端午の節句(子どもの日)に飾る兜の意味・由来・種類と選び方

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端午の節句(子どもの日)に飾りものとして思いつくのは、鎧(よろい)や兜(かぶと)でしょう。

では、なぜ鎧や兜を端午の節句では飾るのでしょうか?

今回は、由来や意味、種類や選び方をご紹介します。

端午の節句を飾る時に意味や由来を話しながらお子さんと用意しても楽しいですし、子どもの日のパーティーでも話に華を添えてくれることでしょう。

また、これから端午の節句飾りを購入される方は「失敗しない兜の選び方」もご紹介するので是非参考にしてください!

端午の節句(子どもの日)の兜の意味

兜鎧の「鎧う」とは、「身につける」、「物をまとって敵から身を守る」という意味があります。

「身を守る」道具であることから、子どもの代わりに厄を引き受ける形代(かたしろ)の意味もあり、災難から身を守り、たくましく勇猛に成長するという願いが込められています。

現代では、「身体を守る」ものという考え方から、交通事故や病気から大切な子どもを守ってくれるようにという願いも込められているようです。

戦いのイメージの強い鎧や兜ですが、実戦で使うためのものではなく、武士が行事や式典で身に着ける正装としての意味合いが強いと考えられます。

兜や鎧を飾る理由には、武士のように勇敢で強い子に成長してほしいという願いが込められているのです。




端午の節句(子どもの日)の兜の由来

鎧や兜を飾ることは、武家社会から生まれた風習です。

身の安全を願って神社にお参りするときに、鎧や兜を奉納するしきたりに由来しています。

鎧や兜を“戦争道具”と受け取る考えがありますが、武将にとっては自分の身を護る大切な道具であり、シンボルとしての精神的な意味がある大切な宝物でした。

弓と破魔矢、太刀を飾る由来と意味

兜と一緒に飾ることの多い、弓と破魔矢、太刀にも由来や意味があります。

まず、向かって左側に飾る弓は「鍾馗(しょうき)」という中国の神様に由来しています。

鍾馗は知恵を授け、疫病除けの力のある神として親しまれているため、その力にあやかりたいとの思いから用いられるようになりました。

また、弓と合わせて左側に飾る破魔矢は、「魔」を「破る」と書くことから、鎌倉時代の頃から縁起の良い装飾品として飾られるようになりました。

この頃、破魔矢は男の子が誕生した武家などに贈られるようになったそうです。

向かって右側に飾る太刀は、戦うための実際に使う刀とは別のものです。

刀剣には、古くから神が宿っていて、魔除けや厄除けのご加護があるとされています。

そのため、我が子の健やかな成長と一家を守る御守りとされてきました。

生まれたての赤ちゃんを悪霊や、もののけなどから護る意味の「お守り刀」もこの考えが由来しています。

刀を赤ちゃんに贈る風習は、皇室でも見られます。

皇子、内親王が御誕生された際には、御剣を賜う儀が執り行われ、陛下より御剣が授けられるようです。

このように、刀をお守り代わりにすることは、かなり昔からの日本の風習です。

平安時代に書かれた『源氏物語』の夕顔の段には、「魔除けのため太刀の鞘(さや)をはらって置いた」とあります。

平安時代にはすでに、刀に霊力があると信じられていたことが分かる一節です。

端午の節句に飾る兜の種類と選び方

端午の節句に飾る、兜にはどんな種類があるのでしょうか?

また、高価な兜を購入するにどのような点に注意すれば失敗しないのか、見て見ましょう。

端午の節句に飾る兜の種類

鎧飾り(よろいかざり)

