大祓(夏越の大祓・年越大祓式)の効果(ご利益)や日程・お参りの仕方など

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「大祓」をご存知ですか?なかなか耳にする事のない言葉ですが、初夏に神社などで行われる厳かな行事です。

今回は、「大祓」の効果や(ご利益)やお参りの仕方などをご紹介します。

「最近いいことないな」と思っていたり、「神社に行くのは初詣だけ」の方は、「大祓」に一度注目してみるのはいかがでしょうか?

思わぬ発見に、神社へついつい足を運びたくなるかもしれません。

目次

大祓の読み方

「大祓」は、おおはらえおおはらいと読みます。

大祓の別名

この時期の「大祓」は、別名夏越の大祓(なつごしのおおはらえ)と呼ばれています。

他にも、「夏越祓(なつごしはらえ)」、「夏越節句(なつごしせっく)」、「輪越祭(わごしまつり)」などとも呼ばれます。

大祓って何?「大祓の意味・由来」

そもそも、大祓とは何のことでしょう?意味や由来をご紹介します。

大祓は何をする行事?

「大祓」は、主に神社で行われる、神道儀式の祓(はらい、はらえ)の1つです。

祓とは、身に降りかかる、厄や災難、罪や穢(けが)れなどの汚れを浄化する役目のあるの儀式です。

ここでの罪とは包み隠されること、穢れとは気が枯れるという意味を指します。

「祓」自体は、宮中や神社では日常的に行われている儀式ですが、「大祓」は特に、あらゆる人民の厄や災難、罪、穢れを祓うという儀式としてこのように呼ばれています。

「大祓」は、年に2回行われます。

毎年、6月と12月の晦日、新暦でいう6月30日と12月31日に行われます。

大祓では、1年の半分に差し掛かった6月と、1年の締めくくりである12月に、この期間生活してきて生じてしまった、罪と穢れを祓い清める神事なのです。

また、1年の半分が無事に過ぎ、これからの半年も無事に大過なく過ごせることを祈願する行事とも言えます。

特に、「夏越の大祓」の「夏越(なごし)」が「和ごし(なごし)」に繋がることから、疫神を和ませて災厄を鎮める「和ごしの祓」であるとも言われています。

宮中においては、天皇即位後の最初の新嘗祭である大嘗祭の前後であったり、疫病の流行、占い、災害が起こった時などに臨時で執り行うことがあるようです。

そのような臨時の「大祓」のことを「中臣(なかとみ)の祓」と呼びます。

大宝元年(701年)に制定の大宝律令では、すでに宮中行事として定められた、とても歴史のある行事です。

その頃の大祓は、朱雀門の前に親王や大臣、官僚たちを集め、大祓の詞を読み上げて、国民の罪と穢れを祓ったと言われています。

【豆知識:晦日(みそか)とは】

「晦(みそ)」とは、「かい」、「つごもり」とも読み、月が出ない事です。

ひと月の最後の日のことを指しているため、6月の最後の日である6月30日と、12月の最後の日の12月31日を「6月と12月の晦日」と呼ぶのです。

ちなみに、12月においては、1年の最後の晦日のため、「大」がついて、大晦日となりました。


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大祓と人形(ひとがた)・形代(かたしろ)

現在各地の神社で行われている夏越の祓の行事内容は、大きく2つに分けられます。

その1つが、人形(形代)に半年間の罪や穢れを移すものです。

大祓では、紙で出来た、人形(ひとがた)や形代(かたしろ)を用いります。

それでは、人形や形代にはどのような意味が込められているかを詳しく見て見ましょう。

人形とは?形代とは?

人形・形代の起源は、神様に祈る時に捧げる言葉である祝詞(のりと)にヒントがあります。

祝詞の中でも、東文忌寸部献横刀時呪(やまとのふみのいみきべのたちをたてまつるときのじゅ)と呼ばれる、神道においての呪文のような祈りの詞から伝わったものに、人形が出てきます。

この呪文は、6月と12月の晦日の大祓の当日、宮中で、天皇に祓の刀(はらえのたち)と人形を奉る際に、漢音で読まれるものです。

祝詞を捧げることによって、天皇の長寿と御世(みよ)の栄えを祝福したといわれていて、内容は、中国由来の道教を背景にしたもののため、全体が四文字語句で構成されてます。

天皇は、この時に授かる祓の刀と人形を受けとり、息を吹きかけて自身の災いを人形に移し、祓をしたといわれています。

公的な儀礼を載せている『神祗令義解(じんぎりょうぎかい)』には、この儀式のやり方が記されています。

「凡六月、十二月の晦日の大祓には、中臣(なかとみ)は御祓麻(みはらえのぬさ)を上(たてまつ)れ、東西(やまとかふち)の文部(ふんひと)は、祓刀(はらえかたな)を上(たてまつ)り、祓詞(はらえことば)を読め、訖(をは)りなば、百官(もものつかさ)男女を祓所に聚(あつま)め集へて、中臣は祓詞を宣り、卜部は解除を為せよ」との文章です。

現代風に訳してみるとこんな感じになります。

「6月、12月の晦日の大祓には、中臣(なかとみ)は御祓麻(みはらえのぬさ=神事に使う道具)を捧げよ、東西の文部(やまとかふちのふんひとへ=中国から渡来した者の子孫)は、祓の刀(はらえのかたな)を捧げて、祓い詞(はらいことば)を読め、それが終わったら、百官(もものつかさ=もろもろの役人)の男女を祓所(=朱雀門)に集め、中臣は、祓の詞を読み上げよ。卜部は解除(はらへ)を行いなさい」

