このページでは二十四節気「小満」の七十二候・初候における「蚕起食桑」「苦菜秀」の意味・由来・読み方についてご紹介しています。
目次
蚕起食桑の読み方
蚕起食桑は「かいこおきてくわをはむ」と読みます。
蚕起食桑とは?
蚕起食桑とは、二十四節気の「小満(しょうまん)」をさらに3つの節気に分けた「七十二候」の1節です。
72の節気を持つ七十二候においては「第二十二侯(第22番目)」の節気、「初候(しょこう)」にあてられた語句になります。
太陽の黄経は60度を過ぎた地点です。
小満期間中のその他の七十二候の種類・一覧
初侯:蚕起食桑
次侯:紅花栄
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末侯:麦秋至
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蚕起食桑の意味・由来
日本(略本暦)での解釈
「蚕起食桑」の意味は「蚕」「起」「食」「桑」の言葉に解体すると理解しやすいのですが、蚕とは毛虫の一種である口から糸を出す「カイコ」のことです。
桑は樹木のクワのこと。この言葉はカイコが主体となって完結している言葉です。
すなわちまとめると、「蚕起食桑」とは、「蚕種(さんしゅ/卵)から孵化したカイコ(蚕)が盛んに桑(クワ)の葉を食べる頃」という意味があります。
明治時代の養蚕は日本の基幹業種
明治時代、養蚕業や製糸場と言えば当時の日本が掲げた富国強兵の礎ともなる日本の基幹産業でした。日本初とも言われる官営製糸場の富岡製糸場が有名です。
明治時代の農家は農業と養蚕業を併行して行なっており、実に国内の約40%もの農家が養蚕業を営んでいたと言われます。
現今に至っては、2016年の調べで全国の養蚕農家数が349戸と発表されています。少子高齢化の波や価格の暴落、化学繊維の普及の影響もあり、年々、減少の一途を辿っています。
カイコが孵化してから成虫になるまでの期間
カイコは孵化してから20日前後で8㎝くらいの大きさになり、自身の生涯でもっとも盛んに桑を食べます。しかもなぜかクワしか食べないという変わった生物でもありんす。
カイコは生涯で4回脱皮を重ね5令幼虫が最後の形態になります。(中にはごく稀に「2眠蚕」といってもう一回脱皮するカイコもいる)
30日前後すれば突如、食べるのを止めて頭をヒョコッと起こして静止して動かなくなります。これを「眠の状態」と呼称します。
カイコが眠の状態になるときは脱皮する時か、もしくはいよいよ繭を作って蛹化(サナギになる)する時です。
自身を覆う繭はわずか2日から3日で完成させます。蛹化してからおよそ2週間で完成した繭からカイコが出てきます。
成虫となったカイコは食べることができない?
蛹から成虫になったカイコは子孫を残すために後尾して卵を産みますが‥なんと!カイコは繭から出たのちわずか5日〜10日で餓死して死んでしまいます。その理由は分かりますか?
ちょっと考えてみてください。
・・
・・
はい!残念無念!正解は‥
「口があっても口が使えないんです」
すなわち、摂食行動(餌を食べること)ができないので5日〜10日で餓死してしまうんです。
だから羽化してからわずか10日の間に後尾をして子孫を残して儚くもその命を散らせて逝きます。
一方、カイコくんたちが残した繭は私たちの身近な存在である高級品として知られる「シルク(絹糸)」として利用されます。
カイコは古来、「おカイコ様」と呼ばれていますが、絹糸が衣服を作るための材料であるならば、私たち人間の生活は欠かすことのできない昆虫であることから「様」が付されているのです。
カイコが桑を食べる音が季語?
桑の葉は割と硬いため、蚕が桑の葉を食べる時はカサカサと音がします。養蚕を営む農家などはたくさんの蚕を飼うことから、それら幾多の蚕がクワの葉を食べる時の音は小雨のような音になります。
一説では、このたくさんの蚕が桑の葉を食べる音が、梅雨をイメージすると言われ、梅雨入り前を告げる季語として用いられることもあります。
季語?「夜桑摘む」
カイコたちがあまりにもたくさんクワの葉を食べることから、その量を推し量る言葉として「夜桑摘む(よぐわつむ)」という言葉まで誕生しています。
意味はなんとなくご察しの通り、昼間にクワの葉を摘み取ってくるだけではカイコくんたちが食べ尽くしてしまうことから、夜にも桑を摘み取ってくるの意味合いで「夜桑摘む(よぐわつむ)」と呼ばれています。
養蚕期間
現在の養蚕期間は5月~10月です。ちょうど立夏か小満の頃に開始されます。
5月初旬の養蚕は「春蚕(はるご)」と呼称し、夏は「夏蚕(なつご)」秋は「初秋蚕(しょしゅうさん)」「晩秋蚕(ばんしゅう」「初冬蚕(しょとうさん)」などと言われ、その時期によって呼称が異なります。
蚕の育成は餌となるクワの木の量の加減もあり、おおむね年3回の養蚕が行われます。
旧暦4月は桑を摘み取る月
旧暦4月といえば桑と摘み取る月としても知られており、別名で「木の葉採り月(このはとりづき)」とも言われます。養蚕農家にとってカイコくんたちと同様に大切なのがカイコくんたちが食べる桑の木です。
良質のクワの木を育てるためには入念な管理や育成方法が必要になります。
蚕は人が世話しないと生きていけない
蚕は古くから人が育んできた生物であり、人の世話なしには生きていくことができないことから、別名で「家蚕(かさん)」とも呼ばれます。
カイコはいつから地球上にいる?
