神無月とは、旧暦の10月のことを指します。
「神様が無い月」と書きますが、一方である地域では「神様が在る月」=「神在月」と呼ばれています。
どうして同じ月なのに「神無月」・「神在月」という違いがあるのでしょうか?
今回はそんな「神無月・神在月」の疑問について詳しくご紹介します。
基本的な読み方や現在の暦だといつを指すのか?など様々な疑問をご紹介しますので、是非お役立て下さい。
神様や神社などについては、当サイトの以下のページでご紹介しています!
日本中にある神社の数「人気ナンバーワンの神社ははたして何処??」
【6つの単位を紹介】神様の数え方は「柱(ちゅう)」?本当の読み方の由来・理由とは?
「神無月・神在月」の読み方
「神無月」は、「かんなづき、かみなしづき、かみなづき、かみなかりづき」と読みます。
「神在月」は、「かみありづき」と読みます。
「神無月・神在月」は英語だと何て言う?英語で説明する方法
旧暦で月の異名があるのは日本ならではの文化です。
そのため、英語にしても「Kannazuki」・「Kamiarizuki」と書きます。
外国人に説明をするのであれば「Kannazuki is an another name for October (lunar calendar) in Japan.」と表記します。
訳すると、「神無月は、日本における10月(旧暦)の異名です」となります。
「神無月」の語源
「神無月」の語源はいくつかあります。
有力な説は、「神無月」の「無」が「の」にあたり「神の月」からきているという説です。
他にも、11月の新嘗祭(にいなめさい)の準備をする月という意味がある「神嘗月(かんなめつき)」が語源になっているという説があります。
また、旧暦の10月は雷が少ないことを指す「雷無月(かみなしづき)」や旧暦の10月から新酒を醸造することから「醸成月(かもなんづき)」などといった言葉からきたという説もあるようです。
旧暦の月の異名
1月、2月…のように太陽暦では数字で月を表しますが、陰暦では「神無月」以外にも、月の名前に異名がありました。
ここで、旧暦の異名を確認しておきましょう。
1月 睦月(むつき)
2月 如月(きさらぎ)/更衣(きさらぎ)
3月 弥生(やよい)/彌生(やよい)
4月 卯月(うづき)
5月 早月(さつき)/皐月(さつき)
6月 水無月(みなづき)
7月 文月(ふみづき・ふづき)
8月 葉月(はづき)
9月 長月(ながつき)/菊月(きくづき)
10月 神無月(かんなづき) ※一部の地域では神在月(かんありづき)
11月 霜月(しもつき)
12月 師走(しわす)/極月(ごくげつ)
上記のような異名は、それぞれその月に行われる風習や季節の情景がもとになって名付けられています。
では、異名のもとになった理由を挙げてみましょう。
1月は、【睦月】仲睦まじくお正月を迎えることから
2月は、【如月】寒いため「衣もを更に着る」という意味の「着更着(きさらぎ)」から
3月は、【弥生】待ち望んだ草木がいよいよ(弥弥)生えてきたことから
4月は、【卯月】初夏の花である卯(う)の花が咲くため
5月は、【皐月】「田に若い稲の苗を植える月」という意味の早苗月(さなえつき)から
6月は、【水無月】夏の暑さで水が涸れてしまうことから
7月は、【文月】昔は7月7日の七夕に文を詠む風習があったことから
8月は、【葉月】葉が舞う季節であることから
9月は、【長月】夜が長くなる月であることから
10月は、【神無月】神様がいなくなることから
11月は、【霜月】霜が降りる月だから
12月は、【師走】普段は走ることのない師が走るほど忙しいから
名付けられた理由を知ると覚えやすくなります。
「神無月・神在月」はいつ?
