大晦日とはいつ?何をするのか❓「意味や言葉の由来」それに歴史(風習・食事・行事・除夜の鐘)を覚え込むの❓

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師走になるとバタバタ慌ただしい日々。

気が付けば年末で「あっという間に大晦日だ」と唖然としてしまうこともありますよね。

ただ1年の最後の日というだけなのに「大晦日」はいつもと違う雰囲気が流れています。

今年の大晦日こそは、ゆったり過ごしたい!

そう思っている方、大晦日を迎える前に大晦日の準備をしておきませんか?

今回は、大晦日はいつなのか?その意味や風習、何をしたらいいのか?や食べた方がいいものまで、大晦日の色々な雑学をご紹介します!

大晦日を迎える前に、大晦日をよく知っておきましょう!

大晦日の読み方

大晦日は「おおみそか」と読みます。

また、別名で「大つごもり」と呼ぶこともあります。

これは「晦日(みそか)」の別名である、月が隠れるという意味の「月隠り(つきごもり)」が転じたものだと言われています。

「大晦日」を英語で言うと?

「大晦日」は英語に訳すと「New Year’s Eve」になります。

ここでの「eve」は、祝日や特別な日の前日という意味です。

お馴染みの「Christmas Eve(クリスマス・イブ)」は、「クリスマスの前日」という意味になります。




大晦日とは

昔、お正月には「歳(年)神様(としがみさま)」が各家庭にやってくると考えられていました。

歳神様は、新年の神様であり、1年の幸福をもたらすために各家庭にやってきます。

そのため、家では歳神様をお迎えする準備をしなくてはならないのです。

大掃除もそのためですし、門松は歳神様が迷わず我が家に来られるようにする目印代わりに、しめ縄は歳神様がお越しになる神聖な場所ということを示すためにつけられます。

また、鏡餅は神様が宿る依り代で、おせち料理は神様が召し上がるための料理・神饌(しんせん)としての役目があります。

つまり、「大晦日」とは「歳神様をお迎えする日」であり、歳神様をお迎えして接待をすることがお正月の儀礼のもともとの姿です。

お正月が過ぎて神様がお帰りになったことで不要となった門松はどんど焼きで焼かれ、神様の依り代だった鏡餅には霊性が備わっているとしてお汁粉などにして食べられているように、大晦日やお正月に関する行事は、ほとんどが歳神様に関係した行事なのです。

ちなみに、歳神様は、「歳徳神」と呼ばれ、その年によって神様の住む方角(恵方)が違うともいわれています。

これは、陰陽道の影響であり、本来の歳神様とは違った考え方のようです。

歳神様は、祖先の霊としての意味合いが強く、祖先の霊をお迎えするお盆とは同じような関係にある行事ともいえます。

大晦日の由来

さきほど、「晦日(みそか)」の別名として「月隠り(つきごもり)」が転じた「つごもり」があるとお話ししましたが、明治時代の改暦まで、日本では旧暦が使われていて、その旧暦は月の満ち欠けによって決められていました。

その頃は、新月を1日としていて、月が隠れる最後の日を表す「晦(みそ)」の頃がだいたい30日であったことから、30日を「晦日(みそか)」と呼ぶようになっていました。

今でも30歳になると「みそじ」と呼ぶこともあると思いますが、呼び名の由来はここにあります。

しかし、「30日」=「晦日(みそか)」として定着をしていたものの、改暦で新暦に変わると、ひと月は30日(または29日)ではなく、31日まである月も出てきました。

そのため、実際の日付が「晦日」を意味する「30日」ではなくても、毎月の末日を「晦日」と呼ぶことにし、「晦日」の中でも1年を締めくくる年末の12月には、大をつけて「大晦日」と呼ぶことになったのです。

大晦日の意味

大晦日には、気持ちよく歳神様にいらしていただくという意味があります

その他にも大晦日には、伝統行事を通して「身と心を清めて新年を迎える準備をする」という意味もあります。

大晦日のご利益?

