年の瀬(年末)近くになると、概ね日本中の家庭内のみならず、社内でも大掃除が開始されます。
年末の大掃除は普段から日常的に行う掃除方法ではなく、デスクや棚を動かしたり、床にはワックスをかけるなど、普段とはまた一味も二味も違った掃除を行います。
このページでは、年の瀬に大掃除をする理由や、すると良い日・ダメな日、併せて年末大掃除の起源についてのお話をしたいと思います。
どうか耳の穴をよぅカっぽじいてしっかりとお聞きください。…グハっ。
目次
年の瀬(年末)の大掃除をする理由
画像引用先:国立国会図書館
煤払い・ホコリ払いのため
江戸時代の民家には、囲炉裏や台所の窯など、薪(まき)を燃やして煮炊きしていたので家の中は煤だらけでした。
そこでそれらを払うために大掃除をしたワケです。
罪・穢れを祓い清め歳神様を気持ちよく迎えるため
年末の大掃除をする理由は、ザックリといえば歳神様(としがみ)を迎えるためです。つまり当初は年神を迎えるための宗教的行事だったのです。
神様は基本的に清浄な空間を好まれますので、汚れきって穢れた家には寄り付きません。
よって旧年の家内の穢れ(けがれ)を汚れとともに落とし、歳神様を迎えて縁起の良い1年を迎える準備を行います。
自分自身のリフレッシュのため
掃除をすると自分自身の内面も掃除することができると言います。
新年が明けると「あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします」などと挨拶をするシーンが増えます。新年が明けてからはやはりトビキリの笑顔で挨拶したいものです。
その笑顔を見て自分を取り巻く周囲の人々も癒される。こうして好循環へとつながってゆくのであれば、せめて部屋の掃除をして周囲に明るく振舞いたいものです。オホ
古い寺社では伝統行事となっているところもある
古い歴史を持つ寺社では、年末の大掃除が恒例行事になっているところもあります。寺院では「御身拭式(おみぬぐいしき)」とも言って、御本尊の魂抜きをしてから身体に付いた煤やホコリを払い落とします。
京都の東西本願寺では室町時代末期から絶える事なく、年末の大掃除が行事として続けられています。これに倣い、日本全国の浄土宗寺院でも、おおむね年末の大掃除が恒例行事となっています。
大掃除をしてはいけない日
12月31日(大晦日)
12月31日は神聖な日
12月31日は日暮れに来訪する歳神様を迎えるために、新しい火を焚きあげて場を清浄するような儀式が執り行われている場所が多くみられます。火は神道で「忌火(いみび)」とも称し、清浄を司る存在とされています。
また、大晦日の「晦日」は「つごもり」と呼び、これはかつての「月籠もり」を意味します。月籠もりとは近くの氏社などに詣でて社殿に籠もって歳神や新しい月を迎えることです。
現在は西暦ですが、旧暦では月の満ち欠けに合わせて「暦」が作成されていましたので、その名残と言えます。
月の満ち欠けは生命と死の流れを表したものと捉えられ、お籠もりして「おおつごもり(=大晦日)」の儀式を執り行い、新たな年の新しい月を迎えるのです。
一夜飾り
12月31日に門松や松飾りを立てることを一般的に「一夜飾り」と呼称します。これは歳神様を迎えるに際して準備期間も用意せず、面倒臭そうにいきなり立てたということで忌み嫌われ、とくに縁起が悪いと避けられています。
12月31日を過ぎてしまった・・
歳神様は「歳徳神(さいとくしん/としとくじん)」とも呼ばれることから「福の神」でもあります。大掃除を開始して万が一、元旦を迎えてしまった場合、「大歳神=福の神」もホコリと一緒に箒で掃いてしまって逃してしまうといった意味合いで大変、縁起が悪いと云われます。
以上のような理由から、12月31日(大晦日)の大掃除は避けるべきあり、一家団欒でゆるりと過ごすのが運気がアップする良い過ごし方といえるでしょう。
12月29日に大掃除すると縁起が悪い?
