年越し蕎麦を食べる理由や歴史いつから食べられ始めた?効果(ご利益)はある?

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大晦日は年内で最大のイベントとも呼べる日であり、翌日から新たな1年を迎えるということもあり、やはり、より良い過ごし方をしたいものです。

紅白歌合戦やレコード大賞、絶対に笑ってはいけない‥‥などを視聴するのも有意義な過ごし方だと思いますが、忘れてはいけないのが「年越し蕎麦」です!

このページでは年越し蕎麦の起源や食べる理由・ご利益について述べています。

今まで年越し蕎麦を言われるがままにススり込んで、その後、クソとして排出するだけだった。‥‥というそこのあなた!ちょ〜っと寄り道していっておくんなせぇ。

地域で異なる!「年越しそばの名前の種類や呼び方」

地方の風習によって様々な呼称があり、蕎麦切り、晦蕎麦(つごもり蕎麦)、大晦日蕎麦、大年蕎麦、年取り蕎麦、年切り蕎麦、縁切り蕎麦、延命蕎麦、運蕎麦、福蕎麦、思案蕎麦などと呼ばれます。

また除夜の鐘を聞いてから食べる地域もあり、「ついたち蕎麦」または「元日蕎麦」とも呼ばれます。

年越しそばを英語に訳すと‥‥

英語訳では、「Buckwheat New Year’s Eve」。

分解して和訳すると「Buckwheat=”そば”」「New Year’s Eve=”年末(大晦日)”」という意味合いになります。

年越しそばの由来(起源)

「年越しそば」は、「蕎麦切り」もしくは「つごもり蕎麦」とも呼ばれ、大晦日の晩に縁起を祝って食べるものです。

ただ、元来、年越し蕎麦は「蕎麦切り」と呼ばれ、この蕎麦切りを大晦日に食べたのです。

年越し蕎麦の起源は、江戸時代中期となる元禄時代です。

この当時、町人の勢力が強まった時代背景があり、町人文化が華やいだ時代でした。年越し蕎麦はこの町人文化から生み出されたものであり、この当時の江戸八百八町の商家で食べられていた晦日蕎麦(みそかそば)が起源とされています。

なんでも江戸八百八町の商家では毎月の月末(晦日)は夜遅くまで来客があり、客に合わせて夜遅くまで店を開けていたので、店で働く者すべてに夜食(賄い)として蕎麦をふるまったそうな。

節分に食べる蕎麦が年越し蕎麦の起源?

江戸時代後期になると、大晦日ではなく「節分」に食べる蕎麦を「年越しそば」と呼んで食べていたそうな。

旧暦の「節分」は現代の太陽暦にあてると「12月中旬から1月中旬頃」のまさに現今の大晦日やお正月を挟むのでそう呼ばれるようになったのでしょう。

このような節分は年に4回ありましたが、立春前日の節分だけは正月が近かったことから特別視され、年越し蕎麦が食べられたのです。

‥‥以上が、年越し蕎麦の起源とされ、現在では年末(大晦日)だけ蕎麦を食べる風習が受け継がれていると云われます。

蕎麦が細長くなったのは元禄時代!

忘れてはいけないのが、現在のような長細い麺の形状の蕎麦が生み出されたのも町人文化で華やいだ元禄時代だということです。

蕎麦は元来、そば粉を挽いて熱湯をぶっ掛けて練り上げ、いわゆる「蕎麦がき(いわゆる”そば団子”のこと)」にしたのが始まりです。

ところが元禄期に入るとそば粉をつないで細長い形状にする技法が生み出され、これが流行しスタンダードになっていきます。

蕎麦を細長く作るのがスタンダードになってくると芋や卵、小麦粉やうどん粉を入れて”つなぎ”に使用されます。

やがて、コシがある風合いに仕上げるのがセオリーになってくると、「蕎麦のように長く、長寿であるように‥‥」と蕎麦の在り様に見立てて祈念しながら食されるようになっていきます。

農村や漁村には年越し蕎麦を食べる風習はなかった!

