雑節の一覧をボヤボヤと眺めていると、おやおや、「二百十日」やら「二百二十日」と書かれたワケの分からぬ得体のしれない日があるではござらぬか。
以下では2021年の二百十日の日と、二百十日の意味や由来、合わせて二百十日の有名な飲み物や食べ物・風習(行事)についてご紹介しています。
目次
二百十日の読み方
二百十日は「にひゃくとおか(にひゃくとをか)」と読みます。
二百十日とは?
二百十日とは二十四節気の立春から数えて210日目にあたる日であることから「二百十日」と呼ばれています。
現在の暦(太陽暦)でいうと毎年おおむね8月31日か9月1日頃です。
定気法では太陽黄経が158度くらい。雑節(ざっせつ)の1つでもありんす。
雑節とは?
二十四節気は中国から伝来した中国の文化であり、日本の旧暦である太陽太陰暦に当てはめてしまうと、暦と季節との間に最大で半月もの差異が生じます。
そこで生み出されたのが雑節という日本固有の暦法です。
雑節を用いることによって暦と季節の差異を排除することができ、季節の境目や季節を告げるシンボルとして、現今に至っても利用されている暦です。
現在、一般的に雑節と呼ばれる種類は以下の9つです。
節分 | (毎年2月4日ごろ) |
彼岸 | (春:春分の前後各3日。合計7日間/秋:秋分のの前後各3日。合計7日間) |
社日 | (春:3月中頃から後半/秋9月後半) |
八十八夜 | (毎年5月2日頃) |
入梅 | (毎年6月11日頃) |
半夏生 | (毎年7月2日頃) |
土用 | (立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつ) |
二百十日 | (立春から210日目) |
二百二十日 | (立春から220日目) |
ところで・・「二十四節気」とは?
二十四節気とは、1年を24つ分けて、それらを1つ々々を「節気」と定めて。その節気に季節を司る言葉を付したものが二十四節気です。
1年を夏至と冬至の2つに分け、さらに春分と秋分の2つに分けて4等分とします。(二至二分)
- 365日÷4=91.25日
二十四節気はこの二至二分を基軸としています。
そして、それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬を入れて8等分したのが、約45日間ずつの「八節」です。
- 365÷8=45.625日
さらに、八節を約15日ずつに3等分したものが二十四節気です。現行の二十四節気は、立春、立夏、立秋、立冬が各季節(四季)の先頭に来るように配置しています。
二十四節気は、中国から日本に伝来した生粋の中国文化ですが、中国と日本の季節感(動物・植物・気象など)が異なるため、日本では江戸の改暦(1842年/天保改暦)を経て、明治の改暦を経ながら日本の季節感いわゆる物候(ぶっこう)に沿わせるように改訂されています。
節気は各月に2つ存在し、毎月、「節」と「中」の節気が交互に来るようになっています。
「節」は「正節(せいせつ)」とも言い、「節気」とも呼ばれます。各月の前半に配置されるのが、この節です。
「中」は「中気(ちゅうき)」とも言い、略称で「中」とも呼ばれます。
現行の二十四節気は中国の太陰暦(月を参照した暦)を補完する目的で、逆の発想で太陽を参照して作暦されていますので、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に至っても、極度に形態を変えることなくそのまま使用され続けています。
「七十二候」というものもある!
上述したように二十四節気を72に分割した「七十二候」と呼ばれる暦法もありんす。
七十二候は二十四節気をさらに細分化し、日本の風土に合わせた各季節においての気象や動植物の変化を分かりやすく解説しています。
七十二候には「初候」「次候」「末候」という3つの期間(候)を設け、それぞれの期間の季節感にマッチした季語が割り当てられています。
しかし、二百十日は七十二候とは別の雑節という暦の一部なので直接の関連性はあり‥ません。
2023年の二百十日の日はいつ?「いつから数えて210日目なのか?」
- 2023年の二百十日は8月31日(水)
2023年の立春は2月4日(土)になりますので、立春から数えて210日目が8月31日(水)になります。
二百十日の2023年・2024年・2025年・2026年の日はいつ?
