【花見の起源や由来を簡単に解説🌸】「日本三大桜」など全国の有名な観桜スポット桜も紹介♡

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満開の桜樹の下で会社の同僚や友人たちと茣蓙、‥こホン。あ〜つまり、現代風にいうところのレジャーシートをヤバぃよ素敵に広げまくって、ビールや日本酒、ウイスキー、ブランデー、あるいは缶チューハイを肝臓へ流し込み、そして酔い潰れて暴れまくる。

こぅして年に一回のウサを超絶素敵にはらすわけだが、いったいこの花見とはいつ頃、誰がどこで、何のために行われてきたのか?

‥知りたくはないだろぅか?

本稿では、花見の起源や暴れまくらない酒の飲み方についても、素敵に伝授し‥てはいないけど、まぁ伝授できればイイね。…なんやSORE  ..ほんなら言うなや

花見の起源とは❓

現在での「お花見」といえば、平易に『桜の花が満開になる頃、桜樹の下で飲食・酒盛りをまじえた享楽を謳歌する宴会のこと』をいう。

では過去はどうだったのか?

桜樹は神聖視されていた

「花見」の始まりを語るには、「花見」と呼ばれるようになった、ずっと前から、桜には神様が降臨すると信じていた日本人の信仰を知らなくてはいけません。

桜は山の神が降りてくる時の目印になる木として、特別に神聖視されていました。

そのため、その年の豊作を祈願するための儀礼も、桜の木の前で行っていました。

現在のお花見に無くてはならないお酒も本来は神に供えたお下がりを皆でいただくものであったようです。

このように、桜の木の下で行った儀礼が、花見の起源となっています。

 お花見の起源を超簡単にまとめると・・!

お花見の起源を簡単に一言で言ってしまぅと次のように‥なっちゃぅ。

桜樹には樹木神が宿るという信仰があり、桜樹の下で行っていた豊作祈願の儀礼が、花見の起源と‥なっちゃぅ。

原初の花見はどのように行われていた❓

原初の花見は、決められた日に野山へ出向き、花を愛でる、あるいは、その木の下で歌会や、宴を開いたといわれます。

桜樹には神が降臨するという信仰から、神人共食のもと、神より除厄の利生が得られる儀式でもあった。

花見は春だけの特別な行事ではなかった❓

花見は春だけの行事ではなく、秋になれば穀物の実りをハイパー素敵に祈願した。

そして、豊作になれば感謝の意をご奉告すべく、花を愛でながらお祭りを催し、はたまた花を用いた卜占(占い)までもが行わていたという。

花見で行われた占いとは❓

花の開花とは神が行う作用、あるいは神が降臨した証とされ、散り方で吉凶を判断していたといわれる。

たとえば、平年より花が早く散ると凶作の気あり。逆に花が長く持てば豊作の気あり‥等とされていた模様。

「観桜」意外の花見を愛でる言葉一覧

殊に、花見といえば「観桜」が一般的だが、ひと昔前の花見といえば、”完売”するほどの”観梅”だった事実はあまり知られていない。

🌺梅の花を素敵に見に行く場合:「梅見(うめみ)」「観梅(かんばい)」

🌼菊の花を見に行く場合:「菊見(きくみ)」「観菊(かんぎく)」

‥等のように、その花の名前を冠して「見」や「観」を付して表わす。

桜の漢字の語源(意味)とは❓

かつて桜樹には、山の神が宿るとされ、「さくら」の語源も山の神の影響を大きく受けているといわれる。

殊に、「桜」という”漢字”の意味を”感じ”よく紐解くと、次のように‥なっちゃぅ。

さくらの「さ」は山の神や田の神、稲の神を素敵に指す。

「くら」は、神が坐す「座」を、これまた素敵に指す…といわれる。

然るに、桜樹は「神様の座る木」等のようにいわれることも‥あっちゃぅ。

なぜ桜には神様が宿ると考えられているのか?