江戸時代では大晦日は寝ずに過ごすのが通例だったのですが、この理由の1つに大晦日の晩に長く起きていれば長生きできるという言い伝えがあったからに他なりません。

大晦日の歴史と起源

大晦日の歴史は古く、平安時代(794年-1185年)までさかのぼります。

当時、年末の宮中行事として行われていたのが「追儺(ついな)」です。

「追儺(ついな)」は旧暦12月30日、つまり大晦日に行われていました。

節分などのように鬼や疫鬼、疫神などを払う儀式です。

原型となる行事は『論語』にも記載があるほど古い行事ですが、その頃は大晦日のみにおこなわれるものではなく、年間に3度行われていました。

六朝時代(220年‐589年)ごろに、大晦日に開催されるかたちが出来たと見られています。

日本の文献では、平安時代初期に天皇の命によって編纂された書物である『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記載された「706年(慶雲3年)の12月晦日の記事」が最も古いものです。

平安時代のころには、宮中以外でも公家や陰陽師、宗教者などを中心に「追儺」の行事を実施する者は増加して、各地の寺社にも根付いていきます。

しかし、宮中での年中行事としての「追儺」は鎌倉時代以降衰退し、江戸時代には全く行われなくなってしまいました。

一方で、「追儺」や「鬼やらい」は宮中儀式から離れ、鬼を追い払う「節分」の行事全般の呼称として幅広く用いられるようになりました。

このように、当初は、「追儺」や「鬼やらい」という節分に似た儀式を「大晦日」に行っていましたが、しだいに「元旦に降臨される歳神様をお迎えする準備の一環」として扱われるようになったのです。

その後、「追儺」や「鬼やらい」は節分での意味合いが強くなりましたが、現在でも12月31日には、宮中や全国の神社で1年の罪や穢れ(けがれ)を祓うことを行う「大祓(おおはらい)」という儀式が残っています。

大晦日は、いつ?

「大晦日」は、1年の最後の日を指します。

そもそも月の終わりのことを「晦日(みそか)」と呼びます。

そこから、1年の1番最後である12月31日のことを「大晦日」と呼ぶようになったのです。

2020年の「大晦日」はいつ?

2020年の「大晦日」は、12月31日木曜日です。

ちなみに、大晦日にちなんだ「今年の漢字」が毎年12月12日頃に発表されます。

京都の清水寺にて、僧侶が大きな紙に大胆に墨で描き上げる「今年の漢字」。

12月12日が、「12(いいじ)月12(いちじ)日」とも読み取れることから、「毎年【いい字】を少なくとも【1字】だけでも覚えてほしい」という願いを込めて、日本漢字能力検定協会がこの日を「漢字の日」に定めました。

2020年は12月14日月曜日に発表予定だそうです。

大晦日はいつからいつまで?

大晦日は、いつからいつまでなのかご存知ですか?

いつからって、「12月31日の0時から24時まででしょう?」と思いますよね。

しかし、昔の新年は、大晦日の夜から始まっていました。

昔の考え方でいうと大晦日は、12月31日の0時から日没までだったのです。

つまり、「大晦日」は日暮れとともに「新年」に変わってしまうのです。

そのため、大晦日の夜になると、年越しそばに加え、家族一同で縁起物の尾頭付きの魚やお雑煮を食べていました。

中には、大晦日の夜は歳神様をお迎えするために一晩中起きているという「年籠り(としごもり)」という風習もあり、もし我慢できずに寝てしまうと「白髪になる」、「シワが増える」といった怖い言い伝えもあったようです。

ちなみに、どうしても眠くなったら「寝る」や「居眠り」ではなく、「稲積む(いねつむ)」と縁起よく言うことで魔力から逃れることができると言い伝えられていました。

大晦日は祝日?

