茅の輪くぐりのご利益(効果)・意味や由来(起源)と歴史!「くぐり方の作法」を伝授!

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茅の輪くぐりを知っていますか?

ふと、神社に立ち寄った時、神前の前にある大きな輪を見かけたことはないでしょうか?

茅の輪は、神道における祓いの一種で、とても歴史のある儀式の1つです。

今回は、茅の輪の歴史や、由来、意味、作法など、茅の輪の色々なことをご紹介します。

祓いの効果のある、茅の輪くぐりを取り入れることで、悪運を祓い、いい気を手繰り寄せましょう!

 

茅の輪(ちのわ)くぐりとは?

神道における、心身の穢れを取り除く方法として禊(みそぎ)や手水が挙げられますが、祓もよく用いられる儀礼の1つです。

そもそも、日本人は古来、心身の穢れを祓いで清める「祓(はらえ)」を重視してきました。

それは、古代の日本人にとって稲は神の御恵みによる神聖なものであり、穢れのない身体で農業に従事することが重要だと考えられてきたためです。

禊を祓いに含める場合もありますが、浄化儀礼という点では共通するものの、禊は1人で行えるものであるのに対し、祓は神職によって行ってもらわなくてはなりません。

また、禊は個人的な儀礼であることに対し、祓は主に集団に対して行われます。

このような、集団で行う祓を全国的な大規模で行うのが「大祓(おおはらえ)」です。

そして、この「大祓」で、罪や穢れを祓う祭具の一種として登場するのが「茅の輪」です。

「茅の輪くぐり」とは、神前の鳥居や拝殿に立っている、茅(ちがや)を束ねて出来た輪を、参拝者がくぐることを指します。

参拝者は茅の輪をくぐることで、罪や穢れを祓うのです。

茅の輪くぐりは、別名、胎内くぐりとも呼ばれています。

これは、茅の輪を胎内に見立て、その輪をくぐることによって、生まれたときと同じように穢れを清めて、災厄から逃れるという考えから呼ばれています。

「大祓」とは?

「茅の輪くぐり」をもっと深く知るために、「大祓」をもう少し詳しく抑えておきましょう。

そもそも、茅の輪は、「大祓(おおはらい、おおはらえ)」と呼ばれる神社の行事に登場します。

「大祓」は、主に神社で行われる、神道儀式の祓(はらい、はらえ)の1つです。

祓とは、身に降りかかる、厄や災難、罪や穢(けが)れなどの汚れを浄化する役目のあるの儀式です。

ここでの罪とは包み隠されること、穢れとは気が枯れるという意味を指します。

「祓」自体は、宮中や神社では日常的に行われている儀式ですが、「大祓」は特に、あらゆる人民の厄や災難、罪、穢れを祓うという儀式としてこのように呼ばれているのです。

「大祓」は、年に2回行われます。

毎年、6月と12月の晦日、新暦でいう6月30日と12月31日に行われます。

6月の大祓を「夏越の祓(なごしのはらえ)」、12月の大祓を「年越しの祓(なごしのはらえ)」と呼びます。

なぜ、6月と12月なのか?

その理由は、この期間に、生活の中で生じてしまった、罪や穢れを祓い清める神事だからです。

そのため、大祓では、1年の半分に差し掛かった6月と、1年の締めくくりである12月に神事を行います。

また、1年の半分が無事に過ぎ、これからの半年も無事に大過なく過ごせることを祈願する行事とも言えます。

全国の神社では、この期間に一斉に穢れを除く儀礼が行われます。

いわば、「日本の精神世界の大掃除」とも言えるかもしれません。

ただし、伊勢神宮だけは、大祭が行われる前の月の末日に大祓は行われます。

ちなみに、6月に行われる「夏越の大祓(なごしのおおはらい)」の「夏越(なごし)」が「和ごし(なごし)」に繋がることから、疫神を和ませて災厄を鎮める「和ごしの祓」であるとも言われています。

茅の輪くぐりと大祓の関係性とは?

