端午の節句(子どもの日)の食べ物・お菓子の意味や由来!「ちまき・柏餅・団子は大きな間違い?!」

スポンサードリンク

端午の節句の食べ物と言えば、ちまきや柏餅が思い浮かばれるでしょうか?

端午の節句のお祝いの席には、その場にふさわしい食べ物やお菓子があります。

それぞれ、色々な意味や由来があって用いられた、大切な食べ物です。

今回は、端午の節句の食べ物やお菓子にスポットをあてて、その意味や由来を詳しくご紹介します。

一緒にお祝いをする、お子さんやおじいちゃん、おばあちゃんに食べ物の意味や由来を説明してお祝いの席を盛り上げましょう!

端午の節句のお祝いメニューって何を用意すればいいの?

まず、結論から申し上げると「端午の節句のお食事会の祝い膳に特に決まりはありません。」

お子様が喜ぶものを中心に、お祝いの気持ちでお膳を整えてあげましょう。

お祝いのメニューには、端午の節句ならではの行事食や縁起の良い料理を並べれば、お祝いの席がより華やぎますし、メニューの意味も合わせてご紹介すれば場も盛り上がるかもしれません。

この記事では、端午の節句ならではの行事食と縁起の良いメニューをご紹介します。

行事食とは? 

行事食とは、様々な季節の行事やお祝いの日に食べる特別な料理のことを言います。

それぞれ旬の食材を取り入れて、体調を崩しやすい季節の変わり目に、栄養と休息を与えたり、家族の健康や長寿を願ったりする意味もあります。

さらに、子供の守り神でもある端午の節句に飾る人形へお供えするかしわ餅などは、神様へお供えする食べ物、つまり、神饌(しんせん)とも言えます。

神様へお供えした食べ物を頂くことで災厄を祓い、神様の恩恵を受けることにも繋がります。

場所によって変わる?端午の節句の食べ物

当たり前のように思い浮かべる端午の節句の食べ物も、実は、お住まいの地域ならではの行事食で、全国で一般的な食べ物ではないかもしれません。

端午の節句の食べ物は、地域によって重要視される品が違います。

例えば、関東では柏餅、関西ではちまきを食べることが多いようです。

他にも、鯛や出世魚を使った料理、たけのこや赤飯なども、端午の節句の料理として食べられています。

端午の節句のお祝いには、地元の風習に沿った縁起の良い食べ物を選びましょう。

ちまきの由来・意味

日本の端午の節句でもお馴染みの「ちまき」は、中国でも端午節でよく食べられる伝統的な食べ物です。

では、なぜ「ちまき」が端午の節句に食べられるようになったのでしょうか?