年 | 日本の二百十日に日にち |
2023年 | 9月1日 |
2024年 | 8月31日 |
2025年 | 8月31日 |
2026年 | 9月1日 |
二百十日の期間
二百十日に期間というものは存在せず、その日(1日)を指します。
二百十日の日の出し方(計算方法)
二百十日の日の出し方(計算方法)としては、二十四節気の立春を起算日(第1日目)として210日目の日となり、計算すると、おおむね毎年9月1日頃を指します。
「頃」という曖昧な表現する理由は、年によってズレが生じるためです。
現代においての二百十日の日は、おおむね閏年(補正した暦の年)では8月31日。平年(補正しない暦の年)では9月1日になりんす。ごく稀に何十年周期かで9月2日なる日もあります。
余談ですが、9月2日に二百十日がめぐってきたのは直近でいうと1873年。この次は計算上では次は2203年とされんす。
このように日が定まらない理由は、二十四節気の立春の日が毎年一定しないためであり、その影響で立春から210日目となる二百十日の日が変わるからです。
立春の日はこの二百十日だけではなく、八十八夜・二百二十日などの雑節の起算日(第1日目)になっているため、そう考えると重要な指標となる日でもあります。
二百十日を旧暦にすると何日?
二百十日を旧暦に当てはめると概ね7月中旬頃になります。二十四節気では第十四節「処暑(しょしょ)」もしくは「七月中」の期間中です。
二百十日の意味や由来とは?
冒頭でも書き述べたように二百十日とは、立春から数えて210日目のことを指すのですが、この頃、中稲(なかて/総じて「稲」のこと)の開花時期でありながら、秋の収穫を前にして台風が頻繁に上陸する頃でもありんす。(実は稲は花を持つ)
そこで台風もしくは大風を警戒するように設けられたのが、二百十日になりんす。
二百十日は季節の移ろいの節目
二百十日あたりはちょうど夏から→秋へと季節が変わる節目でもあり、その様子を示したかのように高頻度で暴風雨が襲来します。このため農家ではこの日を厄日と定め、秋の収穫を確たるものとするために、あらゆる事態に備えるための準備を行います。
二百十日は農家にとっては「三大厄日」
この二百十日は農家や漁業を営む人たちの間では、「三大厄日」とも言われます。
三大厄日一覧
- 八朔(はっさく)※陰暦8月1日。 新暦では8月25日頃から9月23日頃の間を移動する。
- 二百十日(毎年9月1日頃)
- 二百二十日(毎年9月11日頃)
これらの日が三大厄日とされる理由は単純明快で、手ひどい荒天の日だからです。
実は『二百十日よりも二百二十日の方が台風襲来頻度は高い』
実のところ統計学においては、二百十日よりも二百二十日の方が台風が襲来する確率が高いという結果が出ています。
とくに二百二十日の後の10日間は農家や漁師たちの間では忌がられており、例えば、9月26日あたりは高頻度で台風が襲来したことから「魔の26日」とも呼ばれています。
過去9月に襲来した台風一覧
- 洞爺丸台風(1954年/昭和29年)
- 狩野川台風(1958年/昭和33年)
- 伊勢湾台風(1959年/昭和34年)
- 第2室戸台風(1961年/昭和36年)
- 第2宮古島台風(1966年/昭和41年)
- 第3宮古島台風(1968年/昭和43年)
- 沖永良部台風(1977年/昭和52年)
二百十日が雑節に集録されたのは貞享暦から?
