沖縄でシーサーを置く意味とは?シーサーの起源(歴史)や狛犬とシーサーの違いとは?

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沖縄にも独自の狛犬がありますが、名前をご存知ですかぃ?

はぃ!そぅ!今や全国的に有名な「シーサー」です。

シーサーは狛犬と似たような外観をしていますが、はたしてシーサーは狛犬と同じ意味や意義を有するものなのか?

そこでこのページでは、シーサーの歴史やその起源、意味や意義を述べながら、シーサーと狛犬の違いを明かしていきます!

シー:『ワンっ、ワわンっ!ワン!ウぅ〜ワンっ!‥‥きゃキャぃぃ〜ン!””』
(訳:ワテな永谷園の鮭茶漬けが大好物やねん。鮭食べ過ぎて身体、鮭色になってしもたわ)」

シーサーとは?

「シーサー」とは沖縄地方で見られる狛犬のような置物のことです。

沖縄全土の至る場所に置かれています。

下掲写真のシーサーは沖縄の国際通りに置かれているシーサー像です。

⬆️那覇市・国際通り沿いのシーサー像

このようなシーサー像は道端や民家の屋根の上にも置かれています。

「シーサー」の言葉の語源とは?

「シーサー」という言葉の語源は沖縄語(八重山方言)の「シィーシィー」「シーシ-」です。

「シーサー」という言葉は、「獅子(しし)」に通じるものがあり、時代を下りながらシーサーに定着したと見られています。

シーサーを置く意味や効果とは?

沖縄のシーサーは狛犬同様、「守護する」という役割を持ち、沖縄においても門の左右、屋根の左右などに、一対のシーサーが置かれて家を護っているのをよく見かけます。

シーサーの起源や歴史「日本へはどうやってもたらされた」

実のところ、シーサーの文化や歴史は狛犬・獅子と比較しても極めて新しいものです。

ただ、シーサーの話をする前にシーサーが誕生した経緯を述べておかねばなりまっふぇん。

これは13世紀末〜15世紀末くらいのお話ですが、当時の沖縄は中国と独自の友好関係を構築していたことも相まって、中国から王城(現・首里城)へ調度品として、はじめて狛犬が献上されることになります。

以来、沖縄でも本土同様に狛犬文化が定着の一途を辿るのですが、沖縄には元来、古神道でみられるような自然を崇拝する信仰が根強くあり、段階を経ながら徐々に自然崇拝信仰と習合していくことになり申す。

例えば沖縄では森林や山、泉などに「御嶽(うたき)」と呼ばれる聖地が設けられ、これを斎場として様々な祭典が執り行われたりしています。

やがてこの御嶽の規模が大きくなると村落が形成され、この村落に石の獅子像が置かれるようになります。ちなみにこれが後に「村落獅子」などと呼ばれるものの起源になり申す。

この村落獅子の起源とされるのが、「八重瀬町富盛」にある1689年に造立されたと伝わる総高1.4mの石獅子です。(沖縄県指定有形文化財)

⬆️1689年(元禄2年/将軍は5代目 綱吉さん)造立の八重瀬町富盛の石獅子

以来、沖縄における石獅子は沖縄南部地方を中心とし、17世紀〜19世紀に数多く造立され、火伏せの守護として、はたまた村落の厄除けの意味合いで作られることになり申す。

⬆️沖縄地方で3番目に古いとされる南城市の石獅子

沖縄の石獅子の特徴や本土の狛犬との違い

沖縄の石獅子と本土で見られる狛犬の大きな違いは像容です。

本土では当初、狛犬・獅子像が宮中で広まった後、民間へも広まったのですが、当初は名のある石工しか造立していなかった背景があり、像容がかなり綺麗に整えられているという点です。

対して、沖縄の狛犬(石獅子)は王城へもたらされた後、時を待たずして民間へ広まり、民間人の手により造立されはじめ、やがて文化に浸透していくことになりまする。

また、民間には自然崇拝信仰が根強く根幹にあり、その自然信仰に沿わせる形式で獅子像が作られることになりますが、当初は素人の村人が作ったことが分かるようなお粗末な造形のものが数多く見られます。

これは言わば、沖縄版の「はじめ狛犬」という分類に位置付けられるものです。

シーサーが狛犬の起源だった!?