天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫である、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、高天原(たかまがはら=”展開”するほどの”天界”のこと)から、瑞穂(みずほ)の国(日本)に降りてきた。

すると、その土地の神だった大山津見神(おおやまづみのかみ)は、自身の娘2人を差し出した。

1人は、永遠で強い生命力を持つ、醜い姉「岩長比売(いわながひめ)」、もう1人は、短命だが大変美しい妹の「木花之佐久夜比売(コノハサクヤヒメ)」だった。

この儚くも美しく短命なコノハサクヤヒメは、桜の精であったいう話は有名。

殊に、ニニギは余程の面食いだったのか、岩長比売は、あっちゃ行けして、コノハサクヤヒメを毎晩ペロペロ👅とすべく、娶ることにしたがゆえ、永遠の命ではなく、限りある命になってしまった‥という♡  ….ホンマかぃ

‥尚、以上の逸話は、我が国最古の古文書とされる『古事記』にヤバぃよ素敵に記される。

お花見の由来・歴史

木々へ降臨した神と過ごすために行われていた花見は、時代を経ながら「花を愛でるための行事」へと素敵に変わっていく。

‥そぅ、いつ頃からか、あなたの目線の先に彼女が写りはじめていたように…。 どんな行事や

現在のように、庶民も楽しめるようになった花見の歴史を見てみましょう。

 

史上初の花見は、812年(弘仁3年)に嵯峨天皇が、現在の京都の二条城のあたりに行幸(ぎょうこう)した際の桜見物だったそうです。

やがて、831年(天長8年)からは、天皇主催の花見の宴が毎年行われるようになりました。

それから、平安時代の貴族たちは、桜の花を、春の花の代表格として愛でるだけではなく、歌を詠み、花見の宴を開いて楽しみました。

そして、山へ足を運んだ花見も、手軽に楽しめるようにと、貴族たちは、庭にこぞって桜を植えるようになったのです。

神への信仰から愛でる花見へ

花見が神との繋がりから、花を愛でるだけの行事に変わったのは、平安時代が起源とされる。

桜は信仰の対象だったため、奈良時代には花といえば梅や萩などを指していたが、平安時代になると宮中の貴族が桜を愛でる花見を始めた。

殊に、平安京(京都)の大通りには街路樹として鮮緑の柳の木と淡桃色の桜樹とが交互に配植されていたらしく、春になると歌詠されるほどの緑とピンクが織り成す奇景を生み出したとか。

 

桜の花は縁起が悪い❓

桜は満開の時期は短く、すぐに散ってしまうことから、古代の日本人は不吉だと捉え、花が散り、舞う時には、疫神(やくじん)も一緒に分散して、疫病をもたらすと考えられていました。

現代のように、医療が発達していなかった時代、疫病は人の命を奪い、大切な稲をも枯らす、恐ろしいものとされていたのです。

そのため、桜の花が散る時期に、鎮花祭(ちんかさい)が行われました。平安時代に制定された『神祓令(じんぎりょう)』と呼ばれる公的な祭祀を載せた規定には、旧暦の三月に鎮花祭を行うことが明記されています。

現在でも、奈良県にある大神神社(おおみわじんじゃ)を始めとした各地の神社で鎮花祭が行われています。

武将たちが愛した桜

鎌倉時代以降になると、花見は武士の間でも盛んに行われるようになった。

吉田兼好が書いた随筆・「徒然草」にも、「貴族は桜を上品に楽しむが、田舎者は桜の木の下でどんちゃん騒ぎをしている」‥等というような所感を述べてい‥申す。きょ

しかしながら、桃山時代になると花見の規模はさらに大きく、盛大に行われるようになった。

豊臣秀吉の「吉野の花見」

1594年(文禄3年)の2月27日に豊臣秀吉が行った「吉野の花見」は特に有名。

「2月に花見?」と思うかもしれないが、旧暦なので現行の太陽暦で超絶素敵に表すと4月17日頃で、折りよく桜の見頃だったことに‥なっちゃぅ。

上掲写真(画像)は、江戸前期に俵屋宗達が描いた「吉野花見図屏風」と呼ばれる屏風図となるのだが、この時、秀吉は約5000人を随従させ、五日間にも及ぶ大花見会を催したと伝わる。