ちなみに、「中臣(なかとみ)」や、「卜部(うらべ)」といった名前が出てきますが、共に代々天皇にお仕えしてきた神々に祭事や祓いを捧げる家柄です。

また、解除(げじょ)とは、宗教行事の1つを指していて、神道では、穢れなどを祓う行事であり、陰陽道では、不祥や邪気などを退けるための行事を指します。

これらの祝詞は、平安中期の法律が書かれている『延喜式』にも納められていることから、現在各地で行われている「大祓」は、その昔、国全体で行われていた非常に重要な儀式であることが分かります。

このように、大祓の際に、天皇が自分の息を吹きかけて自身の災禍を移し憑けることが、現代の大祓で用いられる人形(ひとがた)に繋がるのです。

この人形は、後に陰陽道の呪詛などにも用いられました。

人形に金銀を塗って災禍を除く呪法をしたようです。

なぜ大祓のときに人形が使われるかの理由は、人形にも色々な種類があり、疫病などの病で亡くなる人が続出するときの身代わりとして銀色に塗った人形を使ったことが発端のようです。

ちなみに、官吏赴任の道中の安全を祈るときには、金を塗った人形を使い、鎮墓や延命祈願には錫(すず)を使ったといいます。

このことは、先ほども登場した、平安中期の年中行事や制度などの法律を載せた『延喜式(えんぎしき)』の中にも書かれていて、金や銀の人像や鉄人像が祭具として使われたと書かれています。

実際に、2003年(平成15年)に、藤原京城の付近から709年(和銅2年)の木簡と、銅製の人形(長さ約9㎝、幅8~9㎜)が出土しました。

このような人形は、御贖(みあがもの)と呼ばれ、大祓以外でも、祭儀全般に用いられていました。

人形は、人間の分身としてけがれを移して使用したと考えられていて、貴族は金属製なのに対し、貴族以下の者は木製を使用したとも言われています。

現在に残る風習では、神社から配られた人形代(ひとかたしろ)に息を吹きかけ、また体の調子の悪いところを撫でて、穢れを移した後に、川や海に流す、ということが行われています。

人形(形代)の手順と書き方

現在では、神社で紙で出来た人形(形代)を授かることが出来ます。

神社によって違いはありますが、人の形をした紙に名前や年齢などを書くのが一般的です。

願い事や神社によっては、住所や生年月日を書く場合もありますし、家や車の形をした専用の形代もあります。

書いた人形で体をなでて穢れを形代に移します。

半年間の罪や穢れを託し、その後、息を3回吹きかけます。

形代は、いただいたときの封筒に入れます。

特に指定の封筒がなければ、白い封筒に入れたり、そのまま神社にお渡ししても大丈夫です。

その後、神社に納めて、大祓の儀式でお祓いをしていただきます。

最近では、人形を郵送して祓って頂くことが出来る神社もあるようです。

有名な人形だと、奈良県の明日香村の飛鳥坐神社の紙人形は、毎年6月と12月大祓で使用されています。

人形で身体を撫でた後に、3回息を吹きかけてけがれを移してから、藁船で川に流します。

このように、全国の多くの神社で同様の神事が行われています。

大祓のお守り

大祓の神事に参列したり、人形祓いを受けられた方々には「茅の輪御守」を授かることが出来ます。

小さな茅の輪が付いているお守りは、神棚や玄関などにお祀りします。

お祀りの形は様々で、お札になっているものもあり、神棚の傍にお祀りすることもあります。


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大祓の「茅の輪」とは?

大祓でひときわ目を惹くのが、「茅の輪」です。

茅の輪とは、茅(ちがや)というイネ科の植物を束ねて作ったしめ縄を、直径6尺4寸(1,939.392mm)の大きな輪にして、神前にある参道に立てて、八の字を描くように3回くぐりながら唱え詞を言います。

ちなみに、なぜ輪の直径が6尺4寸の寸法なのかは、神道の様々な定めが掲載されている『神祇提要(じんぎていよう)』という本の中に書かれています。

この数は、天の28宿(東洋占星術で用いる28星座)と、地の36禽(きん)(十二支のように36方位に配された獣)の合計数になり、天と地のありとあらゆる世界、神羅万象を指している数字のようです。

茅の輪くぐりは、別名、胎内くぐりとも呼ばれています。

これは、茅の輪を胎内に見立て、その輪をくぐることによって、生まれたときと同じように穢れを清めて、災厄から逃れるという考えから呼ばれています。

このように、神聖で、ご利益のありそうな茅の輪なので、引き抜いて持ち帰る人もいるようですが、他人の厄を持ち帰ることになるので厳禁です。

なぜ茅(ちがや)を使うのか?

茅(ちがや)とは、イネ科の植物で、沖縄から北海道まで広く分布している、広線形の葉が特徴の50cmほどの雑草です。

古くは茅葺き屋根の材料として茎葉を乾燥させて使ったり、チマキを包む梱包材として利用したりしていました。

ちなみに、ちまきの名前の由来は「茅巻き」からきているそうです。

それにしても、なぜどこにでもある雑草で穢れ祓いができるのでしょうか?