神無月は旧暦のため、現在の暦(太陽暦)に当てはめると約1ヵ月遅れの毎年異なった日になります。
現在の暦は、太陽の動きをもとにして作られている「太陽暦」です。
一方で、明治5年に改暦される以前の日本では、月の満ち欠けと太陽の動きを合わせて作られた「太陰太陽暦」が使われていました。
旧暦で使われていた「太陰太陽暦」は、月が新月になる日を月の始まり、つまり各月の1日としていました。
そこから翌日を2日、その次の日を3日というように数えていき、そしてまた次の新月の日がやってくるとその日を次の月の1日にするような暦です。
この新月から次の新月までの日数は、平均して約29.5日です。
12ヶ月間では約29.5日×12ヶ月=約354日であり、現在の暦である「太陽暦」は365日なのでの約11日短くなっています。
それではどんどん季節がずれていってしまうので「太陰太陽暦」では、暦と季節のずれがひと月分に近く大きくなると、閏月(うるうつき)というものを入れてずれを修正していました。
このような理由から、「太陰太陽暦」を使っていた旧暦は「太陽暦」を使う現在の暦とは日付が違い、また年によっても違った日付になります。
2020年の「神無月・神在月」はいつ?
2020年の「神無月・神在月」は、2020年11月15日(日曜日)~12月14日です。
今後の「神無月・神在月」の日程はこのようになっています。
ちなみに、太陰太陽暦では月の日数が年により異なることがあるため、10月30日まである年や10月29日までしかない年が存在します。
2022年の「神無月・神在月」は、10月25日~11月23日
2023年の「神無月・神在月」は、11月13日~12月12日
2024年の「神無月・神在月」は、11月1日~11月30日
2025年の「神無月・神在月」は、11月20日~12月19日
「神無月・神在月」とは?
「神無月」とは、旧暦の異名で10月のことを指します。
しかし、島根県の出雲大社周辺の地区では「神在月」と呼ばれています。
「神無月・神在月」の由来
「神無月・神在月」の由来は、古くから日本に伝わる民間伝承です。
「この月になると全国の神様たちが出雲大社に集合するために、出雲以外の場所からは神様がいなくなる。」
このような伝承から、旧暦の10月は「神無月」、出雲地方では「神在月」と呼ばれているのです。
ちなみに、旧暦10月の異名として「神去月(かみさりつき)」と呼ばれることもあるようです。
「神様が去った月」という意味になるので、この呼び方も伝承からついた名だということが分かります。
なぜ出雲大社に神様が集合するのか?
では、なぜ出雲大社に全国の神様が集まるのでしょうか?
それは、出雲大社の祭神であり地上の主ともされる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)が、年に1度神様を呼び寄せて、来年の重要事を話し合うからです。
大国主大神は、全国各地に自分の子供たちを置いてその地を守らせているので、その子供たちが集まると同時に他の神様たちにも集合してもらうというわけです。
ちなみに、島根県松江市にある神魂神社(かもすじんじゃ)や同じく島根県松江市にある佐太神社(さだじんじゃ)には、神様方の母神とされる伊弉冉尊(イザナミノミコト)がお祀りされていて、特に佐太神社の背後の山には陵墓を祀っていると伝えていました。
そのため、旧暦の10月は伊弉冉尊が神去りした月、つまりこの世から去った月でもあるとされていることから、全国の神々は毎年この月になるとこの社に立ち寄ってお集まりになり、母神を偲ばれる法事のようなことをされるのだと言われています。
現在でも佐太神社では、旧暦の10月18日~25日まで「神在祭」が行われます。
期間から考えると出雲大社での会議の後、すぐにお戻りになられず母神を偲んでからお戻りになられる神様もいらっしゃるのでしょう。
「神無月・神在月」伝承の歴史
全国の神々が旧暦の10月に出雲に集まるという伝承は、平安時代末期に書かれた『奥義抄(おうぎしょう)』という歌学書が始まりで、それ以降さまざまな資料に記されています。
1124年(天治1年 )~1144年(天養1年 )年の間に成立した藤原清輔(ふじわらきよすけ)という人が書いた全3巻の『奥義抄』。
そのには、このような一文が書かれています。
「十月 神無月 天の下のもろもろの神、出雲国にゆきてこの国に神なきゆゑにかみなし月といふをあやまれり。」
訳すとこのようになります。
「10月 神無月。天の下のすべての神が出雲国に行ってこの国に神がいなくなるために「かみなしづき」といったのを「かみなづき」と誤ったのである」
この一文から、この時代ではすでに旧暦の10月を「神無月」と呼んでいたことが分かります。
実際には、もっと古くから伝わる伝承なのかもしれません。
大国主神(おおくにぬしのかみ)とはどんな神様?