ちまきの由来~悲劇の英雄・屈原のためにつくられた?~

ちまきの由来は、古来の中国にさかのぼります。

実は中国の悲劇の英雄、屈原(くつげん・紀元前4~3世紀頃)にちなむ逸話から生まれたといわれています。

楚の王族であった屈原は、博識であり、政治的手腕にも大変優れ、人望も厚い人物でした。

そのため王に認められて要職に就きます。

しかし、その優秀さが他の官僚の妬みにあい、失脚することになってしまいます。

そして、最後には長沙(現在の湖南省)に左遷されることになってしまいました。

王にも見放されたと考えた屈原は、失意の中、楚の未来を心配しながらも、5月5日に汨羅(べきら)という川に身を投げ、一生を終えます。

六朝時代の中国で書かれた奇怪な話をまとめた本『続斉諧記(ぞくせいかいき)』には、このように記されています。

屈原の死後、その死を悼んだ人々は、屈原を想い、命日である5月5日に、汨羅川に供養になればと竹筒に米を入れたものを投げ込んでいました。

しかしある時、屈原の霊が現れて、こう訴えます。

「川には蛟龍(こうりゅう=龍の一種)が住んでいて、投げ込んでくれた供物を片っ端から食べてしまう。

龍に食べられないように、龍の嫌いな楝樹(せんだん)の葉で包み、邪気を祓う五色の糸で巻いて下さい。」

その訴えを聞いた人々は、教え通りに供物を作るようになり、これがちまきの始まりだと伝えられています。

日本に伝わったちまき

屈原の命日でもある端午の節句は、日本には平安時代に伝来し、もとは穢れや邪気を払う日として、宮中で儀式が行われる日でした。

平安時代に編纂された辞書の一種である『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』の「和名知萬木(わめいちまき)」の項目には、植物の葉で包んだもち米を灰汁(あく)で煮込み、おにぎりのようにするという作り方が載っています。

この記載は、現代のちまきに通じると考えられています。

ちまきは、元々、灰汁の持つ殺菌力や防腐性を用いた保存食でした。

その後、時代と共に各地に広がり、様々な種類のちまきが生まれることとなります。

江戸時代になると、穢れや邪気を払う儀式であった端午の節句は、武家社会の中で、広がりを見せます。

端午の節句に、跡継ぎを設けて家系を絶やさない、子孫繁栄を重視するといった考え方が風習と重なったためです。

そして、端午の節句は、せっかく生まれた男の子が健やかに成長するように願う日とするようになったのです。

端午の節句に用いられてきた、ちまきも次第に発展していきます。

関西を中心に、保存食や携帯食として主食的な役割になり、九州や別の地区では菓子と変化していったのです。

「ちがやまき」から「ちまき」へ

中国では、楝樹(せんだん)の葉が使われていたちまきですが、日本では昔、ススキに似た植物の茅(ちがや)を使いました。

神が宿ると考えられていた茅は、厄除けの意味合いもあって用いられてきたのです。

茅の葉で餅やもち米を包み、三角や紡錘形に巻いてイ草でしばって蒸していたため、当初は「茅巻き(ちがやまき)」と呼ばれていました。

この呼び名が、ちまきの名前の由来でもあります。

現在のちまきには、茅ではなく、熊笹の葉を使うことが多いようです。




ちまきの漢字の由来

ちまきは、「粽」と書きます。

「米」偏と、「宗」から出来ているこの漢字には、もちろん意味があります。

ちまきは、お米を使った食品ですので、「米」偏(こめへん)が付くのは納得できるかもしれません。

ではなぜ「宗」とつくのでしょうか?

中国で後漢の時代に許慎(きょしん)という人が書いた、最古の部首別漢字字典である、『説文解字』(せつもんかいじ)には、「粽」は「糉」と書かれていて、「蘆葉裹米也=(蘆(あし)の葉で米を包む也)」と記されています。

この字に使われている「旁(つくり)」には、「集める」という意味があるため、「米を集めて包んだ料理」ということで、ちまきの漢字に使われたのではないかと考えられます。

「粽」は「旁」を同音の簡単な部品に置き換えた略字ですが、日本で「宗」という字を漢和辞典で調べると、「むね、おもなこと、おおもと、おたまや、先祖、一族、たっとぶ」等が意味として書かれています。

また、熟語になると、おおまかには、全体を表現する時や神事の際に、御霊などに崇拝する意味に使われることが多いようです。

「ちまき・粽」は、神事に用いたお供え物で、神聖なお米を使った食品としていたことからこの漢字が作られたのではないかとも考えられます。

地方によって違う色々な「ちまき」

江戸時代、1697年(元禄10年)に発行された、『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』と呼ばれる、日本の食物に関する色々なことが記されている本には、4種類のちまきが紹介されています。

現在でも、地方に残るちまきもあるので、詳しくご紹介します。

新潟県の「三角ちまき」

三角ちまきはもち米の餅をワラで包んだ餡粽(あんちまき)で、本朝食鑑には、「蒸らした米をつき、餅状にして、マコモの葉で包み、イグサで縛ってからお湯で煮たもの。クチナシの汁で餅を染める場合もある。」とあります。