江戸時代中頃から食べ始められたとされている年越し蕎麦ですが、農村や漁村には年末に蕎麦を食べる風習はごく最近までなかったと言われています。

そもそも年越し蕎麦の風習が全国的に広まったキッカケとなったものは、戦後の高度経済成長期に端を発したテレビやスーパーマーケットの普及に依るものです。




年越しそばのご利益にちなんだ食べる理由とその効果

長寿蕎麦

蕎麦は練り込んで打たれることにより、粘りとコシを出し、美味しくなっていきます。それの蕎麦の在り方にかけて「細く長く丈夫に生きられるように‥‥」という願掛けで食べる。

蕎麦の性質が「鶴」と「亀」に通じる

蕎麦は、だし汁につけるとツルツルとして、口に入ったら入ったで割とコシがあり、嚙み嚙みしないとなかなか喉を通りません。

これが縁起の良い動物とされる「鶴」と「亀」に通じた縁起担ぎになるという話です。

運気蕎麦

鎌倉時代中期、中国・宋(そう)の「謝国明(しゃこくめい)」という商人が貿易で博多に来ていたそうな。

この当時、博多には疫病が蔓延しており、この状況を重く見た謝国明は、せめて新年だけでも明るく盛大に祝うべく、そば粉を固めて饅頭を作ったそうな。

それを承天寺(じょうてんじ/=博多区博多駅前)境内で無料で参拝客に振る舞ったそうです。

翌年、多くの参拝客の運が上がり、その上、疫病はおさまり、謝国明は商売で大成したとのことです。(一説にはこれが年越しそばの起源とされる説もある。)

なお、この饅頭は現在では「蕎麦がき」や「蕎麦餅(そばもち)」などとも呼ばれるものですが、この後、博多では「世直しそば」「運そば」「運気そば」などと呼ばれるようになっています。

博多の人が「運そば」と呼び習わす理由は、謝国明への感謝の意であり、運そばを食べることによって、謝国明のように運が開けて諸願成就すると考えられたからだそうな。

福蕎麦

現在の細長い蕎麦の原型が作られたのが元禄期とされ、それ以前は「蕎麦がき(蕎麦粉を熱湯でコネくり倒して餅状にした食べ物)」を食していました。

蕎麦がきは粘着力があるため、年末の大掃除の際、部屋の隅の小さなホコリを除去するために大活躍したそうです。

この蕎麦がきの粘着力を大いに利用したのが、金細工を扱う職人たちです。

この蕎麦団子を用いて飛び散った細か〜ぃ金粉や銀粉を引っ付けてかき集めたそうな。

それを七輪や火鉢の上へ持っていて焼き上げて灰にするのです。

するとどうなるか?

なんとぉぅ!蕎麦団子だけが燃え尽きて最後に金と銀の粉だけが残ります。

この話が広まり、蕎麦は金銀を集めて財運と福運を呼び込むと言われるようになったとのこと。

金が切れない

金箔を作る職人は、金箔は約10000分の1ミリというぐらいまで薄っぺらく伸ばしてやっと1枚の金箔を作るそうな。

薄っぺらく仕上げることができるのには実はコツがあって、なんでも職人たちは金箔を作るとき、そば粉を金粉に少しだけ混ぜ入れることで、途中で金箔が破れることなく、綺麗に仕上げることができたそうです。これすなわち「金が切れない」に通じるという話。

縁切り蕎麦

細長く切れやすいので厄災や苦労との縁が切れる。

新年が傍(蕎麦)に近づく

年越し蕎麦を食べると、新年が近づく(蕎麦に来る)として新年を無事に過ごせると祈念して食べられた。

延命蕎麦

江戸時代中頃に編纂された薬用食物の書物に「蕎麦は胃腸を綺麗にする作用がある」とされ、五臓の汚れを除去し、無病息災を願ったとされています。

子宝わんさか・厄除け

蕎麦のもととなる蕎麦のタネ(種)は上から見ると三角形をしていますが、三角形は古来、鱗紋(うろこもん)に例えられ、退魔や厄除けの効果、子宝わんさかのご利益があるとされてきました。

⬆️そばの種
⬆️蕎麦の種を横から切断して上から見た写真(画像)

鱗紋とは、三角形を連続して用いた文様のことで、特に江戸時代では「蛇」の鱗や「蝶」の羽などに類似した形であることから大変、縁起が良い文様であるとされてきたのです。うきゃ

