日本には古来、歳時記と呼ばれる文化があります。
歳時記とは、四季の物事や年中行事などをまとめた書物を意味し、この中に二十四節気と呼ばれるものがあります。
以下ではこの二十四節気の意味や由来・起源と、合わせて覚え方についてご紹介しています。
目次
二十四節気の各節気の意味や期間については下記の二十四節気一覧表(リンク)を参照してください。
関連記事:二十四節気 一覧表
二十四節気とは?『二十四節気の意味』
二十四節気とは「にじゅうしせっき」と読み、1年間の太陽の動き(軌道)をもとにして約15日ずつを24つに分けた暦のことです。
- 24×約15日=約360日
これら24つに分けた1つ1つは「節気」と呼ばれ、故に「二十四節気」と呼ばれます。
さらに24つの節気それぞれにその季節感を暦注として書き述べたりして活用されることから、主に農耕作業に携わる者にとっては季節を把握する良き知見材料となります。
この二十四節気は太陽の動き(太陽軌道)を基にして作暦されていますので、現行の太陽暦(グレゴリオ暦)においても大きな改変はなく、活用され続けている暦です。
このように24つ分けた上でそれぞれの長さを均一にする方法を「恒気法(かんきほう)」もしくは「平気法」と呼称します。
恒気法(平気法)とは?
恒気法では「冬至(とうじ)」を基軸として次の冬至までを一太陽年(1年のこと)と定めて、これを24等分した暦法です。
恒気法が活用されていた頃の暦は太陰暦(太陽太陰暦)なので、毎年、年間日数に差異が生じます。例えば太陰暦では平年では1年約354日、に対して閏月が挿入された、いわゆる閏年では1年約384日になります。
この状態になると最大で1ヶ月も差異が生じます。
- 384日−354日=30日
そこで太陽軌道を参照して、1年の始まりを冬至と定め、冬至を起点に24等分する方法が採用されます。これら24つそれぞれに時候を司る名前を付けます。いわゆる、これが二十四節気です。
恒気法では、1太陽年を24等分した次の数値が各節気に充てられています。
- 365.2422日÷24=15.2184日
すなわち、各節気を約15日とすることで、各節気の間隔がほぼ均一にできます。
また、恒気法では24つに分けた節気とは別に、1ヶ月を2つに分けて、月の前半を「節気(節)」、月後半を「中気(中)」と定めています。
節気(節)から次の節気(節)までは30.44日としているため、これが累積すると中気(中)がスキップ(1つ飛ばされたりする)される現象が起こります。その対策として、現象が起こった月を閏月として調整をしています。
しかしながら、現在の暦は江戸時代の大規模な改暦を経た天保暦を基軸とし、明治の改暦を経た暦が用いられています。天保暦ではそれまでの平気法(恒気法)を改変し、新たに「定気法」という暦読方法を生み出しています。
定気法とは?
定気法は1842年の天保暦から採用された暦読方法です。定気法では「春分(しゅんぶん)」を起点として「黄経0度」と定め、天球上の地球軌道を周回する太陽の位置が15度移動するごとに1節気が進む定法を採っています。
春分から移動した太陽が再び、春分の地点に戻ってくるまでを黄経360度と定め、この太陽の黄道を24等分して各節気(期間)を定めています。いわゆる二十四節気のことです。
そしてこれら各節気に季節感を暦注として書き述べて活用します。
定気法の場合は、各節気は1節(1期間)を14.72日〜15.73日と定め、平気法(恒気法)と同様に各節気の間隔を均等にして、1年を各12の「節(正節)」と「中気」に分けています。
ただし、定気法のデメリットとなるのは、中気〜中気までの1か月間を計測した場合、29日と10余時間もしくは31日と11時間となります。この常態になると1ヶ月の間に中気が1つスキップされたり、2つ入ったりする何とも摩訶不思議な現象が生じます。
これを無くすために用いられたのが閏年・閏月の概念です。ただし、春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月に必ずくるように設定し、閏月はこの規定に反しないように挿入する必要があります。
ただし、これはあくまでも旧暦(太陽太陰暦)の定気法においての話です。現行の太陽暦(グレゴリオ暦)の定気法では、閏月というよりは、閏日の概念が用いられており、約4年に1度、2月の日数を1日〜2日か増やして調整をしています。
定気法は地球が太陽の周囲を楕円型を描き、時に遅速を反復しながら公転している事実を加味して定めた暦法でもあります。
注意
これを言うとややこしくなるかもしれませんが、厳密には太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを楕円を描きながら回っています。
これについて説明は下記ページにてご紹介しておきますので、興味のある方だけご覧ください。
二十四節気は中国が起源!