この二百十日は当初から雑節に集録されていたワケではなく、江戸時代の暦学者・渋川春海が品川の漁師からの意見を参考にして、貞享暦から入梅や八十八夜とともに雑節に組み込まれたとされています。
旧暦においては7月17日〜8月11日頃まで日取りが移動することがあり、特に注意を促す目的でこのような日付を設けたとされます。
二百十日が雑節に入れられた理由や由来
実は二百十日が雑節に取り込まれたのには、次のようなちょっとしたエピソードがあることをあまり知られていません。
暦学者・渋川春海は大の釣り好きであったとされ、ある晴天の日のこと品川の沖へ舟を出そうとしていたその時、偶然、とある漁師の舟と遭遇したそうな。
そこで漁師は渋川にこう告げたそうです。
「今日はちょうど立春から数えて210日。オイラのこれまでの経験上、この日は必ずと言って良いほど海が荒れる。アンさんも気いつけなよ。」
これを聞いた渋川は天候の変化に興味が沸き立ち、急遽、釣りを取り止めたそうな。
しかしその後、漁師の告げた通り、黒雲がよぎり始め、瞬く間に空を覆い隠すと暴風雨が吹き荒れたとのことです。
この後、1684年に貞享暦が完成するワケですが、暦として集録するまでに、渋川は毎年のように検証を重ねたとのことです。
つまり、それだけ高頻度でこの日に暴風雨が吹き荒れたことになります。
二百十日が雑節に集録されたのは伊勢暦からが正式!
ほぼ最近まで上述したよう二百十日は貞享暦から掲載されたはじめたとされていますが、近年の暦学者たちの学術調査からなんとぉぅ!1656年の伊勢暦から日百十日がすでに掲載されていたことが明らかにされています。
またその後の暦となる1671年の京暦にも八十八夜とともに二百十日がすでに掲載されいたことも明らかにされていまんす。
しかしながら、二百十日が世間に知られることになったのが、渋川春海が作暦した貞享暦だとすれば、それまで世間では認知されていなかったことになりんす。
以来、二百十日は全国に伝播して行き、地方暦に掲載されるようになり、現状のように古今東西、広く深く認知されています。
源氏物語では二百十日の台風は「野分」と呼ばれる
紫式部が著した古今東西、有名な古書物の「源氏物語」、もしくは清少納言が著した枕草子においては、二百十日や二百二十日頃に決まって襲来する台風は「野分」と呼ばれ、古来、忌がられている様子が分かります。
野分(のわき)とは、夏と秋の境目、もしくは初秋に吹く大風や台風のことであり、まさにこの二百十日、もしくは同じ雑節に集録されている二百二十日の頃に襲来する台風や大風のことを意味します。
野分とは、野原に生い茂る草を吹き分けるように吹き込む、強い風を意味します。
台風ができる原因とでき方
台風は日本の南側となる南太平洋から日本列島へ襲来します。
台風とは何者?
台風とは風が渦巻き状になって移動する様相で知られていますが、ではその正体はいった何なのか?という素朴な疑問が生まれます。
台風とは分かりやすく一言でいうと渦巻いた雲が発達した熱帯低気圧のことです。
これが北へ向けて吹く強風にあおられると日本列島へ襲来します。
上述したように大型の台風が襲来するのは、ほぼ晩夏〜初秋にかけてです。
台風の定義と誰が台風と決めるのか?
「台風、台風」と夏〜秋にかけてニュースなどでひっきりなしに耳にする言葉ですが、ではその台風とは誰が決めているのか?
そもそも台風の定義とは誰が何を基準にして決めているのか?