現在、全国各地の神社で行われている大祓式の行事内容は、大きく2つに分けられます。

その1つが、人形(形代)に半年間の罪や穢れを移すものです。

大祓では、紙で出来た、人形(ひとがた)や形代(かたしろ)を用いります。

そして、もう1つが、茅(ちがや)で作った大きな輪をくぐることで祓いを行う「茅の輪くぐり」です。

この2つの神事が合わさって、初めて大祓は完成します。

主に6月の大祓で行われる「茅の輪くぐり」ですが、一部の神社では、年越えの祓いでも行われます。

災厄を祓い清める儀式である大祓には茅の輪は欠かせないものです。

ところで‥「茅の輪」って何?

半年の罪や穢れを祓う「大祓」で、ひときわ目を惹くのが、「茅の輪」です。

茅の輪とは、茅(ちがや)というイネ科の植物を束ねて作ったしめ縄を、直径6尺4寸(1,939.392mm)の大きな輪にして、神前にある参道に立てて、八の字を描くように3回くぐりながら唱え詞を言います。

ちなみに、なぜ輪の直径が6尺4寸の寸法なのかは、神道の様々な定めが掲載されている『神祇提要(じんぎていよう)』という本の中に書かれています。

この数は、天の28宿(東洋占星術で用いる28星座)と、地の36禽(きん)(十二支のように36方位に配された獣)の合計数になり、天と地のありとあらゆる世界、神羅万象を指している数字のようです。




なぜ「茅(ちがや)」を使うのか?

茅(ちがや)とは、イネ科の植物で、沖縄から北海道まで広く分布している、広線形の葉が特徴の50cmほどの雑草です。

古くは茅葺き屋根の材料として茎葉を乾燥させて使ったり、チマキを包む梱包材として利用したりしていました。

ちなみに、ちまきの名前の由来は「茅巻き(ちがやまき)」からきているそうです。

それにしても、なぜどこにでもある雑草で穢れ祓いができるのでしょうか?

その起源は中国にあります。

中国では古くから茅は魔除けとして、また神前に備える供物として使われてきました。

中国最古の歴史書である、『書経(しょきょう)』には、神前に捧げる供物の器に使っていたことが書かれています。

また、周の時代の礼法を表した書物『周礼(しゅらい)』には、祭礼の供物としても使われていたことが書かれています。

その理由の1つとして、漢字の「茅」の文字は、草冠に矛が使われており、葉の持つ矛(ほこ)のような形状が、強力な神の力を表していると考えられていたからです。

日本でも古来から、矛や剣、太刀などの刀剣は、魔を祓うアイテムとして神事に使用されてきました。

神前に大太刀を奉納する習慣も、多くの神社で行われている儀式です。

スサノオが出雲国で「八岐の大蛇(やまたのおろち)」を退治した際に、尾から出て来た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は熱田神宮のご神体にもなっている、三種の神器の一つです。

このように、日本においても刀剣は神聖な物であることから、剣状の葉をもつ茅も、中国と同じように神聖な力を持つと考えられていたのです。

茅の輪をくぐろう!「茅の輪の作法とは?」

茅の輪のくぐり方には作法があります。

茅の輪くぐりが設置されている場所は境内のどこ?

茅の輪は、通例では拝殿の前設置されています。拝殿とは本殿の前に本殿を守るようにして建つ、建物のことです。

拝殿には鈴とその下に賽銭箱が設置されており、通常の参拝者はこの拝殿にて手を合わせて祈願します。

くぐり方の概要

  1. まず、神社に入って手と口を清めます。
  2. 茅の輪の前に立ってご本殿に向かって一礼をします。
  3. 左足で茅の輪をまたぎながらくぐって、左に回り茅の輪の正面に立ってまた一礼(写真の①)
  4. 右足で茅の輪をまたぎながらくぐって、右に回り茅の輪の正面に立ってまた一礼(写真の②)
  5. もう一度、左足で茅の輪をまたいで左に回り、茅の輪の正面に立って一礼(写真の③)
  6. 最後に茅の輪をくぐって拝殿の前に行きお参り
1周目

1周目は、茅の輪の正面に立ち、本殿に向かって軽く拝礼(お辞儀)をします。拝礼は90度の姿勢が好ましいです。

それから、左足でまたいで茅の輪をくぐります。

くぐった後輪っかの左側を通って正面に戻ってきます。(左回り)