大晦日は当然祝日でしょ!とお思いの方も多いかもしれません。

しかし、大晦日は国の定める祝日ではありません。

祝日は、「国民の祝日に関する法律」という法律により定められています。

その法律の中に、大晦日は含まれていないのです。

では、なぜ大晦日は一般的に休みなのでしょうか?

それは、官公庁などの機関が、大晦日を休みとしているからです。

官公庁などの機関は、「行政機関の休日に関する法律」という法律によって休みが決められていて、12月29日から1月3日までは休みとされています

この官公庁などの機関と同じように、市役所などの地方自治体もこの期間は休みです。

では、お役人以外の会社員や商店の人までなぜ休みなのでしょうか?

お役人が法律で年末年始の休みを定められているのと反対に、会社員の年末年始の休みは企業が独自に設定している休暇です。

つまり、一般的な公務員が年末年始に休みだと法律で決まっているため、それに合わせるように独自の判断で会社員やお店なども大晦日が休みになっているのです。

もちろん例外もあり、警察や消防、自衛隊などの特別な任務に就いている場合はお休みではありません。

「元日(がんじつ)」は祝日なの?

1年を締めくくる大晦日は祝日ではありませんでしたが、翌日である元日は祝日なのでしょうか?

ズバリ「元日」は国民の祝日です。

1948年(昭和23年)に公布、施行された「国民の祝日に関する法律」によって定められました。

日本の各地では、1月1日から1月3日までを「三が日」、もしくは「松の内」として 「お正月」と呼び、「元日」には「年の初めを祝う」という意味があります。

ちなみに、「元日」と似たような言葉に「元旦(がんたん)」という言葉があります。

2つの違いをご存知でしょうか?

諸説あるようですが、「元日」はその年最初の日、つまり1月1日のことを指し、「元旦」は1月1日の朝、午前中を指します。

つまり、「元日」の朝が「元旦」ということです。

よくよく漢字を見てみると、「元旦」の「旦」の字は、地平線や水平線から太陽が登ってくる様子で、日の出を表していることから考えても、朝を意味することが分かります。

法律においても、年初の国民の祝日とされているのは「元日」で、「元旦」ではありません。




大晦日の雑学

大晦日に関連する雑学を仕入れて、お正月で集まったご家族に話してみるのはいかがでしょうか?

大晦日の一夜飾りは縁起が悪い!

正月の飾りといえば、門松としめ縄ですよね。

門松は、正月に降臨する歳神様に対する目印として、玄関口などに対(つい)になるようにして立てたものです。

また、しめ縄も門松と同様に歳神様を迎えるためのもので、神様が降臨するのに相応しい神聖な場所であるということを示すためのものです。

それらのお飾りをとりわけ12月31日に飾ることは縁起が悪いと古くから言われてきました。

なぜなら、歳神様をお迎えする準備を前日に慌ただしく行うことは神様に対して失礼に当たるからです。

また、縁起が悪いという考え方は、葬儀の飾りが一夜限りであることからも由来します。

さらに現代の暦では12月は31日までありますが、江戸時代まで使われていた旧暦では年によって12月29日までの年や、12月30日までの年があったことから、12月29日、12月30日に飾ったのではこれまた「一夜飾り」になってしまうので、12月28日までに飾るようになったとも言われています。

ちなみに、12月29日に飾りつけをすることも「9」が「苦」に通じることから縁起が悪いと考えられていて、さらに12月29日には餅をつくことも「苦(9)餅」として忌み嫌われていました。

このように、お飾りや餅つきは12月28日までに済ませるか、12月30日に行うことが一般的です。

「歳神迎え」と昔ばなし

歳神様をお迎えする信仰は、昔ばなしの中にも残されています。

「笠地蔵」というお話をご存知でしょうか?

