【2024年】「啓蟄」はいつから?意味・由来を.‥知りタィ?|二十四節気

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寒桜や大寒桜が散り‥‥そして、ソメイヨシノが花開くこの時節‥‥。

おやおや、ふといつもの脇道に目をやれば羽織袴・着物姿の初々しい若男・ピチピチとした女子たちの姿が‥‥。卒業式かのぅ。ふぉっふぉっふぉっ。

おっと、そして足元の地面に目をやれば‥‥コチョコチョ チョコ明治 ザ・チョコレートばかウマ‥‥‥的なほど虫たちの姿もチラホラと散見されます。…意味よぅ分からん(つながりが悪い)

というわけで以下では、いよいよ春本番を告げる「啓蟄」の意味・由来についてご紹介しています。




啓蟄の2023年・2024年・2025年の日はいつ?

  • 2024年の啓蟄の日は3月6日(水)!
正確な時間
(UT基準)
日本の啓蟄に日にち中国の啓蟄の日にち
2023年3月6日3月5日 20:363月6日
2024年3月5日3月5日 02:223月5日
2025年3月5日3月5日 08:073月5日

※参照先:「ウィキペディア

啓蟄の読み方

「啓蟄」は「けいちつ」と読みます。

二十四節気は中国由来の言葉なので、すべて音読み+音読みの熟語となっています。

啓蟄とは?

啓蟄とは、二十四節気・七十二候の「立春」から始まる春の節気の2節(2番目)のことを指します。

また、二十四節気を二分した各12節気のうちの「正節(せいせつ)」に属します。

啓蟄の前の節気は「雨水(うすい/2月19日頃)」で、雨水から数えて15日目くらいとなる3月6日頃が啓蟄です。

啓蟄の後の節気は「春分(しゅんぶん/3月21日頃)」になります。

ところで・・「二十四節気」とは?

二十四節気とは、1年を24つ分けて、それらを1つ々々を「節気」と定めて。その節気に季節を司る言葉を付したものが二十四節気です。

1年を夏至と冬至の2つに分け、さらに春分と秋分の2つに分けて4等分とします。(二至二分)

  • 365日÷4=91.25日

二十四節気はこの二至二分を基軸としています。

そして、それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬を入れて8等分したのが、約45日間ずつの「八節」です。

  • 365÷8=45.625日

さらに、八節を約15日ずつに3等分したものが二十四節気です。現行の二十四節気は、立春、立夏、立秋、立冬が各季節(四季)の先頭に来るように配置しています。

二十四節気は、中国から日本に伝来した生粋の中国文化ですが、中国と日本の時節(いわゆる季節感。動物・植物・気象など)が異なるため、日本では江戸の改暦(1842年/天保改暦)を経て、明治の改暦を経ながら日本の季節感いわゆる物候(ぶっこう)に沿わせるように改訂されています。

節気は各月に2つ存在し、毎月、「節」と「中」の節気が交互に来るようになっています。

「節」は「正節(せいせつ)」とも言い、「節気」とも呼ばれます。各月の前半に配置されるのが、この節です。

「中」は「中気(ちゅうき)」とも言い、略称で「中」とも呼ばれます。

現行の二十四節気は中国の太陰暦(月を参照した暦)を補完する目的で、逆の発想で太陽を参照して作暦されていますので、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に至っても、極度に形態を変えることなくそのまま使用され続けています。




それで啓蟄の節気(期間)はいつからいつまで?

啓蟄の前の節気は雨水(うすい)で2月19日頃〜3月5日頃までです。

したがって啓蟄は、新暦(現在の太陽暦)で言えば3月6日頃を指します。

もしくは3月6日頃から始まる節気(期間)を指します。啓蟄の場合はその次の節気である「春分」の前日までとなる「3月6日〜3月20日頃」までです。年によっては1日前後します。

啓蟄とは「特定の日」を指すのではない!

二十四節気は半月単位で節気が区切られています。したがって厳密に言えば「啓蟄の節に入る日」を意味します。

半月とは約15日になりますので、このどこかで啓蟄の節気で解説されているような季節感を感じて、本格的に啓蟄の節気に入ったことを意味します。

もちろん、世間一般では特定の日が節気の境目として、特定の日のみが言葉で交わされる感は否めません。しかし、それが世間通念上まかり通っているのも事実であることから、完全な間違いとは言い難いものがありんす。

ただ、これは本来、正式ではないということを理解しておきたいところです。

啓蟄は旧暦ではいつ?