二十四節気は中国の太陰暦のズレを補完する目的で作成された生粋の中国の暦になります。中国の黄河の中流・下流周域で誕生した暦法であることから、当地の季節感に基づいて作暦されています。
すなわちこれを日本で活用した場合、必然的にズレが生じることになります。
太陰暦とは古代中国で考案された暦なのですが、この暦は月の軌道に基づいて作成されているため、年月を経るごとに季節と月の間にズレが生じてきます。
このズレを解消する目的で作られたのが二十四節気です。
二十四節気は太陰暦を補完するために太陽軌道を主軸として作暦されたことから、若干のズレはあるもの季節を知り得る材料にはうってうけであり、現行の暦であるグレゴリオ暦(太陽暦)になっても活用されています。
二十四節気は収穫が毎年無事に終えることができるために作られた暦!
二十四節気が作暦された大きな理由として、「秋の米の収穫のため」だったと考えられます。すなわち農業が遅速なく、円滑に行えるようにすることが目的だったということです。
そこで毎年、秋の収穫時期に遅速なく、定量の米が収穫できるにはどうしたら良いのか?‥などという事を逆算して作られたのではないでしょうか?
この暦が作暦された時代背景をちょっとよく考えてみてください。
なぜか中国における戦乱の時代(春秋戦国時代あたり)に考え出され、そこから時代を下りながら繰り返し改訂が行われ、徐々に現在の二十四節気に近づいていくことなりんす。(詳細は後述)
その上、作られたのがその当時、もっとも戦乱の様相が著しかった中原地方であったことも不思議です。
これらの時代背景を考察すると、二十四節気が作られた大きな理由の1つに兵糧(ひょうろう)の確保が急務であったことが考えられます。
兵糧の確保が円滑にできれば、兵士を遠地まで送り込むことも可能になり、はたまた、兵士を呼び戻したりする際も機動力を損なわず、且つ、指揮命令系統も円滑に進みます。
中国は日本の20倍以上の国土があることから人口も多く、国家間の戦争ともなれば何十万という兵士が移動することもザラです。
そういった背景もあり、兵糧の確保さえできれば、あらゆる面で戦況を有利に進めることができます。
戦況が有利に進めば勝つ確率も格段に上昇し、すなわち自国の趨勢(すうせい)の度合いへと反映されていきます。
なお、ここでの「兵糧」とは、ズバリ!米のこと。つまり、「にぎり飯」!その米とは、秋に実りを迎える稲穂です。
兵糧の確保は当時の国家にとっては自国のあらゆる力を誇示できるバロメーターともなり得るものであったのではないでしょうか?
そのために重要視されたのが農業を遅速なく円滑に行えるようにする暦だったというワケです。
あなたはどう考えますか?
暦づくりは天子(皇帝)の力を誇示するものだった?!