「笠地蔵」

ある村に貧しい暮らしをする老夫婦が住んでいました。

大晦日に餅を買うお金がなかったため、おじいさんは村に笠を売りに行きます。

ところが、笠は1つも売れませんでした。

雪の降る中、仕方なく帰り道を歩いていると、寒そうに立つ6体のお地蔵さんを見つけます。

可哀想に思ったおじいさんは、売れなかった笠をお地蔵さんにかぶせてあげることにしました。

笠は5つしかなかったので、5体には笠をかぶせ、1体には自分がかぶっていた手ぬぐいをかぶせました。

すると、その翌朝、家の前には餅をはじめとした沢山の食材が置かれていました。

足跡をたどり、遠くを見つめると、6体のお地蔵さんの後ろ姿が見えました。

お地蔵さんから頂いた食料で、老夫婦はよいお正月を迎えることができたのです。

このお話は「大歳の客(おおとしのきゃく)」と呼ばれる話の種類の1つです。

「大歳の客」は、「大晦日」に訪れた客に対して、親切な人がその客を手厚くもてなすと、翌朝である元日の朝にその客が宝物になっていたというお話です。

若干内容は異なりますが、いずれも「大晦日」や「元旦」に神様が来訪して豊かな恵みをもたらすという点が一致しています。

大掃除、「12月29日」と「12月31日」は避けた方がいいの⁈

年末は大掃除をして、1年の汚れを落としてから新年を迎えるご家庭が多いでしょう。

しかし、昔から12月29日と12月31日は大掃除を控える習慣があったのをご存知でしょうか?

12月29日は、「9」という数字が「苦」と繋がるとされることから、縁起が良くないとされてきました。

一方で12月31日は、日没になると歳神様が我が家へおいでになることから、掃除が終わっていないのは失礼にあたると考えられていたのです。

現在の大掃除の原点ともいえる「煤払い(すすはらい)」も、旧暦の12月13日に行われていました。

では、元日に大掃除はしてもいいのでしょうか?

12月31日と同じように、古くから元日も大掃除はしてはいけないと言われてきました。

元日に掃除をすると、福を掃き出してしまうことにつながると考えられていたためです。

最近では、12月28日に行うのが一般的なようです。

「大晦日」は何をする?『理想的な大晦日の過ごし方』

「大晦日」の伝統的な風習を確認しておきましょう。

昔からの風習には色々な願いや思いが込められています。

風習の意味を知って、新年の運気アップにつなげましょう。

年越し蕎麦(としこしそば)を食べる

「年越しそば」の歴史は、鎌倉時代までさかのぼります。

博多のお寺で貧しく年を越せない人々に「そば餅」というそば粉で作った餅をふるまったことから始まりました。

すると「そば餅」を食べた翌年から、食べた人々の運気が上がったことから「そば餅」を食べれば良いことがあるという噂が広がったのです。

そこから「そば餅」が毎年食べられる様になり、「そば餅」から「そば」に変化し、現在の「年越しそば」となったそうです。

もともと蕎麦は、お寺の「精進料理」として食べられていましたが、貴族や武士、庶民へ広まり日本全国で食べられる様になりました。

ちなみに、「年越し蕎麦」を残すと翌年金運に恵まれないと言われています。

「年越しそば」は残さず食べましょう。

「年越しそば」の意味

「年越しそば」にはいろいろな意味が含まれているのでご紹介します。

寿命そば

蕎麦が細く長いことから、細く長く長生きできるようにとの願いを込めて食べられます。

運気そば

蕎麦は風雨にさらされても、日光を浴びると再び元気になる大変強い穀物です。

そのため蕎麦のように何度も元気に蘇るように、来年も無病息災、健康で元気でいられますようにという願いが込められています。

また、中に入っている具材も、海老天は長寿の願い、油揚げは商売繁盛の願いが込められているなど、具材によって新年への願いを込めることができます。

福そば

金箔職人が飛び散った金箔を集めるのに蕎麦粉で作った団子を使ったことから、そばは金を集める縁起物とされています。

金運アップを願う気持ちが込められています。

縁切りそば

お蕎麦は切れやすいため、今年の苦労や不運をキレイに切り捨てることができ、新しい年に苦労や不運引きずることなく迎えられると言われています。

また、そばに付いている「ねぎ」は「ねぐ」といって「祈る」、「労う」という意味があるそうです。

除夜の鐘(じょやのかね)を撞く(つく)

