狛犬の阿吽の意味や定義とは?なぜ阿形と吽形がいる?それぞれの特徴は?

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阿吽と聞けば、真っ先に思い浮かぶのは「仁王像」ではないでしょうか?

狛犬にも「あうん(阿吽)」の概念があります!このページでは狛犬の阿吽の意味や特徴を解説するとしましょう!

⬆️吽形の狛犬像

⬆️阿形の狛犬像

狛犬「阿吽」の意味や意義とは?

万物の初めと終わり。

「阿吽」の意味について辞書(Wikipedia)を引くと次のように書かれています。

  • 万物の初めと終わり。
  • 出す息と吸う息。息の出入り。

「阿」と「吽」は梵語の発音です。2体で一切の現象を象徴します。

「阿吽」とは、口の開閉、全ての始まりと終わり。を意味するとされます。

阿は口を開いた状態を意味する言葉。吽(呍)は口を閉じた状態の言葉。

文字で正式に表すと「阿吽」もしくは「阿呍」と書きます。

「阿吽」は真言の音を意味する

古代インドのサンスクリットの悉曇文字(梵字)において、「a(阿)」はまったく妨げのない状態を意味し、口を大きく開いたときの音である「m(hūṃ、吽)」は口を完全に閉じたときの音を意味する。

「悉曇文字(しったん/サンスクリットを表すための書体の一つ。母音字。)」の字母(じぼ/単語をつづる表音文字の1つ1つの字)の配列は、口を大きく開いた「a(阿)」から始まり、口を完全に閉じた「m(hūṃ、吽)」で終わっています。

このことから「阿吽」は、宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉と解釈されます。

「阿吽」は智慧や涅槃を意味する言葉でもある?

上記、宇宙のほかにも、「a(阿)」を真実や求道心にたとえ、「m(hūṃ、吽)」を智慧や涅槃にたとえるケースもあります。

即ち、仏陀である釈尊を表した言葉であると共に、2体が左右に置かれた門や間口を通過することで、仏門への信仰心と帰依を意味するものとも解釈できます。

陽と陰を司る絶対的な存在を誇示するもの

  • 閉じた口は「陰」
  • 開いた口は「陽」

‥‥を意味し、陰陽の概念を持ち出すことで、2つ(2体)で宇宙の万物を統べるほどの存在であることを表し、その先が異世界(仏界・神界)への入口であることを示唆する。

心の状態の意識づけを示唆するもの

閉じた口の意味・解釈

閉じた口は、心を閉じて煩悩を断ち切ることを示唆するもの。

もしくは「閉じる=惑わされない。煩悩を打ち祓う力がそなわる守護者」という意味。

開いた口の意味・解釈

開いた口は、心を開いて神仏への信仰心をあらわにした状態を誇示するもの。

もしくは「開く=心を開く。真実を見通す力がある守護者」という意味。

阿吽から派生して生まれた言葉「阿吽の呼吸」

「阿吽の呼吸(あうんの呼吸)」という言葉をご存知ですかぃ?

「あうん(阿吽)」というのは、口を開いた時の擬音「あ(阿)」と、口を閉じた時の擬音「うん(吽)」を組み合わせた言葉です。

「阿吽」という言葉は密教の考え方に基づくものであり、「あ」とは全ての始まりや根源を意味し、「うん」とは全ての終わり、智慧の究極形を意味しているとも言われます。

「阿吽の呼吸」というのは、物事に対し、それを成し遂げようとする意思疎通が明確であり、その物事を2人以上で遂行したとき、まるで事前に打ち合わせたかのような息のあった動きで物事をあっという間に成し遂げることを意味する言葉です。

つまり、「あうん(阿吽)」とは、口を開けた状態と、口を閉じた状態をセットとしたことを意味します。

狛犬「阿形」の特徴

  • 口が開いている。
  • 口の中に玉がある。
  • 口の中ではなく、足元で玉(鞠)を踏んでいることもある。
  • 足元に子どもの獅子がいる場合がある。また子獅子が玉を持っている場合がある。
  • ツノ(角)が無い。

阿吽の像は、狛犬だけではなく、お寺の山門の左右に立っている仁王像など、2体セットになっているものです。片方が口を開けていて、片方が口を閉じているからこそ、阿吽と言います。

2体のうち、阿形はいつも口を開いています(もしくは、「あ」と言っている状態で口を開いているからこそ、「阿形」と言います)。

開いた口の中には「玉」が据えられて例が多く散見されます。玉がない場合、玉か鞠のようなものを踏みつけています。

狛犬の「阿形」と「玉」は、常にセットの存在ですが、その玉の意味については別のページにて述べています。




狛犬「吽形」の特徴

  • 口を閉めている。
  • 足元に子どもの獅子がいる場合がある。
  • 持ち物が特に決まっていない。
  • ツノ(角)が有る

阿形と違い、吽形の方は口を閉めた形をしていることが特徴です。

ちょうど何かの返答の際に「うん!」とうなずいた時の口の形がまさにこの形です。

吽形の方は玉や鞠ではなく、まるで子どもの獅子を踏みつけるようにして足元に置いている姿が散見されます。

ただ、阿形と吽形、どちらにも子獅子が配されている例は極稀のようです。

また、阿形の場合、玉や鞠が口の中、あるいは足回りに彫刻されますが、吽形にはこのような付属品がありません。

なお、狛犬像にも種類があり、角の有無があります。上掲写真の狛犬像には阿形・吽形ともに角がありませんが、ツノが付いている狛犬像もあります。

ツノが附属している狛犬像は、ほとんどのケースで口を閉じた吽形の狛犬像にツノが有ります。

えぇっ?!2体とも獅子像ではない?片方だけが「獅子」??

