七福神の「布袋尊」とは何の神様?ご利益・ご真言や由来、モデルとなった僧は誰?

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七福神の一人「布袋尊」は、なんとなく「福の神である」ことがわかっているけれど、実際には何の神様なのかあまり知られていない側面も!

今回は、そんなちょっとマイナーな七福神「布袋尊」について、ご利益、ご真言、歴史や由来などをご紹介します。

布袋尊、読み方は?

いきなりですが、「布袋尊」の読み方について(どう読むのかな……)と迷うのは、実は結構よくある話です。

芸能人に「布袋寅泰」さんという方がいらっしゃいますが、あれと同じかな?

はい、正解! 同じです。

「布袋」は「ほてい」と読みます。

布袋尊、と書かれている場合は、そのまま「ほていそん」と読んで大丈夫。

この他に、布袋さま、と表記されている場合も「ほていさま」と読みます。

布袋尊の見た目と持ち物

七福神をぱっと見て、「これが布袋尊だ!」と見分けることのできる特徴についてお話しましょう。

布袋尊の性別と体型

まず、七福神の中で、布袋尊は男性の神です。

サイズは横に大きく、おそらく七福神の中で一番くらいに横に大きく、描かれていることが多いでしょう。

たいていの場合、着物がかなりだらしなくはだけています。ほんとに神ですか? くらいにはだけています。むしろ何も着用していないのではないか位に適当で、太鼓腹が露出して出っ張っていることが多いです。神でなければ大問題です

そして、むちゃくちゃ楽しそうに笑っていて、福耳で、いかにも本人が幸せそうですし、幸せを運んできそう。

明らかにメタボなのに、もう何も問題ないような感じになってしまっています。

持ち物①布の袋

持ち物の特徴として、「布袋」という名前のとおり、サンタさんが持つような大きな袋が挙げられます。

袋が棒にささっていることもよくあります。というのは布袋のモデルとなったお坊さんは、各地を放浪する旅人でしたので、棒で袋を吊して担いでいた姿を表現しているためです。

七福神の中では、大黒天も袋を持っていることが多いので、袋だけでは見分けがつかない時は、ちょっと悲しいけれど「腹が露出しているかどうか」で判別しましょう。

大黒天も恰幅の良い体型ですが、腹部を露出していることはまずないようです……。モラル派なのね。

布袋さんの布袋の中身はなに?

さて、とはいえこの袋、中身が気になるところ。

袋の中身について布袋様本人は、生きている間に「人々に分け与える幸運が入っている」と名言していたそうですが、正確に何が入っているかを見た者はいないそうです。

もしかすると本当に幸運が入っていたのかも!

持ち物②軍配団扇(ぐんばいうちわ)

布袋尊の持ち物としては、他に「軍配」が挙げられます。軍配は、持っている時が多いですが、持っていないこともあるようです。

布袋様の軍配は、実は占いの道具。

武田信玄が軍配を持っている姿は有名ですが、日本でも戦国武将は戦いのために占いを参考にしていて、それを占う大切な道具が「軍配」だったわけです。

軍配では、その場、あるいは占う相手の「気の流れ」、もしくは「天気」を知ることができると言います。

布袋様も生前、人の命運や天気をよく占ったと伝えられており、「生前軍配を持っていた」という伝説はないのですが、これらのエピソードが軍配という持ち物につながったものと考えられます。

布袋尊のご利益!主に3つ

布袋尊のご利益は主に3つあると言われます。順番にご紹介します。

布袋尊のご利益①夫婦円満

布袋尊は夫婦円満の神……と言われているのですが、それはなぜでしょうか?

それは布袋様の持つ袋に秘密があるようです。

中身は不明と言われる布袋尊の袋ですが、一説によれば生活必需品が色々と入っている、とも言われます。

そういえば、布袋尊は特定の寺に住まずに放浪した僧ということだったので、生活に必要なものが入っているのはうなずけるかも……。

このため、布袋様にあやかると、生活に必要なものが揃い夫婦のケンカがなくなると言われます。確かに、生活必需品も揃わないような状態だと、貧しくて相手のことが好きという気持ちもなくなってしまいますものね……(悲)