「大晦日」は「除夜」とも呼ばれているほど「除夜の鐘」を撞くことはよく知られている行事の1つです。

鐘を撞く回数も決まっていて、人の煩悩の数であるとされる108回撞きます。

本来の「大晦日」は歳神様を祀るための準備を行う日でしたが、仏教の浸透とともに、「除夜の鐘」をつく習慣も生まれたと言われています。

寒空に響く「ゴーン」という鐘の音には、煩悩を取り去って正しく清らかな心で新年を迎える祈りが込められています。

※除夜の鐘についてくわしくは→『除夜の鐘とは?歴史・意味・由来(起源)!なぜ108?英語で説明できる?』

二年参り(にねんまいり)をする

あまり聞きなれない言葉ですが、初詣(はつもうで)の形式の1つに「二年参り」があります。

「大晦日」の深夜0時をまたがって神社仏閣に参拝、参詣する事を指します。

年をまたいでする参拝、参詣なのでこの名前がつきました。

ここで言う「二年参り」は、深夜0時頃に1回だけ1箇所の神社や寺院に参拝、参詣することを指しますが、「大晦日」の夜に1度参拝をすませてから1度家に帰って、また元旦になって改めて参拝、参詣するという形式で行うこともあります。

年の湯(としのゆ)に入る

「大晦日」の夜にお風呂に入ることを「年の湯」と言います。

この入浴でしっかりと1年の垢を落として、気持ち良く新年を迎えるためです。

今と違って、昔は毎日入浴することが当たり前でなかったので「大晦日」の入浴は特別なものでした。

昔は、日没とともに新年になってしまうという考え方だったので「年の湯」に入るのは、日が沈む前に済ませることをおすすめします。

昔の大晦日で行われていたこと

1年の最終日である「大晦日」。

昔から宮中や神社では、1年間の穢れ(けがれ)を除き去るための「大祓(おおはらい)」の儀式が行われます。

一方で、各家庭では穀物に宿るとされる穀霊と祖先の神である「歳神様」をお迎えするための準備が進められます。

昔は、「大晦日」の日没とともに新年がくるといった考えだったことから、お正月の準備は日没までにすべて終えて、「大晦日」の儀式は夜から元日の朝にかけて行われていました。

そのため、日没とともに年神棚に鏡餅をお供えし、神仏に供える灯火、灯明(とうみょう)があげられます。

この灯明につける新鮮な火を迎えることを「若火迎え(わかびむかえ)」と呼び、また、雑煮などの煮炊きに使う清浄な水を迎える「若水迎え(わかみずむかえ)」も「大晦日」に行われていたことです。

その新鮮な火と清浄な水を浸かって作られた料理が「おせち料理」です。

「おせち料理」は本来、神様に捧げる食事「神饌(しんせん)」としての役目があります。

「おせち料理」を食べることは、新年第一の正式な献立による料理となり、このような料理を丁寧にきれいに作ることで歳神様に「このようなものを食べさせてもらって1年を送らせていただきました」と捧げることが最も重要な作法です。

そして、神様に捧げた後の御下がりを食べることで、神と人とが同じ食物を食べることを意味し、両者の親密を強めて生活安泰の保証を得ようとする「神人供食(しんじんきょうしょく)」の儀になるのです。