その起源は中国にあります。

中国では古くから茅は魔除けとして、また神前に備える供物として使われてきました。

中国最古の歴史書である、「書経(しょきょう)」には、神前に捧げる供物の器に使っていたことが書かれています。

また、周の時代の礼法を表した書物「周礼(しゅらい)」には、祭礼の供物としても使われていたことが書かれています。

理由として、漢字の「茅」の文字は、草冠に矛が使われており、葉の持つ矛(ほこ)のような形状が、強力な神の力を表していると考えられていたからです。

日本でも古来から、矛や剣、太刀などの刀剣は、魔を祓うアイテムとして神事に使用されてきました。

神前に大太刀を奉納する習慣も、多くの神社で行われている儀式です。

スサノオが出雲国で「八岐の大蛇(やまたのおろち)」を退治した際に、尾から出て来た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は熱田神宮のご神体にもなっている、三種の神器の一つです。

このように日本においても刀剣は神聖な物であることから、剣状の葉をもつ茅も、中国と同じように神聖な力を持つと考えられていたのです。

大祓と茅の輪くぐりの関係性とは?

神社で行われている夏越の祓の行事で、人形(形代)に半年間の罪や穢れを移すものと合わせて行われるのが、茅の輪くぐりです。

この2つの神事が合わさって、初めて大祓は完成します。

茅の輪くぐりは、一部の神社では、年越えの祓いでも行われます。

災厄を祓い清める儀式である大祓には茅の輪は欠かせないものです。

茅の輪のくぐり方

茅の輪をくぐる際の唱え詞は、周ごとに違います。

1周目は、茅の輪の正面で軽くお辞儀をし、左足でまたいで茅の輪をくぐります。

その後、輪っかの左側を通って正面に戻ってきます。

唱え詞は、水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶと云うなり(みなづきの なごしのはらえ するひとは ちとせのいのち のぶというなり)です。

訳すとこんな感じになります。

「六月に「夏越の祓(なごしのはらえ)」をする人は、みな長く寿命を延ばすというそうだ。」

この言葉は、平安時代の『拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)』にある歌です。 「夏越の祓」のご利益である、無病息災を詠んだものです。

2週目は、1周目と同じようにお辞儀をしてから、右足でまたいで茅の輪をくぐります。

そして、輪っかの右側を通って正面に戻ってきます。

唱え詞は、思ふこと みな尽きねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓ひつるかな(おもうこと みなつきねとて あさのはを きりにきりても はらえつるかな)です。

訳すとこんな感じです。

「六月に「悩んでいることはみな尽きてしまえ」と、麻(あさ)の葉を切りに切ってお祓いをするのだ」

この言葉は、平安時代の『後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)』に登場する、和泉式部の歌です。

「大祓」では、麻の葉を切り裂いてお祓いをする儀式があるためこのように歌われています。

3週目は、1周目と同じようにお辞儀をしてから、左足でまたいで茅の輪をくぐります。

それから、輪っかの左側を通って正面に戻ってきます。

唱え詞は、宮川の 清き流れに 禊せば 祈れることの 叶はぬはなし(みやかわの きよきながれに みそぎせば いのれることの かなわぬはなし)です。

訳すと、「神社に流れる川の清らかな流れで禊(みそぎ)をするならば、祈ったことで叶わないことはない。」となります。

3週目に関しては、「宮川の~」ではなく「蘇民将来 蘇民将来(そみんしょうらい そみんしょうらい)」と唱える場合があります。

また、特に1周目の「水無月の~」の歌が有名なため、それだけを3度唱える場合もあります。

ちなみに、祝詞の一種である祝詞が唱え詞として、茅の輪の近くに掲示されていることもあります。

「祓へ給ひ 清へ給へ 守り給ひ 幸へ給え(はらえたまい きよめたまえ まもりたまい さきわえたまえ)」

この祝詞を訳すと、このような感じになります。

「お祓いください、お清めください。お守りください、幸福をお与えください。」

詳しくは、祝詞の一種であり、「略拝詞(りゃくはいし)」と呼ばれるものです。

神さまに対して、お祓いとお力添えを願う意味があります。

大祓の歴史を知ろう!

大祓の歴史は古く、天武天皇5年(676年)まで遡ります。

この年の8月、宮中では、全国の役人から馬や布、麻などの祓物を出させて「大解除(おおはらえ)」が執り行われました。

当初は、国家の重要な祭祀の前や疫病の流行などの凶事の後に、大解除の儀式は実施されていました。

その後、大宝元年(701年)に制定された、『大宝律令』で、毎年6月と12月に行う宮中行事と定められます。

また、細かな仕切りが、平安中期の法律が書かれた『延喜式(えんぎしき)』に記載されたことで、全国に広がります。

しかし、室町時代に起こった応仁の乱(1467年~1478年)で京都の市街が荒廃したため、朱雀門の門前で行われていた大祓は、国家神事として廃絶してしまいます。

一度は廃絶した大祓が再び行事として執り行われるようになったのは、明治4年(1871年)、明治天皇が、復活を指示したことがきっかけです。
この時、宮中三殿賢所の前庭にて、大祓は400年ぶりに復活しました。
翌年の明治5年(1872年)になると、明治時代の法律を記す『太政官布告(だじょうかんふこく)』を出し、『大宝律令(たいほうりつりょう)』以来の旧儀式の再興として、大祓の儀式を執り行うことを命じたことで、本格的に大祓は復活します。
ちなみに、明治6年(1873年)、宮中祭祀では、大祓の儀式は、新暦6月30日と12月31日が採用されていました。
当初は、6月28日から6月30日までの3日間と12月29日から12月31日までの3日間がそれぞれ休暇日(休日)になっていたのですが、6月28日から6月30日までの3日間の休暇日は、直前に取り消されてしまいます。
現在にも残っていたら、6月28日から6月30日は休日だったのです。
その後、大祓は、大正、昭和、平成の大嘗祭に際しても執り行われます。
近年だと、平成26年(2014年)6月10日に大祓に関する慣例変更がありました。
それまで、皇室での大祓では、参列する皇室の範囲は成年男子の親王に限られていましたが、男性皇族が少なくなったことを理由に、以降の大祓への参加を成年女性の皇族にまで範囲を広げると発表されたのです。

