梅雨時期はぐずついた天気が続き、洗濯物の干す場所に困ったり、蒸し暑くジメジメとして何かと鬱陶しい日々が続きますが、この時期は夏を迎える前の準備期間としてとても大切な期間です。
また、梅雨時期を一つのサインと捉えて、梅雨までにしておくこと、梅雨の後にすることなど、梅雨は季節の境目の期間ともなり得るもの。
本項では梅雨の別称・「入梅」の関連語である「出梅」の意味や言葉の由来を素敵に述べたい💋
出梅の読み方
出梅は「しゅつばい」と読みます。
また、「入梅(梅雨入り)」に対しての反意語という意味合いで「出梅(つゆあけ)」とも言います。
「入梅」の対義語が「出梅」!
入梅の対義語となるのが「出梅」です。
現在では出梅の日は定められておらず、日常的に言葉にされることもありません。おそらく出梅という言葉を知らない方も多いと思います。
しかし、かつては下記のように入梅と出梅はセットとして表記されていたのです。
旧暦以前の暦では「入梅」と「出梅」の時期が決まっていた?!
旧暦以前の暦では、以下のように入梅の日と出梅の日が定められていたようです。(以下、wikipedia/『日本歳時記』引用)
立夏後の最初の庚の日(5月10日ごろ)が入梅、芒種後の最初の壬の日(6月10日ごろ)が出梅 – 『埤雅(1125年)』
芒種後の最初の丙の日(6月10日ごろ)が入梅、小暑後の最初の未の日(7月12日ごろ)が出梅 – 『神枢』
芒種後の最初の壬の日(6月10日ごろ)が入梅、小暑後の最初の壬の日(7月12日ごろ)が出梅 – 『本草綱目』(1596)
芒種後の最初の壬の日(6月10日ごろ)が入梅、小暑後の最初の壬の日(7月12日ごろ)が出梅 – 『本草綱目』(1596)
芒種後の最初の壬の日(6月10日ごろ)が入梅、小暑後の最初の壬の日(7月12日ごろ)が出梅 – 『本草綱目』(1596)
芒種後の最初の丙の日(6月10日ごろ)が入梅、出梅に関する引用なし – 『三元帰正』
これに対し、貞享暦(江戸時代)を作暦した渋川春海は「入梅は芒種後壬日に入る、節目壬なれば次を用う。小暑後壬日出ず。或説夏至後、庚に逢って出る」としています。
これを現代風に訳すと次のようになります。
『節目が壬なれば、入梅は芒種後の最初の壬の日が入梅であり、小暑後の最初の壬の日が出梅となる』
『或いは夏至以降、最初の庚(かのえ)の日を出梅(梅雨明け)となる』
或いはで示されている通り、実際に夏至以降、最初の庚(かのえ)の日を出梅(梅雨明け)と定めていた地域もあるようです。
これは要するに日本大陸が縦長状態にあり、北端から南端までを俯瞰した場合、気象条件が北側と南側で異なるのは当然であり、つまりのところ、梅雨入り・明けの時期が地域によって異なるのは当然だということで「或説」を挿入することで遠回しにアピールしたのでしょう。
また、江戸時代の暦学者「渋川則休」は1744年(延享元年/江戸時代)に、入梅の日と梅雨の日数を次のように述べています。
甲乙年は、芒種後の2番目の壬の日が入梅、梅雨は21日間
(21日目が出梅)
丙丁年は、芒種後の2番目の申の日が入梅、梅雨は7日間
(7日目が出梅)
戊己年は、芒種後の2番目の庚の日が入梅、梅雨は14日間
(14日目が出梅)
庚辛年は、芒種後の2番目の戌の日が入梅、梅雨は21日間(21日目が出梅)
(壬癸年に関する言及なし)
しかしながら、江戸後期となる1844年に成立した旧暦(天保暦)においては入梅が135日目と定義され、出梅は入梅から30日目と定められることになります。
現今の気象は大気汚染などの影響もあってから、従来までとは大きく異なり、年度によって梅雨入りの時期に遅速が生じていますが、元来、梅雨と言えば7月中旬には明けるものと捉えられていたのです。