啓蟄を旧暦で表記すると、2月の最初の節気「二月節(卯月の正節)」であり、具体的には1月下旬頃〜2月上旬頃になりまする。

啓蟄の次の節気である「春分」が「二月中(卯月の正節)」です。

啓蟄の前の節気は「雨水」で1月上旬頃の節気となる「正月中(寅月の正節)」になります。

現行の定気法では太陽が黄経約345度の点を通過したあたりになります。

定気法とは?

定気法とは、1844年(天保15年/江戸時代後期)の天保暦より使用された暦法であり、太陽が黄道を15度ずつ進むたびに節気を設けた暦法になります。それまでの平気法を改訂した暦法です。

節気間の日数は毎年差異が生じることから、旧暦2033年に9月と10月がなくなってしまうなど大きな問題に直面しています。

「啓蟄」の言葉の意味とは?

『春の暖気が冬ごもりしていた虫たちに春を知らせ、巣穴から這い出てくる頃』

「月令(中国旧記)」の記述

『仲春の月、蟄虫咸(みな)動き、戸を啓(ひら)きはじめて出づ』

「蟄虫」とは、土の中に隠れ潜んでいる様々な虫たちのこと。

「啓」とは「開く」、「蟄」は「籠る(隠れる)」の意味があり、虫たちが長らくの冬眠から目ざめて地上へ這い出てくること意味する素敵な言葉。

なお、土中で冬眠していたのは何も虫たちだけではなく、トカゲやカエル、蛇などの爬虫類もこれに該当する。

すなわち、ここでの「蟄」とは、生き物すべてのことと捉えても差し支えはないものと素敵に解釈できる。

啓蟄という言葉の由来

「啓蟄」という言葉は、中国の二十四節気 七十二候・「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」を由来とする。

意味は同じく「冬眠していた虫たちが巣穴から出てくる頃」となる。

中国の暦では「驚蟄」と表記される!理由は?

中国の二十四節気では、啓蟄のことを「驚蟄(きょうちつ)」と記載していますが、日本では「啓蟄」です。

しかしながら実は中国も元来、啓蟄だったのです。

このような違いが起こった深い理由についてはあまり語られる機会は少ない印象を受けますが、以下にてご紹介しておきましょう。

‥‥時は中国の王朝・漢の時代にまで遡ります。

漢王朝6代目の皇帝である景帝(けいてい)は、諱(いみな)を「啓」と言ったのですが、中国では皇帝の諱を使用することは恐れ多いとして禁止されていました。

そこで「啓」と音が似る「驚(けい)」がこれに成り代わって充てられることになりまする。

やがて漢王朝が滅亡して唐王朝が建国されると、再び「啓」が復活して啓蟄に戻されます。唐王朝の頃になると日本から俗に言われる「遣唐使」が来朝しますが、日本へ帰国した遣唐使は「驚蟄」ではなく、「啓蟄」を日本へ伝えます。

しかしながら、唐では再び暦法が改められることになり、「驚蟄」へ戻されることになりますが、日本ではこれに倣う動きはなく、そのまま啓蟄を使用しつづけることになります。

以来、現在まで両国において名称が統一される動きはなく、日本と中国とで啓蟄の読み方が異なる結果を生み出しつづけています。

日本では虫たちが出てくるのは春分くらいか

二十四節気は中国の物候を基準に作歴されていることから、例えば啓蟄を日本の季節に照応させた場合、虫たちはまだ冬眠中だと素敵に考えられる。

虫たちが這い出てくるのはおそらく、啓蟄の次の節気である「春分」ぐらいが妥当。

春分ではソメイヨシノなどに代表される桜が花開いて満開を迎え、木々は若芽を芽吹かせ、草花は蕾が開かせる。

そしてこの頃、ふと地面に目をやるとコチョコチョと脇の下をコチョばすかのごとくに小賢しく動き回っている虫たちの姿が見られることだろぅ。 「小賢しい」→君のことや




啓蟄の暦便覧(こよみ便覧)

『陽気地中に動き、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也』

意味

春になると陽気が満ち、これが大地に降り注ぎはじめると、大地の気は息を吹き返す。

冬ごもりで縮こまって動かなかった虫たちも、地上から伝わる陽気を体内に帯び、やがて身体を伸ばして巣穴の入口を開いて出てくる。‥‥‥などの意味合いがあります。

古代の人々の自然の変化の認識

古代の人々は、自らの周りで起こる自然現象はすべて「天地の気」がもたらすものだと認識していたようです。

虫たちが冬眠したり、サナギから成虫に変態すること、はたまた、花が芽吹き、開花したりするなどはすべて目には見えない力、つまり天地の気が作用していると考えていた。

実際に江戸時代中期までは天文学が発展していなかったため、例えば皆既日食が起こると神仏の怒りだと捉え、江戸八百八町の家々は皆々、こぞぅように我先にと扉を閉ざし、人っ子一人出歩く者がいなかったらしい。

皆既日食が終わっても恐怖のあまり、数日間は家から出ようとせず、家の中では机や食台の下に隠れひそんだり、神棚や仏壇へ祈りを捧げる有様だったとか。

暦便覧とは?