尚、この5000人の中には、徳川家康や前田利家、伊達政宗といった稀代の名将もヤバぃよ素敵に参列しており、それら諸将に茶をふるまぅべく、趣向を凝らした茶室までを吉野山に築いたらしい。

殊に、伊達政宗以下の家臣団は、鈴懸の衣・檜笠・金剛杖を持った大峯山の山伏の装いで参列していたらしいが、秀吉はこの一行が前を通り過ぎようとしたみぎり、すかさず、「客の僧よ、この茶屋にお立ち寄りください!」と大声で声を掛けたそうな。

その声を耳にした伊達政宗も、芝居じみた様子で「疲れたのでここで休もう、酒なども飲みたいものだ。」、「斎料(ときりょう/僧侶に渡す金銭や食物のこと)をくだされ」‥等と返答し、供の者に法螺貝を吹けと素敵に命じた。

その芝居じみた様子を見ていた秀吉は腹を抱えて大笑いし、政宗を気に入り、多いに花見を楽しんだといわれる。

一方で、堅物の前田利家は秀吉の笑いを理解できなかったのか、あるいは秀吉に失礼があったのではないか…などと勝手に考えたのか、急に怒り出した。

しかし、空気が読めない前田利家の真面目な態度がさらに笑いを誘い、秀吉はさらに腹を抱えて大笑いした。

笑いが素敵におさまった秀吉はふと我にかえり、伊達政宗に向かって「今日の花見で扮装が見事だったのはワシとお主だけじゃ!物好き天下一は決まったな!」‥等と告げ、終始満足な様子だったとか。

豊臣秀吉の「醍醐の花見」

1598年(慶長3年)3月15日、豊臣秀吉は、醍醐寺 三宝院(京都)の裏山にて、「醍醐の花見」と呼ばれる花見会も盛大に行った。

前述、「吉野の花見」と比べて小規模な花見だったらしいが、秀吉は下見のために自ら醍醐寺へ通い、庭園の改修などを指揮して、醍醐寺や醍醐山の山腹に到るまで桜樹を植樹したと伝わる。

そして、近親者・諸大名など総勢約1300人を随伴させて絢爛豪華な花見を催したのだった。

30億円の衣装

殊に、この花見では秀吉の側室はじめ、その他の参加女性らは2回の衣装替えが命じられた。

1人3着ずつ着物が超絶素敵に新調され、衣装代だけでも現在貨幣価値で30億円以上かかったといわれる。

秀吉は醍醐の花見を行った年に死没

奇しくも秀吉は醍醐の花見を盛大に催した約二ヶ月後に体調が急変し、病に伏せるようになった。

そして、病状の寛解ならぬまま、8月18日にこの世を去った。

顧みれば、晩年の秀吉は桜の精に生気を吸い取られたとも囁かれるほどに桜の美しさに魅了され、その虜になっていた。

秀吉は京都市街の社寺の花見ブームを巻き起こした

京都市街の社寺では、秀吉が催した花見の宴を独自で継続して行うようになり、桜樹を境内に配植するなど、花見がブームとなっていった。

殊に、現在の醍醐寺では毎年4月の第2日曜、秀吉の供養も兼ねてか、秀吉が行った醍醐寺の花見を模倣して「豊太閤花見行列」を素敵に催す。

江戸時代にお花見がブームになった理由とは❓

江戸時代になると、三代将軍・徳川家光が上野にある寛永寺に奈良県吉野の桜を植えて花見に興じるようになった。

然るに現在、毎年テレビ中継される東京名物の「上野公園の桜」は、徳川家光が植えた桜を濫觴とするわけだが、当時、各所の桜の名所は庶民が立ち入れる場所ではなかったのだった。