などの疑問が生じますが、まず、台風と決めているのは日本気象庁です。
日本気象庁では以下のような数値や事象をもとに台風の定義を位置づけています。
台風の定義
東経180度より西側の北西太平洋および南シナ海の熱帯低気圧を指します。
赤道より以北の西太平洋での熱帯低気圧域内の最大風速が34ノット(最大風速17.2メートル/秒)
台風ができる原因
まず、北太平洋や南シナ海で暖かい海面から蒸発した水蒸気と熱により、巨大な積乱雲が発生します。
やがて、この積乱雲が発達すると、あらま何とも摩訶不思議♪ この海域に渦を巻いた雲ができ始めるのですが、これができ始めると熱帯低気圧が発生します。
この渦を巻いた雲の中心は俗称で「台風の眼」と呼ばれますが、この台風の眼、すなわち台風の渦の中心の気温は上昇し、気圧が下がると次第に発達して、これが俗に台風と呼ばれるもになりんす。
台風の呼び名の付け方
台風の呼び名は気象庁が台風と認定した上で台風委員会で決められ、それを気象庁が報道する形で発表します。
夏の台風と秋台風の特徴や違い
夏台風の特徴
夏台風は秋の台風と比較すると速度が遅く、予測がつきにくい複雑な動きをします。
秋の台風の特徴
秋の台風は日本列島の南海上で進路を北東に変えて、そのまま日本列島へ接近してきます。夏の台風よりも速度があり、大型になりやすいのが特徴です。
秋の台風は日本列島周辺にある秋雨前線を活性化させることから、時に大雨を降らせることがありんす。
大型台風と超大型台風の決めたや定義
- 台風(普通)の定義:風速15m/s以上の半径が500km以下
- 大型台風の定義:風速15m/s以上の半径が500km以上、800km未満
- 超大型台風の定義:風速15m/s以上の半径が800km以上
台風の強度に対しての言い方の定義
よく気象予報士がニュースで台風の報道をするとき「非常に強い」「猛烈な」などの言葉をしきりに投げかけてきますが、実はこの言葉にもルールがあるのを知っていましたか?
- 最大風速が33m/s(64ノット)以上/44m/s(85ノット)未満:「強い台風」
- 最大風速が44m/s(85ノット)以上/54m/s(105ノット)未満:「非常に強い台風」
- 54m/s(105ノット)以上:「猛烈な台風」
つまり気象予報士は適当に言葉を投げかけているのではないことになりんす。
台風・タイフーン・ハリケーン・サイクロンの違い
日本では台風で知られていますが、台風には類似語として「ハリケーン」や「サイクロン」という言葉もありんす。
日本人は台風の英語版が「ハリケーン」や「サイクロン」と思っている方が多い感は否めませんが、実はこれには違いあります。
台風
台風は東経180度より西側の北西太平洋および南シナ海の熱帯低気圧を指します。日本独自の分類になります。
ハリケーン
ハリケーンは北大西洋、カリブ海、メキシコ湾および西経180度より東の北太平洋東部の熱帯低気圧を指します。
画像引用先:マイナビNEWS
タイフーン
あまり聞かない名称ですが、「タイフーン」というものもありんす。
タイフーンは北太平洋西部に存在する熱帯低気圧を指します。
サイクロン
サイクロンはベンガル湾、北インド洋に存在する熱帯低気圧を指します。
二百十日は何をする日?「行事や風習とは?」
風切り鎌
現代では陸上の全国各所に設置したアメダスはじめ温度計、湿度計、風向風速計・気圧計・雨量計・積雪計や、海上に設置した海上気象ブイなどの無人機器によって気象状況の把握が人の手を介することなく、いとも簡単にほぼリアルタイムに近い形で気象が把握できます。
しかし昔はそのようなものが無かったので、俗説や迷信じみた噂話が流布し、それに対して備えるために呪術的な呪い(まじない)を用いたり、神仏に祈念したりしたのです。
その中で特に農家でよく行われてたものが、「台風除けの呪い(まじない)」として「竹竿」の先に鎌を取り付けた「風切り鎌」と呼ばれる鎌を軒先に立てかけたり、屋根の上に取り付けたりする風習です。