2周目

2週目は、1周目と同じように正面でお辞儀をしてから、右足でまたいで茅の輪をくぐります。

くぐった後、今度は茅の輪の右側を通って正面に戻ってきます。(右回り)

3周目

3週目は、1周目と同じようにお辞儀をしてから、左足でまたいで茅の輪をくぐります。

それから、再び、輪っかの左側を通って正面に戻ってきます。(左回り)

最後は再び拝礼(お辞儀)

最後に茅の輪をくぐり、本殿の拝殿の前でお参りをして締めます。

お参りは、通常の神社であれば「二礼二拍手一礼」ですが、稀に出雲大社(島根県)などに代表されるように「二礼四拍手一礼」のところもあります。

以上で茅の輪くぐりの所作は一通り終わりです。

くぐり方まとめ

以上、茅の輪をくぐる時、左側周りが2回、右側周りが1回の合計3回であることが分かります。

なお、場所によっては右足や左足の作法が省略されたり、はたまた、2度目に左まわりをするのではなく、右回りをして合計2回で締めくくるところもあります。

このあたりの所作は、その神社なり場所へ行くと看板などに作法のやり方が記載されています。

茅の輪くぐりを左右に回る理由

茅の輪をくぐる時は、「左→右→左」という回り方で茅の輪を八の字にくぐります。

ではなぜ、左右に分かれてまわるのでしょうか?

その理由は、諸説あるのですが、「左→右→左」という動作は、神道の様々な所作にも使われています。

例を挙げると、御手舎で手と口を清めるときも、「左→右→左」の順にお清めをします。

また、お清めのお塩を振る際も、「左→右→左」と振ります。

さらに、ご祈祷をお願いして、神主の方がお祓いの際に、振り清める大幣(おおぬさ)も、「左→右→左」の順に振られます。

このように、神道では、「左→右→左」が所作としてよく出てきます。

この所作の由来は、イザナギノミコトが禊祓をした際に、「左目→右目→鼻」と言う順番で洗い清めたことが由来だという説があります。

また、他の説として、イザナギノミコトとイザナミノミコトが結婚式のような儀礼を行う際に、大きな柱をイザナギノミコトが左周り、イザナミノミコトが右回りという流れで結婚をしたからという説があります。

このように、古くから「左→右」という流れは神道には根付いており、これが茅の輪くぐりの作法にも現れていると考えられます。

現在でも、日本の礼儀作法では、左の方が優位で大事という考え方が、神道のみならず考えとして残っています。

茅の輪くぐりでやってはいけないこと

茅の輪くぐりでしてはいけないことについてですが、茅の輪の茅を引き抜いてはいけないという作法があります。

昔は、この茅を持ち帰ることがお守りになるという迷信がありました。

しかし、現在では茅の輪の茅は沢山の人の厄を持っているものなので、茅を持って帰るのは災厄を持って帰ることと同じだと考えられるようになりました。

そのため、基本的に茅の輪の茅を抜いたり、持って帰ってはいけません。

ごく一部の神社では、持って帰る用の茅を用意しているところもあります。

そのような場合は、自分でも小さい茅の輪を作ってお守りにすることができるようです。

持ち帰れない場合でも、茅の輪のお守りを授与頂ける場合もありますので、行かれる予定のある神社へご確認ください。

茅の輪くぐりはいつするもの?

茅の輪が出没する時期は、きちんと決まっています。

茅の輪くぐりは、「大祓」が行われる期間に設置されます。

大祓は、毎年、6月と12月の晦日、新暦でいう6月30日と12月31日に行われます。

この2回は、1年を2季に分け、6ヶ月ごとの同じ行事を重ねる古代歴の制度によるもので、6月末と12月末は、1年の境目となっている重要な祓い日の神事です。

通常、大祓いに合わせて設置される茅の輪ですが、茅の輪くぐりは、神社によって、設置している期間が変わります。

そのため、お近くの神社にはご確認いただいた方が良いと思います。

一般的には、

夏の茅の輪くぐりは、6月30日(6月の末)までが基本です。

神社によっては、6月1日~7月7日まで設置している場所もあります。

年末の茅の輪くぐりは、12月31日(年末)までが基本です。

神社によっては、12月1日~1月7日まで設置している場所もあります。

茅の輪くぐりの歴史

「茅の輪」の歴史は古く、奈良時代(710~794年)初期に編集された、備後国(現在の広島県福山市辺り)の風土記である 『(びんごのくにふどき)』に書かれています。