大国主神様は、どんな神様なのでしょうか?
沢山の神様を束ねるだけあって、国内の安定や農業、医薬、温泉など様々な神格(神様の資格)を持っていらっしゃいます。
また、授かることのできる恩徳には、交通安全や治病、縁結びなどが挙げられます。
さまざまな別称が多い事でも知られていて『日本書紀』には、大物主神(おおものぬしがみ)、国作大己貴神(くにつくりおおなむちのかみ)、葦原醜男(あしはらしこお)、八千戈神(やちほこのかみ)、大国玉神(おおくにたまのかみ)、顕国玉神(うつしくにたまのかみ)と数多くの別称が書かれています。
このような多彩な神様である大国主神様ですが、当初は穀物の神様である少彦名命(すくなびこなのみこと)と共に、豊かな国土を作ることをされていました。
そんな様子を見ていた天照大御神様(あまてらすおみかみさま)が「地上は我が子が治めるのが相応しい」として、使者を派遣します。
天照大御神様は、大国主神様が治めていた地上の国を天照大御神様の子供たちに譲るように迫りました。
すると、大国主神様は大きな宮殿を建てることを条件に承諾します。
こうして建てられたのが出雲大社なのです。
そして、大国主大神様は天照大神様にこのようにお話になられました。
「私の治めています、この現世(うつしよ)の政事(まつりごと)は、皇孫(こうそん:天皇の孫=天照大御神様の子孫)がお治めください。これからは、私は隠退して幽れたる神事(かくれたるしんじ)を治めましょう」
この「幽れたる神事(かくれたるしんじ)」とは、目には見えない縁を結ぶことです。
またそれを治めるということは、全国から神々をお迎えして会議をなさる、それによって円の結び目を決めることに繋がります。
このように、天照大御神への「国譲り」がきっかけとなり、全国の神様達が年に1度出雲にお集りになることになった、と考えられます。
ちなみに、大国主神様が条件としてあげられた「大きな宮殿」である出雲大社は、本当に大きな宮殿だったようです。
平安時代の書物には、出雲大社が当時日本一大きい建物であったと記されています。
現在の出雲大社の本殿は、1744年(延享元年)に造営されたものです。
高さは8丈(約24m)で、3度の修繕を加えながら今に伝わっている建造物です。
しかし、古代には32丈(約96m)、中世には16丈(約48m)だったとの言い伝えが残っています。
96mというのはさすがに疑われている説ですが、2000年に出雲大社境内から巨大な柱が出土しました。
その柱は、直径約1.35mの巨木を3本組にして1つの柱となっている構造です。
現在では、巨大宮殿が実存した可能性が有力視されており、現代の15階建てのビルに相当する高さの出雲大社があったのかと思うとロマンがありますね!
神様の話し合いの議題は何?
神様が一堂に会してどんなことを話し合っているのか?とても気になるところです。
「神議(かみばかり)」と呼ばれるこの会議では、来年の気象についてや農作物についてなど様々なことについて話し合いを行います。
しかし、その中でもメインとなっている議題は「縁結び」についてです。
このことから、神々が不在となっている出雲地方以外の場所では10月に婚姻をするのを避ける風習がありました。
また、神様が出雲大社へ出向く日や戻り日に、縁結びを祈願する未婚の男女が神社に籠った風習もあったようです。
現在でも出雲大社は「縁結び」の神様として大変有名であり、「神在月」には多くの参拝客が訪れます。
ちなみにこの会議は出雲大社本殿ではなく、出雲大社境内から西へ約1キロのところにある「摂社・上宮(かみのみや)」で行われます。
神様はどこに宿泊するのか?
出雲大社には、「十九社(じゅうくしゃ)」と呼ばれる長屋造りのお社があります。
19枚扉があることから名づけられたこのお社に、日本全国からお集りになられた神々は宿泊されます。
出雲大社御本殿の東西に分かれていて、それぞれ東十九社、西十九社と呼ばれています。
この「神在月」以外の月は扉が閉められている「十九社」も、この時期には扉が開かれます。
「神無月・神在月」はどのような月なのか?