宮中祭祀としての大祓

宮中祭祀としての大祓も、6月30日と12月31日に行われます。

内容はいずれも「神嘉殿の前で,皇族をはじめ国民のために行われるお祓いの行事」とされています。

また、天皇陛下には、大祓とは別に、節折(よおり)と呼ばれるお祓いの儀式があります。

大祓と同じように、毎年6月30日と12月31日に宮中で行われます。

この儀式は、天皇皇后両陛下と皇太子殿下の身長を竹の枝で測り、お祓をするというものです。

いつ始まったかは定かではありませんが、貞観末年(867年)ころ成立した儀式に、「御贖の儀(みあがのぎ)」として節折に相当する儀式が出ています。

儀式はこのように行われます。

まず、天皇が御小直衣(おこおうし)に金巾子(きんこじ)の冠を被った姿で登場されると、掌典長(しょうてんちょう:祭祀を司る部門の長官)が一拝します。

その後、侍従が掌典から御贖物(みあがもの:天皇の身柄(みがら)に代わって罪や汚れを背負わせて、除去し、祓うもの。)である御服を受け取ります。

箱の蓋を開けて差し出し、それに陛下が口気を三度吹き入れられた後、侍従から掌典に渡されます。

次に侍従が掌典長から御麻を受け取ります。

この御麻を再び差し出すと、陛下はその御麻で御体を三度お撫でになり、侍従から掌典長に渡されでます。

それから、侍従が、掌典から御竹九本を受け取ります。

その中で、初めの長い1本は、陛下の御背丈を測り、竹に筆で墨の印をつけます。

それを掌典から掌典補へ渡すと、掌典補が墨印のところで折ります。

同じように、次の2本で御胸から指先、さらに次の2本で、左右の御膝から足元と、順々に測って竹に墨印をつけます。

印をつけた後は、掌典補が、それぞれ印の所でパシッと竹を折ります。

折られた竹は、櫃(ひつ)に納められます。

最後に、侍従が、掌典から御壺を受け取ります。

その壺に、陛下が口気を三度吹き入れられ、侍従から掌典に渡します。

このような一連の儀式が、2度繰り返して行われます。

1回目を御服に白絹の荒妙(あらたえ:木の皮の繊維で織った、織り目の粗い布)を使うため「荒世の儀(あらよのぎ)」、2回目を御服に紅絹の和妙(にきたえ:織り目の細かい布)を使うことから「和世の儀(のこよのぎ)」と呼びます。

この2つの儀式を、身長の長さの御竹を折るところから、「節折(よおり)」と総称します。

ちなみに、「荒世の儀(あらよのぎ)」は、荒魂(あらたま、あらみたま)の御身とされています。荒魂とは、神の荒々しい側面を表し、荒ぶる魂のことを指します。

一方で、「和世の儀(のこよのぎ)」は和魂(にきたま(にぎたま)、にきみたま(にぎみたま))の御身をされています。和魂とは、神の優しく平和的な側面を表しています。

「節折(よおり)」は、この2つの側面を持った魂を祓い清める意味もあるのです。

大祓は、皇族をはじめ国民のために行われるお祓いの行事ですが、その儀式を行う前に、神に一番近い存在である天皇が節折を行います。

これは、天皇といえども、無意識のうちに触れてしまう罪や穢れを、色々な御贖物に移して祓い清めるために行う儀式であることを意味しています。

それだけ大祓は、とても丁寧で重要な祓いの儀式だと言えるでしょう。


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大祓の歴史(年表)

元号 内容
676年 天武天皇5年 全国の役人から馬や布、麻などの祓物を出させる「大解除(おおはらえ)」が執り行われる
701年 大宝元年 「大宝律令」で、毎年6月と12月に行う宮中行事と定められた
1467年~1478年 (応仁の乱) 国家神事として廃絶
明治4年 1871年 明治天皇が、大祓を400年ぶりに復活させる
明治5年 1872年 明治時代の法律を記す太政官布告(だじょうかんふこく)にて旧儀式の再興を命じる
明治6年 1873年 宮中祭祀では、新暦6月30日と12月31日を採用