また、鎌倉時代(1185~1333年)中期に、卜部兼方(うらべのかねかた)が編集した『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』には、『備後国風土記』から引用したとして、疫隈国社(えのくまのくにつやしろ:現広島県福山市素盞嗚神社)に「茅の輪」が見られた記載や、「蘇民将来」という伝説から、厄除けの神様である牛頭天王を祀った神社や、スサノオノミコトを祀った神社で「茅の輪くぐり」が行われていて、その風習が他の神社にも採用されるようになったということが記載されています。

また、宮中における「茅の輪くぐり」の歴史も古く、宮中に仕える女官達によって書き継がれた当番制の日記に記されています。

この日記は、室町時代(1336~1573年)にあたる文明9年(1477年)から、なんと350年分の御所での天皇の日常の動向や、宮廷行事が収められている『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』と呼ばれる日記で、毎年朝餉(あさがれい)の間(ま)で茅の輪くぐりが行われたことが記されています。

このように、古くから続く「茅の輪くぐり」ですが、そもそも、茅の輪くぐりという神事は、6月の末に行われる「夏越の祓」の行事に追加されたものです。

その理由は、「夏越の祓」は、日本神話に出てくるお話の1つに、イザナギノミコト(伊弉諾命)が死者の国から帰ってきて体についた穢れを払うために行った「禊祓(みそぎはらえ)」という神話に由来しているからです。

ちなみに、この禊祓の時に、スサノオノミコトやアマテラスオオミカミ(天照大御神)と言った神様が産まれたとされています。

現在では、全国に広がる「茅の輪くぐり」ですが、発祥の地とも言える広島県などでは、7歳の子は必ず「茅の輪くぐり」をするという風習が残っています。




茅の輪くぐりの由来や起源

茅の輪くぐりと日本神話

それでは、茅の輪くぐりの由来となった「蘇民将来(そみんしょうらい)」のお話を見て見ましょう。

昔々、北海の神様である武塔神(むとうしん、むとうのかみ)という人がいました。

この、武塔神は、牛頭天王(ごずてんのう)とも呼ばれ、素戔嗚尊(スサノオノミコト)とだとされています。

ある日、武塔神は、南海の娘を嫁にしたいと旅に出ます。

旅の途中で、日が暮れてしまい、泊めてもらう宿を探していたところ、辺りで一番の大きなお金持ちの家がありました。

その家の主である巨旦将来(こたんしょうらい)に、「一晩泊めて下さらないか?」とお願いをしましたが、意地の悪い巨旦は、「家は、貧しいから、客人など到底泊められるわけがない」と嘘をつき断ってしまいました。

困った武塔神が、ポツポツ歩いていると、1軒の貧しい家の前に辿り着きます。

今度はその家で、「泊めてくださらないか?」と武塔神が尋ねると、主である蘇民将来(そみんしょうらい)は「粗末な家で、汚れていますが、どうぞお入りください」と優しく招き入れてくれました。

そして、武塔神に栗のご飯を炊いておもてなしをしてくれました。

翌日、武塔神は、たいそう喜び旅へと出発します。

数年後、武塔神は、南海の娘との間に生まれた8人の子供と再び蘇民将来の家を訪れます。

武塔神は、蘇民将来に、「あの時のお礼がしたい。あなたの子供に茅で作った輪を腰につけさせなさい」と言います。

蘇民将来は、言いつけ通り、茅で輪を作り、子供の腰につけさせました。

すると、その年に流行った疫病で、他の子供は次々に死んでしまいましたが、蘇民将来の子供は生き残りました。

生き残った子供に、武塔神が再び現れてこう告げます。

「私の本当の名は、速須佐雄の神(すさのお)である。今後、再び疫病が流行したら、私は蘇民将来の子孫であると言って、腰に茅の輪をつければ、病から生き残ることが出来るであろう」