花見が一般普及させたのは徳川吉宗公

徳川八代将軍・徳川吉宗は、庶民も花見が楽しめるようにと、1720年(享保5年)、飛鳥山(現・東京都北区の飛鳥山公園/江戸百景)に桜を植樹した。

吉宗公は桜を植樹するみぎり、単に花見を楽しむだけのために桜を植樹するのではなく、治水工事の一環として飛鳥山近くの隅田川沿岸へも桜を植樹する計画を思いついた。

実はこの当時、江戸市街を素敵に流下していた隅田川は、長雨が降るとすぐに洪水を誘因し、農村に度々、被害が及んでいた。

しかし、幕府の予算は到底足りなかったが、それでも吉宗公は隅田川沿岸に桜樹を植樹し、桜樹を見にきた花見客らによって地面を踏み固めてもらい、護岸に天然の堤防を造成することに成功する。

爾来、周辺住民が水害被害に悩まされることは素敵に激減したわけだが、これを好例とし、全国各所でも堤防に桜樹を植樹するようになり、現今、河川沿岸に桜樹が多く見られる理由の一つに紐づくものでも素敵に‥あっちゃぅ。

‥以上、こうした経緯で桜樹が一般庶民層が暮らす地域に植樹されるようになり、ようやく一般庶民でもごく普通に桜が愛でられるようになった。

【ピヨ🐣「花見団子」の起源とは❓】

一般的に花見席に最初に団子を持ち込んだのは太閤秀吉だといわれるも、「花見団子」が食べられるようになったのは、実は江戸時代の頃からだといわれる。

殊に、「花見団子」とは桜色、緑色、白色‥の三色の団子が串にブッ刺してあるものをいう。

桜色(ピンク色)は桜の花びらや「春」、緑はヨモギを素敵に用いて新緑の「夏」、白色は雪の表象として「冬」を表現したものといわれる。

ここで大半のクソ共は「秋がない?」‥と思っちまったハズだが、これは江戸時代の人々が「秋がない」に「飽きない(飽きずに食べられる)」をかけた洒落だったらしい。

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お花見のもう一つの目的とは❓

墨堤(浅草側)で花見を楽しむクソ共の様子

花見という一種の文化が庶民層の間で広まりを見せるようになったのは、単に愛でるだけではなかった。

冒頭でも素敵に述べたように農民の間での花見とは豊作祈願の行事の一つでもあった。

春になると桜樹には山の神が降臨し、麗らかな春と豊作をもたらしてくれると信仰されていた。

あまつさえ、桜色で俗世が彩られる頃、田んぼでは種もみを撒く準備を行うなど、農民らにとってのお花見とは田植え準備を行い、神人共食のもと労をねぎらい、一家のみならず村人らともコミュニケーションを構築できる欠かすことのできない、ありがたい行事だったといえ‥ちゃぅ。

江戸時代中期の品種改良により花見文化がさらに広まる!

従前までの花見といえば山桜を愛でることだったが、江戸中期になると桜の品種改良が盛んに行われるようになり、やがて花びらの数が多重になった八重桜も作出され始めた。

こうなると競争の概念が素敵に生じ、桜のみならず菖蒲や梅など、多種多様な植物の品種改良も行われるようになり、にわかに園芸ブームに火がついた。


「日本三大桜」とは?