12月29日から12月31日までの3日間がそれぞれ休暇日(休日)になる

平成26年 2014年 大祓への参加を成年女性の皇族にまで範囲を広げると発表

「大祓式=大祓祭」とは?「どんなことをするの?」

神社ごとに、多少の順序や内容は違いますが、その目的は同じです。

「大祓式=大祓祭」は、そもそも、人が知らず知らずのうちに犯した罪や穢れを、取り除き清めて災厄を逃れようとする神事です。

今回は、夏越しの祓を行うのは、出雲系の神社であると言われていることから、出雲大社の「大祓式」の進行の仕方をご紹介します。

まず、神殿にて、神職と参列者一同で「大祓詞」をお唱えします。

その後、和紙と麻を細かく切った「切麻(きりぬさ)」を体に振りかけた後、心身の罪や穢れを祓い清めます。

同日の夕刻には、神楽殿で國造(くに の みやつこ、こくぞう、こくそう:祭祀を司る地方首長)による「茅輪神事(ちのわしんじ)」が執り行われます。

「茅輪神事」とは、神前にて拝礼をし、國造が一対の茅を両肩に振り分け、後ろに控えた神職が茅輪を背後から前方に降ろすと、國造はその茅輪をまたぎます。

出雲大社では、このように両肩に振り分けるような茅が登場しますが、通常は大きな茅の輪をくぐります。

この一連の動作を3度繰り返し、國造は両肩の茅を後ろに放し、再び拝礼をします。

國造家伝統の神事がつつがなく執り行われると、午後5時より午後8時の間、氏子や全国のお参りの方に「輪くぐり神事」が奉仕されます。

他にも、境内の3箇所に「輪くぐり神事」を模した大きな茅輪が設置され、多くの参拝者が「輪くぐり神事」を行います。

「大祓式」は「大祓詞」と「輪くぐり神事」が大きな柱です。

この2つの儀式を行うことで、心身を祓い清めて、新たな生命力を蘇えらせ、迎える夏を前に無病息災が祈られるのです。

大祓式(大祓祭)の様子を動画(YouTube)で紹介!



「大祓詞(大祓祝詞)」とは?「大祓詞(大祓祝詞)」って何だろう?

「大祓詞(大祓祝詞)」とは、祈りの際に神様に捧げる祝詞の1つです。

大祓詞の起源が、中臣氏が平城京の朱雀門で奏上をしたことだと言われていることから、「中臣祓詞(なかとみのはらえことば)」ともいわれる祝詞です。

その歴史は古く、1200年以上昔の、奈良時代以前から存在していたとも言われている、とても古い祝詞です。

原文となる文章は、平安時代に編集された、「延喜式」に「六月晦大祓」として掲載されています。

祝詞の種類は、沢山あり、古来から受け継がれる祝詞も数多く存在しますが、大祓詞は、現在奏上されている祝詞の中で、最も長い祝詞です。

長さだけではなく、完成度の高い文体でも有名で、文学的にも高く評価されていることから、祝詞の中の祝詞とも言われています。

また、「大祓式」以外にも、様々なお祓いの儀礼や、日常の神棚に唱えるといった様々な場面で用いられることから、「万能祈願祝詞」とも言われることがあるようです。

当初は、大祓の際に、参集者に対して聞かせるものでしたが、後に神に対して唱えられるようになりました。

時代の経過と共に、陰陽道や密教と結びついた「大祓詞」は、唱えるだけで功得が得られると考えられるようにまりました。

そのため、唱えれば唱えるほど功得が増すと考えらたことから、何千回、何万回も唱えるようになる者が増えたため、より唱えやすくするために、大祓詞の要点をまとめた「最要中臣祓(さいようのなかとみはらい)」「最上中臣祓(さいじょうのなかとみはらい)」が作られます。

中でも、仏家神道や、儒家神道では重視されたことから、『中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)』や『中臣祓風水草(なかとみのはらえふうすいそう)』と言った、大祓詞の注釈書にあたる書物も書かれました。

現在の「大祓詞」は、大祓の際に参拝者自らが唱えられ、神社では毎日神前にて唱えられています。

大祓詞(大祓祝詞)の読み方

「大祓詞」は、おおはらえのこでとば(おおはらえのりと)と読みます。

大祓詞(大祓祝詞)の意味

神道には、経典や聖書というものが存在しません。

しかしながら、日本では、古来から言葉には霊力が宿る、「言霊」という考え方があります。

そのような考えから、祝詞は霊力を持った特別な言葉とされ、古くから受け継がれています。

大祓詞は、そのような霊力を持つ言葉である祝詞の中でも、重要とされ、私たちの罪穢れを払う力を持つと言われています。

300年前に作られた、『神道名目類聚抄(しんとうみょうもくるいじゅうしょう)』と言う神道の資料では、「祓とは、つつしみの義なり。」と明記されています。

つまり、「私たちの生活で生まれる罪や穢れを謹んで祓い、災厄を除き、幸せをもたらす」ことです。

大祓詞を大祓式で奏上すると言うことは、そのような願いを、霊力を持った特別な言葉にのせて捧げると言う意味があります。


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大祓詞(大祓祝詞)の中の「天津祝詞の太祝詞」とは?

大祓詞(大祓祝詞)の歴史は古いとお伝えしましたが、様々な祝詞を研究し、それらをまとめて後に残した人物がいるからこそ、現代にも着実に大祓詞は伝わっています。

その功績を残した人物の1人が、江戸時代の国文学者であり、文献学者、言語学者でもあった、本居(もとおり のりなが)の門下であった、平田篤胤(ひらた あつたね)です。

国学者であり、神道家でもあった平田 篤胤は、様々な祝詞を始め、他の神社や学派、諸神道にまで伝えられる祝詞を研究し、「大祓詞の天津祝詞(あまつのりと)」として編修した祝詞を世に発表します。

現在でも、神社では「禊祓詞(みそぎはらへのことば)」と呼ばれていますが、神道系や新宗教の教団では「天津祝詞」として、1つの祝詞とみなされ奉唱されている例が多く見られます。

では、天津祝詞とはどのような祝詞なのでしょうか?