武塔神の正体は、悪いことを追い払う神様、スサノオだったのです。

蘇民将来の子孫たちは代々、あの時、武塔神が言われたように「蘇民将来」と書いた茅の輪を身に着けていました。

それがお守りとなって、幸せに暮らしたという言い伝えが残っているのです。

ちなみに、三重県伊勢市の二見(ふたみ)にも同じようなの「蘇民将来」の説話が残っていますが、こちらでは武塔神が牛頭大王(ごすだいおう)となり、竜宮城を目指して旅をしています。

また、牛頭大王が宿泊のお礼に蘇民将来に渡すのは、宝の珠(たま)であり、優しい心の者がその珠を持っているとお金持ちになるとされています。

牛頭大王は2回目に訪れた際に、茅の輪を渡すので、若干、武塔神が出てくるお話とは異なりますが、大筋は同じ話と言えるでしょう。

茅の輪くぐりの由来と意味

では、ここで、「茅の輪くぐり」の由来と意味をまとめてみましょう。

茅の輪くぐりの由来

先ほどお話したような、「蘇民将来」の伝説が、「茅の輪」の由来となってます。

蘇民将来の子孫たちは代々、あの時、武塔神が言われたように「蘇民将来」と書いた茅の輪を身に着けていることで、幸せに暮らしたと言う伝説から発生した風習です。

現代では、「蘇民将来」は、疫病除けの神または邪気退散の呪符・護符の一種の代名詞となっています。

蘇民将来の護符には、「蘇民将来子孫」などの文字が記されていて、六角柱または八角柱の短い木の棒の形状をしているものや、房状の飾りや紐をつけて帯に結び下げるようになったもの、小さい茅の輪に文字が書かれた木札がついているお守りもあります。

また、そのような「蘇民将来」と書いた木札のお守りを注連縄(しめなわ)に取り付け、家の玄関口で悪いことを追い払ってくれるといった信仰も残っています。

そのため、お正月には、牛頭天王=武塔神=素戔嗚(すさのお)に縁の深い神社など、各地の社寺で配られています。

このようにして、当初、身につけていたお守りである茅の輪も、大きな茅の輪をくぐることで、茅の輪が疫病や罪穢を祓ってくれるという信仰から「茅の輪くぐり」は生まれました。

「茅の輪」が現在のように大きくなり、「茅の輪くぐり」として変化していったのは、江戸時代です。

一説では、武塔神であった、スサノオノミコトが、八岐大蛇(やまたのおろち)という伝説の大きな大蛇を退治したと言う神話になぞらえて、茅の輪を大きな大蛇に見立て、それをまたぐことで退治するという意味で広がったとも言われています。

茅の輪くぐりの意味

「茅の輪くぐり」を行なう意味は、先ほどご紹介した「蘇民将来」の伝説が由来となっているので、「茅の輪くぐり」の意味だけを考えると、主に、子孫繁栄や病気平癒などを祈願して行なわれています

しかしながら、「茅の輪くぐり」が行われる「大祓」は、半年の間に身についた罪や穢れを祓う「祓」の儀式の一環として行われます。

私たちが半年間の生活を送っている中で、知らず知らずのうちについてしまった、災厄を取り払い、その後の半年間を健康で幸せに生きれるようにとの願いも込めて行う行事です。

したがって、「厄除け」の意味もあります。

また他にも、無病息災や厄難消除、開運厄除などのご利益も期待できます。

茅の輪くぐりの意味(ご利益)

  • 子孫繁栄
  • 病気平癒
  • 無病息災
  • 厄難消除
  • 開運厄除

茅の輪くぐりの唱え詞(となえことば)