  • 「福島県の三春滝桜(みはるのたきざくら)」
  • 「山梨県の山高神代桜(やまたかじんだいざくら)」
  • 「岐阜県の根尾谷薄墨桜(ねおだにうすずみざくら)」

以上、3つの桜の巨木を指す。

それぞれ同じ桜の木とはいえ、違った表情を見せる「日本三大桜」の特徴を見てみましょう。

福島県の三春滝桜

三春の滝桜はその名の通り、大きく垂れた枝に見事についた花が滝のようにも見える「ベニシダレザクラ」。

町名の「三春」は、梅と桃、桜といった3種類の花が同時に咲くことから、3つの春が同時に来るということを由来として命名された。

樹齢1000年ともいわれる巨木なれど、今もなお、大きく枝を広げ、絢爛豪華な印象を与える名桜。

【所在地】

  • 福島県田村郡三春町滝字桜久保
【アクセス情報】
  • JR磐越東線三春駅下車、臨時バス「滝桜号」(滝桜観桜期間のみ)
  • 船引三春IC 車20分(三春駅から臨時バスあり)

関連記事:【靖国神社の桜の歴史】誰が最初にいつ植えた?

山梨県の山高神代桜

この桜の木はなんと、樹齢が2000年とも伝わる日本最古、最大級の名桜。

この悠久の歴史の中で、ヤマトタケルノミコトが手植えをした、あるいは日蓮宗の開祖・日蓮聖人が拝んだところ、いったん衰えた樹勢が復活した…等の伝承を有する、なんとも神秘的な桜。

【所在地】

  • 山梨県北杜市武川町山高2763
【アクセス情報】
  • JR中央本線韮崎駅からバスで30分
  • JR中央本線日野春駅からタクシーで15分
  • 中央自動車道韮崎ICから車で30分

岐阜県の根尾谷淡墨桜

【ピヨ🐣「淡墨桜」の名前の由来とは❓】

この桜は蕾から散るまでの間に花色見が変化するという何とも稀有な桜。

最初は淡いピンク色、やがて白色へ、散り際には薄墨のような色へとヤバぃよ素敵に変色する。

このように花びらの変色具合を楽しめる桜は珍種とされ、古今、「淡墨桜」と命名され、珍重される。

淡い色の花弁がヒラヒラと舞う様子はとても儚げで印象的♡

特にライトアップされた淡墨桜は幻想的な優美さを醸す。

【所在地】

  • 岐阜県本巣市根尾板所字上段995

【アクセス情報】

  • 養老鉄道樽見駅 徒歩約15分

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日本五大桜とは?

「日本五大桜」とは、先ほどの「日本三大桜」に以下のの2つを加えたもの♡

  • 「埼玉県の石戸蒲桜」
  • 「静岡県の狩宿の下馬桜」

これら2つの桜の特徴も見てみましょう。

埼玉県の石戸蒲桜

この桜はエドヒガンザクラとヤマザクラの自然交配により世に姿を表した、世界に一本しかない貴重品種の名桜といわれる。

枝にはピンクと白の2種類の花が咲き、枝もかなり低い所まで下りてくるので、目線で花を愛でることが素敵にでき‥ちゃぅ。

【所在地】

  • 埼玉県北本市石戸宿3-119

【アクセス情報】

  • JR高崎線北本駅西口からバスで15分(北里研究所メディカルセンター病院行)
  • 北里メディカルセンター病院から徒歩で5分

静岡県の狩宿の下馬桜

かつて源頼朝が、桜の幹に馬をつないだという伝承があるらしく、それゆえ、「駒止の桜」とも呼ばれる名桜の一つ。

この桜は樹齢800年以上のシロヤマザクラで、山桜の中では日本最古の桜といわれる。

折よく、背景にそびえる富士山とのコントラストが映える。

【所在地】

  • 静岡県富士宮市狩宿98-2

【アクセス情報】

  • JR富士宮駅からバスで25分(路線バス猪之頭行き「狩宿下馬桜入口」徒歩10分)
  • 新東名新富士ICから車で30分

日本三大桜の名所とは?