古代中国では皇帝になるには天命を受けたからこそ、その座に就けるとされていた背景もあり、皇帝になった者の定めとして天の声を聞き、それを人民に周知する必要があったと云われます。
その天の声が暦です。
このため暦作りは皇帝にとっては重要な業務の1つであり、自身や自国の権威を示すバロメーターにもなったのです。
戦乱の時代を経ても二十四節気の作暦が中止されなかったのは、ひとえに、このような背景も重なり、歴代権力者の庇護のもと、二十四節気は完成されていったのでしょう。
二十四節気は陰陽五行説(陰陽五行思想説)を参照している
二十四節気は、中国の春秋戦国時代に成立したとされる「陰陽五行思想説(いんようごぎょうしそうせつ)」の考え方をも参照して作暦されています。
陰陽五行思想説とは、ザっくり言うと「万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成る」という解釈になります。
例えば、以下の五行説のこの一文を例に出してみると‥
『陰きわまりて陽となり、陽きわまりて陰となる』
これは陰(寒気)が極点に達すると、その先は必然的に陽(暖気)へ向かうことになり、これは陰の存在があるから、陽の存在があることを意味しています。その逆もまた然りです。
具体的には、立秋(りっしゅう)の頃はまだ厳暑が連日のように続く盛夏の盛りであり、これでは到底、季節感と暦とが合いません。同様に立秋の対極の節気となる立春(りっしゅん)においても、まだまだ厳寒の盛りの時期であり、いきなり立春がきています。
また、八月節の白露(はくろ)を例に出せば、陰陽五行説の「白」という漢字を引き合いに出して遠回しに「秋」を告げています。(白は陰陽五行説で言うところの「秋」を意味する)
陰陽五行説の四季の考え方
- 春=木(色で示すと「青」もしくは「緑」)
- 夏=火(色で示すと「赤」)
- 秋=金(色で示すと「白」)
- 冬=水(色で示すと「黒」もしくは「青」)
「秋」を意味する「金」には、色の「白」が対応しています。
以上はあくまでも一例であり、他にも二十四節気にはこのような陰陽五行説の思想が採用されている節気がいくつかありんす。
二十四節気は気象を先取り表現している暦
二十四節気の各、節気は雑節や祝日のように「ある特定日」だけを示しているワケではなく、その真髄は、その特定日からなる半月、すなわち15日間を指定して節気が定められているということです。
これは15日間の間に気象の変化があることを告げるものであり、すなわち気象を先取り表現していることになりんす。
二十四節気はどうやって作られたのか?「二十四節気の成り立ち」
二十四節気が作られた当初、まず、日照時間が最長となる夏至(げし)と最短となる冬至とでまずは二分して2つに分けられました。
さらに昼夜の時間が等しくなる「春分」と「秋分」とで二分します。
これらを軸としてその間に「立春」「立夏」「立秋」「立冬」をブチ込んで、全体を俯瞰すれば8等分されていることに気づきます。
この「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の4つの節気は特に重要な位置付けの節気として、別名で「四立(しりゅう)」とも呼ばれますが、これらの4つの節気をさらに3等分してそれぞれに節気を組み入れたものが二十四節気です。
それと二十四節気は以下のようにさらに細分化され、それぞれに独自の名前が設けられています。
正節(せいせつ)
正節とは、下記、中気を除いた次の12の節気のことです。
正節は二十四節気の中でも不動の軸的な位置付けの節気なので、年数を経ても毎月1つある考え方です。
各季節(四季)の先頭には「立」が入る節気が充てられます。「立春・立夏・立秋・立冬」。
正節もさらに下記のような区分に分けられています。
四立(しりゅう)
正節の中で最重要の位置付けとなるのが「四立」です。
四立一覧
「立春」「立夏」「立秋」「立冬」
中気(ちゅうき)
中気とは、上記、正節を除いた次の12の節気のことです。
中気一覧
雨水・春分・穀雨・小満・夏至・大暑・処暑・秋分・霜降・小雪・冬至・大寒
この中でも夏至と冬至は「二至」、春分・秋分の二分は併せて「二至二分(にしにぶん)」と呼ばれるほど重要な位置付けの節気です。
太陰太陽暦となる「中国時憲暦(じけんれき)」や「日本天保暦(旧暦)」においては「定気法(ていきほう)」が用いられたため、例外的に月に1つ中気がスキップされたり、逆に2つ入ることもあります。
太陰太陽暦では、概ね3年に1度、1ヶ月を加えて13ヶ月とすることがあります。このときに加えられた月が「閏月(うるうづき)」と呼ばれるものです。(一例:4月に加えてもう1つ「閏4月」という月が入る)
ちなみに、このような調整が入った年は閏年(うるうどし)と呼ばれます。
定気法とは、以前の平気法を改訂した太陽の天球上の軌道における「春分」を起点として15度ごとに24等分した方法です。
二至(にし)
中気の中で最重要の位置付けとなるのが「二至」です。
「夏至」「冬至」
二十四節気が作られた当時の中国では、二十四節気を作る際、まず、もっとも分かりやすい基準となる二至を定めました。すなわち、クソ夏い暑と最近のネタのようにクソ寒い冬です。最近ホンマにネタ寒い