茅の輪をくぐる際には、唱え詞を言いながらくぐると良いと言われています。

唱え詞とは、仏教で言うことろの、「お経」のようなもので、神様へ近づくための大切な行いの1つとされています。

神道では、神様にお願いをする時には、自らを祓い清めることが大切だと考えられていることに繋がります。

また、日本では、古くから言葉には霊力が宿っていて、言葉を口に出すことで、その力が発揮されるという言霊(ことだま)の信仰がありました。

神社でお参りをする時に、願い事を声に出して唱えた方がいいとされるのも、このような考え方からきたものです。

これらの、唱え詞や和歌は、必ずしも暗記しなければならないものではありません。

茅の輪くぐりの近くに掲示されている場合もあります。




お祓い唱え詞

茅の輪くぐりをする際には、このような唱え詞をいいながら茅の輪をくぐります。

「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え(はらいたまい、きよめたまえ、かむながらまもりたまい、さきわえたまえ)」

意味は、このようになります。

「お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力によりお守り下さい、幸せにして下さい」

通常の神社参拝や神棚を拝む時などでも、聞いたことがある方はいらっしゃのではないでしょうか?

この詞は、祝詞の一種でもあり、「略拝詞(りゃくはいし)」とも呼ばれ、神さまに対して、自身のお祓いとお力添えをお願いする意味があります。

この祝詞は、茅の輪くぐりの時に関わらず、いつでもどこでも唱えると良いとされる祝詞です。
いつどこの神社や神棚でもいいですし、祖先の霊を祭るための神棚であっても、さらには墓参時に用いても良いとされています。
また、この祝詞は、心の中で念じても、口に出して念じても良いのです。
常日頃から、このような祝詞を唱えることで、神様と近しい関係でいれば、おのずと運も開けてくるでしょう。
是非とも覚えたい唱え詞です。

お祓い唱え和歌

また、茅の輪は、和歌を言いながらくぐる場合もあります。

その唱え詞は、周ごとに違います。

1周目は水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶと云うなり(みなづきの なごしのはらえ するひとは ちとせのいのち のぶというなり)です。

訳すとこんな感じになります。

「六月に「夏越の祓(なごしのはらえ)」をする人は、みな長く寿命を延ばすというそうだ。」

この言葉は、平安時代の『拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)』にある歌です。 「夏越の祓」のご利益である、無病息災を詠んだものです。

2週目は思ふこと みな尽きねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓ひつるかな(おもうこと みなつきねとて あさのはを きりにきりても はらえつるかな)です。

訳すとこんな感じです。

「六月に「悩んでいることはみな尽きてしまえ」と、麻(あさ)の葉を切りに切ってお祓いをするのだ」

この言葉は、平安時代の『後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)』に登場する、和泉式部の歌です。

「大祓」では、麻の葉を切り裂いてお祓いをする儀式があるためこのように歌われています。

3週目は宮川の 清き流れに 禊せば 祈れることの 叶はぬはなし(みやかわの きよきながれに みそぎせば いのれることの かなわぬはなし)です。

訳すと、「神社に流れる川の清らかな流れで禊(みそぎ)をするならば、祈ったことで叶わないことはない。」となります。

3週目に関しては、「宮川の~」ではなく「蘇民将来 蘇民将来(そみんしょうらい そみんしょうらい)」と唱える場合があります。

また、特に1周目の「水無月の~」の歌が有名なため、それだけを3度唱える場合もあります。




茅の輪の飾り方

茅の輪くぐりが年末の「年越の祓」であれば、お正月飾りのしめ飾りぐらいの大きさの茅の輪のお守りなど様々な厄除けのお守りが神社によって授与されます。

身に着けるお守りではなく、飾り付けるものであれば、家の適当な場所に飾ります。

故事にちなむと玄関先に、表側を外側に向けて顔より高い位置に飾ります。

神棚の場合は神棚の状態にもよりますが、神棚をきちんと南向きか東向きにしていると思いますので、神棚にお札ときちんと並べるなどするか、掛けるなどします。

飾りつける期間は、次の茅の輪が飾られる時(半年後)までや、6月の「夏越しの大祓」で手に入れた茅の輪であれば、秋のお彼岸までなどと言われています。

神社によっても異なりますので、気になる方は神社にお尋ね下さい。

茅の輪の飾り付けるところですが、故事にちなむと玄関先に、表側を外側に向けて顔より高い位置に飾ります。

神棚の場合は神棚の状態にもよりますが、神棚をきちんと南向きか東向きにしていると思いますので、あとはお札と並べるなど適当な場所に置くか、掛けるなどします。

茅の輪くぐりに行ってみよう!