端午の節句の飾りの中で、最も豪華な飾りと言えるでしょう。

戦の際に敵の攻撃から身を守る鎧には、男の子の身を守るという意味が込められています。

鎧の形は、源平時代に主流だった「大鎧」と、戦国時代に主流となった「胴丸鎧」があります。

他にも、徳川家康や伊達政宗などの特定の武将をモデルとした鎧もあります。

飾り台には、組み立て式になっている、高さを出した高床台と、平台を使う床飾りがあります。

最近では、コンパクトながらも見栄えの良い鎧飾りも販売されています。

兜飾り

鎧兜の兜だけ飾るものです。

兜が主となっていて、付属飾りとして、弓矢や太刀がつくのが一般的です。

兜飾りにも、豪華な装飾金物や有名な武将が神社に奉納したものをモデルにした兜などが販売されています。

有名武将の兜を模った兜飾りも多くあり、中でも戦国時代の武将である、真田幸村や上杉謙信、伊達政宗などの兜がかっこいいという巷の評判から、人気があります。

また、鎧飾りよりも基本的にサイズが小さいため飾りやすく、価格も比較的お求めやすいのも人気の理由の1つです。

収納飾り

収納できる台と飾り台が一体となったものです。

保管する際に、飾り台の箱の中に、兜や道具を仕舞っておけることが魅力です。

着用兜

お子さんが直接被ることが出来る兜です。

被ることが出来ることから、軽量で女性でも簡単に出し入れができることが特徴です。

ケース飾り

兜屋道具がケースの中に固定されているので、出し入れのみならず、お手入れも簡単です。

鎧着大将飾り

鎧着を着た人形です。

最近大変人気のようです。




失敗しない兜の選び方

鎧や兜は初節句だけでなく、長く飾り続けるものですし、何よりも大変高価な物です。

飽きのこない「よい造りのもの」を選びましょう。

ここでは、よい品を手に入れるための選び方をご紹介します。

①大きさと値段は関係なし!

基本的に端午の節句の飾り物は国産品で全て手作りです。

小さくても、大きくても、大変な手間を掛けて作られています。

そのため、小さいから安い、大きいから高いというものではないのです。

大きさには関係なく、値段はそれぞれきちんとした理由があります。

例えば、鎧兜の金の部分も金箔は高価ですが、メッキなら安くなります。

革の部分も、本革に印田(いんでん)で模様を付けている場合は高く、合皮でプリントの場合には安くなります。

大きさに惑わされないように、なぜ高いのかの理由を店員さんにきちんと聞きましょう。

②安価な物は、抜き型!

高価な兜は、竜頭(りゅうず)と呼ばれる兜の前面につける前立物が手彫りであったり、兜の鋲を1つ1つ手作業で打っていたりと大変手間が掛かっています。

安い物は、竜頭や兜を型で抜いてメッキしているものが多いです。

しかし、必ずしも、抜き型はダメというものではありません。

最近は、抜き型も、型抜きでないものと見分けがつかないものもありますし、軽いものが多いです。

ご予算や持ち運びを考えて選んでも良いでしょう。

③高級品は重い!


鎧や兜、人形に関しても持ってみて重いのはほとんど高級品と言えるでしょう。

なぜなら、兜を抜き型で仕立てたものは軽いためです。

ただし、竜頭だけは、高級品でも木彫りの上に金箔を貼っているため軽く、抜き型で作っているものは金属を使ってい

るので重いのです。

④飾り台や屏風(びょうぶ)にも注目!


飾り台や屏風は、鎧兜を演出する需要な役目があります。

飾り台・屏風の値段は、大きさとはあまり関係なく、加工や細工で値段が変わります。

金箔を貼った屏風は本金箔張りや鈍色の古代箔で出来ています。安いものは金紙を貼っただけのものなので注意しましょう。

⑤良い鎧兜は色目が鮮やかで細工が細かい!


良い鎧兜は、赤や白、紫などとても美しく鮮やかな色目の品です。

丁寧に染められた糸は、色むらがなく、彩度が高いため、何十年あり続けても色落ちしにくく、綺麗な色合いを保ちます。

また、丁寧に研磨された金物は、深みのある輝きを持っています。

特に、日本の伝統文様が彫られた金具細工の精巧さに注目しましょう。

⑥編み目が美しいものはいい物!

日本の甲冑(かっちゅう)は、小札(こざね)式と呼ばれる、小さな板を革や糸などの紐で上下に結び合わせて出来ている様式がほとんどです。

結び合わせている「縅・威(おどし)」と呼ばれる糸の部分は、職人が手作業で編んでいて、おどし糸は正絹の方が化繊よりも発色が良いため、綺麗で値段が高価です。

また、縅の編み目は、職人の技術がはっきりと表れる重要なポイントです。

太い組紐を細かい間隔で揃って編まれているかをよく見ましょう。

熟練した職人による威の編み目は密度が濃く、均一に出来ているため、動物の毛並みのように見えます。

兜鎧を購入する時は前姿だけでなく、後ろ姿の編み目の美しさにも注目しましょう。

⑦全体的な芸術性を見る!