太陽の動きを測り、自らの影がもっとも短くなる日を夏至。逆に影が長くなる日を冬至と定めました。
すなわち二至とは二十四節気を作るに際し、基点となった節気です。
二分(にぶん)
二十四節気を定める際の起点となるのは、上記、夏至と冬至です。夏至と冬至をまずは二分します。その後に下記の春分と秋分を二分します。
つまり、二分は二至と同等程度に重要な位置付けの節気です。
「春分」「秋分」
二十四節気を作るに際し、まず、二至を定めた後、今度は夏至と冬至の中間点を定めようとします。
そこで、昼と夜の長さが等しくなる時期を四季の中心に定めます。それが「春分」「秋分」です。
二至二分(にしにぶん)
二至二分は上記、二至と二分を合わせた呼び方です。二至や二分は単独で呼ばれず「二至二分」として表記されることがあります。
「夏至」「冬至」「春分」「秋分」
二至と二分を定めた後、これら4つの節気は二十四節気における基点ともなり得ることから、これら4つの節気は二十四節気を司る節気として特に重要視されることになります。
八節
正節の四立と、中気の二至と二分(二至二分)を合わせた節気は「八節(はっせつ)」と呼ばれます。
「夏至」「冬至」「春分」「秋分」「立春」「立夏」「立秋」「立冬」
これら八節は二十四節気を司る節気としては重要な意味合いを成します。二十四節気は基本、これら八節を軸としてその間にそれぞれ2つの節気をブチ込んで、3等分しています。(下図の表参照)
- 8×3=24
二十四節気「正節・中気」の分かりやすい早見表
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | |
正節 | 立春 | 啓蟄 | 清明 | 立夏 | 芒種 | 小暑 | 立秋 | 白露 | 寒露 | 立冬 | 大雪 | 小寒 |
中気 | 雨水 | 春分 | 穀雨 | 小満 | 夏至 | 大暑 | 処暑 | 秋分 | 霜降 | 小雪 | 冬至 | 大寒 |
七十二候(しちじゅうにこう)とは?
七十二候の「候」とは「こう」と読み、意味は「物事の状態」「それを知る手がかりや方法」などの意味合いがあります。
「気候」という言葉は「節気」と「候」を合体させて生み出された言葉だと知っていましたか?
意味合いは「節気を知る手がかりや方法」と解釈できます。
七十二候とは、約15日間隔で分けた二十四節気の区分をさらに3等分した暦になります。すなわち、二十四節気の区分をさらに約5日に分けて、それぞれに季節(時期)における気象や動植物の変化を細かく記録した暦です。
本来、後述する雑節などを含めて二十四節気のみで対応すれば良いのですが、二十四節気は中国の風土・季節感・暦に合わせて作られていますので、日本でそのまま活用した場合、解説の意味合いが合わなかったり季節感と暦の間にズレが生じます。
そこで二十四節気を細分化して、日本の風土に合致した暦を作ってしまえば、二十四節気はそのままにして日本独自の季節とマッチした暦ができるというワケです。
実際、七十二候は日本の気候に合わせるために現今に至るまで何回も改訂されており、現在のものは日本の風土感に合わせた意味合いの解説になっています。
すなわち、七十二候に関しては中国バージョンと日本バージョンが存在し、日本バージョンは概ね中国バージョンの表記順をズラす形で、日本の季節に合わせたものに改変されたりしています。
二十四節気の年表から見る歴史
BC1600~BC1100年頃
実は二十四節気はこの頃(殷の時代)から作られたと云われています。
太陰暦を補完する目的で新たな暦を作るに際し、まずは太陽の動きを取り入れた暦を策定します。そこでまず太陽の動きを測り、自らの影がもっとも短くなる日を夏至。逆に影が長くなる日を冬至と定めます。すなわち二至の誕生です。
ただし、この当時に二十四節気の構想があったのかは定かではありません。
BC1100~BC771年
「周」という国家が西周(現在の西安市)に都を置いて統治した時代、改訂が行われており、上述、二至二分と四立を合わせた8つの節気を「八節」と定めています。
BC771~BC221年
現行の二十四節気は、24つの節気が定められた時点で完成されており、以降、現今に至るまで大きな改訂はされていません。
すなわち現行の二十四節気の起源としては戦国時代(C771~BC221年)とされています。
例えば、中国の後漢時代(25年〜220年)に編纂された「律暦志」の中に立春や啓蟄などの文字が見えることから約2000年前に誕生した言葉が現今に至ってもそのまま踏襲されていることが分かります。
二十四節気が日本で広まった理由
中国の文化である二十四節気が日本で広まった背景の1つに農業があります。
日本は古来、農耕民族であることから月と季節感に多少のズレはあるものの二十四節気は農耕時期を把握するためには良い指標となりました。
二十四節気を補完する目的で日本で新たに作られた暦となる「雑節(ざっせつ)」の八十八夜などはその典型例といえるでしょう。
二十四節気が本格的に日本で活用され始めたのは奈良時代後半〜平安時代初期!