年に2回しか出来ない「茅の輪くぐり」です。

せっかくですから、是非とも参加しましょう!

茅の輪くぐりはどこで出来るの?

茅の輪くぐりは、全国の神社で行われています。

近くの神社のホームページを確認して、「お知らせ」や「年中行事」を見ましょう。

神社の掲示板にポスターなどで掲示してある場合もあります。

神社によっては、「茅の輪くぐり」という名前ではなく、「大祓」や「夏越の祓」、「年越しの祓」として茅の輪くぐりを行っている場合もあります。

しかし、必ずしも「大祓=茅の輪くぐり」ではないので、茅の輪くぐりを体験したい方は神社に問い合わせしましょう。

全国の茅の輪くぐり

全国には珍しい「茅の輪くぐり」が出来る神社があります。

お近くの神社があれば是非足をお運びください。

京都府の車で茅の輪くぐりが出来る神社:城南宮

城南宮は、平安時代の寝殿造りの庭が見られるとても風流な神社で、方除のご利益が得られるとしても有名な神社です。

この神社では、全国的にも珍しい車の茅の輪くぐりができる神社です

駐車場に設けられた、直径5mにも及ぶ、大きな茅の輪が特徴で、神職が1台ずつお祓をしてくださいます。

その後、交通安全を祈念しながら、自動車やバス・トラックまでも、乗車したままくぐり抜けます。

ただし、7月に入ってからの期間の設定の場合があるのでお気を付けください。

 城南宮の公式ページ:https://www.jonangu.com/index.html

東京の限定御朱印を頂ける神社:牛天神北野神社

鎌倉時代に、源頼朝公が岩に腰掛け休息中にうとうとしていると、夢に牛に乗った菅原道真公が現れて、「2つの喜びがある」と告げられました。

すると、翌年にその喜びがあったことから、頼朝公がこの岩を祀り、牛天神を創立したのが牛天神北野神社の始まりです。

境内には、牛の形をした岩「ねがい牛」があり、撫でると願いが叶うとされています。

この神社では、「夏越の祓」、「年越しの祓」とそれぞれの限定御朱印が頂けます。

 牛天神北野神社:http://ushitenjin.jp/

島根の出雲大社はユニークな茅の輪くぐり:出雲大社

有名な出雲大社でも、大祓式が行われ、一般の方も参加が可能です。

神職の方と大祓祝詞を唱えて、無病息災を祈ることができます。

出雲大社に設置される茅の輪は他の神社と少し違います。

形が、輪ではなく、馬蹄の形をしているのです。

神職さんが後ろについて、一人ひとりU字型の茅の輪を縄跳びのようにまたがせてもらう茅の輪くぐりです。

全国でも珍しい茅の輪くぐりはいかがでしょうか?

 出雲大社:http://www.izumooyashiro.or.jp/

埼玉の竹寺はお寺なのに茅の輪くぐり:飯能竹寺

お寺なのに、鳥居がある不思議な場所である竹寺は、神様と仏さまが1か所で祀られるのが普通だった江戸時代までの神仏習合の姿を残している「東日本唯一の遺構」です。

病気消除や出世開運のご利益があるとされるお寺で、その本尊は、あの蘇民将来のお話に出てくる牛頭天王
です。

蘇民将来の神様と言えば、茅の輪くぐりの由来となった神様ですし、お寺に鎮座されているのも珍しいです。

 飯能竹寺:http://www.takedera.com/index.html

まとめ

茅の輪くぐりには、くぐり方の作法や、くぐる時に唱える言葉があることが分かりました。

また、その歴史は古く、色々な意味があり、沢山のご利益を得られそうだということも分かりました。

夏を迎えるこの時期に、疫病を防ぐ伝説が残る「茅の輪」は、今のご時世にピッタリな祓いの儀式です。

是非皆さんも、そんなご利益がある茅の輪をくぐって半年間の罪や穢れを祓うとともに、疫病退散のご利益を頂くのはどうでしょうか?

ご興味がある方は、近くの神社に足をお運びください!

Writing:YUKIKO-加藤

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