これは、新潟県などに伝わる「三角ちまき」に似ています。

現在の三角ちまきは、うるち米の粉で餅を作った後に、ササの葉やマコモの葉で包み、これを茹でるか蒸らして作ります。

和菓子ちまきの原型「御所粽(ごしょちまき)、内裏粽(だいりちまき)」

江戸時代の御所粽、あるいは内裏粽と呼ばれたちまきは、うるち米の団子を笹の葉で包んだものです。

現在の餅の原料は葛に代わっていますが、端午の節句に和菓子店が作ること多く、和菓子ちまきの原型だと言われています。

行商人もいた「飴ちまき」

「あめちまき」は、飴粽(あめちまき)や糖粽(あめちまき・とうそう)とも書き、餅が飴色になっているため、このような名が付いたようです。

中世・近世期には、糖粽を行商する者がいて、糖粽売(あめちまきうり)と呼ばれていました。

灰汁(あく)を使った保存食「朝比奈粽(あさひなちまき)」

朝比奈粽は、サザンカの根を焼いて作った灰汁でもち米を湿らせて、これを元に餅を作り、ワラで包んだ物です。

灰汁と言えば、料理の雑味として、取り除かれるものをイメージします。

しかし、食品に灰汁を含ませてアルカリ性の環境にすると、抗酸化作用があり、雑菌の繁殖を抑えられると言われています。

そのため、食品の保存環境や保存料が整っていなかった時代に灰汁は、保存食作りに利用されていたのです。

朝比奈粽は、きな粉や砂糖を混ぜた醤油で食べられていました。

駿河国(現在の静岡県中部)の朝比奈の名物と書かれていますが、現在は作られていません。

他にも全国に広がる「ちまき」の仲間

他にも全国には、ちまきに似た食べ物があります。

新潟県では、餡の入ったヨモギ団子を笹で包んで両端をワラで結んだ形状の「笹団子」が有名です。

新潟の笹団子と似たような形状で、団子状にした生地の中にあんを入れ、熊笹で巻いてあるのが、茨城県常陸太田市の「太田ちまき」です。

このちまきは、徳川光圀公の侍臣である佐々助三郎が越後から土産として持ち帰り、光圀公に献上したのが始まりと言われています。

また、京都の祇園祭では、蘇民将来の故事にちなんで、ちまきは厄除けの縁起物になっています。

見た目はちまきですが、中身は米や餅ではなく、葉などを詰めてあります。

つまり、食べ物ではありません。

もともとは祇園祭のメインである、山鉾巡行の際に山鉾から撒れていたものだったようですが、今は祇園祭の前夜祭のような宵山の際に販売されています。

このちまきの起源は、茅の輪だとされています。

また、ちまきとは呼ばず、端午の節句とも無関係ですが、沖縄には、月桃の葉で包んだムーチーと呼ばれる類似の菓子があります。

蘇民将来(そみんしょうらい)とは

蘇民将来(そみんしょうらい)とは日本各地に伝わる説話であり、またその説話から発生した民間信仰のことも指します。

説話はこのようなお話です。

旅をしていた武塔神(むたふ(むとう)のかみ、むとうしん)は、宿を探していました。

そこで、旅の途中に出会った兄弟に今晩の宿泊を願い出ましたが、裕福であった弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は断ります。

一方で、貧しい暮らしをしていた兄の蘇民将来は粗末な家でありながらも武塔神をもてなします。

その後、再び現れたに武塔神は、蘇民の娘に、茅を編んだ直径数メートルの茅の輪を用意し、蘇民の娘を除いた、弟の一族を皆殺しにして滅ぼしてしまいます。

武塔神の正体は、神様である建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと=スサノオ)だったのです。

それ以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができるとされてきました。

現在でも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の神(主にスサノオ)を祀る神社で授与されていて、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰されています。

護符には、紙札や木札、茅の輪、ちまき、角柱などさまざまな形状や材質のものがあります。

また、護符には「蘇民将来子孫也」「蘇民将来子孫之門」といった文言が記されて、家内安全や無病息災のお守りとして門口に吊されたり、鴨居に飾られたりされています。

世界にもある「ちまき」

台湾や東南アジアに属する、マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイなどでも、もち米を葉で包んだ「ちまき」を見ることが出来ます。

形状も三角のものが多く、日本のちまきと似たような作り方をするものが多く存在しています。

柏餅の由来・意味

柏餅は、どんなにおいしくて、沢山売れたとしても、季節が過ぎれば店先から姿を消すお菓子です。

限られた季節の中で味わう和菓子は、日本人独特の感性とも言えるでしょう。

ちまきと並んで、端午の節句の代表的な食べ物として挙げられる柏餅について、詳しく見て見ましょう。

柏餅っていつ生まれたの?

柏餅は、江戸時代の9代将軍徳川家重から10代将軍徳川家治の頃に生まれたと言われています。

江戸で生まれた柏餅は、大名が領国と江戸とを1年おきに往復する制度である参勤交代で、日本全国に行き渡ったと考えられています。

「かしわ」と「ゆずりは」

端午の節句に食べられる柏餅に「かしわ」の葉が使われる理由は、柏の古い葉が、新芽が育つまで落葉しないことから、家系が絶えない縁起物として端午の節句にふさわしいとされていたからです。

このように、葉が譲るように生え変わることから、かしわの葉は「譲り葉(ゆずりは)」と呼ばれることがあります。

実際に、現在の千葉県印旛郡にあたる「印旛郡遠山村」では「かしわ」を「ゆずりは」 と呼んでいた記述も残っています。

しかし、「ゆずりは」と名が付く別の植物が存在することをご存知でしょうか?

「ゆずりは」は、その名が、春に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することからついた植物です。

そして、その様子が、親が子を育て、家が代々続いていくように見立てることから縁起物とされ、正月の飾りや庭木に用いられてきました。

「かしわ」と「ゆずりは」は同じように、冬になっても落葉しないことから縁起物として用いられてきた植物です。

その性質に加え、いくつかの条件が重なり、「かしわ」と「ゆずりは」は混合されてきたという経緯があります。

ですので、正確には、かしわ=ゆずりはではありません。




共に神聖な植物であった「かしわ」と「ゆずりは」

「かしわ」は、日本で 「葉守の神」が宿る木とされ、神聖視されてきました。

なぜなら、柏は新葉が出ても暫くは前年の枯れ葉が残ることから、“葉守の神” が宿るとされたためです。

柏の葉は、神様の食べ物である神饌(しんせん)を載せる皿代わりとしても用いられてきました。

『枕草子』にも、神聖な葉だということが伺える一説「葉守りの神のますらむも、いとをかし」と書かれています。

しかし、『枕草子』には、「かしわ」の記述の前に「ゆずりは」の一節も書いています。

「かしわ」と同様に、「ゆずりは」も神聖な植物とされていたのです。

「ゆずりは」の葉も、艶やかな常緑であることに加え、冬の葉柄は赤色が目立ち、生命力を感じさせるため、神聖な葉とされてきました。

年越しの際、季節の変わり目に来るとされる邪鬼への供え物に皿代わりとして用いられたのも、神聖な葉とされていたからです。

どちらの葉も、神聖さと強い生命力を持つ植物だということから、特別な力を持つと信仰されていたことが分かります。

「かしわ」も「ゆずりは」も、葉の形状が食物を載せるのに便利だということだけではなく、神聖な植物として神様に捧げる器代わりとしての役目を担っていたのです。

これが、かしわとゆずりはが混同される理由の1つです。

「かしわ」と「ゆずりは」の持つ薬効効果

「かしわ」と「ゆずりは」が神聖な植物として信仰されてきた理由がもう1つあります。

それは、薬効効果です。

柏の葉には、「オイゲノール」という殺菌作用があります。

一方、 「ゆずりは」も、葉の煎汁は健胃剤となり、樹皮の煎じ汁を駆虫薬に用いるなどとしても利用されてきました。

ともに、それほど強い薬効を示すものではないですが、少なくとも、民間薬として、薬効があるということに、昔の人は「神秘の力」を強く感じたのでしょう。

柏餅の葉は柏ではない?