残念ながら日本で二十四節気が活用された詳しい年代は不詳とされています。
ただ、764年(天平宝字8年)に成立したとされる「大衍暦(たいえんれき)」やそれ以降の具注暦など二十四節気の七十二候が登場することから、奈良時代後半〜平安時代初期の間に日本で広まったものとだと考えられます。
桓武帝の治世であった奈良時代後半〜平安時代初期は、中国・唐から多くの中国文化がもたらされており、その一環で日本に伝来したと考えられます。
実際に桓武帝の統治時代以後、平安中期以降になると国風文化が色濃くなってきますので、伝来した時期は奈良時代、定着し始めた時期が平安初期以降が濃厚と考えられます。
ちなみに大衍暦とは玄宗の治世である唐時代に編纂された中国の暦法です。735年(天平7年)に遣唐使の一員であった吉備真備が唐から日本へ持ち帰ったものですが、大衍暦が日本で実際に活用され始めたのが764年以降になります。
大衍暦は時代を下りながら繰り返し改訂が行われ、歴法としての名称を変えつつも明治以前まで使用されることになります。したがって、大衍暦は現在の日本暦のルーツ(起源)と言っても過言ではないのです。
1844年に改訂される
1844年(弘化1年/江戸時代後期)に天保暦が施行されたのを機に二十四節気も改訂されています。
この改訂ではそれまでの平気法の改訂版となる定気法が用いられることになり、この定気法に合わせるために二十四節気も改訂されています。
具体的には、それまでの二十四節気を定気法に合わせるために、天球上の太陽軌道における春分を起点として15度ずつ進めた点を区分点と定め、細分化されています。
これにより誕生したのが上述の「正節」と「中気」の概念です。
ただし、太陽軌道は真円を描かないことから動きが一定ではなく遅速が生じてしまい、すなわち、暦と季節にもズレが生じてきます。
このため太陽太陰暦(天保暦)では、閏月(うるうづき)を設けてその年を閏年(うるうどし)と定め、1年を13ヶ月とするなどして調整を図っています。
二十四節気の起源と誰が考えて作ったのか?作った目的とは?
二十四節気の起源
二十四節気はおよそ紀元前5世紀〜紀元前221年(戦国時代)に中国大陸の黄河中・下流域となる「平原(中原)」と呼ばれる地域で誕生した中国の暦とされています。
しかしながら、上述したように二十四節気の基になった暦の存在が確認されており、この暦は殷の時代(BC1600~BC1100年頃)に作られたことが明らかにされています。
二十四節気を作った人物とは?「誰が作った??」
二十四節気はどこの国の誰が生み出したかは一切、不詳とされています。
おそらく時代を下りながら、その時代の天文に携わった人々が付け加えていきながら、段階を経て成立したものと考えられます。
二十四節気が作られた理由・目的
二十四節気が作られたとされる戦国時代の中国の暦は月の軌道を参照した太陰暦が使用されていました。
太陰暦は月軌道を12回繰り返すことによって1年するとため、すなわち1年が354日として設定されるため、現行の太陽暦と比較した場合、概ね11日のズレが生じます。
例えば、当年の夏至が6月22日だとすれば、翌年の夏至は11日ズレることになるので7月になってしまいます。さらにその翌年にはその7月からさらに11日ズレていくワケです。
この状況を農作業のスケジュールに組み入れた場合、当年は11日、翌年もさらに11日‥と誤差が生じるので、田植えは「○月○日に行う」などの取り決めが難しくなります。
このズレを解消もしくは補完する目的で作られたのが太陽軌道を参照して作られた二十四節気です。
二十四節気は日付を参照しているのではなく、太陽軌道を参照していますので、太陰暦(日付)を参照しなくても農作業のプランを成り立たせることができます。
すわなち、これが補完するということです。ウフ
二十四節気の季節と暦のズレの意味とは?どうズレているのか?