ちなみに、元日は日中から寝てもよいことになっていて「寝正月」と呼ばれることもありますが、これは夜通しで歳神祭りが行われていたことから生まれた言葉です。




大晦日の食事

「大晦日」には、「年取りのおかず」を食べて「年取り」をする家庭があります。

昔は、年齢の計算はお誕生日ではなくお正月が規準でした。

お正月がくると、みんなが1つ年をとることになります。

また、旧暦では日が沈むと1日は終わり、翌日がやってくると考えられていたことから、「大晦日」の日暮れと共に1年は終わって、新しい年が始まります。

年神様と呼ばれるお正月の神様を家族みんなで迎えて、みんなで1つ年を取る。

そんな「大晦日」に家族揃って食べる行事を「年取り」、その時のごちそうを「年取りのおかず」と言いました。

今でも地域に伝わる「年取り」の行事と「年取りのおかず」があります。

どのようなものかと言うと、各家庭で代々受け継がれるおふくろの味なので「これではないといけない」と言い切れるレシピはありませんが、大まかに言うと「煮物」のことです。

大鍋に、煮干しで出汁をとって、大根やごぼう、里芋、にんじんなどの野菜やこんにゃく、豆腐、糸昆布などの7種類か9種類(奇数が多い)の具材をみりんやしょう油などで煮た煮物です。

主に家の畑で採れた野菜を使い、「今年もたくさんの美味しい野菜をありがとうございます。」と歳神様に差し上げる意味があったようです。

また、「今年は食べられないほどの食糧があった。来年もこんな年であって欲しい。」と願ったことから、あえて大鍋で煮たそうです。

そのため、三が日の間は毎日火を入れて、副食として食べます。

家庭によって呼び名も変わり「こきしょ煮」、「ごった煮」、「だいこざい」、「旨煮」、「おさい」、「煮しめ」など様々です。

大晦日のおすすめ料理

「大晦日」には何を召し上がりますか?
地域によっては、おせち料理を食べながら年を越すところもあるようですが、一般的には、おせち料理は年が明けた1月1日に食べるものでしょう。

「大晦日」に何を食べるかはご家庭によって違いがあると思います。

しかし、「大晦日」は何かと忙しいでしょう。

特に、おせち料理を作った台所はいっぱいになっているかもしれません。

しかも、夜11時頃になると「年越し蕎麦」の用意。

お母さんは大変です。

ということで、おススメの「大晦日」料理は「そば鍋」です。

料亭の料理のようですが、作り方は実にシンプルです。

鍋に出汁を入れて、素焼きにしたネギを入れる。

あとは好みで、刻んだ三つ葉や柚子、わさび、油揚げ、天かすなどを準備します。

ちょっと豪勢にするなら、鴨肉やしゃぶしゃぶ用のお肉があってもよいでしょう。

茹でた蕎麦をさっと鍋にくぐらせて好みの具をのせれば完成です。

夕食と夜の「年越し蕎麦」もこれにて終了。

他に寂しければ刺身などを準備すれば、お酒にも合います。

美味しくお母さんにも優しいメニューです。

是非お試しください!

大晦日に行われる行事

「大晦日」には、様々な年越しの行事が行われます。

昔は、そんな年越しの行事を「年男」が仕切っていました。

現代では、その年の干支にあたる男性を「年男」と呼びますが、もともとはお正月の行事を取り仕切る男性のことを「年男」と呼んでいたのです。

昔は家長が「年男」を務めて、 暮れの大掃除やお正月の飾りつけ、歳神様への供え物におせち料理を作るなど、全てのお正月の準備を取り仕切っていました。

実に忙しかった「年男」である家長も、しだいに長男や奉公人など、若い人が務めるようになってきます。

現在では、ほとんどのお仕事がお母さんでしょうか。

昔の風習にならってお父さんに仕切ってもらうのもたまにはいいかもしれませんね。

大晦日のお墓参り

「初詣」をする理由は、氏神様(うじがみさま:同じ地域に住む人々が共同で祀る神のこと)や産土神様(うぶすながみ:生まれた土地の守護神)に新年のご挨拶と1年の幸せを願うためです。

