、「小満」とは、二十四節気の小満のことであり、同じく「芒種」も二十四節気の芒種のことです。
まとめると沖縄地方では、小満〜芒種までの間の期間、年内でもっとも雨が降ることから「小満芒種」と書いて梅雨と同義として位置付けています。
実際統計上でも小満から芒種の期間中における沖縄県那覇市の雨量(平均降水量)は約160㎜を記録しています。
蛍狩り
「蛍狩り」とは、蛍を捕獲するのではなく「蛍を鑑賞する」ことです。この頃、七十二候の腐草為蛍が示すように日本全国の蛍狩りができるスポットでは夜になると蛍が夏本番の到来を告げます。
まさに初夏が終わりいよいよ夏本番を告げるサインでもあります。この芒種〜夏至の風物詩でもあります。
例を挙げれば「名古屋城の外堀り(三の丸)」で見れる「ヒメボタル」と「東大寺・二月堂」の裏参道で観れる「ゲンジボタル」です。
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