狛犬は左右一対というのは日本では常識と呼べるほど浸透していますが、「左も右も獅子ではない」という説があるのをご存知でしょうかぃ?

日本に狛犬が定着しはじめた当初、日本人の中で「獅子」と「狛犬」は別の生物(霊獣)として認識されていたようです。

日本へもたらされた狛犬像は左右で姿形が少し異なっていたこともあり、日本では左側(向かい見て右側)の口が開いた阿形像が「獅子像」。その逆の右側(向かい見て左側)の吽形像が「狛犬像」と認識したのです。

ところが、江戸時代に狛犬奉納ブームが訪れると奉納者が急増したために、この区別は曖昧になり、やがていずれの像も「狛犬像」として扱われるようになったという歴史があります。

ただ、左右で阿吽のセットという定義は現代にまで踏襲されていることになります。

他にも、右側の獅子は口を開けていて、金色で塗装されている。左側の狛犬は口が閉まっていて、銀色に塗装されている。……などという時代もあったと伝えられています

狛犬のほか、仁王像にも阿吽ある!阿吽の左右の配置は決まっているのか?

結論から申せば、狛犬だけではなく仁王像に対してもいえることですが、阿吽の左右の配置自体に特に定型のような決まりはないようです。

阿吽が左右、逆で置かれている狛犬、もしくは仁王像もあります。

ただ、左右それぞれが「阿形」と「吽形」の形式になっているケースがほとんどです。

片方が狛犬!片方が獅子という根拠や理由とは?

平安前期に描かれた「賢聖障子」に描かれた狛犬の姿

左に獅子、右に狛犬という認識が定着した証拠として、もっとも有名なものに9世紀(西暦801年から西暦900年/平安前期頃)あたりに描かれた「宮中紫宸殿(ししんでん)の賢聖障子(けんじょうのしょうじ)」に描かれた狛犬画像があります。

画像引用先:国立国会図書館

この画像を見ると左にツノの生えた狛犬と右にツノの生えていない狛犬とが描かれており、さらに尻尾の形状や毛の描き方も異なっている事実が分かります。

「群書類従」の中に見える記述

保己一(はなわ ほきいち)が1793年(寛政5年)に木版で出版した「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」の中にも狛犬・獅子に関しての記述がみられます。

群書類従の中の「皇代記」の後朱雀天皇の箇所には、『長歴三年巳卯五月十九日有 伊勢奉幣有 震筆 宣明 被奉 金銀師子狛犬』との記述がみえます

この中で注目すべきは”金銀師子狛犬”という部分です。

この文を直訳すると「後朱雀天皇が長暦3年(1039年)5月19日、伊勢神宮に金銀の獅子と狛犬を奉献した」となりまする。

「類聚雑要抄」の中に見える記述

1146年(久安2年/平安後期)に編纂された「類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)」にも「左獅子 於色黄 口開 右胡麻犬 於色白 不開口 在角」の記述が見え申す。

「禁秘抄」の中に見える記述

1221年(承久3年)に第84代順徳天皇自身が書いたとされる有職故実の解説書「禁秘抄(きんぴしょう)」には、「御帳前下左右、獅子狛犬有」という文字も見えます。

これらの一文を以って、平安時代にはすでに御帳(みちょう/貴人の寝所)の前には守護獣として獅子と狛犬が置かれていた事実を物語っています。

同時に獅子と狛犬という認識が確立されていたことをも示しています。




なぜ、狛犬は阿形と吽形という左右で異なる姿をしているのか?

これについては明確にされていないようですが、日本人が古来、左右非対称を好み、これを美学とする文化があったことに端を発しているとされる説があります。

『左近の桜、右近の橘』という言葉があるのように華道や茶道、陶芸、建築など様々な分野で左右非対称が意匠として採り入れられています。狛犬にもその流儀が取り込まれていたとしても、何ら不思議なことはないことになります。

一説には、例えば飛鳥時代を代表する法隆寺夢殿の救世観音菩薩立像のように左右対称性で造立された仏像があるように、飛鳥時代や奈良時代にはまだ、左右を非対称にする美意識のようなものがなかったと考えられています。

それが優雅な平安時代の貴族文化により、意匠という文化が生まれ、このときに左右が同じであれば面白くない、そこで誰かが左右を非対称にした。‥‥と考えるのが自然といえば自然です。

これは安土桃山時代に華やいだ「数寄」の傾向に類似しているものがありまする。もしくは数寄の起源になり得る‥‥‥。

狛犬は当初、阿吽で天皇の寝所の出入口に置かれていた

狛犬は仏教とともに我が国へ伝来し、その後、一般庶民の目には触れることなく、平安時代になると天皇をはじめとした貴族の邸宅に置かれることになります。

狛犬の起源については別のページで述べていますが、狛犬の意義自体は国境を越えようが変わることはなく、それが平安時代の日本においてもやはり貴人を守護するための守護者、あるいは魔除けの意味合いで寝所に置かれることになります。

平安時代には「鬼」という存在が確立するなど、夜になると魑魅魍魎が跋扈するという民俗じみた俗信が生まれています。

こうした思想や概念が背景にあり、伝来した狛犬の有り様とうまく結びついたのかもしれません。

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