二十四節気が中国における太陽の動きと気候を参照して作られたものであるのでれば、まずは中国と日本の気候の違いを把握しておく必要があります。
気候の違いが把握できれば、実際にどうズレているのかが納得できるでしょう。
以下は二十四節気が作られたとされる中国大陸の平原の気候をご紹介するにあたり、現在の平原(中原)の場所の中心地とされる河南省の省都・鄭州(チェンチョウ)を例とした気候の特徴を述べています。
中国(鄭州)の気候の特徴と気温一覧表
- 降水量が多くない
- 空気が乾燥している
- 面積は日本の5分の4ほど。(31万平方キロメートル)
- 春は温暖で晴れの日が多い
- 冬は極寒
- 真夏と呼べるのは7月
月別 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
平均最高気温(℃) | 6.0 | 9.4 | 15.1 | 22.3 | 27.6 | 32.0 | 32.1 | 30.6 | 26.9 | 22.0 | 14.4 | 8.0 |
平均気温(℃) | 0.8 | 3.8 | 9.3 | 16.2 | 21.8 | 26.3 | 27.5 | 26.0 | 21.4 | 15.9 | 8.6 | 2.8 |
平均最低気温(℃) | -3.3 | -0.7 | 4.3 | 10.4 | 16.0 | 20.8 | 23.5 | 22.2 | 16.9 | 11.0 | 3.9 | -1.4 |
降水量(mm) | 9.5 | 14.0 | 25.1 | 34.6 | 56.9 | 62.7 | 135.3 | 126.7 | 74.6 | 36.0 | 27.0 | 8.5 |
日本(東京)の気候の特徴と気温一覧表
- 夏は短い
- 湿度が高い
- 1年を通して暖かい
- 夏は蒸し暑い
- 降水量が多い
月別 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均最高気温( °C) | 9.6 | 10.4 | 13.6 | 19.0 | 22.9 | 25.5 | 29.2 | 30.8 | 26.9 | 21.5 | 16.3 | 11.9 |
平均気温( °C) | 5.2 | 5.7 | 8.7 | 13.9 | 18.2 | 21.4 | 25.0 | 26.4 | 22.8 | 17.5 | 12.1 | 7.6 |
平均最低気温( °C) | 0.9 | 1.7 | 4.4 | 9.4 | 14.0 | 18.0 | 21.8 | 23.0 | 19.7 | 14.2 | 8.3 | 3.5 |
降水量(mm) | 52.3 | 56.1 | 117.5 | 124.5 | 137.8 | 167.7 | 153.5 | 168.2 | 209.9 | 197.8 | 92.5 | 51.0 |
これら日本と中国の気温の変化をみれば分かりますが、平均気温を比較してみた場合、中国の5月は21.8度と、春らしい過ごしやすい気温です。二十四節気では「立夏」と表記されている理由がよく分かります。
逆に日本は18.2度と夏いうよりは、初春と呼ぶのが相応しい気温です。
5月からの気温を比較してみると中国は7月に27.5度と最高気温になり、9月から4度以上のマイナス気温を経ながらそのまま12月まで突入します。12月は2.8度と極寒とも言える気温でしょう。
二十四節気の11月は立冬。しかし日本の11月の気温は12.度とまだ立冬と呼ぶには少し時期尚早のような気がします。
12月の節気は大雪。中国の気温は2.8度なので降雪が続く日もあることでしょう。逆に日本の12月は7.6度とまだ大雪と呼べるような気温ではないことが分かります。
そして気温差が顕著な月が1月。節気は小寒。中国の0.8度に対して日本は5.2度と比較にはならなほどの気温差があります。その差、約4.4度。中国は極寒と呼べるでしょう。日本はせいぜい寒いです。12月の日本は降雪もほぼ皆無なので到底「大雪」とは呼べないものがあります。
1月の節気である小寒の説明に「時として大寒よりも寒いこともある」などと記載されていますが、中国の12月〜1月は確かに極寒といえます。日本で極寒と呼べる月は2月ではないでしょうか。
大陸の中国と島国の日本では気候が大きく異なる!