1930年代ごろまでは、柏の葉を用いた柏餅は関東が中心の節句菓子でした。

その理由は、ブナ科の落葉高木である柏の木が、比較的寒冷な地に多いことに関係しています。

あまり暖かい地では一般的ではない木だったということと、柏の木の葉で包む餅が生まれるより前に「サルトリイバラ」などの葉で包む餅が存在していたことから、柏の自生が少ない地域では、別の葉を使った柏餅が普及していたのです。

その後、韓国や中国から柏の葉が輸入されるようになり、柏の葉を使った柏餅は、全国に広がりました。

柏の葉を用いた場合はもちろん「かしわもち」と呼ばれますが、他の植物を用いた場合には「しばもち」、「ちまき」、「かからだご」、「おまき」、「だんご」、「いばらもち」などと地方ごとに呼ばれ方も変わっっていきます。

具体的には、ホオノキ、ミョウガ、ナラガシワ、コナラなどの葉を利用する地域があるようです。

葉の大きさにより包み方が異なり、カシワでは「くるむ」ことが多く、サルトリイバラでは「はさむ」ことが多くなります。

柏餅の葉の裏表

柏の葉には、裏表があります。

表面はなめらかでサラサラしていて、茶に近い深緑色をしています。

裏面は繊維が目立ちザラザラしていて、白っぽく見えるのが特徴です。

この裏表の質感や見た目の違いを利用して、お餅の味の違いをつけている場合があります。

中が小豆あんの場合は、裏面を上にして、味噌あんの場合は表面を上にしてと、ひと目で中身の餡が分かるように区別しています。

もちろん、店舗によって違いがあるようですが、基本はこのように使い分けているようです。

餡の基本となるのは、小豆あんと味噌あんです。餡の種類は、京都では、白味噌餡を用いているところもあり、近年では、ヨモギ餅に白味噌あんという組み合わせで作られたものも、見られるようになりました。

ちなみに、味噌あんの発祥地は江戸だそうなので、味噌あんの餅は、関西よりも関東でよく食べられています。

どうして、柏の葉を使うの?