そもそも、天津祝詞は、神道の祝詞の中でも、最も重要とされる大祓詞の中に出てきます。

特に、6月の晦大祓の儀礼の中に登場する「天津祝詞の太祝詞」というとても重要な言葉を、後年に平田 篤胤が編集したのです。

この祝詞は、儀礼の中で、神々に申し上げるとても重要な詞として存在感のある祝詞のです。

原文はこのようになっています。

「高天原に神留(かむづまり)坐(ま)す

神魯岐神魯美(かむろぎかむろみ)の命(みこと)以(もち)て

皇御租神伊邪那岐命(すめみおやかむいざなぎのみこと) 

筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)に

御禊(みそぎ)祓(はら)ひ給(たま)ふ時に生坐(なりませ)る祓戸(はらへど)の大神等(おほかみたち) 

諸々(もろもろ)の枉事(まがこと)罪穢(つみけがれ)を祓ひ賜(たま)え

清(きよ)め賜えと申す事の由(よし)を

天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百万(やおよろず)の神等(かみたち)と共に

天(あめ)の斑駒(ふちこま)の耳(みみ)振り立てて聞(きこし)食(め)せと

恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す」

もちろん、それぞれの教団で解釈での捉え方が違うため、若干の読み方や意味の違いはあるようですが、現代風にや訳すとこのようになります。

「高天原神々が住んでいたとされる天上の国(天上)におられる、

民族の祖神、カムロギ(男神)様、カムロミ(女神)様のご命令によって、

皇族の祖神となられたイザナギノオオカミ様が、

九州の阿波岐原(あはきはら、あわきはら)にて禊ぎをした際に、

お生まれになった、祓いを司どる八百万の神様方へお伝え致します。

どうか、私たち人類が生み出した、さまざまな災難や罪、穢れを祓い、

そして清めて頂けるようにとお願いすることを、

天上の神様や地上の神様、この世な様々な神様方もご一緒に

お聞き下さいませと、恐れ多くも申し上げます。」

神社でよく耳にする、祓詞(はらいことば)と天津祝詞は区別がつきづらいですが、それぞれに別の祝詞として考えます。

祓詞は、神様に祝詞やお祈りを申し上げる際にふさわしいように、身の穢れや罪・災厄を祓うという目的を持った祝詞です。

一方で、天津祝詞はイザナミノミコトをはじめとする神々へ、私たちの罪・穢れ、厄災を払ってくださいと、お願いを申し上げるという内容です。

本来の「天津祝詞の太祝詞」は存在しない?

先ほど、「天津祝詞」は、6月の晦大祓の儀礼の中に登場する「天津祝詞の太祝詞」というとても重要な言葉を、後年に平田 篤胤が編集したものとお伝えしました。

そもそも、「天津祝詞の太祝詞事」とは、「六月晦日の祓」という儀礼の中で、中臣氏が大祓詞を読み、卜部氏(もしくは忌部氏)が天津祝詞の太祝詞を、読み上げるという儀礼の祝詞だとされています。

しかし、平田 篤胤の師で本居宣長は「天津祝詞の太祝詞事は現在存在しない」と断じています。

その理由は、「儀礼で奏上された天津祝詞の太祝詞」、つまり本来の天津祝詞は、伝承されていない、つまり存在しないと言われているためです。

本来の「天津祝詞の太祝詞」がどのような祝詞だったか、「天津祝詞」とどのように違うのか?

現代では、その正確な祝詞を知ることは出来ないのです。

だからといって、平田 篤胤がでたらめな祝詞を編集したわけではありませんが、本来の「天津祝詞の太祝詞」も気になるところです。

大祓のご利益(効果)を知ろう!

大祓によって、1月から6月までの半年、7月から12月までの半年の間に、ついてしまった罪や穢れを祓うことで、清らかな状態を取り戻し、次の半年を無事に過ごせるようになるというご利益(効果)があるとされています。

具体的には、

  • 災厄除け
  • 無病息災
  • 家運隆昌
  • 商売繁盛

を祈願します。

また、車などの乗り物をお祓いし、交通安全のご利益を預かると考えることもあります。

「夏越しの祓」とは?

夏越しの祓の読み方

「夏越しの祓」は、なごしのはらえと読みます。

夏越しの祓の内容

夏越の祓とは、6月30日に執り行われる儀式です。

1月から6月までの半年間の罪や穢れを清め、残りの半年の無病息災を祈願します。

末のように、休暇期間としては定着していない夏越の祓ですが、茅の輪の唱え詞にもあるように、古くから民間でも見られた年中行事の1つです。

半年間の穢れを清めるという意味の他にも、この時期に行われる意味があると考えられます。

水が十分に使えなかった時代に、半年に一度、雑菌が繁殖しやすい夏を前に、衣服を新しい物に替える事で、残りの半年を疫病を予防し、健康に過ごすようにする意味があったのではと考えられています。