「神無月・神在月」は、神様に感謝をする月です。
収穫をする時期でもあるこの頃に人々は神様に感謝を捧げたのです。
そのため、秋になると豊かな実りに感謝して各神社でお祭りが行われます。
日本の祭りは主に、氏子(うじこ)などの地域の人々と氏神様が共に喜ぶ神様とともにある日です。
人々は収穫の感謝に加え、地域の平穏な生活や子孫の幾久しい繁栄を祈るお祭りでもありました。
秋祭りに故郷へ帰郷してお祀りに参加すると、子孫の繁栄が得られるとも言われています。
神様が留守にしていても大丈夫なの?
日本全国の神様が出雲大社に集まって会議をなさる旧暦の10月。
神様が留守の間、出雲以外の各地は大丈夫なのでしょうか?
しかし、そこはご安心ください。
恵比寿神が「留守神様」としてお見守りして下さいます。
そのため、10月には恵比寿様へ感謝し、家内安全や五穀豊穣を祈願する「恵比寿講(えびすこう)」を行う地方もあるようです。
恵比寿様は、ふくよかな身体ににこやかな笑顔、釣り竿を片手に鯛を抱えているお姿の神様です。
見た目からも想像できるように、大漁の神様や商売繁盛の神様として信仰されています。
また、田んぼの神様として祭られることも中にはあるようです。
恵比寿様以外にも「留守神様」として別の神様がお見守りしてくださるとされる地方があります。
例えば東日本では「大黒様」ですし、西日本では「金毘羅様」、そして旅人を守ってくれるのが「道祖神」とされています。
また、一般の家庭では「大黒様」がお守りくださり、商家では「恵比寿様」で、農家では「両方の神様」をお祀りするなど職業によっても「留守神様」は変わるという説もあります。
しかしよくよく考えると、大黒様は出雲大社の神様である大国主命と同一神とする信仰もあるので、出雲にいるべき神様が不在である家々を守ってくれるのか?という疑問も残ります。
そこは神様ですから上手に納めて下さっているのかもしれません。
※大黒様=大国主命、とする説もある一方で、大黒様=恵比寿神=蛭子の神、すなわち伊弉諾尊と伊弉冉尊の一番最初の子どもである、とする説もあります。2柱の神が婚姻して最初に生んだ子どもは、「ヤり方を間違えた」という理由で、骨のないようなフニャフニャの子になってしまい、こりゃ失敗だということで海に流されています(詳細は『古事記』に記載)。これが、長じてエビス神として祀られるようになったとも言われていますので、大国主命=大黒様であると限ったものでもないのです。
神様たちの「神無月・神在月」の予定
神様の10月の予定はどのようになっているのか見てみましょう。
「神送り(かみおくり)」/旧暦10月1日(または、旧暦9月晦日(みそか)主に9月30日)
神様が出雲に向けて出発します。
各家庭では旅立つ神様へお弁当としてお餅やお赤飯をお供えます。
「神迎え(かみむかえ)」/旧暦10月10日
神様が出雲に到着します。
出雲にある稲佐の浜に神様は降り立ち、出雲大社へ向かいます。
「神在祭(かみありさい)」/旧暦10月11日~17日
「神議(かむはかり)」と呼ばれる神様の会議をします。
会議処は出雲大社境内ではなく摂社・上宮で行われます。
「神等去出祭(からさでさい)」/旧暦10月17日
出雲大社から神様が出発します。
佐太神社(さだじんじゃ)の「神在祭」/旧暦の10月18日~25日
母神とされる伊弉冉尊(イザナミノミコト)がお祀りされている佐太神社に立ち寄り、母神を偲ばれる法事のようなことをされます。
佐太神社では期間中、「神迎神事」、「新嘗祭」、「神等去出神事」が行われますが、その更に5日後、「神在り祭止神送神事(しわがみおくりしんじ)」という「神等去出神事」でお帰りにならなかった神様をお送りする祭が行われます。
その後、斐川町(ひかわちょう)にある万九千神社(まんくせんじんじゃ)より神々はそれぞれの国へ帰られます。
「第二神等去出祭」/旧暦10月26日
神様が出雲の地を去られたことを大国主大神に報告します。
「神迎え(かみむかえ)」/旧暦10月末日
神様がお帰りになります。
各家庭ではお餅や作物を入れたすいとんなどをお供えます。
※地方によっては行事内容や日付けなどが異なる場合もあります。
出雲の「神無月・神在月」の予定
では、全国の神様をお迎えする出雲ではどのような行事が旧暦の10月に行われるのでしょうか?