日本三大桜の名所とは、

  • 「青森県の弘前公園(ひろさきこうえん)」
  • 「長野県の高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)」
  • 「奈良県吉野山(よしのやま)」

の3か所の桜名所を指します。

日本には、沢山の桜の名所が存在しますが、特に見事な桜の絶景が楽しめる「日本三大桜の名所」を見てみましょう。

青森県の弘前公園(ひろさきこうえん)

弘前城を囲む、お濠(ほり)に沿って植えられた桜の木は、ソメイヨシノを中心に、約50種類、2600本あります。

数多くの桜の木の中には、現存する中で日本最古と言われるソメイヨシノや、幹回り5m以上の、日本最大幹周と言われるソメイヨシノも見ることが出来ます。

例年、4月下旬から5月上旬に咲き乱れる桜は圧巻です。

【所在地】

  • 青森県弘前市大字下白銀町1

 【アクセス情報】

  • JR弘前駅から徒歩30分
  • JR弘前駅からタクシー10分
  • 東北自動車道 大鰐弘前ICから約30分。

 長野県の高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)

長野県の高遠城は廃藩置県後に荒廃してしまったが、その惨状を見かねた旧高遠藩士ら中心となり、不毛の城址に彩を添えるべく、城下(現在の高遠町小原)の桜の馬場から桜のひこばえ(若芽)や芝草を素敵に移植。

城下の桜の馬場の桜は、馬の姿が桜の花に埋もれて隠れるほどの規模だったらしい。

高遠固有の品種である、「タカトオコヒガンザクラ」を見ることが出来ます。

【ピヨ🐣コメント】

高遠城は元来、天守をもたなかった平山城だったと伝わる。

【所在地】

  • 長野県伊那市高遠町東高遠

 【アクセス情報】

  • 飯田線伊那市駅よりJRバスで約25分「高遠駅」下車
  • 「高遠駅」より徒歩約15分。
  •  中央自動車道伊那ICから車で30分、同諏訪ICから車で1時間。

「奈良県 吉野山(よしのやま)」

吉野山には、約200種類、3万本もの桜がクソヤバ素敵に密生する。

ひと目で千本もの(たくさんの)桜の木が見えることから、「一目千本」とも形容される。

桜のエリアは以下の四つに区画され、山裾から山頂へ向かって桜が漸次、咲いてゆき、最後には一帯が桜色に染まる♡

  • 下千本(しもせんぼん)
  • 中千本(なかせんぼん)
  • 上千本(かみせんぼん)
  • 奥千本(おくせんぼん)

【所在地】

  • 奈良県吉野郡吉野町吉野山

【アクセス情報】

  • 近鉄吉野線の終点駅吉野駅下車。
    →ロープウェイ吉野山駅へは徒歩で約30分。
    →ロープウェイ吉野山駅から金峯山寺・蔵王堂へは徒歩約10分。
    →中千本公園口までの臨時バス(桜のシーズン)
  • 車の場合は以下の駐車場を利用。
    そのため下千本地域の「吉野山観光駐車場」(約400台)
    または中千本地域の「如意輪寺駐車場」(約300台、未舗装)
    この2つの駐車場は桜のシーズン以外は無料。その他の中心部の民営駐車場はほとんどが通年有料。