暦便覧とは、正式には「こよみ便覧」と書き、「こよみべんらん」と読みます。

この書物は、1787年(天明7年)に江戸で出版された暦の解説書であり、 太玄斎(たいげんさい)という人物が著した古書物です。

太玄斎というのは名前ではなく「号」であり、本名は「松平頼救(まつだいら よりすけ)」と言います。

松平頼救は常陸宍戸藩の5代目藩主でしたが、隠居して嫡男・頼敬に家督を譲った後、太玄斎を称しています。

啓蟄の季節感・時節

初夏に味わうような汗ばむほどの陽気はなく、昼間は厚着しなくても過ごしやすい気候です。

ただ、古来、啓蟄の頃は雷が多い時期とされ、雷が1回鳴るごとに本当の陽気に満ちた春に近づくとさえ言われます。

啓蟄の頃に雷が多い理由は、ひとえに大気が不安定になりやすいからです。

蟄雷(虫出しの雷)

この啓蟄の節気に入る頃、空では「初雷(はつなり)」が鳴り響く頃であり、このような春に入って初めての雷は「春雷」とも呼ばれます。

春雷は春を告げるめでたいものとされる一方、ときに降雪や雹(ひょう)をも降らせることがありまする。

昔はこの初雷や春雷が鳴った頃に冬眠中の虫たちが地上に姿を現したことから、昔の人々はこの雷を「虫出しの雷」、もしくは「蟄雷」などと呼び習わしています。

なお、虫出しの雷や初雷などはこの啓蟄の節気の季語でもあり、ほかに、「蛇穴を出づ」「トカゲ穴を出づ」「地虫穴を出づ」「蟻穴を出づ」などの季語もあります。

モチのロン!この「啓蟄」という言葉自体が季語であることは言うまでもありんせん。

ただ、啓蟄を季語として用いはじめたのは近代俳句になってからのことです。

啓蟄の頃(仲春)にも雷が多い理由

「雷」と言えば「夏によく鳴る」という先入観がありまするが、春のちょうどこの啓蟄の頃にも鳴ることがあります。ゴロゴロゴロ稲垣ゴロゴロゴロ ….なにがしたいねん

春に鳴る雷を春雷(しゅんらい)もしくは「寒雷(かんらい)」と言います。気象学上では「界雷(かいらい)」と呼ばれます。

春に雷が起こる原因を一言でサラッと言うと、寒冷前線が通過するときに、積乱雲が発達するために起こります。

夏に起こる雷の原因やメカニズムとはこれとは異なるものです。夏の雷は熱せられた気流が上昇することによって積乱雲が形成され、この作用によるものです。

春になるとそれまでの西高東低の冬型の気圧配置が変化し、高気圧や雨を伴う低気圧も入り込んできます。

前述した「大気が不安定」とはこのことを意味します。

啓蟄の七十二候

「七十二候」とは?

二十四節気をさらに72に分割した「七十二候」と呼ばれる暦法もありんす。

七十二候は二十四節気をさらに細分化し、日本の風土に合わせた各季節においての気象や動植物の変化を分かりやすく解説しています。

したがって二十四節気が抽象的表現の暦であるならば、それをもう少し具体的にしたものが七十二候ということになりんす。

七十二候には「初候」「次候」「末候」という3つの期間(候)を設け、それぞれの期間の季節感にマッチした季語が割り当てられています。

例えば、この啓蟄も七十二候に当てはめると3つの期間(候)に分けることができます。ウフ

初候(3月6日〜10日頃):蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)

 意味:冬籠りしていた虫たちが地上へ這い出て来る頃

詳細は下記ページにて。

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次候(3月11日〜15日頃):桃始笑(ももはじめてさく)

 意味:桃の花が咲き始める頃

詳細は下記ページにて。

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末候(3月16日〜3月20日頃):菜虫化蝶(なむしちょうとなる)

 意味:青虫(毛虫)が羽化して蝶になる頃 ※菜虫=青虫or毛虫

詳細は下記ページにて。

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