⬆️うろこ紋

蛇が縁起が良いとされるのは現代でも同じですが、蛇や蝶は脱皮をするので、これが「厄を落として再生する」という意味に通じ、退魔や厄除けの文様として扱われたからです。

その他の説では、「三角=みかど」が「帝=みかど」に通じるものとされ、縁起が良いとされた説もあります。

思案蕎麦

年越しそばは地域によっては「思案そば」とも呼ばれますが、これは旧年の苦労や嫌なことを思い出しながら蕎麦をたくさん食べることで忘れさってしまおうという意味です。

蕎麦をシコタマ胃袋にブチ込んで、ドス黒く図太いクソと一緒に旧年の苦労や嫌なことを綺麗サッパリ体外へ排出することで、何かも忘れてリフレッシュされた生まれ変わった自分で新年に臨めるということです。

健康祈願

スタミナアップ

蕎麦という植物は一年草であり繁殖力が強く、雨風、嵐が来ても翌日にはシュッとして起き上がっているほど耐久性があります。

この蕎麦の強さになぞらえて来年も蕎麦のように力強く過ごせるように・・などの意味合いがあるという説。

新陳代謝力の上昇

あまり広く知られていませんが、そば粉を食べることでなんと!新陳代謝が上昇して血行が良くなり、体内の老廃物など、病気の原因となるものを排出してくれるそうです。

これになぞらえて、蕎麦を食べて体内をリセットしてリフレッシュした気持ちで新年を迎えるといった説。シャキぃ〜ン⭐️..歯キラぁ〜ん✨

薬味としてネギを散らせると効果が倍増する?

蕎麦の上には刻みネギを入れることが多いと思いますが、この刻みネギを入れることにも意味があります。

ネギは、心身の労を”ねぎ”らうの「ネギ(労ぐ/ねぐ)」に通じるとされます。

もしくは神職の階級である「祢宜(ねぎ)」にかけて験担ぎをしたという説もあります。

地方によって異なる年越しそばの名前!

北海道、京都府

そばの上に、おせち料理の一品でもある「ニシンの甘露煮」をのせた蕎麦をススり込みます。「ニシンそば」とも呼ばれます。

岩手県

自らの年の数だけ「わんこそば」を食べる風習が受け継がれているようです。

新潟県

つなぎ粉の代わりに布海苔(ふのり)使用した蕎麦を食べます。「へぎ」と呼ばれる器で食べることから「へぎそば」とも呼ばれています。

佐渡郡では、古来、「寿命そば」という蕎麦が年越し蕎麦として食べられています。

長野県戸隠

地場産の「戸隠そば」をほおばる。

戸隠そばの起源は戸隠山で修行を積む修験者たちが食料として持っていたそばの実が広まったとされる。




福井県

地場産の「おろし蕎麦」を食べる。

「おろし蕎麦」とは、越前そばに大根おろしをシコタマ乗せたもの。

ざる蕎麦の方で有名ですが、温そばの年越し蕎麦としても食されるようです。

関東地方

関東地方の一部地域では「おかめ蕎麦」と食べる風習がありまする。

「おかめ」とは、お面の「おかめ」のことを指し、これは麺の上でありとあらゆる具材が並べられ、まるでおかめの顔を形作っているように見えることからこのように呼ばれています。

ブチ込まれている具材としては次のようなものが挙げられまする。

  • 紅白かまぼこ
  • エビ
  • シイタケ
  • だし巻き卵
  • タケノコ  ….etc

なんでも「おかめ蕎麦」を食べることによって、おかめ通じる福が舞い込んでくるのだとか。

関西地方

関西の一部地域では「かしわ蕎麦」を食べる風習が残っています。

「かしわ」とは鶏肉のこと。

由来は柏の葉に鶏肉が似ていることからきています。

柏は次の芽が出るまで葉が落ちない植物であることから、それにかけて『家系が恒久的に存続する』などの意味合いがあるとされます。

また、鶏は古来、吉兆を招くハレの鳥として見られており、1日の始まりを鳴き声で告げる鳥であることから年末年始に食すと縁起が良いのだとか。

香川県

香川県といえば日本一の「うどん」の名産地です。

当県内では年越し蕎麦ではなく、「年明けうどん」を食べる風習が古来、踏襲されているようです。

年明けうどんと言っても何か特別なうどんではなく、ただ、年越し蕎麦の代わりにうどんを食べるようです。

沖縄県

地場産の「沖縄そば」を食べます。

「沖縄そば」は歴史が浅く、昭和時代に地元の有名な食品会社が売り出して広まったものですが、我々が見知る年越し蕎麦とは少し風貌が異なり、中華のラーメンのような蕎麦です。

蕎麦の麺も白色をしていながら、さらにスープまでも白色っぽく、もはやラーメンなのか?と思えるようなお蕎麦です。

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