出雲大社では、盛大に神様をお迎えし、お過ごしいただき、お帰り頂くお祭りが開催されます。
詳しく見てみましょう。
神迎神事(かみむかえしんじ)・神迎祭(かみむかえさい)/毎年旧暦10月10日19時から
出雲大社の西1kmほどのところにある稲佐の浜で、神々をお迎えする神迎神事(かみむかえしんじ)が行われます。
この稲佐の浜は、国譲り・国引きの神話で知られる浜です。
海岸にひと際目を惹く、小さくて丸い島が「弁天島」です。
地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれ呼ばれていて、かつては稲佐湾のはるか沖にあったことから沖ノ御前や沖ノ島と呼ばれていましたが、近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。
この浜で夕方の7時に神事は行われます。
御神火が焚かれて、注連縄(しめなわ)が張り巡らされた斎場の中に「神籬(ひもろぎ)」と呼ばれる、臨時に神を迎えるための依り代となる榊(さかき)の枝が2本用意されます。
傍らに神々の先導役となる「龍蛇神(りゅうじゃじん)」が海に向かって配置されます。
神事が終了すると、「神籬」は両側を絹を垣のように張りめぐらした「絹垣(きぬがき)」で覆われます。
その後、「龍蛇神」が先導となり、高張提灯(たかはりちょうちん)が並べられ、奏楽が奏でられる中で参拝者が続いて浜から出雲大社への「神迎の道」を列になって歩いて行きます。
ちなみに、「龍蛇神」は海蛇の神様です。
水に住む「龍」からは火難除けや水難除けの守護神と信仰され、地に住む「蛇」からは土地の災難除けの守護神として信仰されています。
この二つの信仰が融合した神様で、現在では家内安全や除災招福などの守護神として崇敬されています。
出雲大社では、この神様を信仰される方々の組織として「龍蛇神講(りゅうじゃじんこう)」があります。
旧暦の10月11日に出雲大社本殿で行われる「神在祭」の後に、神楽殿において「龍蛇神講」に入っている方々が集まり「龍蛇神講大祭」が行われます。
神有祭(かみありまつり)/毎年旧暦10月11日・15日・17日
全国の神様がお集りになって旧暦の10月11日から17日まで7日間、出雲の地で「神議り(かむはかり)」という会議を開かれます。
この会議が行われるのは、出雲大社から西へ950mほどの所に位置している出雲大社の摂社「上宮(かみのみや)」です。
会議が行われる上宮や、神様が宿泊される出雲大社御本殿の両側にある「十九社(じゅうくしゃ)」でも連日お祭りが行われます。
しかし、この祭事期間中に神様方の会議や宿泊に粗相があってはならないということで、地元の人は歌ったり舞ったりすることをしない、楽器を弾かない、家を新しく建築しない、静粛を保つなど会議のお邪魔にならないようにします。
そのため地元ではこの祭りを「御忌祭(おいみさい)」とも呼んでいます。
縁結大祭(えんむすびたいさい)/毎年旧暦10月15日・17日
神様の会議では、縁結びも大切な議題としてあがります。
この会議に合わせて行われるのが「縁結大祭」です。
「神議り」が行われる神在祭中の日のお祭りに合わせて、執り行われます。
祭典では、大国主大神や全国の神様に対し、世の中の人々の更なる幸縁結びを祈る祝詞が奏上されます。
参列するためには、出雲大社への事前申込が必要です。
「神等去出祭(からさでさい)」/毎年旧暦10月17日・26日
17日の夕方4時に、出雲大社の境内にある東西十九社にあった「神籬(ひもろぎ)」が「絹垣(きぬがき)」に囲まれて拝殿に移動されていきます。
拝殿の祭壇には、榊の枝2本の「神籬」、龍蛇神、お餅がお供えされ祝詞が奏上されます。
その後、1人の神官が本殿楼門に向かって門の扉を3度叩き「お立ち~、お立ち~」と唱えます。
この瞬間に神々は「神籬」を離れて出雲大社を去られます。