考えてみれば日本は島国であり、中国は大陸です。島国と大陸では気候が違って当然です。
二十四節気が作られた平原(中原)は、日本の東北地方北部と同緯度でもあることから気温および気候が類似しており、つまりは「寒冷地」と呼ばれる地域になります。
以上、まとめると二十四節気は完全に日本の風土にマッチしたものではないことが分かります。
大きな気候の違いとしては、日本の方が中国に比べて1年を通して温暖であることが分かります。
また、降水量に着目すると日本は年間降水量が中国とは比較にならないほど多いことから、中国に比べて圧倒的に湿気が多いことのなります。日本の夏が蒸し暑いと言われるのもこのためです。
逆の言い方をすれば中国は日本に比べて圧倒的に乾燥していることになります。
二十四節気の覚え方
二十四節気は中国で作られた暦であることから漢字の発祥地とされる中国とだけあって、難しい漢字が使用されています。
読みにくいので覚えにくいというのも納得がいくのですが、中でも手強いのが「啓蟄(けいちつ)」と「芒種(ぼうしゅ)」です。
順序立てた暗記の仕方
最初から全部一気に暗記しようとするのは無謀であり、三日坊主で終わってしまう可能性が高くなります。
そこで、二十四節気が作られた順番で覚えていくと、歴史と並行して覚えることができます。
二十四節気で最初に作られた節気は夏至(げし)と冬至(とうじ)です。
次に作られたのが‥覚えていますか?
‥というように歴史を振り返って思い出しながら言葉にしていくと案外、覚えるのも簡単になります。
ちなみに次に作られた節気は「春分」と「秋分」です。これら4節気を合わせて‥なんというか覚えていますか?
そうです!「二至二分」です。
ここから次に四立とその次に八節が待っています。‥四立と八節、覚えていますか?
「二至」「二分」などの単語から覚えていく!
先に「二至」や「二分」、「二至二分」、そして「四立(しりゅう)」、「八節(はっせつ)」などの区分けの言葉から覚えていくのも良い方法です。
だってほら、各それぞれの漢字の組み合わせをご覧になってみんさいな。八節を除くと「至」「分」「立」という漢字が入っていませんか?
実はこれらの漢字、よくよく考えてみると節気の名前になっています。たとえば二至の場合、夏と冬に「至」を付しているだけです。二分も同様に春と秋に「分」を付けているだけです。
暗記しやすい二十四節気の語呂合わせ言葉
『二至二分に四立を経て八節と成す‥』
そして、その次のステップとして、中にどんな節気があったのかを先に覚え込んでもよいかもしれません。
四立は覚えるのが簡単!
中でも四立は覚えるのが簡単です。だって春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)に間に「立」という漢字を挟み込むだけだから、「春夏秋冬」を知っていれば誰でも簡単に覚えれます。
これはもはや覚えるというよりは‥挟むだけ?『立春・立夏・立秋・立冬』。
四立を覚えたら、あとはそれらを『』で区分して分かりやすく整理します。すなわち‥
二至:『夏至・冬至』
二分:「春分・秋分』
四立:『立春・立夏・立秋・立冬』
そして八節はもはや覚えるまでもなく、単にこれら8つの節気をまとめた言葉が八節です。
体感して覚えこませるべし!
とりあえず、うろ覚えでも良いのでまずはパソコン(PC)があるのなら思い当たる「よみがな」をキーボードで打ってみることです。もしくは声に出して発声してみるとか。
外れたら答えをみる。そしてそのまま終えるのではなく、入力したり発声してから終える。人間は指を動かしたり、発声したりするなど、体感することでド頭にインプットできます。
これは指を動かす指令がド頭から出されているためです。ですから、キーボード打ちなどの器具や発声は暗記にはもってこいなのです。
雑節とは?
雑節とは、二十四節気や七十二候から派生して、これらを補完するために生み出された日本独自の暦です。現行の雑節には全部で9つの節気があります。
雑節が日本独自と言われる所以はすでにご承知のとおり、中国生まれの二十四節気では日本の季節感と合わず、ズレが生じるためです。
このように雑節以外にも、二十四節気や七十二候から派生した日本独自の暦が誕生しています。そのうちの1つとなるのが「五節句」です。五節句も江戸時代に作暦された日本独自の暦です。
なお、上述したように雑節という言葉が使われるようになったのは江戸時代以降のことです。それまでは特に雑節というくくりはなく、二十四節気に沿わせる形で単に「節分」や「八十八夜」などと呼ばれていたと考えられます。
二十四節気・各節気の意味や期間・旬の食べ物など
二十四節気の各節気の意味や期間、旬の食べ物については下記の二十四節気一覧表(リンク)を参照してください。