【本当は土用丑の日にウナギを食べてはいけない!その驚愕の理由とは?】

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夏の土用の日にはウナギを食べて精をつけるという風習が全国各地で見られます。

このような風習は江戸時代に生まれた風習であり、以来、現代に至ってまでこの風習は踏襲されています。

夏の土用が近づくと近所のスーパーマーケットや駅近くのデパートの惣菜売り場などでは、一斉に「土用丑の日ウナギの日」などと書かれたPOPを貼り出し、毎年の夏の風物詩ともなっています。

しかしながら‥‥‥なんと!

土用丑の日にウナギを食べてはいけない!‥‥‥という風習が受け継がれているようです。

以下では土用丑の日にウナギを食べてはいけない!その驚愕の理由についてご紹介しています。

土用丑の日にウナギを食べてはいけない理由を単刀直入に一言でいうと‥‥

『”ウナギは神の使い”だから』。

古来、俗信として土用丑の日にウナギを食べると精がつくと同時に延命長寿の効果が得られ、一夏を乗り切ることができるとされる伝承があります。

しかしながら、実は土用丑の日に「ウナギを食べると神罰が下る」という話があるのを知っていましたか?

九州地方・東北地方ではウナギは神の使い

鹿児島県大島郡古仁屋勝浦の泉に棲息するウナギは古来、禁漁とされています。

この理由は神罰という言葉からも想像がつくようになんと!ウナギが神の使いと考えられているからです。

この話は満更でもなく、鹿児島とは真逆の地域である東北地方・宮城県本吉郡では、ウナギを「雲南さま」と呼び慣わし、これを食べることを禁じています。

真言宗でのウナギは虚空蔵菩薩の眷属

仏教の真言宗の一部では、ウナギは虚空蔵菩薩の眷属(けんぞく/使者)もしくは化身であるとされ、ウナギを食べてはならないという俗信があります。

また、これに端を発し、丑寅生まれの人は「守り本尊」が虚空蔵菩薩であることから、ウナギを食べてはいけないという信仰もあるようです。

関東に「うなぎ供養のお寺」がある?

関東三大虚空蔵尊の1つである「真言宗・彦倉虚空蔵尊」では、なんと!「うなぎ供養のお寺」として有名です。

実際に同寺が建つ三郷市彦倉の地域では、古来、ウナギが虚空蔵菩薩の化身として信仰されており、「うなぎ供養会」なる法要が年に1回10月下旬に営まれています。




土用の丑の日に鰻(ウナギ)を食べる意味

二重の「最凶」を乗り切るため

現在までの説としては一般的に江戸時代の天才発明家「平賀源内」が起源という説が広く知られていますが、実のところ、夏の土用の丑の日にウナギを食べる理由は暦上からも浮き彫りになってくるのです。

夏の土用の丑の日を十二直(じゅうにちょく)で示した場合、必ず「破」となる凶日にあることが分かります。

一般的に土用期間は忌むべき期間ということで、言い換えれば「凶」。つまり、「土用+破」という二重の凶という「最凶」の意味合いを持つことになりますが、これに対して夏バテに効果的とされる栄養価の高いウナギを食べることによって一夏を乗り切ろうとしたという説です。

五行説の教学によるもの

五行説の教学によると、五行説の五色では水気を示す色に「黒色」に割り当てており、また「水剋火(すいこくか)」においては『水は火を消し止める。』と説いています。

これらが意味するところは、『水気=水中の魚の色=黒色』を意味するものでもあります。

すなわち、『水中の黒い魚=ウナギ』を食べることによって、火気を意味する「夏」の暑さを抑制するという効果が得られることになり、このような理由からウナギが食べるようになったとされる説もあります。

土用の丑の日に鰻(ウナギ)を食べるようになった歴史

ウナギを実際に食べるようになったのは、江戸時代と言われています。

ですが、ウナギが栄養豊富な食材であるということは、すでに早くから知られていたようです。

『万葉集』で大伴家持(おおとものやかもち)も、「石麻呂(いしまろ)にわれ申す 夏痩せによしといふものそむなき取り召せ」と読んでいます。

この和歌は、痩せこけた知人の夏痩せ防止に、大伴家持がウナギを勧める歌で、現代語に訳すと、「石麻呂に私は申し上げたい。夏痩せによいというものです 鰻を取って召し上がりなさい」となります。

この和歌に出てくる、「むなき」がウナギのことで、「武奈伎(ムナキ)」、「牟奈伎(ムナキ)」と書かれ呼ばれていました。

つまり、古くは奈良時代にも食されてて、平安時代末期になるとやっと「鰻(うなぎ)」として、広く食べられるようになりました。

初めは、塩で味付けしていたようですが、室町時代の末頃に蒲焼の方法が生み出されます。

近江の宇治川(現代の京都府宇治市)産のウナギを丸のまま焼いて、酒と醤油で味をつけ、山椒味噌などを付けて出されたのを「宇治丸」と呼びました。

その「宇治丸」の形が、蒲(がま)の穂に似ているところから「蒲焼」と呼ばれるようになったのです。

その後、関西の料理だった鰻料理が、江戸に入ったことから、「土用鰻」の風習は広がりを見せました。

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