「古神道」ってなに?

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あなたは、古神道に興味がおありですか?

字面だけ見ると「古い神道」なのだろうなあ……と想像させる古神道。しかしその実態はあなたが思っているようなものではないかもしれません。

今回は、因幡の白兎の抜け毛程度には神道の知識を持ち合わせている「古神道」について解説したいと思います。

「古神道」という神道は存在しない

古神道について解説すると言っておきながら、いきなり衝撃的な事実ではありますが、「古神道」という神道は存在していません。

後世、これから紹介する「古神道」に憧れて、古神道を名乗るようになった、神道系の新興宗教のようなものはあります。

しかしそれは、古代から存在していた古神道とは別物です。

古神道=海外宗教が輸入される前の神道

古神道の定義は、海外の様々な宗教が輸入されるより以前の、純然たる日本の宗教としての神道、ということになります。

海外の様々な宗教というのは、中国の陰陽五行説や仏教、密教などのことを指します。

現在に伝わる神道の儀式の中にも、五行説や密教との関連性をうかがわせるものが多々存在しています。

神道と仏教、五行説などが絡み合って、「日本独自の文化」としての陰陽道ができたことは有名ですが、神道にも似たような側面は確かにあるのです。

しかし、海外から宗教が輸入される以前には、純然たる日本の文化としての神道があったはずだ! という考え方のもとに、「純然たる日本の文化としての神道」のことを「古神道」と呼びならわしています。

古神道信仰は江戸時代に始まった

「古神道」という概念ができたのは、江戸時代のことと言われています。江戸時代には「復古神道」という呼ばれ方をしていました。

江戸時代には、賀茂真淵、本居宣長といった国学者たちが、儒教や仏教ではない、日本独自の文学、文化を明らかにしようと研究を進めていました。

国学者たちは、文学や地理学といったものも研究対象にしましたが、研究対象の中に神道、宗教学についても含まれていたのです。

神道が仏教との融合を始めたのは6世紀~7世紀のころ。

具体的には、646年の大化改新を契機に、神道と仏教との共存共栄が始まり、融合が加速したと考えられています。

江戸時代の国学者たちは、『古事記』『日本書紀』などの読解研究を行い、その中から、古代の日本人は神とつながっていた、という結論を導き出しました。これを「古道論」と言います。

現代に残された、本居宣長の『古事記伝』が、彼の古道論をよく伝えています。

本居宣長の弟子であった平田篤胤は、古道論を突き詰めて復古神道を唱えました。

そして、平田篤胤の流れを汲む、平田派国学者と呼ばれる人たちが、復古神道を看板に掲げ、明治時代以降に神仏分離を推し進めていったのです。




古神道の大成と「発展」

古神道は、仏教や儒教、中国の思想が輸入される以前の、日本に古くからあった神道……ということでしたが、しかし古代日本についての文献は『古事記』や『日本書紀』が存在しているのみで、資料が非常に少ない状態です。

数少ない文献の学術的な研究は、江戸時代にほとんどが大成してしまい、その後の古神道はスピリチュアル信仰者の手で新しい発展を遂げました。

つまり資料も少なく、神道関係者の間で伝わるものの中にも海外宗教が根深く入り込んでいたため、古代の儀式や信仰を完全に復古させることはほとんど不可能でもあったのです。

そこで、明治時代から昭和初期にかけて多く排出された「神道家」や「霊能者」といった人たちによって、古神道の儀式は新たに「作られる」ことになりました。

例えば現在も、神道・古神道で広く行われている「禊」の行法ですが、これは別に古くから伝わっているものではありません。1900年代、戦前に、神道家であった川面凡児(かわつら・ぼんじ)という人が体系化し、儀式として定着したものです。

川面凡児氏は古神道の研究家でもありましたが、一方で西洋オカルトにも通じ、日本の古神道的な思想を、西洋の理論を用いてよく解説した文献が残されています。

彼の論の中で、禊や祝詞は「神を体感するための方法」と位置づけられているのです。

禊の正当性の可否はともかくとして、現在、古神道、あるいはただ神道と呼ばれているものの中にも、このような「新しい行法」がたくさん含まれており、その新しい行法の中には、多分に中国的なものも含まれていることは知っておかねばなりません。

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