では、どうして柏餅を葉っぱでくるむのでしょうか。

葉っぱがなくてもお餅だけで十分美味しいのにと思いますが、実は柏の葉を使うことには理由があります。

まず挙げられるのが、「香り付け」です。

柏の葉を鼻に近づけると、ふんわりとただよう心地よい香りがします。

これは、柏の葉っぱを巻いてから蒸したことで、ほのかな香りが餅にうつるためです。

そして、「抗菌作用」としての役割もあります。

柏の葉っぱには、「オイゲノール」という成分が含まれます。

この成分には、殺菌作用があります。

食品の長期保存が難しかった昔の人の知恵が生きている、というわけです。

そして、「保湿効果」もあります。

ラップのない時代に、少しでも長く美味しくお餅が食べられるように、お餅の乾燥を防ぐために用いられました。

他にも、手にお餅がつきにくいなど、実用的な面も考えられます。

地域に伝わる端午の節句の伝統菓子

日本各地に、端午の節句に食べる色々な伝統菓子が伝わっています。

ここでは、そのような地域ならではの端午の節句の伝統菓子をご紹介します。

鹿児島では端午の節句で当たり前?「灰汁(あく)まき」 

南九州で端午の節句のお菓子と言えば「あくまき」です。

もち米に「灰汁(あく)」を加えて作った、茶色の粘り気のあるお餅です。

独特の風味と食感があり、あくまき自体に味はないものの、好みによって砂糖、きな粉、しょうゆなどをかけて食べます。

中には、わさびとしょうゆで酒の肴にして食べる人もいるようです。

竹の皮でくるみ、麻糸で縛ったものが一般的です。

あくまきの歴史は古く、平家の落ち武者が伝えたものだとか、陣中でたき火のあとの灰のそばに、たまたま握り飯を置いたところ、雨が降って灰汁が握り飯にしみこみ、握り飯が腐らなかったことをヒントに作り出されたものだとかいう言い伝えがありますが、いずれにせよ、あくまきは、戦の時に兵隊が食べる、兵糧食でした。

鹿児島のあくまきは、薩摩藩が豊臣秀吉の朝鮮出兵や関ヶ原の戦いの際に長期保存できる兵糧として作ったと言われています。

あくまきは、薩摩藩があった鹿児島県に伝わる菓子でしたが、西南戦争の際に西郷隆盛が保存食として持参していたことで、宮崎県、熊本県南部の人吉・球磨地方の人々にも伝わりました。

北海道から東北地方のスタンダード「べこ餅」

べこ餅は、上新粉や米粉などの白色のお餅と、記事に黒砂糖を混ぜて茶色にしたお餅の、2色でできているのが特徴です。

基本的には、木の葉の形をした2色の餅ですが、色は茶色と白、黒と白、緑と白などもあり、茶色や黒は黒糖が、緑にはヨモギが使われています。

べこ餅は、模様や形もさまざまで、柏餅の代わりに食べる地方もあると言われています。

名前の由来は諸説あって、白黒の色が牛(べこ)の模様であるという説や、切り分ける前の形が、牛(べこ)の姿に似ているという説などがあります。

こちらでも灰汁を利用!山形県の「あく入り笹巻き」

こちらも、あくまきと同じように、灰汁(あく)を用いて作られる笹巻きです。

灰汁には、木灰などが使われます。

中に餡は入っていません。




朴葉を使うのは味噌やきだけじゃない!長野県木曽地方の「朴葉(ほおば)巻き」

朴葉と使う料理として有名なのが、飛騨高山の郷土料理、朴葉味噌です。

朴(ほお)の葉に、自家製の味噌と薬味、椎茸などの山菜をからめたものをのせて焼き、ご飯に載せて食べる料理です。

この朴葉を使ったお菓子が地理的に近い長野でも食べられているようです。

柏の葉の代わりに、朴の葉を使い、朴の葉にあんこが入ったお餅を包んだお菓子です。

月遅れの端午の節句である6月に頂くことが多いそうです。

長崎県では「鯉菓子(こいがし)」がポピュラー

長崎県では、鯉の形をした生菓子である、「鯉菓子」を端午の節句祝いで食べます。

鯉の形をしたお餅の中にあんこが入っているお菓子です。

鯉もリアルな形のものから、可愛らしいものまで色々あります。

端午の節句に食べたい!縁起の良い食べ物

タケノコ

たけのこは「すくすく育つ」イメージがあるため、端午の節句に扱われる食材です。

筍自体は端午の節句で特別使われる行事食ではありませんが、まっすぐに伸びる筍のようにすくすくと育って欲しいという願いを込めて、端午の節句のお膳にはよく取り入れられます。