また、梅雨が明けて、猛暑が続くこの過酷な時期を、乗り越えるための戒めでもあるとされています。

神社により、多少の違いはありますが、「大祓詞」を神前にて奏上し、茅の輪をくぐります。

また、人形(形代)に息を吹きかけ、体を撫でて、穢れを移した後に奉納します。

人形(形代)は、神社によって川や海に流したり、篝火で焚いたして厄を落とします。

夏越しの祓で食べる和菓子

主に、京都を中心に「夏越しの祓」の日に食べられている伝統的な和菓子があります。

外郎(ういろう)の生地に小豆をのせた三角形の「水無月(みなづき)」と呼ばれる和菓子です。

暑く、蒸し暑い日本の夏には、病気も流行ることが多く、体力も消耗しやすい注意すべき季節を前に、甘く食べやすいお菓子で栄養を補給することが、厄祓いの意味もなしていたと考えられます。

また、その昔、幕府や宮中では旧暦の6月1日に「氷の節句」が行なわれていました。

この日に氷を口にすると、夏負けしないとの言い伝えがあり、冬にできた氷を山間の氷室(ひむろ)に貯蔵しておき、そこから取り寄せた氷を口にすることで暑気を払い、健康に過ごせるよう祈願したのです。

しかし、冷蔵庫もない時代、庶民にとって氷は簡単に食べられるものではありません。

そのため、削りたての氷を模した三角の生地に、厄除けの小豆を散らした和菓子が作られるようになりました。

京都では、6月に入ると、多くの和菓子屋さんに並びます。

お店によっては、抹茶やニッキなど味もさまざまなようです。

ちなみに、6月30日には「水無月」という和菓子を食べますが、6月16日には「嘉祥菓子(かじょうがし)」を食べる風習も残っています。

これは、平安時代に疫病除けや、招福を願って菓子を神前に供えた事から始まった風習です。

江戸時代になると、6月16日に宮中で「嘉祥喰(かじょうぐい)」という行事として、7種類の「嘉祥菓子」を食べる日となりました。

1年の折り返しの月には、無病息災を願う夏の和菓子が並んでいます。

ちなみに、現在の6月16日は「和菓子の日」になっています。

夏越しの祓で食べるご飯

2015年に米穀安定供給確保支援機構が、新しい記念日として発表したのが「夏越(なごし)ごはんの日」です。

「夏越(なごし)ごはんの日」は、6月30日の「夏越の祓」の神事に合わせて食べます。 

茅の輪の由来にもなっている、蘇民将来(そみんしょうらい)が、スサノオノミコトを「粟飯」でもてなしたという伝承にちなんで「粟」を使ったり、邪気を祓うとされる「豆」などが入った雑穀や五穀ごはんがベースになっています。

また、邪気を祓うといわれる赤や緑の旬の夏野菜を使うこともされているようです。

その他、茅の輪をイメージした丸いかき揚げなどの丸い食材をのせたり、百邪を防ぐといわれる旬のショウガを使うこともあります。

難しいようですが、「ごはん(できれば雑穀入り)」と「茅の輪にちなんだ丸い食材」の2つの要素をメニューに加えれば、「夏越ごはん」は出来上がりです。

少々強引な気もしますが、米は、神饌や初穂などの供物としてみられるように、昔から日本人にとって最も重要な穀物です。

米離れが叫ばれる昨今で、「夏越ごはん」を楽しみ、無病息災を祈るのはいかがでしょうか。

大祓(夏越しの祓)で有名な神社一覧

北野天満宮(きたのてんまんぐう):京都府

「夏越(なごし)天神」とも呼ばれる北野天満宮では、御祭神である、菅原道真の生誕日にあたる6月25日が「御誕辰祭(ごたんしんさい)」とされ、「大茅の輪くぐり」ができます。楼門に設置される大茅の輪は直径約5メートルで、京都最大級! 重さも数百キロに及び、30日は本殿前に茅の輪が設置され、16時からの大祓式で、神職さんに続きくぐることができます。

潮江天満宮(うしおえてんまんぐう):高知県

高知県では、「夏越の祓」のことを「輪抜けさま」と呼び親しまれています。
高知の夏は「輪抜けさまで始まり、志那祢様(しなねさま:8月24,25日に土佐神社で行われる大祭)で終わる」と言う人も多く、多くの人に親しまれています。夜には屋台が沢山出て賑わいを見せます。

出雲大社(いずもたいしゃ):島根県

「夏越の祓」は、全国の出雲大社系の神社で多く執り行われていると言われています。その本社である、出雲大社の茅の輪は「〇形」ではなく、「U形」をしています。これを神職が両手で持ち、参詣者は、縄とびをするように飛び越えるのです。茅を跨ぐと同時に両肩にかついた茅を落とす意味合いがあります。


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「年越しの祓」とは?

年越しの祓とは、12月31日に執り行われる儀式です。

7月から12月までの半年間の罪や穢れを清め、新たな年を迎えるために心身を清めるために行われます。

また、合わせて新年の無病息災を祈願します。

このように、新年に歳神様を迎え、無病息災を願うための準備期間を「事始め」と言います。

「事始め」では、身辺を清める様々な儀式や風習が行われます。

例えば、歳神様訪れる住まいを掃除し、清める行事である「煤払い(すすばらい)」や、神様を迎えるに先立って、まず周囲の人やお世話になった人に挨拶を済ませることで身を清める「お歳暮」も「事始め」に含まれます。

「大祓」も「事始め」に含まれた、年末の身を清める大切な儀式の1つです。

年越しの祓の読み方

「年越しの祓」は、とこしのはらえと読みます。

年越しの祓の内容

大祓詞を唱え、人形(形代)に、氏名や年齢を書き入れ、息を吹きかけ、その人形(形代)で自身の身体を撫でます。
このことで、罪や穢れなどの悪しきことを人形(形代)に負わせ、我が身の代わりとして納めます。