現代では、様々な噂が広まって12月29日に大掃除するのは「29」の「9」の数字が「苦」に通じることから大掃除は避けた方が良いなどと言われているようですが、基本的に12月31日を除いて大掃除してはいけない日はないと言えます。
また、上述では12月31日は大掃除してはいけないと言いましたが、”絶対に”大掃除してはいけないというわけではなく、忙しい現代社会であれば個人々々or家庭の考え方によって取り決めてもよいと思われます。
このような俗説が広まる理由は、ひとえに地域特性によるものだと考えられますが、他にもたとえば、次のような理由も述べられます。
- 自身の周りのほとんど人が12月29日に大掃除をしてはいけない説を信じているため
- 12月29日を迎えるまでにすでに大掃除が終了している人が多いため ..etc
それとやはり周りが大掃除を終えてリフレッシュした気分でおせち料理の準備をしているときに、ホコリをバシバシまきちらして掃除をしていると、色眼鏡で見られるといったことでしょう。
万が一、他人に迷惑がかかってしまうと運気がさがるキッカケともなりますので、できるかぎり12月13日〜12月28日までの間に済ませるのが「吉」と言えるでしょう。
ただ、一説では29日は”九松”とも呼ばれ、これが”苦待つ”に通じるものとして、この日に掃除するのはあまり縁起が好ましくないとも云われます。
大掃除はいつ頃するのが理想?
大掃除は「煤払い(すすばらい)」と言って本来、12月13日から始めて12月28日までに終えるのが理想的です。神棚や仏壇がある家庭は12月13日に真っ先に神棚と仏壇の煤払いを終わらせるのが理想的です。
残った日にちを使って歳の市へ出向いて正月に向けての準備をしたり、掃除をしながら歳神様を気持ちよく迎える準備を行います。
「煤払い」とは、かつては旧暦12月13日に行われていた宗教的行事の1つであり、別名で「正月事始め」とも呼称されます。
江戸時代では、この日は朝から正月支度をするための薪(まき)などを集めて調理場に積み上げたり、はたまた注連縄や門松を作る材料を調達し、神棚や家内の煤(すす)を払いました。
画像引用先:国立国会図書館
”煤払い”と言われる理由は、かつてはどの家にも囲炉裏(いろり)があって、特に天井付近にある神棚や動かすことのない仏壇には煤がよくたまったからです。
西暦になった現在でも12月13日という暦だけは踏襲されて、この日が一応の正月事始めになっています。
なお、正月事始めの日は地域によって若干、異なりをみせますが、江戸時代では12月8日を事始めとしていた地域もあったようです。
大掃除は自分でせずに誰かに頼むのはダメ??
大事なことは歳神様を迎えるために大掃除を行い、キレイキレイ✨にして、リフレッシュした気分で新年を迎えようとする気持ちです。
しかしながら本来であればやはり、年末の大掃除は自分を含めた一家全員で協力して行うものですが、忙しい現代社会に身をおいていることを加味すれば、時間を作るのも一苦労でしょう。
それゆえ自分で大掃除ができないのであれば他人を頼るのも1つ方法です。
最近では、忙しく日常を過ごす独身者が多い時代背景があってか、掃除を請け負う業者が増加しています。
ネット検索で「あなたのお住まいの地域+年末大掃除 依頼」「あなたのお住まいの地域+年末大掃除 業者」などと入力すれば、いくつか業者が表示されますので、ご自身で掃除する時間がない方は一度、検討されてみてはいかがでしょうか。
大掃除をせずに新年を迎えたらどうなるのか?
大掃除をせずに新年を迎えても、不自由がない現代においてはさほど影響はないでしょう。現に単身者が増加して大掃除しない方も多いと思います。
ただ、日頃からキチッと掃除をしているのであれば、さほど影響はないと思いますが、新年早々、部屋がホコリまみれの散らかり放題では気分的にも滅入ってしまい、リフレッシュ感やヤル気という観点からみれば上昇が望めるわけでもなく、どちらかといえば下降していくと思われます。
こうなれば当然、運気も下降し、望まない結果を招いてしまいます。
忙しい人は、隙間時間を利用して日頃からコツコツと掃除をしていれば、何も年末に慌てて掃除をすることもありませんし、一人暮らしの方は、ゆとりを持って実家にも帰れることでしょう。
正月はやはり実家に帰って両親に顔を見せて、旧年にあったことを酒の肴にするなど一家団欒を楽しく過ごすことが、運気を上昇させる良い心がけだといえます。
年末の大掃除はいつ頃から始められた?「年末大掃除の起源」
年末の大掃除の起源は、やはり上述の「煤払い(すすばらい)」が起源とされています。
その煤払いが、いったいいつ頃行われたのかについてですが、おどろくことになんと!江戸時代中頃から行われたとあり、比較的、近代に差し掛かってから行われていたことになります。
では、江戸時代以前はどのようにしていたのか?と言いますと、記録が見えるのが平安時代。当時、貴族の邸宅で煤払いが行われている様子が記録されていることから、比較的身分の高い人々の邸宅ではすでに煤払いが定着していたものと考えられます。
これはつまり、煤払いが一般大衆に普及したのが江戸時代だったという解釈になります。
では、いったいなぜ一般大衆に煤払いの文化が普及したのか?