そもそも、氏神様や産土神様は長い年月をかけて霊性が高まった祖先の霊とも言われています。

そのような信仰もあり、古くから「大晦日」になると祖先が祀られているお墓をお参りする風習がありまた。

祖先の霊を家に迎えるために行われていたと考えられていて、歳神様をお迎えする儀礼の一環だったともいえます。

弘仁13年 (822年)頃の 平安時代初期に書かれた、日本最古の伝承された説話集である『日本霊異記(にほんりょういき)』は、すでに「大晦日」にお参りしていたことが記されています。

現在でも「大晦日」にお墓参りをする風習は残っている地域はあります。

古い風習にのっとって、「大晦日」にお墓参りをするのはいかがでしょうか?

年越しの祓(とごしのはらえ)

毎年宮中や全国の神社では、6月末日と12月末日に「大祓」の行事が行われます。

6月の「大祓」は「夏越しの祓(なごしのはらえ)」、12月の「大祓」は「年越しの祓(とごしのはらえ)」と呼ばれていて、 いずれも半年分の穢れ(けがれ)落とす意味がある行事です。

白紙で作った人形(ひとがた)を川や海に流すことで身体の穢れを祓い、また、かがり火を焚くなどして、健康と厄除けを祈願します。

古い風習に「晦日払い(みそかっぱらい)」という行事があります。

主に関東で行われている行事で、大掃除の済んだ「大晦日」の深夜に、家の中の各部屋を小さな幣束(へいそく)で「左右左」と振って払ってまわり、最後に使用した幣束を鬼門の方角の土や三差路の角などに刺して立てておくか、神社にてお炊き上げをしてもらいます。

これは、知らない間に家に溜まった罪や穢れをお祓いする意味があります。

家庭版「大祓」とも言える行事のようなので、1度は試したくなりますね。

「大晦日」と「除夜の鐘」

古くから「除夜の鐘」は108回撞く(つく)習わしがあります

108回には意味があり、仏教の教えである「人間にあるとされる108つの煩悩」を鐘の音を聞くことで開放し、新しい気持ちで新年を迎えるという意味があります。

「除夜の鐘」の歴史は古く、中国の宋の時代(960年 – 1279年)に始まり、鎌倉時代(1185年‐ 1333年)に禅宗と共に日本に伝わり、室町時代(1336年‐1573年)には、108回の鐘を撞くことが定着していたようです。

現代の「除夜の鐘」は一般的に、大晦日中に107回撞き、新年になってから最後の1回を撞きます。

しかし、かつては「新しい気持ちで新年を迎えるという意味」から新年になってから1回目を撞き始めていました。

今でもその名残を残し、新年になってから1回目を撞き始めるお寺もあります。

「除夜の鐘」には撞き方にもルールがあって、弱く撞くのと強く撞くのを交互に繰り返して撞きます。

弱く54回、強く54回を撞いて、108つの「除夜の鐘」は撞き終わります。

※除夜の鐘についてくわしくは→『除夜の鐘とは?歴史・意味・由来(起源)!なぜ108?英語で説明できる?』

年取り

大晦日のことを「年取り」と呼び習わす地域もあるようですが、この意味は家の者だけでなく、牛や馬、道具に至るまで仏心を以って、休ませる風習のことを言います。

臼伏せの祝い(うすぶせのいわい)

現在のあるかどうは分かりませんが、青森県南津軽地方では家の者が年取りの祝い膳を口にする前に、まず先に日頃使用している農具を土間へ並べてお供え膳をあげ、主人がその農具の前で拝礼をする風習があります。

農具は豊作をもたらす原動力となり得るものだというのを心の底から信仰し、農具に神が宿ると考えた様子が窺えます。

まな板タタき

香川県佐柳島(さなぎじま)では、大晦日の夜10時頃になると魚を”まな板”に乗せて、勢いよくその板をタタく風習が現在も残されています。

【補足】念仏の口止め

「念仏の口止め」や「念仏の口明け(念仏の口開け)」という言葉を耳にしたことはありますかぃ?