現代ではこのようなことをしている農家は一部地域を除いて皆無ですが、その一端が現代でも見ることができ、それが奈良法隆寺五重塔の頂に設置されている雷除け・台風除けを祈念して取り付けられた相輪(そうりん)の風切り鎌です。
法隆寺の五重塔は鎌倉時代に雷が落ち、火がついたそうですが、何とか火を消し止めています。
その後、上掲の写真のように塔の頂の相輪に4本の鎌が雷除けとして取り付けられています。
防災の日
知ってましたか?ちょうどこの二百十日の日は、あの関東大震災があった日なんです。関東大震災は1923年(大正12年)9月1日午前11時58分に発生したマグニチュード7.9の首都直下型の大地震であり、南関東一円に甚大な被害をもたらしています。
首都東京では140〜150ヶ所から出火し、下町で多くの人々が焼死し、火の粉を逃れるために隅田川に飛び込んだ人は溺死するなど、死者・行方不明者約10万5000人、全壊・全焼失約32万戸という大惨事となっています。
以来、この大惨事を忘れないように、もしくはこの大惨事に備えるようにと1960年(昭和35年)に「防災の日(旧関東大震災記念日)」が制定され、現今に至っては、9月1日になると東京都慰霊堂(旧・震災記念堂)の慰霊祭を代表例とし、各地で様々な催し物が行われています。
風祭り
なにせこの二百十日は農家にとっては厄日。そこで農家では台風除けと豊作を祈願する風祭りが行われています。
風祭りは別名で「風籠り(かぜごもり)」「風日侍」などとも呼ばれ、二百十日になると農村の代表者たちが神社やお寺に参籠し、100万遍(数珠繰り)などの念仏を唱えて過ごします。
関東から東北地方では団子を食べる
関東から東北地方の各農村では風除けの呪いとして、風穴を塞ぐ(ふさぐ)という意味合いで「風穴ふたぎ(ふさぎ)」いう団子を作って神棚に供えて、それを下ろして一家で食べる風習がありんす。
富山県・石川県・長野県では風切り鎌を軒先に吊るす
富山県、長野県を中心とした地域では、現在でも諏訪大社を根元した諏訪信仰が残りますが、諏訪大社といえば古来、風水神、狩猟神、鍛冶神、漁業・舟運、軍神のご利益を持つ大社とされており、現在でも風切り鎌ならぬ「薙鎌」というノコギリのような鎌を竿の先に取り付けて、風除けとしした風習が今も残されています。
これらの地域では、図太い御柱に薙鎌を打ち込んで立て、豊作・大漁を祈願する「風鎮め」という神事が執り行われます。
おわら祭
富山県八尾町で例年9月1日から3日間、執り行われる「おわら祭」では「風の盆」とも呼ばれる、いわゆる風祭と盆の行事が習合した風鎮めの祭典が執り行われます。
胡弓を用いて、たなびく風に歌声を乗せるような様子は幻想的な気配を創出します。
二百十日の日の季語
- 野分
- 二百十日
注意点としては二百十日自体が季語だということです。二百十日は二十四節気の処暑の期間中でもあることから、処暑で紹介される季語にもなりんすよ。
野分は上述したように二百十日のほか、二百二十日に吹く大風、もしくは台風を意味することから、遠回しに二百十日&二百二十日のことをも意味します。
二百十日の食べ物(行事食)
風穴ふたぎ
上述したように関東から東北地方の各農村では風除けの呪いとして、風穴を塞ぐ(ふさぐ)という意味合いで「風穴ふたぎ(ふさぎ)」いう団子を作って神棚に供えて、それを下ろして一家で食べる風習がありんす。
耳ふたぎ
類似した言葉に「耳ふたぎ」という言葉がありんすが、これも同様の意味合いをもち、「耳にフタをする」すなわち「耳をふさぐ」になります。
耳ふたぎとは同年齢の者が他界した際、その者に敬意を払い敬う心を忘れないように「悪いことは聞かないように耳にフタをして、良い事だけを聞けるようにする」などの意味があるようです。ウフ
その後、耳をふさいで耳クソがへばり付いた団子は、小汚く染まっちまったことから、口にすることができないので川に流すとのこと。(耳クソはフィクションです。特に耳クソに関係なく川に流します)
二百十日の挨拶(時候)
野分の候(のわけのこう)
- 意味:大風が吹く季節。台風が高頻度で襲来する季節。
- 挨拶文の例:野分の候、二百十日もことなく過ぎ‥