実は一般大衆に煤払いが普及するキッカケとなったのが、1年の締めくくりに江戸城大奥で大掃除が始められたのがキッカケだったと云われます。
当時の大奥では全員が煤竹(すすたけ)という小枝を束にした箒(ほうき)を持ち、畳のホコリを浮き出させて、最後にそれを大団扇で払うなどの方法で大掃除していたそうです。
旧暦12月13日になると大掃除が一斉に開始され、大掃除が終われば参加者全員が集まって歓喜喝采したそうです。その盛大ぶりは胴上げすることもあったほどでした。
ちなみにここでの胴上げというのは、単に喜びの余っての胴上げではなく、大掃除をすることで身体中に付いたホコリを厄落としの意味合いで胴上げしながら落としたそうです。
こうして大奥での大掃除は例年、継続される恒例行事となり、やがて江戸城でも正式に行事として採用されて「江戸城御煤納めの日」として定められることになります。
煤払いの箒の名前は「煤竹」!使用した後の意外な処理方法
上述した煤竹を使用して大掃除した後、その煤竹は汚れたり、チギれたりします。したがって次年度も同じように使用できるか分かりません。江戸時代では当年に使用した煤竹は川に流したり、しめ縄を張って1月15日前後の「とんど焼き」まで保管しておくという風習がありました。
煤竹をこのように燃やしたり川に流す理由は、1年でたまった穢れ(けがれ)や罪業を燃やしたり、流したりすることによって祓える(浄化できる)と考えられていたからです。ウフ
煤払いが済んだ後、今でも気づかないうちにしている儀式があった!
さて、煤払いが済むと、例えば江戸時代の商家などでは、主人が使用人や関係者を集めて蕎麦やご馳走をふるまい、1年の無事を祝って酒宴を開いたようです。
一説ではこのときの振る舞い蕎麦が年越し蕎麦の起源になったとも云われています。
旧暦12月13日に煤払いが開始された理由
では、いったいなぜ旧暦12月13日に煤払いが開始されたのか?についてですが、旧暦12月13日はちょうど婚礼以外を執り行うのに適した「鬼宿日(きしゅくにち)」と呼ばれる大変、縁起の良い日であったために、わざわざこの日を選んで江戸城で煤払いが行われるようになったそうです。
江戸時代といえば長く続いた戦乱がひと段落して、ようやく新たな日本文化が定着しはじめ、新たな文化が生み出された時期でもあります。
大奥の大掃除ともなれば、世間が注目せずにはいられなかったのでしょう。
【補足】「鬼宿日」とは?
「鬼宿日」とは、中国が起源とされる「二十八宿(にじゅうはっしゅく)」もしくは「二十八舎(にじゅうはっしゃ)」の区分の中の1つです。
二十八宿とは中国で新たに考案された「占星術」と「天文学」が融合したような思想(考え方)であり、「天球(てんきゅう)」を28つに線引きして、その1つ1つの区分に星座をあてはめて宿日としたものです。
月が全天を一周するには約二十七宿半かかることから28つの宿日に線引きされていますが、1685年(貞享2年)以前はインドが起源とされる占星術と天文学を混じえたような「二十七宿」が採用されていました。
このような二十八宿の考え方は江戸時代の日本で広く採用され、出版物まで出回るほどでした。
画像引用先:https://ja.wikipedia.org
そして鬼宿日というのが、二十八宿の中でももっとも運気が高まる日として定められた「最吉日」のことをいいます。
「鬼」
- 星名:「たまほめ」
- 内容:神仏詣、家造、井戸掘りなど「万事吉」/婚礼は「凶」