タケノコは、お吸い物や煮物の単品で出すほかにも、タイ、エビなどの縁起物の食材を使ったちらし寿司もおすすめです。

長寿を表す「海老」、見通しが良いとされる「蓮根(れんこん)」、健康でマメに働けるという「豆」など、縁起の良い具材が多く使われているからです。

ご飯メニューとしては、おめでたい目出たい席で振る舞われるお赤飯なども、端午の節句のお祝い席では良いメニューです。

出世魚

出世魚とは、成長するにつれ名前が変わる魚のことを指します。

男の子の成長を祝うお祝い御膳として、出世魚を使った料理はとても人気があります。

出世魚を食べることで、子供の出世を願うという風習に基づいているのです。

他にも縁起の良い魚はあり、カツオは「勝つ男」にちなんで、強く、たくましい男の子に育つようにという意味があるそうです。

また、鯛も古くから「めでたい」という言葉に掛け、さまざまな祝い事で食される魚です。

出世魚の例

ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ 

セイゴ→フッコ→スズキ
※地域によって呼び名は違います

菖蒲酒

中国の端午の節句にあたる、端午節でも菖蒲が登場します。

中国の端午の節句にあたる端午節でも、元々あった薬草を摘み健康を祈願する習慣が、邪気を祓う力があるとされる蓬や菖蒲を端午節に使う風習に繋がりました。

中国では、菖蒲酒を作って飲んだり、蓬で人形を作って飾ったりなどしていたのです。

あまり知られていませんが、菖蒲の根を日本酒に浸した「菖蒲酒」を端午の節句に飲む風習も、日本には残っています。

菖蒲が持つ、独特な強い香りが邪気を祓うためとされていますが、このような特定のお酒を飲むことは、他の五節句でも見られます。

人日の節句(1月7日)にはお屠蘇(とそ)、上巳の節句(3月3日)には桃酒、重陽の節句(9月9日)には、菊酒を飲みます。しかし、七夕の節句(7月7日)には、なぜか特定のお酒はありません。

五節句とは

五節句とは、その名の通り5つの節句のことを指します。

1年のうちに5回ある節句の日は、1月1日の人日(後に1月7日)、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕、9月9日の重陽(ちょうよう)のことです。

お気づきのように、全て奇数が重なる日が該当しています。

陰陽道で奇数は、陽の数字であり、もともと日本人に好まれている数字でした。

そのため、本来ならば奇数の重なるこれらの日は縁起のよい日となるわけですが、奇数が重なると偶数が生まれるといった観点から、陰の数字である偶数の邪気を祓うために行っていた行事が、五節句の始まりです。

そもそも、奇数が陽の数字だという考え方は、中国から至った考え方ですが、いつの日からか中国では奇数はあまり好まれないようになってしまいました。

むしろ対ともなる偶数が好まれるようになったのです。

このことは、中国の故事にも見ることができ、奇数を重ねた日には不吉なことがあると書かれた故事が多く出てきます。

中国の考え方に多大な影響を受けていた古来の日本では、このような故事から、奇数を重ねる節日は不吉とされたのです。

そのため、その不吉な邪気を祓う為に、力があるとされる、旬の食べ物をお供えしたり、食べたりする行事が行われるようになりました。

これが、季節の節目に行う「節句」の由来であり、「供物」を供える理由でもあるのです。

本来、日本の宮廷に伝わった節句は、もっと様々な節句が存在していました。

それらは、節会(せちえ)と呼ばれる宴会として執り行われていたのです。

しかし、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めたことが、当初は宮中の行事であった、「五節句」を庶民の行事に決定づけたのです。

ただし、それぞれの節句は旧暦で行われていたため、現代とは季節がずれているのも特徴です。

1月7日  人日(じんじつ) 七種(ななくさ)の節供

      3月3日  上巳(じょうし) 桃の節供

      5月5日  端午(たんご) 菖蒲の節供

      7月7日  七夕(たなばた)

      9月9日  重陽(ちょうよう) 菊の節句

まとめ

端午の節句に何か「これを食べなくてはいけない」という決まりはありません。

しかしながら、1年に1度、男の子の健やかな成長を願う端午の節句は大切な行事です。

せっかくですから、縁起の良い、意味のある食べ物を食卓に登場させるのはいかがでしょうか?

お子さんの成長を願う気持ちを後押しする行事食は幸せな食卓を彩ります。

是非、由来や意味もお話しながら楽しい端午の節句をお迎えください。

Writing:YUKIKO-加藤

スポンサードリンク -Sponsored Link-



当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。