その後、無病息災を祈るための、茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前に立てて、唱え詞を言いながら三回くぐります。

年越しの祓で食べる和菓子

「年越しの祓」で食べるべき和菓子は特にはありません。

静岡では、今では数少なくなってしまったようですが、大晦日前までに餅つきをすることが風習となっています。

具体的には、12月28日もお餅をつきます。

これは、29日にお餅をつくと「くもち(苦餅)」に通じるとされることから敬遠されていたこと、30日は、大掃除で忙しいことから、28日に餅つきをするのが風習となっているようです。

お餅つきは、男の人たちが餅をつき、女性が丸めてお餅を作ります。

お正月の飾り餅や、のしもちなどを用意するのです。

つきたてのお餅は、28日も食べることができ、小さくちぎって沢山作り、大根おろしにつけて食べたり、きなこ餅や、あんこ餅などにして食べます。

年越しの祓で食べるご飯

「年越しの禊」で食べる風習があるご飯はとくにありません。

しかし、江戸時代から続いている年越しの食べ物と言えば「年越しそば」を食べることでしょう。

「年越しそば」はそばのように「細く長く」生きられるようにという願いを込めて蕎麦を食べます。

また、蕎麦の麺は切れやすいため「災いを断ち切る」という意味も込められているようです。

そして、蕎麦は、金運をアップさせる開運フードとも言われています。

金細工職人が作業場で散った金粉を、そば粉の団子を使って掃除をしていたことから、「金を集める」が「金運を集める・願う」ことに通じると言われ、金運フードと言われています。

しかし、その蕎麦も、年が終わるまでに食べ終われなければ幸運を逃がし、縁起が悪いと言われています。

年越し蕎麦は、年が変わるまでに食べ終わらなければいけません。

大祓(年越しの祓)で有名な神社一覧

大神神社(おおかみじんじゃ):奈良県

大神神社では、拝殿前に大神神社独特の三つの茅の輪が設けられ、自由にくぐることができます。

また、所定の場所に行くと、懐紙で包まれた人形と紙吹雪が渡されます。

祝詞の奏上の後に、参列者はこれを開いて、紙吹雪を自分の身体にかけ、人形に自分の穢れや罪を移すのです。

そして、再び懐紙に包まれた人形は回収され、お祓いをして頂いてから三輪川に流されます。

亀戸浅間神社(かめいどせんげんじんじゃ):東京都

亀戸浅間神社は、昭和20年(1945年)の東京大空襲でも難を免れ、70数年を経ても、稀少な木造建築である社殿が有名です。

6月と12月には、地元の人の協力で、関東一のジャンボ茅の輪が設置されます。

下町の温かい雰囲気が感じられる神社です。

宇治神社(うじじんじゃ):京都府

宇治神社は、ご祭神である、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ/うぢのわきいらつこ)が幼い頃から聡明で、学問を究めていたことから、学業、受験、合格の神様として名高い神社です。

そのため、茅の輪には、「智恵の輪」という名前がついています。

この、輪っかは稲でできていて、「稲穂の実ように知恵を授かる」という意味があります。

通常の茅の輪の効果に加えて知恵を授かる効果があると言われているので、是非くぐりたいですが、設置されるのは、11月です。

日付には、お気を付けください。

大祓祭の参拝方法

ここで、「大祓祭」の参拝方法をおさらいしておきましょう。

通常、神殿にて執り行われれる大祓詞の奏上を賜ります。

その後、人形(形代)と呼ばれる、人の形に切った白紙に氏名などを記入し、身体をその人形で撫でてから、息を三度吹きかけます。

こうすることで、身についた半年間の穢れを人形に移すのです。

人形は、神社に納めるか、川や池に流すことで祓いを行います。

次に、無病息災を祈るため、神前に立てられた茅や藁を束ねた茅の輪を三回くぐりながら、「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」などと言った唱え詞を唱えます。

大祓の初穂料はいくら?

人形(形代)を授かり、納めることで、500円~1000円ほど初穂料がかかる場合があります。

また、神殿にて行われる大祓詞の奏上を賜ることに、3000円~5000円の初穂料が必要となる場合があります。

この初穂料には、一連の大祓の儀式への参加(人形移し、茅の輪くぐりなど)が含まれていて、大祓守りなども授かれる場合もあります。

しかしながら、 地域や風習によって相場は変わりますし、「大祓祭」として、境内にて大勢の前で、大祓詞の奏上を賜る場合には、初穂料がかかることはありません。

神社によっても、料金は様々ですし、ホームページなどに明確な記載がある場合も見受けられるので、大祓に行かれたい方は、事前にご確認することをお勧めします。

まとめ

神社に行くのは、年始だけの方は多いと思います。

しかし、「大祓」は年に2回しかない、神社の大きなイベントであることが分かりました。

「大祓」は、万人の罪や穢れを祓ってくれます。

宮中では、疫病の流行などでも臨時に執り行われるようですから、ひょっとしたら、宮中で密かに執り行われているかもしれません。

今年の初夏は、お散歩がてら、お近くの神社に出向いて「大祓」を体験してみるのはいかがでしょうか?

普段と違う今だからこそ、「大祓」を体験するいい機会なのかもしれません。

Writing:YUKIKO-加藤

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