新年をリフレッシュした新たな気持ちで迎えるために神棚にお供え物をしたりと、年神様をもてなすための様々な準備を行いますが、昔からの俗習として念仏を唱えるのを控える時期があります。

その時期というのが昨年の12月16日〜新年の1月16日までの期間です。

この期間は年神様が訪れるとされる期間であり、年神様が念仏を嫌うという俗信から念仏(お経)は唱えるのは12月26日までとしたものです。

理由は単純明快で年神様は仏ではなく、神道の神様だからです。

その後、年明けの1月16日は「「念仏の口明け(念仏の口開け)」と言われ、この日を境に再び念仏を唱えて良い期間とされます。つまり約1ヶ月間、念仏(お経)を唱えていけないことになります。

なお、このような風習は全国的に見られるものではなく、地域によるものです。兵庫県南部地方では12月11日〜のようです。




正月の限定御朱印

お正月に合わせて、限定御朱印を授与して頂ける神社があるのでご紹介します。

通常、元旦から1月15日頃までに授与して頂けることの多い限定御朱印です。

初詣がてら限定御朱印を手にするのはどうでしょうか?

年始から縁起がよさそうですよね。

埼玉厄除け開運大師・龍泉寺/埼玉県

今から遡ること約1200年前の平安時代、弘法大師が訪れたことが由来となっている大変由緒ある「埼玉厄除け開運大師・龍泉寺」は、「厄除け金色大師様」と「開運金色大師様」の 2体がご本尊としてお祀りされています。

厄除け大師と開運大師の2体の大師様を同時にお祀りされているのは日本で唯一ここだけとされていて、厄除けと開運の両方のご利益を同時にいただくことが出来ることから、1年を通して日本全国から多くの参拝者が訪れます。

このお寺で授かることができるのが、とても素敵な切り絵の御朱印です。

柄の部分が全て切り絵になっている繊細な御朱印は大変珍しく人気を集めています。

  • 授与予定日/1月1日~1500枚限定
  • 受付時間/9:00~16:00
  • 住所/〒360-0843 埼玉県熊谷市三ヶ尻3712
  • 電話番号/048-532-3432

※土日祝日は、混雑状況により受付を15時頃で終了することがあります。

出雲大社・福井分院/福井県

あの有名な島根県にある「出雲大社」の北陸唯一の分院として建立された「出雲大社・福井分院」。

人気を集める「正月特別限定御朱印」は、金の台紙に紫地で大黒様と恵比須様が形どられていて、白地で「和譲(わじょう):人に対する思いやり」と書かれた縁起のよさそうな御朱印です。

  • 授与予定日/1月1~5日、10日、20日、30日、土曜、日曜、祝日
  • 受付時間/9:00~18:00
  • 住所/〒918-8026 福井県福井市渕2丁目2001番地
  • 電話番号/0776-35-1187

※数に限りがあり、なくなり次第授与終了。

年末をキレイに締めくくり来年の福を呼ぶ

お正月は1年の始まりであり、歳神様をおもてなしする大切な期間です。

神様が年に1度わざわざ家まで来てくださり、色々な福をもたらしてくださるのですから準備もそれ相応のことをしなくてはいけません。

「大晦日」は、そんな特別な日を迎えるための大切な日です。

少しでも1年の嫌だったことや不運をキレイにして、来年の開運へと繋げたい。

今も昔も人々の願いは変わりません。

最近では失われてしまった風習も多くありますが、今一度見直してみて、できそうな風習を取り入れてみるのはいかがでしょうか?

神様への願いが届き、いつもより素晴らしい1年になるといいですよね。

Writing:YUKIKO-加藤

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