次いで、この袋には別の秘密もあるようです。

それは「堪忍袋の緒を締める」という秘密の役割。

大体、相方が適当なことをすると誰しも激怒しますが、この状態を「堪忍袋の緒が切れる」と言いますよね。

これが切れないように、「堪忍袋の緒を締めて」くれるのが、布袋様の袋なのだそうです。

布袋尊のご利益②財福上昇

布袋尊の持つ袋について、人々を幸せにするものが入っている→つまり福袋! と見る向きが有力です。

こちらは福袋なので、中に入っているのは「とりあえず財運であろう!」と考えられてもいますが、同時に「いやいや、財運だけじゃなくて、無病息災とか、良縁とか、子宝祈願とか、ご長寿も入っている!」という見方も。

すなわち布袋様を信仰すればなんでもいいことがやってくる!

布袋尊のご利益③笑門来福

「笑う門には福来たる」とは日本人誰しも標榜していることではありますが、これは布袋様のご利益の1つ。

元々、布袋尊は禅僧です。禅僧の考え方として

「泣いても笑っても、一生は一生。同じ一生なら笑わにゃソンソン。笑えば福がやってくる」

というような教えが存在しています。

布袋尊が非常に晴れやかな笑顔をしているのは、そのため。

布袋様を信仰する人にも、笑うことを教え、福を招いてくださることでしょう。




布袋尊の由来!モデルになった僧とは誰!?

さきほど少し触れましたが、布袋尊は元々、仏や仏像ではなく、中国の禅僧がモデルになっていると言われています。

その僧の名前は……

「布袋さん」

あらまあ、ちょっとそのまんまですね。というか、布袋さんは布の袋を持っているから布袋さんなのではなくて、名前が既に布袋さんだったんですね。

中国の方ですから、苗字が「布」で名前が「袋」……じゃないですよ!

「布袋」はあだ名で、ちゃんと本名があります。

本名「契此」、伝説の僧

布袋尊の本名は「契此(かいし)」、もしくは「釈契此(しゃくかいし)」と言います。

中国では伝説的な僧侶ですが、実在はしたのかもしれません。生年は不詳、没年は917年であると伝えられています。この頃日本はまだ平安時代、醍醐天皇の御代でした。中国では唐の末期から、五代にかけて生きていた人であるとされています。

契此が僧としての活動を行ったのは、現在の浙江省、寧波(にんぽー)と呼ばれる都市で、現在でも浙江省には契此の石像などが多く残されています。

また「契此」というのは僧名であって、いわゆる俗名に関する情報は現在も全く発見されていないようです。

頭陀袋を持った恰幅の良い陽気な僧

契此は、常に頭陀袋を持ち歩いていたと伝えられます。このことから契此には「布袋」というあだ名がつけられ、それが周知の通称になったという説が濃厚です。

布袋に住まいはありません。特定の寺に住まずに行脚を続けていたと伝えられます。

運動量が多そうなのに、見た目はよく絵に描かれるような太鼓腹。常に笑っているのも、現在残されている布袋様の図絵の通りと言われます。

きっと素敵な方だったのでしょう(太鼓腹だけど)。

このように何となく親しみやすい布袋様は、やがて日本へ伝えられていくことになりますが、そのお話をする前に、日本に伝わる前に残したエピソードを見てみましょう。

布袋尊のエピソード

布袋尊のモデル人物がなかなか豪快で明るい人だったことがわかるプロフィールでしたが、布袋様はそれだけではなく、まだまだ不思議なエピソードに溢れています。

雪の中で寝ても寒くない

布袋様は特定の寺に住まず、様々なところを放浪していましたので、時に屋外で眠ることもありました。

そう、冬も……。

真冬、雪が降っている中、布袋様は寝ていました。場所は屋外、雪が降り積もっています。

ところが、布袋様のおからだの上だけ、雪が積もらなかった……

という話が残されています。

これは禅宗の説話集である『景徳傳燈録』に記載されたエピソードです。話からは布袋様の上にだけ、雪がつもらなかったのか、あるいは体温が高すぎて降った雪が解けてしまったのかは、わかりません。

しかし、とにかくこの方は真冬でも寒くないので、服装も夏のようにはだけた姿が一般的に描かれるようになったものでしょう。

天気や人の未来を当てる

布袋尊は人の未来を言い当てたり、天気を言い当てたりしたことがあるという言い伝えがたくさん残されています。

仏教の僧で、占い師のようなことをするのは珍しいタイプですね。

飄々として心穏やか

布袋尊は、様々な偈(詩)や歌を残したと言われていますが、その説くところはいずれも、素直な心の大切さであったり、あるいは、心を静かに保つことの重要性でした。

いつも笑顔で人々に幸せを振りまいた存在ですが、人間、常にそのように心穏やかでいられるわけではありません。

いられるわけはないのですが、それでも笑顔で素直に、正しい道を歩むことの重要さを教えてくれるのです。

布袋様は生き返った?仙人になった!!?弥勒菩薩だった!!!!????