1つ1つの部分的な仕事はもちろんですが、全体的な芸術性がどうなのかも、良い鎧や兜を見極める見どころです。

四字熟語に「八面玲瓏(はちめんれいろう)」という言葉があります。

どの角度から見ても美しいことを指しますが、鎧や兜の芸術性も、前や横、斜めに後ろと、どこから見ても美しく、張

りつめた緊張感を漂わせているのがいい作品です。

人気!戦国武将モデルの兜の特徴と意味

ではここで、人気がある戦国武将がモデルとなった兜をご紹介します。

特徴や込められた意味が違います。それぞれの武将の前立ての形と性格も合わせて見て見ましょう。

伊達政宗(だてまさむね)

出羽国(現在の山形県、秋田県)と陸奥国(現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県)の戦国大名で、伊達氏17代当主です。

つまり、東北を束ねていた仙台藩の初代藩主が伊達政宗です。

幼少時に天然痘という病気にかかり、右目を失明したことから、眼帯をするようになった為、「独眼竜」や「伊達者」などの異名を持ちます。

生まれていたのがもう少し早ければ天下を取っていたと言われるほどの人物です。

人一倍空気を読むだけでなく、繊細な心遣いと大胆な発想、公平な判断と、人からの人望も厚いカリスマ的な人材でした。

そんな人物にあやかりたいとの願いが込められています。

 伊達政宗の性格

  • 豪快さも繊細さも兼ね備える戦国一の伊達男
  • 窮地さえもチャンスに変える機転の良さ
  • パフォーマンスが上手だったことから自分を売り出すことが上手
  • 几帳面で健康マニア、新しいものも大好き
  • 和歌や料理、手紙など多趣味で多才
  • 気配りがあり、面倒見も良く、頼り甲斐のある人物がゆえに、カリスマ的な人気
  • どんな人も差別せず公平さを重んじた人物

前立ての形は「三日月型の鍬形(くわがた)」

伊達政宗の兜は、「三日月型の鍬形」です。

なぜ「三日月型」にしたのかにはいくつかの理由があると言われています。

まず、1つに伊達政宗の信仰していた宗教が関係します。

その宗教が「妙見信仰(みょうけんしんこう)」です。

この宗教は、仏教の宗派の1つで、主に北極星や北斗七星を信仰する宗教です。

つまり、星や月、太陽を神としていて、「星」や「月」、「太陽」とそれぞれ信仰する対象によって宗派があります。

政宗の場合は「月派」に所属していたことから、自分のシンボルである前立ての形に月が選ばれたと言われています。

自身が信仰している月を前立てに配することで神から御加護を祈ったのです。

また、月が徐々に満ちていく様子を、大願が成就する過程に見立て願掛けをした為、三日月なのではないかと考えられています。

他にも、三日月が単に好みだったという説や、戦の時に刀の邪魔にならないようにしたためだとも言われています。

そして、もう1つの理由として挙げられるのが、豊臣秀吉に気に入ってもらいたかったためという説もあります。

東北で力をつけ、徐々に領土を広げ、天下統一を狙いっていた伊達政宗が一番恐れていたのが、西側からの巨大勢力であった豊臣秀吉です。

しかし、後に豊臣秀吉からの臣従申請が来るとそれを認め、秀吉の家臣となることになりました。

彼の天下統一の夢は儚くも崩れたのです。

伊達政宗の名言

「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎれば諂いとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。」

この名言は、「愛情が深くなり過ぎれば、情にもろくなる。義理や道理を重んじ過ぎれば、融通が利かなくなる。礼儀も度が過ぎれば、相手に媚びる事になる。知識や知恵ばかりでは、平気でうそをつく人になる。人を信じ過ぎると、損をする事もある。」という意味です。

何事も加減が大切で、バランスが大事だと言う名言です。

真田幸村(さなだゆきむら)

真田幸村は、豊臣側の武将として大阪冬の陣で活躍し、徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な姿から、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称された戦国時代を代表する武将です。

彼の自身の信念を貫き、それを体現する姿に、人々は魅了されました。

また、数々の武勇伝を残す激しい戦いっぷりに対し、普段の温和な性格も、魅力の1つです。

日本一の兵と呼ばれた強さと男らしさを持ちながらも、人柄が良く、周囲から愛され慕われた幸村の兜を飾ることで、男らしくも誰からも愛される穏やかで優しい性格の子に育って欲しいとの願いが込められています。