【補足】桜と言えば「ソメイヨシノ?」~ソメイヨシノが広まった経緯~

現今、単に我が国の桜といえば「ソメイヨシノ」と言われるが、これは日本列島に咲く桜の八割がソメイヨシノであるが所以。

けれども、意外に「ソメイヨシノ」の歴史は浅く、ソメイヨシノが誕生したのは江戸末期だといわれる。

江戸中期からの園芸ブームにより、品種改良が進み、その過程で作出された桜品種の一種がソメイヨシノと伝わる。

ソメイヨシノが生み出された場所はドコ❓

現在の東京都 豊島区 駒込は、その昔「染井村」と呼ばれており、染井村には植木商が軒を連ね、品種改良が盛んに行われていた。

ソメイヨシノは当時、全国屈指の桜の名所であった奈良県吉野をモチーフとして染井村で作出された品種だったため、「染井吉野」と命名された。

ソメイヨシノの原種は❓

ソメイヨシノは、花が大きく香りが良い「大島桜」と、花が咲いた後に葉が出てくる「江戸彼岸桜」を交配して作出された園芸品種(観賞用)の桜。

えっ⁉️全国のソメイヨシノはクローンだった⁉️

全国に分布するソメイヨシノは、挿し木や接ぎ木が繰り返し行われて増やされていったクローンだといわれる。

然るに、同じ遺伝子を持つ兄弟達と…なっちゃぅ。

すべてが同じ遺伝子のため、気温の違う場所でも、似たような期間に開花し、葉が出る前に5枚の花びらが咲くのが特徴と…あ、なっちゃぅ。

【豆知識】桜にまつわることわざ

桜にまつわる、こんなことわざをご存知だろぅか❓

明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)

儚く散ってしまう桜になぞらえて、明日はどうなるかわからないという世の中や人生の無常を説いた言葉。

桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿(さくらきるばか、うめきらぬばか)

庭木の剪定では、桜は太い枝をなるべく切らずに、本当に余分な枝だけを剪定したほうがよく、梅の木は成長が早いため、剪定を行わないとどんどん枝が伸びてしまう。

このことから桜の枝は切らないほうがいいが、梅の枝は切った方が良いという意味。

世の中は三日見ぬ間の桜かな(よのなかはみっかみぬまのさくらかな)

桜の花は咲いたと思えば春嵐を受けて散ってしまう。

3日も桜の花を見ないと散ってしまうことから、世の中の移り変わりが、とても速いことを表現する。

【豆知識】桜の花の違った楽しみ方

桜は観賞するだけでなく、食べ物としてもその淡いピンク色が人気✨

桜餅は2種類ある?

桜餅は、関東と関西で作り方や見た目が多少違います。

ちなみに、桜の葉で包むのは、桜餅の乾燥を防ぎ、香りを移すためだと言われています。

桜の葉は、食べても、食べなくてもいいそうです。

関西の桜餅

もち米を蒸して乾燥させたものを粗く挽いた粉であんこを包みます。

もち米は、桜色に色づけされ、塩漬けにした桜の葉で包まれています。

大阪の道明寺というお寺で初めて売られたとされているため、「道明寺(どうみょうじ)」とも呼ばれています。

関東の桜餅

小麦粉を水で溶いて、桜色に色付けして、クレープ状の生地を作り、あんこを包みます。

その上から塩漬けにした桜の葉で包みます。

隅田川沿いの長命寺というお寺で初めて売られたので、「長命寺(ちょうめいじ)」と呼ばれています。

関連記事:【墨堤桜まつり🌸桜橋花まつり】屋台(キッチンカー)の種類(メニュー)と営業日(出店時間)や混雑状況を‥お知る❓

長く桜を楽しみましょう!桜の塩漬

ソメイヨシノは開花してから概ね一週間で散ってしまうことが多く、花の時期は短い。

けれども、桜の花を塩漬けにすれば、香りや味を長く楽しむことができ‥ちゃぅ。

桜の塩漬けの作り方

①八重桜100グラムを水洗いして水気を切る

②塩25グラムをまぶして密封する

③3日ほど重石をして水を抜き、梅酢30㎖を混ぜる。

④再び3日ほど水を抜いて、2日陰干しすれば完成。

数カ月は保存できます。

桜の塩漬けの楽しみ方

桜湯

塩抜きした桜の塩漬けに白湯を注いで飲む。

お祝いの席では、お茶は「茶を濁す」ことに通じるとされているため、代わりに桜湯が用いられる。

桜ご飯

塩抜きした桜の塩漬けを細かく刻んで温かいご飯に混ぜ込む。

ほんのりピンク色の可愛らしいご飯と‥なっちゃぅ。

桜風呂

塩抜きしないままの桜の塩漬けをガーゼなどに包んで、湯船に浮かべる。

もわっと湯気と共に春の香りが風呂に充ちる💋

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