のぉあんと!結論から申せば、現在のカイコがいつから地球上にいるのかは一切、不詳とされています。
これはどういうことかといいますと、現在のカイコの形態をした生物が地球上に存在しないためです。
そこで、学説においてはカイコと形態が類似した「クワコ」をカイコの祖先と位置付け、現在までクワコがカイコのルーツとして半ば定説になっています。
しかしながら、クワコはカイコと同じ蛾の仲間ですが、カイコとクワコとでは習性が異なることやクワコの吐き出す糸は切れやすいなど、現在この説に関しては異論が唱えられており、そうなればカイコの存在がますます謎に包まれることになります。
現代人はカイコの存在は知りつつも、日常生活においてカイコを飼ったことがない方が大半だと思いますが、カイコは人類にとって身近な存在であり、今や切っても切り離せないほどの存在なのです。
ただ、よくよく考えてみればカイコほど未知に包まれた生物はいないとも言えます。
カイコと人類の共存年数
現在の通説では、カイコと人間の共存の歴史は少なくとも5000年はくだらないと云われます。
漢の時代、司馬遷によって編纂された歴史書によれば、紀元前2510年~紀元前2448年の皇帝その名も同じく「黄帝(こうてい)」の皇后(嫁ハン)である「西陵氏」が、ある時、庭で繭を作る昆虫を見つけ、黄帝にねだって飼い始めたと伝えられいます。これが人間とカイコとの馴れ初め、すなわち、遭遇の起源となるようです。
また、西陵氏はカイコの吐き出す糸から絹織物の製法を確立したされ、これが養蚕の起源と伝えられており、はたまた、「絹(シルク)」の語源は、「西陵氏」の名前の読み「Xi Ling-shi」に因んで名付けられたと考えられています。
カイコは自然界に存在しない未知の生物
現在、カイコは自然界には存在しない生き物の1種です。かつては自然界に存在していたようですが、飛ぶことはできても摂食行動をとれないことや捕食されたため、徐々に数を減らし時代を下る過程で絶滅したと考えられています。
しかし上述したようにカイコは人間と共存してきたおかげで、人類に育まれながら今日まで生き抜いてこれたのです。
カイコは飛べない
現在のカイコは飛ぶことができないことから、「カイコは飛べない」とされているのが定説になっています。
しかしこれは大きな間違いで江戸時代以前のカイコは繭から飛び出て来たあとは自由に空を飛んでいたんです。
ではなぜ飛べなくなったのか?‥というと、明治時代に養蚕業(ようさんぎょう)は最盛期を迎えたのですが、この時、カイコからできるだけたくさんの絹糸、すなわち繭と獲るためにカイコの品種改良が行われており、その結果、身体が大きく羽が小さい、いわゆる飛べないカイコが誕生したのです。
このカイコくんたちの子孫が現今に見られるカイコくんの祖先になるので、必然的に「飛べないカイコ」になっています。
中国(宣明暦)の小満の初候・第二十二侯の七十二候は「苦菜秀」!
中国における小満の初候・第二十二侯の七十二候は「蚕起食桑」ではなく、「苦菜秀」と書いて「くさひいず」と読みます。
苦菜秀の意味
「苦菜秀」は「苦菜」と「秀」に分けると理解が早いのですが、「苦菜」は植物の「二ガナ」のことです。「秀でる」は「ぬきんでている」「非常にすぐれている」などの意味合いがあります。
この「秀」を「苦菜」という漢字を付せば「苦菜が秀でる」となりますが、この場合、秀でるを植物の生長具合や発育具合に置き換えています。
すなわち、意味合いをまとめると「苦菜(にがな)がよく茂る頃」です。
苦菜(二ガナ)の生態
苦菜は日本だけではなく、中国や韓国にも自生するキク科ニガナ属の多年草です。
苦菜は5月〜7月頃に花弁を付けます。ちょうど立夏か小満の頃に花を付け7月いっぱいまで咲き誇ります。
「苦菜」という名前の由来は、茎や葉の乳液状の液体が苦い事が由来しています。
蚕起食桑の日にち(期間)
- 太陽暦:5月21日〜25日頃
- 旧暦:四月中(四月の中気)