真田幸村の性格

  • 忍耐強く、言葉少なく物静か、怒りを表に出さない穏やかな人
  • 大きな優しさを持った器の広い人
  • 身をもって示す態度に周囲の人々からの信頼も厚く、農民たちからも愛される存在
  • 飾らない性格で親しみやすい雰囲気を持った人
  • いつも明るく、ひねくれていない
  • 戦ではいくつもの名勝負を繰り広げていた人

前立ての形は「鹿の角」と「六文銭」

鹿は、古くから神の使いだと考えられ、神聖視されていた動物です。

人々は、鹿が険しい山道を颯爽と駆け抜ける姿に神秘的な力を感じ、神の使いと考えていました。

また、鹿の持つ立派な角は権力者の象徴とされていました。

そのため、鹿は福を呼ぶ縁起物としての役割もあり、前立てに「鹿の角」を使ったと考えられています。

もう1つ前立てにある「六文銭」は、死に対する覚悟の表れだと言われています。

「六文銭」は、死後に行きつくと言われている、三途の川を渡るための渡し賃(三途の川を渡るのに必要とされるお金)と言われています。

亡くなった方を納棺する際に、死後の平安を祈るために棺に六銭投げ込む慣習もありました。

そのような「六文銭」を掲げて戦うことで、戦で死をも恐れず戦っているという意思を表したのです。

真田幸村の名言

「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。」

この言葉は、「人からの恩義を忘れて自分の欲に走るような者は、人といえるのか」という意味です。

常に、義に尽くした真田幸村らしい名言と言えるでしょう。

上杉謙信(うえすぎけんしん)

上杉謙信は、生涯で出陣した戦が70回にも及ぶのにも関わらず、敗北はわずか2回という勝率の高さから戦国時代でも屈指の戦上手とされた人物です。

そのため、「軍神」や、「越後の龍」、「毘沙門天」などと呼ばれていました。

当時とても情勢が不安定であった越後の国を、7年で、しかもわずか22歳の若さで統一し遂げたのも戦上手と言われた上杉謙信だからこそ成し得たことです。

そんな上杉謙信は、誰に対しても公正公平で誠実な人柄から、敵味方関係なく信頼を集めるヒーローのような存在でした。

意外にも領土拡大などの野心はなく、芸術や文学にも精通する教養もあった才気あふれる人物です。

上杉謙信の兜を飾ることで、誠実に人生を生き抜く信念の強さと、尊敬され、敬われる人になって欲しいと言う願いが込められています。

 上杉謙信の性格

  • 男らしく頼りがいがある正義を貫く人柄
  • 何事も諦めないストイックな精神
  • 誰に対しても公平公正
  • 芸術や文学なども愛する教養を持つ
  • 独特の価値観を持ち、信念を貫き通す
  • 義理人情に厚く、敵味方関係なく信頼を集める人物

前立ての形は「日輪」と「三日月」

伊達政宗と同じく、妙見信仰を心の支えとしていた上杉謙信ですが、「月」を信仰していた伊達政宗に対し、上杉謙信が進行していたのは、「月」と「太陽」です。

そのため、前立ての形は両者のシンボルである「「日輪」と「三日月」がモチーフになっています。

自身の信仰する、月と太陽を前立てに配することで、神様の御加護を得られるようにと願いを託しました。

ちなみに、上杉謙信は毘沙門天も信仰していました。

そのため、本陣の旗印にも毘沙門天の「毘」の文字が記されています。

上杉謙信の名言

「依怙(えこ)によって弓矢は取らぬ、 ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す」

これは、「私利私欲で戦はしない、道理があれば誰にでも力を貸す。」といった意味です。

自身の信念を貫く、正義感の強い上杉謙信の人柄が強く表れている名言です。

織田信長(おだのぶなが)

織田信長は、尾張(現在の愛知県西部)の地方領主の子として生まれました。

奇妙な行動から、「大うつけ」と呼ばれながらも、その柔軟な発想や判断力で次々と国を治めていった人物です。

「楽市楽座」や「関所の廃止」など斬新な改革も織田信長の功績です。

理解力や高い決断力に加え、新しいものを取り入れながら開拓していく力を持った織田信長は天性のリーダーとしての資質があります。

人を楽しませることが好きで、親しみやすい一面も兼ね備えたカリスマ的な人でした。

また、自分に逆らう者には容赦はしない冷酷な一面も持つ一方で、自分のために、我が身を犠牲にして、忠義を尽くした者に対しては、身分の上下に関係なく最大限の礼を尽くし、その功績を称えたと言われています。