出雲大社の「神在祭」が終了すると、引き続き松江の佐太神社(さだじんじゃ)で「神在祭」があり、斐川町(ひかわちょう)にある万九千神社(まんくせんじんじゃ)より神々はそれぞれの国へ帰られます。
また、出雲大社では26日にも「神等去出祭」が執り行われますが、この祭典は神様が出雲の地を去られたことを大国主大神に報告する儀式であり、本殿前で神官一人が行う小さい祭です。
神無月・神在月の雑学
神無月、神在月にまつわるものには、色々な面白い雑学があるのでご紹介します。
「神無月・神在祭」と「ぜんざい」
全国の神様がお集りになる「神在祭」。
この祭りで振舞われたのが「神在餅(じんざいもち)」です。
実は、この「じんざい」がなまって「ずんざい」となり、さらに「ぜんざい」となって京都に伝わったとの言い伝えがあるのです。
この「ぜんざい」発祥の地が出雲であるということは、江戸初期の文献である『祇園物語(ぎおんものがたり)』や『梅村載筆(ばいそんさんひつ)』、『雲陽誌(うんようし)』にも記載されています。
「神在餅」は、神様方の会議が終了し、お帰りなる頃に供えられます。
現在の「ぜんざい」に比べると小豆と砂糖とお餅を煮込んだものには変わりありませんが、水分は少なく、お椀でなく小皿に盛りつけるか、折敷や三方に載せ、鰹節をパラパラとかけるとかなり印象の違う品です。
「ぜんざい」と言えば冬をイメージしますが、「神無月・神在月」に食べるのもいいかもしれません。
神様がお通りになる道「神迎の道(かみむかえのみち)」
稲佐の浜から出雲大社へと続く道は、「神迎の道」と呼ばれています。
旧暦の10月に全国からお集りになる神様は、神籬に依りうつって稲佐浜から出雲大社へと向かいます。
地元の人は、「神在祭」の期間を「お忌みさん」と呼び、この期間は「神議り」に支障がないようと静かに謹んで暮らします。
ちなみに、この時期は、強い偏西風がよく吹き、海が荒れることが多く、地元の人から「お忌みさん荒れ」と呼ばれているそうです。
この「神迎の道」には、神話や伝統文化を伝えるスポットが沢山あるので、出雲大社に参拝した後に散策するのもおすすめです。
神様をお迎えするおもてなし「汐汲み」
「神迎の道」がある大社町では、古くからの風習が残っています。
神様がお着きになられる稲佐の浜で海水を汲み、清め祓う風習です。
稲佐の浜では、毎月1日の日に行われるこの行事は「神迎の道の会」によって行われる「汐汲み行事」です。
用いられる道具は、竹筒に竹の棒が紐で結ばれたもので、竹筒には小さな笹の葉も入れられています。
この竹筒を手にぶら下げて、稲佐の浜に向かい、弁天島の脇の波打ち際で竹筒に海水を汲みます。
そして、集落の中を出雲大社本殿に向かって歩きながら、途中にある下宮や上宮、大歳社などに参拝して、笹の葉を竹筒の中の潮に浸して取り出します。
この「汐汲み」に用いる竹筒は、使用しない時は季節の花を活けて「神迎の道」に飾られています。
「神様がいる月」・「神様がいない月」
「神無月・神在月」は、出雲に神様達が集まり会議をすることから「神様がいる月」と「神様がいない月」に分かれていることが分かりました。
しかし、居ないからと言って神様が不在になるのではなく、きちんと違う神様を滞在させてくださることも分かりました。
年に1度大切なことをする会議でお集りになられる神様ですが、出雲の地元の人に歓迎されおもてなしを受けます。
そして、母神様の法事をするなど、神様にとっては年に1度の旅行か故郷への帰省なのかもしれません。
他の神様達ともお会いになってリフレッシュされた神様がお戻りになられる旧暦の11月は、いい月なのでしょうか?
それとも、人々が願いを一度に掛けてくる年末年始に向かって力を蓄えておくのかもしれせんが、沢山の神様がお集りになられるこの時期の出雲に行ってみたくなります。
「神無月・神在月」は、神様の存在に感謝をする月です。
日頃の感謝を込めて、年末まで気を引き締めて過ごせたらいいですね。
Writing:YUKIKO-加藤