他説では、シーサーとして中国から沖縄に伝わったものが本土へも伝わり、これが「狛犬」と名付けられた、‥‥とする説もあります。

ただし、上述のように沖縄のシーサーは戦後に作られ始めたのは揺るぎない事実であり、これを正説とするのは少々、難がありますが、シーサーではなく、「獅子」としてであれば可能性は考えられなくもありんせん。

獅子として沖縄に伝来し、それが素人が作る村落獅子にはじまり、やがて個人宅に置かれはじめたものが定着して「シーサー」と呼ばれるようになった‥‥やがて本土へも伝わり狛犬と呼ばれるようになった‥‥という経緯も可能性がないとは言い切れないものがありまする。

ただ、学術的な観点を用いれば、沖縄のシーサーと本土の狛犬との接点が見られず、これは沖縄が育んだ独自の文化の賜物と見られています。

なお、現在でも村落獅子は沖縄各地の道端や空き地などでも見られます。

村落獅子の大きな特徴は佐賀の肥前狛犬をはじめとした、九州地方各地で見られる狛犬に近いものがあり、やはり、地理的にも至近距離にある沖縄文化と九州文化とが習合した様子が窺えまする。




シーサーと狛犬の違い

以下、画像引用先:https://ja.wikipedia.org/

  • 狛犬は阿吽の一対で造立され、置かれる。対してシーサーは単体でも置かれることがある。
  • シーサーは素焼きのものが多い。対して狛犬は石造りがほとんど。
  • 沖縄のシーサーの像容(造形)はどちらかと言うと本土の狛犬ではなく、中国獅子に近いものがある。
  • シーサーは屋根の上にも置かれる。対して狛犬は寺社の境内、家宅に置かれる例がほとんど。


  • シーサーの歴史は浅く太平洋戦争後から。対して狛犬は仏教伝来とほぼ同時並行で渡来した。




狛犬・獅子の違い

狛犬と獅子の違いを説明する前にまずは狛犬がどうして日本へ伝わったのか?狛犬と獅子の区別がなされた理由も述べておきましょう。

日本へ伝来した狛犬文化は、朝鮮半島から伝来したと見られたことから、「朝鮮(朝鮮半島)」の意味を持つ「コマ」という言葉が付され、「狛犬」という言葉が誕生するに至ります。

伝来後、狛犬文化は日本独自の文化に浸透し、やがて「獅子」と「狛犬」の区別が成立することになります。

区別された理由については『狛犬は何をモデル(モチーフ)としてつくられた?誰が何の目的で考えたのか?』のページにて述べています。

獅子像のモデルは「ライオン」

上記、『狛犬は何をモデル(モチーフ)としてつくられた?誰が何の目的で考えたのか?』のページでも解説しているように、獅子のモデルは「ライオン」とされています。

狛犬像のモデルは「不明」

狛犬のモデルは中国の空想上の霊獣「ジ」や、韓国の空想上の霊獣「ヘテ(ヘチ)」という説が有力視されています。

ただし、韓国の「ヘテ」は中国が起源とされることから、日本における狛犬も中国起源が半ば正説になっています。

ただ、忘れてはならないのが、狛犬・獅子ともに大元となる起源は「ライオン」にあり、そのライオンを支配者の証、もしくは支配者を守護する霊獣として祀りたてたオリエント文化が発祥となり申す。

一方で日本へ伝来した狛犬も、狛犬と獅子に区別されながらも、意義(置く意味)は踏襲され、主として双方とも貴人を守護する目的で置かれます。

インドでは仏教と習合した

古代オリエントで生まれたライオン像を装飾として用いた文化は、中国へ伝来する前にインドへ伝来しています。

インドにおいてのライオンは仏教と習合し、仏像の台座に据えられるなど、やはり仏像やブッダ(釈尊)を守護する霊獣として扱われます。

今日においては、日本へ狛犬がもたらされたのは朝鮮半島経由ではなく、直接、中国から仏像に随伴する形でもたらされたとされることから、やがて日本でも貴人以外に神仏を守護する霊獣とされます。

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