織田信長の兜には、嘘や建前に囚われることなく、自分の正しいと思うことを実行する芯の強い人間になって欲しいという願いやカリスマ的リーダーへのあこがれの思いが込められています。

織田信長の性格

  • 慈悲と正義を重んじる性格
  • 理解力と正確な判断力を兼ね備え、合理的なことが好き
  • イベントを自らが主宰し、参加するなど楽しむことを忘れない
  • 斬新な発想と積極的な実行力を持つ
  • 自分に逆らう者には容赦ない

前立ての形は「木瓜紋」と「御簾」

一見朝日のようにも見える織田信長の前立てですが、モチーフになっているのは家紋でもある「木瓜紋(きうりもん)」と「御簾(みす)」です。

織田信長は他の武将に見られるような宗教に対する信心深さは薄かったため信仰を基本とする前立てではないのが特徴です。

「木瓜紋」は、鳥の巣を模していて、巣から卵が孵化し、やがて小鳥たちが飛び立つことから、子孫繁栄を表しています。

また、「御簾」とは、宮殿や寺院で使われる「すだれ」のことです。

古くから「すだれ」は、神と人との境界を表すものと考えられてきたことから、神様との関係を持ち、御加護を得られるようにといった期待が込められています。

織田信長の名言

「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。」

この名言は、「惰性で生きる人生ではなく、必死に生きる人生こそが、素晴らしく光輝くものとなる」と言った意味合いです。

織田信長が自分自身を鼓舞するための言葉でもあり、家臣へ対しても発した言葉と言える名言です。

徳川家康(とくがわいえやす)

徳川 家康は、戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開いた天下人です。

10数年もの人質生活、家臣の裏切りにより祖父と父を殺されるなど、苦労が絶えない幼少期を過ごした徳川家康ですが、目的を達成するためには努力を惜しまない人物です。

好機が来るまでは、決して焦れずにじっと待ち、しっかりと準備をする。

また、目標を達成してもおごらず、真面目に取り組む、実直な性格です。

その姿勢はまさに成功者の姿そのものと言えるでしょう。

晩年は、健康を気遣い、戦国時代の平均寿命の2倍にもなる、75歳まで生きたことでも有名です。

お金に対しても誠実で、普段は倹約するものの、使う時には使うといった、計画性にも一目置かれています。

徳川家康の兜を飾ることで、真面目で実直な性格と、目標を立ててから成功するまでの道筋を描ける生きる力に溢れた人物になって欲しいと言う願いが込められています。

徳川家康の性格

  • 倹約家で健康志向もある人物
  • 辛抱強く、好機を待ち続ける忍耐力の持ち主
  • 成功への道筋を描くことが出来る
  • おごることのない、真面目で実直な性格

前立ての形は「シダの葉」で、兜は「大黒天の頭巾」

徳川家康が信仰していたのは、大黒様です。

大黒天の夢を見たことから、縁起がよいとして、大黒天をモチーフに兜を作りました。

軍神であり、戦闘神ともされている大黒様の被る頭巾を模した兜を被ることで、戦での勝利を祈願したのです。

また、兜の前立ては、シダの葉がモチーフになっています。

そのため徳川家康の甲冑には「歯朶具足(しだぐそく)」の愛称もあります。

シダの葉は、神聖な行事ごとに用いられる植物であり、葉の裏が白いことから「二心がない=真心」を表すとして、武将にとっては縁起のよい植物でもあります。

また、シダを漢字で書くと「歯朶(シダ)」と書き、「歯」は年齢を指し、「朶」は「枝」を表すことから長生きと子孫繁栄を願ったと言われています。

徳川家康の名言

「人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。言と形とに迷ふべからず。」

この言葉は、「人を心から理解したいのなら、初めに自分自身が正直になって、相手の心の奥底をしっかりと観察しなくてはならない。

決して言葉や見た目に騙されてはいけない。」といった意味です。何事にも真面目で慎重な徳川家康の人柄が分かる名言です。




端午の節句(子どもの日)とは?