布袋様は、一度亡くなり、そして生き返って、仙人になった(これを、「尸解(しかい)」と言う)と伝えられます。

布袋尊の没年は917年と伝えられているのですが、その直後からひんぴんと、布袋尊の目撃情報が相次いだのだそうです。

亡くなる前に布袋様は、

彌勒は真の彌勒にして分身百千億なり

時時に時人に示すも時人は自ら識らず(『景徳傳燈録』より)

という言葉を残しており、これを根拠に「布袋様は、実は弥勒菩薩だったのではないか!」と言われるようになりました。

実際、この話から、最初は「弥勒菩薩」として現在の布袋尊に近い、ふくよかな彌勒を描いた仏画が作成されるようになり、後にこれが鎌倉時代に日本に伝わって「布袋」として定着したものと考えられます。

日本における布袋様の歴史

鎌倉時代、日本では禅宗が勢力を持ち、禅の文化が発展しました。

そんな中、中国から伝わってきたのが「彌勒菩薩」の肩書きを持った、布袋様の絵です。

日本でも最初は、禅画のモデルとしてよく取り入れられました。

やがて庶民にも、布袋様は「福の神」として認知されることになります。

とにかく、いかにも良い物が入っていそうなアノ大きな袋と恰幅の良い体型を見て、誰もが「恐れ多い仏様」よりも、「親しみやすいおジイちゃま」を想像してしまったのでしょう。

最初は仏様の徳の高そうな姿で描かれていたものの、徐々に満面の笑み、月見をしてお腹を出している姿、寝ている姿など、ユーモラスなものが描かれるようになっていきました。

室町時代に入ると、他の福の神と合同ユニットを組んだ「七福神」という概念ができ始め、江戸時代後期に入って庶民にも完全に「7柱セット」で認知されるようになっていったと考えられています。

布袋尊の御真言

布袋尊のご真言をご紹介します。

真言は密教において重要視されている呪文の一種で、これを唱えると、該当する神仏のご加護を受けられると考えられている、力のある言葉です。

そして、布袋尊のご真言は……

おん まいたれいや そわか

となっています。

こちらは、仏教における弥勒菩薩のご真言と全く同じもの。

意味合いは、

  • おん→帰命し奉る(敬い、信じ、従います)
  • まいたれいや→弥勒菩薩様(弥勒菩薩は梵語でマイトレーヤと発音しますので、この部分は呼びかけと考えられます)
  • そわか→成就(願いを聞いて下さい、というような意味)

となっています。

布袋尊と弥勒菩薩の真言が同じなのは、先述のエピソードのとおり、布袋尊が亡くなる際に「布袋尊は実は弥勒菩薩の化身だった!」と思われるような詩を言い残したためです。

仏様は衆生を救うために姿を変えて現世に現れた、というような話はたくさん残されており、布袋様もまたその一人であると考えられたということでしょう。

オールマイティーの神「布袋様」を信仰してご利益Get!

これまで見てきたように、布袋尊のご利益は、夫婦円満から幸運財運まで、非常にオールマイティー!

特に現在結婚していたり、パートナーがいたりする、いわゆる「リア充」の皆さん注目の神様と言えるかもしれません。

いかにも幸せそうなお顔や体つきで、きっとそのサンタさんの袋から幸運をもたらしてくれるに違いありません。

布袋様のお祀りされている寺社を見つけたら、ぜひ幸運、良運をお願いしてみてくださいね。

他の七福神とあわせて「七福神めぐり」をされる方はこちら!→「「七福神めぐり」とは…どんなご利益がある?由来と歴史・やり方・時期など

Writer:陰陽の末裔/占い師・パワーストーンアドバイザー
あん茉莉安(ホームページ

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