端午の節句の由来と意味

端午の節句の由来は、中国から始まった行事です。

昔の中国では、同じ数字の月と日が重なる日は不吉だとされ、邪気を祓う行事をする風習がありました。

そのような行事の1つであった端午の節句では、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を門に吊るなどをして邪気を祓っていたのです。

この儀式は奈良時代になると日本にも伝わります。

奈良時代の端午の節句は、宮廷で臣下の人々が菖蒲を冠に飾り、菖蒲の葉で作った薬玉(くすだま)を柱に下げたり、また、邪気を退治する意味合いから、騎射(うまゆみ)、競馬(くらべうま)といった馬を使ったりする勇壮な催しも行われました。

このような端午の節句の行事は、次第に民間にも広がります。

そんな中で、武士にも力がついてきた鎌倉時代には、端午の節句で使われる「菖蒲」が、武道や軍事などを大切なものと考える「尚武(しょうぶ)」や「勝負(しょうぶ)」に通じることから広がりを見せます。

また、菖蒲の葉の形が剣を連想させることなどから、男の子は菖蒲を頭や身体につけたり、菖蒲で作った兜(かぶと)で遊ぶようになったりしていました。

このころから、端午の節句は、男の子のお祭りとして浸透して行きます。

江戸時代に入ると、端午の節句は、幕府が公的な行事・祝日である「五節句」として定められました。

貴族の社会から武家の社会へと変わったこの時代に、大切な一家の後継ぎとして生まれた男の子が無事に成長することを祈る行事として認知されるようになります。

このようにして、武家の一族の繁栄を願う端午の節句は男の子の節句として定着したのです。

【豆知識】菖蒲の風習

「菖蒲」を使った風習は色々あります。端午の節句にはつきものの「菖蒲」の風習を見て見ましょう。

菖蒲湯

無病息災を願って菖蒲の葉を浮かべた菖蒲湯につかります。

これは、菖蒲の香りで邪気を祓い、薬草効果で健康になるという考え方から生まれました。

菖蒲は浮かべてから湯を沸かすと香りがより立ち、その菖蒲を頭に巻くと賢い子に育つとされています。

菖蒲切り・菖蒲打ち

菖蒲を刀に見立てたチャンバラごっこです。

邪気払いや武術上達の願いが込められています。

菖蒲打ちは、何本かを束ねた菖蒲を地面に叩きつけることで生じた、音の大きさや折れ具合を競います。

これは、地面にたたきつけることで悪い者を封じ込め、音で邪気を祓う意味があります。

軒菖蒲

菖蒲を軒下に下げることで、邪気を祓い家が火事にならないようにと願ったものです。

菖蒲酒

菖蒲の根を漬け込んだお酒を飲むことで、邪気を祓います。

お酒に菖蒲の葉を浮かべて飲むだけでも代用になります。

菖蒲枕

翌日菖蒲湯に使う菖蒲を枕の下に敷いて寝ます。

寝ている間の邪気を防いでくれると言われています。

端午の節句(子どもの日)はいつか?

端午の節句は、「5月5日」に行います。

なぜ端午の節句の端午の「端」は、「はじめ」を意味しています。

元々は、「端午」は5月の最初の午(うま)の日を指していた言葉でした。

そのため、5月であっても5日ではなかったのです。

しかし、「午」は「五」とも読むことができることと、同じ数字の月と日が重なる日にはお祝いをする風習が重なり、端午の節句と呼ばれ、5日5日に行うようになったと言われています。

ちなみに、飾り物は5月5日より前に飾る方が良いとされています。

地域によっても変わりますが、男の子は「先手必勝」に物事を進めた方が良いとの言い伝えから、何事も早め早めがいいとされ、飾る時期は早ければ早い方が良いとされる地域もあるようです。

そのため、遅くても5月5日の1週間前には飾りつけをした方が良いそうです。

まとめ

端午の節句(子どもの日)に飾る兜には、それぞれの意味や由来があることが分かりました。

種類もさまざまですが、どれも共通しているのは、親御さんが大切な子供の成長を願って購入するものだと言うことです。

高級な物でなければいけないということではなく、端午の節句飾りを用意すること自体に意味があります。

ご自宅の飾る場所や保管場所を考えながら、ご予算に合った品を、そして何より気に入った品を用意しましょう。

丁寧にお子さんのことを思いながら飾られる端午の節句飾りは、きっとお子さんの健やかな成長を見守ってくれることでしょう。

Writing:YUKIKO-加藤

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